今日もまた、いつも通りの朝がやって来た。
午後までを二人きりでゆったりと過ごせば、その後ユダは執務の為に自分の側を離れる。
何食わぬ顔をしてユダを送り出したその後の事ばかりを考えて、はユダが身支度を整えるのを上の空で見つめていた。
しかし。
「よし、これで良い。」
身支度を終えたユダの姿を見て、はいつもと違う彼の変化に気付いた。
服装がいつもと違っていたのだ。
普段二人きりで過ごす時、ユダは軽装を好む。
ふわりと軽い素材の、袖口にレースなどをあしらった優雅なブラウスなどを着ている事が多い。
それなのに今朝はどうした事か、既に執務時のように戦闘服とマントを身に着けているではないか。
訝しんだは、ふと気になってユダにその理由を尋ねた。
「どうしたの、ユダ?今日は朝から執務なの?」
「いや、そうではない。今日はこれから外出するのでな。」
「まあ・・・・・・、そうなの・・・・・・・・」
思いもかけないチャンスだと、は内心で手を打った。
ユダが出掛けてくれれば、いつもより随分と楽に行動を起こせる。
しかしそのすぐ後、そんなのささやかな期待はものの見事に打ち砕かれた。
「貴女も来るのだ。」
「え・・・・・・・?」
「何を驚いている?昨夜言わなかったか?」
「いいえ、いいえ・・・・・・・、何も聞いていないわ・・・・・・・」
「そうだったか?そうか・・・・・、俺が言い忘れてしまったのやも知れんな。」
口元を吊り上げたユダは、飄々としていながらも有無を言わさぬ様子で、に外出の支度を促し始めた。
「まあ良いではないか。どうせ城に居ても退屈であろう?偶には外の空気を吸いに行こう。」
「ユダ、申し訳ないのだけれど、私は・・・・・・・・・」
「なに、俺が完全に支配している集落だから、何の危険もない場所だ。安心してくれ。」
「そうではなくて・・・・・」
「そこは質の良い温泉が湧くのだ。数日逗留してゆっくりと温泉に浸かり、肌に磨きをかけると良いだろう。」
「数日ですって・・・・・!?」
今日一日の話ではなく、数日間に渡る外出となると、気に掛かるのはハンスの安否である。
日に日に衰えているというのに、数日間何の注意も払わず放置しておけば、最悪の場合。
最悪の場合、戻って来る頃には死んでいるかもしれない。
「そうだ。偶には二人でのんびりと過ごそうではないか。さあ、早く支度を。」
しかし、が僅かに顔を強張らせた事など、ユダは気付かなかった。
いや、気付こうともしなかった。
「ささ、奥方様。馬車の方へどうぞ。」
「お荷物はこれで全てでございますか?」
留守番だというダガールとコマクに傅かれながら、は終始落ち着かない様子で何度も城の方を振り返っていた。
「、どうかしたか?」
「・・・・・・・・・いいえ。でも・・・・・・、あの、ユダ・・・・・?」
「何だ?」
「数日って・・・・・、具体的にはどれ位なの?あまり長くお城を空けては・・・・・」
「フッ、貴女が心配する事ではない。この頃は些か退屈な程に落ち着いていてな、特に急ぎの執務もないのだ。少々城を留守にしたとて、問題ではない。」
「でも・・・・・・」
「それに、留守はこのダガールとコマクが守っている。何も心配は要らない。婚前旅行のつもりで、二人水入らずでゆるりと寛いで来ようではないか。」
「奥方様。どうぞごゆっくりなさっておいで下さいませ。」
「ささ、足元にお気を付けて。」
殆ど強引に車に乗せられたは、もはやなす術なしと途方に暮れて、何事かを側近二人と話し込んでいるユダが隣に乗り込んで来るのを待つ事になった。
「・・・・・・・・ヒッヒ、ご名案でしたな。流石はユダ様。」
「フッ、当然だ。の事なら、俺は何でも分かっている。俺の目を盗んで、コソコソとあの男の様子を見に行っていた事もな。」
「しかし、本当に宜しいのですか?折角お留守になさるなら、この隙に一思いに葬ってしまっても・・・・・」
「駄目だ。」
ユダはダガールの意見を即座に却下した。
「そう容易く殺しては面白くない。苦痛と孤独と屈辱にのた打ち回らせるのだ。くれぐれも勝手な真似はするな。」
「は、ははッ!」
「心得ましてございます!」
そう、苦しみに苦しみを重ねさせてから。
力尽きて死ぬならそれも良し、見事式の日まで生き延びるも良し。
その暁には、己の腕に抱かれて花嫁となったの姿を散々見せつけた後で、それを土産に冥土へと送ってやろう。
心の中でそう呟きながら、ユダはの待つ馬車へと向かった。
着いた所はユダの居城からさほど遠くはない、落ち着いた静かな村だった。
そこでは、支配者の奥方として手厚すぎる程の歓待を受けていた。
「どうだ、。気に入ったか?」
「え、ええ・・・・・・」
滞在場所になっている村の外れの館は、普段住んでいる城程は広くないにしても、十分に広々とした建物だ。
室内は隅々まで掃除が行き届き、趣味の良い調度品が各部屋を彩っている。
それに感嘆したところ、ユダはいつ自分が来ても良いように、村人達に毎日屋敷の手入れをさせているのだと、誇らしげに答えていた。
「、もう一杯ワインは?」
「・・・・・いいえ、もう十分。ご馳走様でした。」
ナプキンで口元を拭い、は小さく溜息をついた。
テーブルを囲む者が自分とユダ、二人だけしかいないせいもあるのだろうが、何とも広く寒々しい食堂だ。
美しい調度品の数々が、贅沢すぎる食卓が、却って寂しさを引き立たせているような気がする。
まるで、自分一人がこの場所から切り離され、遠くから風景画でも眺めているかのような気分になるのは、恐らく自分の心がここに居ないからであろうとは思っていた。
こうしている間にも、ハンスは病に苦しんでいるかもしれない。
或いは、息絶えようとしているかも。
そう思うと、気が気ではなかった。
「・・・・・ならば、温泉に浸かって来ると良い。すぐに支度をさせよう。おい、お前!」
そんなの物思いを遮るかのように、ユダが高圧的な口調で側に居た給仕係の女を呼んだ。
「に湯浴みを。大事な身体だ、風邪を引かせぬようにな。」
「畏まりました、ユダ様。さあ奥方様。こちらへどうぞ。」
「でもあの、私・・・・・・」
「行くのだ、。ゆっくりと温まっておいで。」
ユダの口調は穏やかながらも逆らい難く、は連れられるまま女に従って食堂を出た。
連れて行かれた場所は館の離れであったが、その離れは丸ごと大きな浴場であった。
天然の温泉の周辺を高い壁で囲い、地面を均して整え、人が歩く場所には歩き易いように床が作られてある。
「この温泉の湯は滑らかで、浸かると芯まで温まり、肌にとても良いのですよ。宜しければ、お背中をお流し致しましょう。」
「いえ、一人で大丈夫です。どうも有難う。」
「そうですか、では何かございましたらお呼び下さい。どうぞごゆるりと。」
そう言い残して女が出て行った後、身を清めて湯に浸かりながら、は今現在のハンスの容態ばかりを気に掛けていた。
彼を愛しているのではない。
ただ人として、日々弱り衰えていく者を捨て置けないという思いと、
思いもかけず再会を果たしてから、日に日に大きくなる心のしこりが、に彼の事ばかりを考えさせていたのだ。
夫婦として共に暮らしていた時でさえ労りの言葉一つ掛けてはくれなかった彼が、今更何を求めて会いに来たのか、はそれが知りたかった。
だが。
「。」
「ユダ・・・・・・!」
不意に背後に現れたユダを見て、は慌てて表情を切り替えた。
「フフッ、驚かせて悪かった。折角だから共にと思ってな。」
「さっきの女性は・・・・・?浴室の外にいらしたでしょう?」
「ああ、あの女なら下がらせた。気が変わったのだ。貴女の支度、今宵は俺が・・・・・・。偶には良いだろう?」
「でも、そんな・・・・・・・」
「折角誰の目にも触れぬ所へ来たのだ。少々不便でも、二人きりで過ごしたい。」
湯を被り、の隣に身を滑らせてから、ユダは薄らと微笑んでを抱き寄せた。
「・・・・・静かな夜だ。実に心地が良い。」
「そうね・・・・・・・」
「あと一月半で、いよいよ挙式だな。実に楽しみだ。」
「・・・・・ええ。」
「今までもこれからも、ずっとずっと一緒だ。いついつまでも共に・・・・・。俺は今、幸せだ。」
「そう・・・・・・・」
「貴女は?幸せか?」
「え・・・・・・ぇ・・・・・・・・」
ユダにそう訊かれ、困惑したは言葉尻を濁して肯定とも否定ともつかぬ返事をした。
しかしユダは、敢えてその頼りない口調は気に掛けず、満足そうに頷いてみせた。
「さもあろう。俺は貴女の幸せを願い、日々心を砕いている。しかし、俺は今以上に貴女に幸せを与えるつもりだ。」
「今・・・以上に・・・・?」
「そうだ。貴女が望むものは、全てこの俺が与えて差し上げる。一生涯を掛けて貴女を愛し抜く。貴女に害を成すものは全て排除し、何物からも護って差し上げる。」
「害を成すものを・・・・・排除・・・・・・・・」
手始めに、ハンスをじわじわ嬲り殺すつもりかと、その言葉が喉まで出掛かった瞬間、不意にユダの手がの肌に触れた。
「は・・・・・んッ・・・・・・・」
「フフ・・・・・・・」
ユダの手が、白く濁る水面下で巧妙に蠢く。
決して逃げられないユダの優しい束縛に今夜も囚われ始めながら、はこの時初めて、それを恐ろしいと感じた。
確かにそう感じたのだ。
「駄・・・・・目、ユダ・・・・・・・・!」
「何が駄目なものか。貴女とて悦んでいるではないか、ほら・・・・・・」
「んっ・・・・・・・!」
胸の先端をしごかれ、は身体を震わせた。
共に暮らし始めてから夜毎与えられ続け、身に染み付いたこの感触に、逆らう事など出来はしない。
いつもあっという間に呑まれ、絶頂の果てまで押し流されるだけだ。
確かにその瞬間、身体は女として満ち足り、悦びを感じる。
しかし今は、心の中で広がる一方の迷いが、それを拒みたいと願っているのだ。
一人で内なる己自身と向き合い、霧のような迷いを晴らす静かな時間が欲しいと。
「駄目・・・・・、ユダ・・・・・・・・!」
「俺は貴女を抱きたいのだ・・・・・・・」
「あぁっ・・・・・・!や・・・・・・・、駄目・・・・・・・!」
首筋をねっとりと舐め上げられて、はユダに思わずしがみつきながら尚も懇願した。
「お願い・・・・・・、今は一人でゆっくり・・・・・、お湯に浸かりたいの・・・・・」
「フフッ・・・・、そうつれない態度を取らないでくれ。今回の旅では、貴女を片時も離さないと決めているのだ・・・・・・」
「お願・・・・・・、それならせめて後で・・・・・・・、お部屋で・・・・・・!」
「どうせ誰にも見えも聞こえもせんのだ。構わないではないか。俺は貴女を抱きたい、今ここで・・・・・・・」
「ひあっ・・・・・!」
太腿を割って入ったユダの手が、茂みに隠れた花芽を摘んだ。
「ああ・・・・・・・・!」
ユダの愛撫に甘く身体を蝕まれていきながら、は頭の片隅でぼんやりと思った。
ユダはまるで口癖のように、自分の望むものは何でも与えると言う。
だがそれは、ユダが認めたものに関してだけだ。
少なくとも、自分が今一番欲しいと願っているものを、ユダは決して与えてはくれないであろう。
そしてユダは、いつも自分を『美しい』と褒め称えてくれる。
ありとあらゆる言葉を駆使してそれを表現し、眩しい視線を向けてくれる。
だがそれは、もしかしたら、彼の描いた理想の『』に向けた賛辞かもしれない。
幼い頃に彼が慕い、不本意な形で別れる事となった少女が十という齢を重ねた女『』を理想通りに着飾らせ、愛でて、満足しているだけに過ぎないのかもしれない。
本当のには目もくれずに。
大人しくそれに従いながらも、迷い、躊躇い、疑う心を隠した醜い現実の女を、美しい白絹のヴェールにすっぽりと覆い隠して。
これではまるで、体裁を保つ為だけに飾り物の妻でいさせられたあの頃と同じではないのだろうか。
扱いこそ違えども本質は同じ、飾り物の人形ではないだろうか。
「・・・・・・・・・・!」
「あぁぁっ・・・・・・・!!」
猛々しく身体の中に入って来るユダに翻弄されながら、は一筋、涙を零した。
その涙を舐め取り、ユダは思うままに腰を打ちつけて来る。
一分の隙も許さないとでも言うかのように深く繋がり、いつになく激しい愛撫と律動で攻め立てて。
「あぁっっ・・・・・・!やっ、んんっっ・・・・!!」
「、俺の・・・・・・、愛している・・・・・・・・!」
「はぁッ・・・・、ふッ・・・・・!」
の両手首を捉えて一纏めに掴み、ユダが深く激しい口付けを求めて来る。
は自由を奪われ、吐息を奪われ、そして。
一瞬流れた涙は何を思う故の涙なのか、それを考える余裕すらも奪われていった。