「さあ、どれでも好きなものを選んでくれ。」
「ユダ・・・・・・、私の話を聞いて頂戴。さっきの人は・・・・・」
「純白のカラーのブーケもなかなか素晴らしいだろう?清楚な花嫁に相応しい。」
の話には耳を貸さず、ユダは己の手で丁寧に描き上げた何枚ものスケッチを見せ始めた。
「同じ白でいくなら、大輪のカサブランカも良い。華やかで厳かだ。」
「ユダ・・・・・・」
「しかし、純白のドレスに彩りを添えてくれそうな薄紫の胡蝶蘭も捨て難いとは思わないか?」
「ユダ・・・・・!」
「彩りを求めるなら、やはり貴女には深紅の薔薇が一番似合う気もするのだがな・・・・。オーソドックスだが、美しさ・芳しさ共に花の中でも随一だ。どうだろう、どれか気に入ったものはあるか?」
「ユダ!!」
とうとう痺れを切らしたは、苛立ったように立ち上がって叫んだ。
その拍子に、テーブルの上に並べられていたスケッチが、一枚・二枚と床に落ちる。
それを顧みる事なく、はユダに詰め寄った。
「どうして私の話を聞いてくれないの!?」
「・・・・どうせさっきの行き倒れの事であろう。」
「・・・・・・あの人は、あの人は私の・・・・」
「あの男の事なら案ずるなと言った筈だ。ダガールに任せておけ。」
「そうではなくて・・・・!」
「これ以上の問答は無用だ。」
強引に話を終わらせるユダの瞳は、一瞬ぞっとする程冷たかった。
「・・・・・・・・・あの人に・・・・・・、何をしたの?」
「・・・・・・何だと?」
「貴方、あの人の事を知っているような口ぶりだったわ・・・・・・・。十年前に一度見たきりの人なのに、忘れていたっておかしくない人なのに・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・知っていたのでしょう、あの人が・・・・・・、私の夫だと・・・」
「貴女の夫はこの俺だ。貴女が夫と呼ぶ男は、この俺以外にない。」
僅かに不快そうな顔をしたユダに、は恐る恐る尋ねた。
「・・・・・・・何をしたの、あの人に・・・・・・?」
「意味の分からん質問だな。」
「何故!?貴方があの人に何をしたのか、それを・・・」
「聞いてどうする?貴女の質問に俺が答えたとして、それで貴女はどうするつもりだ?」
「それは・・・・・・!それ・・・・は・・・・・・・」
「ただ取り留めのない話をしたいだけなら、他に幾らでも話題はある。何もあのように薄汚い行き倒れの話題でなくともな。」
口の端を吊り上げたユダは、床に落ちたスケッチを拾い上げ、また綺麗にテーブルの上に並べ始めた。
下働きの者達すらも寝静まってしまった暗い城内に、微かな靴音が響く。
長い廊下を歩き、幾つもの階段を下りたところで、その音は止んだ。
「・・・・・良い気味だな。」
ぼぅっと光る松明が、ユダの勝ち誇った笑みを、暗く冷たい石畳の床を、頑丈な鉄格子を、ぼんやりと照らし出した。
そして、その鉄格子の向こうにいる男の姿も。
「う・・・・ぅぅ・・・・・」
「ッフフフ・・・・・、顔色が優れぬようだが。」
浅い眠りから目を覚ました男は、ユダの方を見て血の気の失せた顔を強張らせた。
「・・・・・俺を・・・・・・、どうする気だ・・・・・・」
「心外な言い方だな。まるで俺がお前を殺そうとでもしているかのようではないか。」
「・・・・・・・・」
「こうして部屋を与え、毛布と水と食事までも与えてやっているというのに。」
ユダは蔑むような微笑を湛えて、その男・ハンスに『満足であろう?』と問いかけた。
「・・・・・・確かに。涙が出る程有り難い。日も差さない・・・・氷のような地下牢に閉じ込められ・・・・・・、暖を取るものといえば・・・・・・・、薄っぺらな古毛布一枚だ・・・・・・」
「そして水は使い古した汚水、食事は我が城の卑しい奴隷共が食い散らかした賄い物の余りだ。確かに、お前には涙が出る程有り難かろうて。」
ハンスの皮肉に気を悪くするどころか見事に切り返してみせて、ユダは益々愉しげにほくそ笑んだ。
「・・・・・・いっそ・・・・・・・、ここで殺してくれ・・・・・・」
「そうつれない事を言うな。折角遠方よりわざわざやって来たのだ。ゆるりとしていくが良い。」
「・・・・・・・」
「お前は丁度良い時期に来た。間もなく俺とは式を挙げる。そうだ、あと二月経つか経たぬか・・・・・、もう間もなくだ。」
「・・・・・・・・」
「これでは晴れて俺の花嫁となる。ようやくな。今度はお前が指を咥えて見ている番だ。が、他の男に攫われていく様を。」
青ざめた唇を固く引き結んでいるハンスに微笑みかけ、ユダはまるで明日の天気でも案じるかのような口調で言った。
「式の日まで、お前の命がもてば良いのだがな。」
ハンスの容態は、見たところやっとどうにか傷が塞がっているだけ、という状態であった。
おまけに、手足も満足に動かせていないところをみると、筋が何本か切れているのかもしれない。
その上、地下牢はこの寒さだ。
只でさえ体力が著しく落ちているところへ、この凍てつくような牢獄に放り込まれていては、その内病などに罹る可能性も十分にある。
つまり、の花嫁姿を見ずして人知れず死ぬ可能性も。
「精々養生しておけ。の晴れ姿を見る為にな。フッフフフ。」
「・・・・・・は・・・・・・・?」
「気安く呼ぶな。がこのような場所に来る筈がなかろう?何処にいるか、想像もつかんのか?」
少し勿体つけてから、ユダは澄ました顔で飄々と言ってのけた。
「俺のベッドに決まっているだろう。お前の事などすっかり忘れて、今は疲れてぐっすりと眠っているわ。・・・・・・・どういう意味か、分かるな?」
「っ・・・・・・!」
「フフフ・・・・・・、そうだ。もっと俺を憎め。妬め。そうでなくては面白くない。期待しているぞ。ハッハハハ・・・・・!」
ユダは松明を見せびらかすようにゆらゆらと振ると、悠々とした足取りで城の一階へと続く階段を上がっていった。
薪の燃え尽きた暖炉が、まだ部屋をほのかに温めている。
居心地の良い自室へ戻って来たユダは、ガウンを脱いでまっすぐベッドへ向かい、の横に何食わぬ顔をして横たわった。
「・・・・・・・・どこへ行っていたの?」
「・・・・・・・・まだ起きていたのか?」
眠っていたとばかり思っていたの声が明瞭な事に気付き、ユダは僅かに動揺した。
「こんな時間にどちらへ?」
「・・・・・・・なに。少し喉が渇いたのでな。水を飲んで来ただけだ。」
嘘だ。
ユダの嘘を、はすぐに見抜いた。
ユダは、眠っている最中に起き出して水を飲んだり用を足したりするような男ではない。
一度自分と共にベッドに入れば、そのまま朝まで動かないというのに。
多分、きっと。
「・・・・・・そう。」
「早く眠った方が良い。挙式を目前にして、貴女の玉の肌が荒れでもしたらどうする?」
「・・・・・・・おやすみなさい。」
「ああ、おやすみ、・・・・・・・」
ユダの胸に抱かれて瞼を閉じながら、その実は、冬の寒空の如く冴え渡った頭で考えを巡らせていた。
恐らく、きっと間違いなく、ユダはハンスに会っていた。
ユダの身体の冷たさが、その何よりの証拠だ。
ちょっと台所に水を飲みに行ったぐらいで、身体がここまで冷えるだろうか。
それこそ外にでも出ない限り、考え難い事である。
そう、たとえば。
助けた振りをして捕らえておいたハンスを人知れず殺し、何処か城の外へその亡骸を棄てに行きでもしない限り。
微かな震えが止まらないのは、寄り添っているユダの身体が冷たいせいなのか、或いは隠されたユダの素顔が恐ろしいせいなのか。
にはどちらとも判断がつかなかった。
しかしその翌日も、城内は一見して何の変化も見せてはいなかった。
下働きの者達は何も知らないようであるし、軍の兵士達もそうだ。
ユダもハンスの事は口にせず、いつも通り起き出して日課を定刻通りにこなしていき、ハンスの世話を任されている筈のダガールも、それらしい素振りはまだ見せない。
しかしは、辛抱強く観察を続けた。
もしかしたら、昨夜の不吉な想像通り、ユダは既にハンスを殺しているのかもしれない。
だが、それをこの目で見てはいない以上、そうと決め付ける事は出来なかった。
故にはなるべく自室に篭らず、ユダの隣に侍りながら、或いはピアノを弾く振りや散歩の振りなどを不自然にならない程度にしながら、誰かが何らかの不審な動きを見せるのを待った。
中でも特にが注目していたのは、ダガールだ。
ユダはハンスの面倒を見るよう彼に命じている。
もしもハンスが無事なら、少なくともダガールだけはやがて何らかの行動を起こす筈。
はそれを待ち、一日中それとなくダガールの様子に注目していた。
そしてその読みは、一日の内で一番中途半端な時間にようやく当たった。
昼も随分過ぎたが、夕方というには少し早い頃。
夕刻になればまた目の回るような忙しさに見舞われる下女達は、それに備えて僅かばかりの休憩を取っており、ユダは部隊の将達を集めて閣議を開いている最中である。
ほんの一時城の中が静かになる、そんな時間にダガールは一人、人目を忍ぶようにして庭へと出て来た。
自室の窓からそれを見ていたは、慌てて窓辺に駆け寄り、ダガールの様子を注意深く伺った。
するとダガールは、庭の隅の方へと歩いて行くではないか。
の居る部屋からは見えない場所であるが、そこに何があるのか、は知っていた。
「あそこにはゴミしか置いていないのに・・・・・・・」
そう、ダガールの向かった先は、堆肥にする為の生ゴミを溜めておく場所だったのである。
食事が済んで片付けを終える度に、下女達がそこへ残飯や食材の切り屑などを捨てに行くのだ。
下働きの者達以外が近付くところなど、今まで見た事はないというのに。
「ダガールさん・・・・・・、一体何を・・・・・・?」
暫し固唾を呑んで見守っていると、やがてダガールは手に何かを抱えてすぐに戻って来た。
皿らしき物に、捨てられて間もなさそうな残飯が盛られている。
人間の残した残飯を与えるとなると普通は動物がすぐに思い浮かぶが、貴重な軍馬にはもっときちんとした餌が与えられており、他にこの城には動物などいない。
となれば・・・・・・・・
「まさか・・・・・・・・」
ダガールが城の中に戻って行くのを見届けてから、はドレスの裾を翻し、彼を追うべく急いで部屋を出た。
ダガールが入って行った出入り口の辺りに、はまっすぐやって来た。
しかし当然の事ながら、その場にダガールはもう居なかった。
だが、まだそう遠くへは行っていない筈、はそう信じてダガールの姿を捜し歩いた。
そうして数分ばかり経った頃であっただろうか。
城の奥の方から、ダガールが手ぶらで歩いて来るのが見えた。
はドレスの裾などを手早く直すと、何食わぬ顔をしてダガールと会った。
「これはこれは奥方様。ご機嫌麗しゅう。」
「ご機嫌よう、ダガールさん・・・・・・・」
壁に掛かっている絵画を観ている振りをして、はダガールが横を通り過ぎるのを待った。
ダガールに気付かれてはいないだろうか。
すれ違ったその瞬間からダガールが完全に向こうへ行ってしまうまで、は生きた心地がしなかった。