PHANTOM OF LOVE 12




「フン、貧相な村だな。」

その村を見るなり開口一番、ユダは眉を顰めてそう吐き捨てた。
痩せた大地に根付いたその集落では、人も家畜も皆疲れきって暗く沈んだ顔をしている。
畑もあるにはあるが、実りのある作物は少なく、この様子ではとても満足な収穫など望めそうにない。
こんな荒んだ村には居たのかと、ユダは改めてを不憫に思った。


「ユダ様、あちらでございます。」
「うむ。」

だが今日は、の居た村を見物しに来たのではない。
の過去を断ち切る為、己の積年の恨みを晴らす為に来たのだ。
ダガールに促され、ユダはゆっくりと歩き始めた。






その家は、みすぼらしい小屋と呼ぶに相応しい粗末な家屋だった。
かつての良家もここまで落ちぶれたかと、ユダは嘲笑を浮かべた。

を奪った憎い連中が、勝手に破滅していくのは大いに結構だ。
しかし、没落後の苦労をにまで味わわせた事は許せない。

「ユダ様。こちらが様の・・・・」
「うむ。ダガール、コマク、お前達は向こうで待て。」
「はっ。」
「仰せの通りに。クヒクヒ。」

不敵な笑みを浮かべると、ユダはその指先から放った一撃で、粗末な木戸を真っ二つに切り裂いた。





「うわっ、な、なんだお前達は!」
「あなた・・・・・!」

中では老人が二人、抱き合うようにして震えていた。
これがの舅と姑だ。
十年前の婚礼の時に、一度顔を合わせたきりだったが。

ユダは口元を吊り上げると、長い赤毛を背中に払いのけて二人の前に立ちはだかった。


「暫く見ぬ間に、随分と老いぼれたな。」
「なっ、何だお前は!?儂らの事を知っておるのか!?」
「ああ、少しな。尤もお前達は、俺の事を知らんだろう。あの時お前達は、己の息子の晴れ姿に見惚れてばかりで、周りなど見てはおらんかっただろうからな。お前達やお前達の息子を憎しげに睨んでいた子供の事など、気付きもしなかっただろうて。」
「な、何を言ってるの、この人・・・・!?あなた・・・・!」

老婆は己と同じく老いさらばえた非力な夫に縋るように、その身を隠している。
こんな老人一人など、盾にもならないというのに。


「何の事だそれは!?わ、儂らはお前の事なぞ知らんぞ!」
「ああ、知らなくても結構だ。」
「な、何が目的だ!?うちにはこの通り何も無いぞ!とっとと帰ってくれ!!」
「そうはいかん。用を済ませるまではな。」
「用・・・・?」

怯えの色がありありと浮かぶ老いた四つの瞳を愉しげに一瞥して、ユダはその人差し指をスッと二人の前に突き出した。


「息子は何処だ?」
「そ、そんな事を訊いてどうする気だ!?」
「あなた、うちのハンスの何なの!?」
「騒ぐな。余計な事を言わずに、訊かれた事に素直に答えろ。俺は気が短い。」

ユダの瞳が一瞬殺気に輝いたのを本能的に直感したのか、老人達は震えながら答えた。

「は・・・・、畑に・・・・・・」
「フン。いつ戻って来る?」
「き、貴様ハンスをどうするつもりだ!?」
「いつ戻って来るか、と訊いているのだ。」

人差し指を突き出したまま、一歩前へと踏み出したユダに怯え、老婆は涙目になりながら言った。


「も、もうすぐ帰って来ます・・・・!で、でもこれだけは聞かせて頂戴!あなた、うちのハンスをどうするつもり!?」
「そうだな・・・・」

老婆の表情は、招かれざる客に強い警戒心を抱いている様子だ。
よもや大事な息子を殺されるのではないかと案じているのだろう。
ユダは可笑しそうに口元を歪めて笑うと、二人に向かって鋭い流し目を送った。


「殺す、と言ったらどうする?」
「そ、そんな・・・・!」
「あの子が何をしたと言うのだ!そ、そんな事はさせんぞ・・・・!」

単なる軽い冗談だというのに、老人達は面白いまでに引っ掛かって反応してくれた。
何も出来ない非力な年寄りの分際で、闘う事も厭わないといった気迫を浮かべて。
しかしながら、ユダにとってみれば、それはただ笑いを誘うだけの滑稽な様だった。
只でさえ曲がった腰が更に引けている二人を見て、ユダは声を上げて笑った。


「ハハハハハ!面白い、お前らにこの俺を倒す事が出来るのか?」
「う、うう・・・・!」
「だが案ずるな。誰がお前らのような老いぼれ相手に闘いなどするものか。このユダを見くびって貰っては困るぞ。」
「ユダ・・・・・?あなた、まさか・・・・・」
「どうしたんだ、お前!?」
「あなた、この男はあの家の一族よ!の実家に、確か息子が一人居たでしょう・・・・!?」
「あの小僧か・・・・!」
「ほう、驚いたな。覚えていたか。まだ頭は呆けていないようだな。」

目を見開いて驚く老人達に、ユダは馬鹿にするような笑みを投げかけた。


「い、今更何をしに来た!?息子に何の用だ!?」
「そう吠えるな。我が姉・の礼をしに来ただけだ。」
「礼・・・・?そ、そんなの結構よ!そんな用ならさっさと帰って頂戴!大体あの子は、とはもう離縁したのですからね!」
「・・・・・ほう。離縁、とな?」
「そ、そうよ・・・・!」

の身に起きた事なら、全て知っている。
それを離縁とは、巧く言ったものだ。
ユダは内心でそう毒づきながらも、敢えて話を摩り替えた。


「まあ良い。それならそれで。息子が帰るまで待たせて貰うぞ。」
「なっ、何を言う!?帰れと言って・・・」
「そうはいかん。礼をしに来たと言った筈だ。・・・おお、そうだ。それならお前達にもせねばならんな。義理とはいえ、仮にも我が姉の両親だったお前達だ、さぞや良くしてくれたのだろうからな。」

ユダは何気ない口調で呟くと、二人に向かって妖艶と言って良いような笑みを浮かべた。

「姉が感謝していた。お前らやお前らの息子に虐げられ、牛馬の如くこき使われ、私の結婚生活は悲惨でした、とな。」
「な・・・・」
「死ね。」
「はわっ!」
「キャーーッ、あなたーーーッ!!」

ユダが軽く一閃させた人差し指の衝撃は、次の瞬間老人の背を真っ二つに開いた。
そこから噴き出した大量の血を頭から被りながら、老婆はガタガタと震えた。


「あ、あなたぁ・・・・・!な、何て事を・・・・・!何もしないと言ったのに・・・・!」
「勘違いするな。俺は『何もしない』とは言っていない。『老いぼれ相手に闘いなどするものか』と言ったのだ。お前ら老いぼれなど、俺にとっては枯れ草以下だ。闘いになどなるものか。お前らなど、この俺の手でなす術なく切り刻まれるだけよ。」
「ひっ・・・・・!」
「それだけ皺くちゃになるまで生きたのだ。もうこの世に未練などあるまい?」
「ひぎゃっ・・・・・!」

逃げようと後退った老婆を目掛けて、ユダはもう一度指を一閃させた。
夫と同じように背中から二つに割れて床に転がる老婆の残骸を眺めて、ユダは満足げに呟いた。

「この比類なき美しさを誇る我が南斗紅鶴拳で死に化粧を施されたのだ。あの世で亭主もさぞ喜ぶだろうて。クククッ・・・・」

己の作り出した血の海の中、ユダは頬に飛んだ返り血を指で拭い、それをペロリと舐めた。








それから暫くして、戸口に人の影が見えた。


「と、父さん、母さん・・・・・!」
「・・・・・やっと帰ったか。」

呆然としているその影の持ち主に向かって、ユダは口元を吊り上げた。

「な、何だお前は!?これはお前がやったのか!?」
「いかにも。」

ユダは腰掛けていた古い安楽椅子から立ち上がると、その男・ハンスの前にゆっくりと歩み寄った。


「俺の名はユダ。南斗紅鶴拳・妖星のユダだ。」
「妖星のユダ・・・・・?」
「俺の事など知らんと言った風な顔だな、ククク。だがお前は俺を知っている。お前の古い記憶の中に、俺の名がある筈だ。何しろこの老いぼれ共でさえ覚えていたのだからな。」
「な、何の事か知らんが、よくも俺の父と母を!」

ハンスは手に持っていた鍬を振り上げると、ユダに向かって襲い掛かってきた。

しかしながら、その勇気は買ってやるとしても、腕はてんでなっていない。
三十も半ばを過ぎた筈の男の割に、顔立ちも頼りなげだ。
ユダ自身も上流家庭の跡取りとして大切に育てられたが、ユダの父は厳しい人物だった。
大切な跡取りだからこそ秀でた人物に育て上げようと、文武両道を叩き込む為、ユダが幼い内からあらゆる武芸・学問を仕込んでいた。
しかし、この男は典型的な温室育ちのようだった。

ユダはその大振りな攻撃を難なくかわしながら、指を軽く一閃させて鍬を柄から細切れに切り刻んでしまった。


「はっ、はぁぁッ・・・・!?」
「フッ、我が南斗紅鶴拳を相手に、野良仕事の道具で応戦とは片腹痛い。」
「くっ・・・・!」
「どうした、もう終わりか?ククク、所詮は無能なボンクラ息子だな。いつまでもガキのように、老いぼれた父母に言われるまま従うしかないのだから、当然か。」
「なんだと・・・・!」
を貴様などに渡してしまった事、口惜しく思わぬ日は一日たりともなかった。」
「なっ・・・・!?」

の名を聞いて驚くハンスに向かって、ユダの南斗紅鶴拳が唸りを上げた。

「ぐわぁっっ!!」
「そら、そら。切り裂かれていく気分はどうだ?」
「うわあああ!!」

ユダの拳はハンスの顔を、腕を、脚を、切りつけていく。
ぱっくりと割れた傷から霧のように血を噴き出して、ハンスはその場に崩れ落ちた。









「フッフフフ、どうだ、気分は?」
「う、うぅ・・・・・・!」

ハンスはまだ死んでいなかった。ユダが敢えて殺さなかったのだ。
全身深い切り傷だらけで血塗れだが、その手も脚も首も全て、まだ胴体に繋がっている。
そう、楽しみはこれから、ここからが本番なのだ。

床に這い蹲り、痛みに呻くハンスに向かって、ユダは勝利の笑みを浮かべた。



の事を・・・・・、どうしてお前が・・・・・・?」
は俺のたった一人の姉だ。」
「姉・・・・・?ユダ・・・・・・・・・、お前・・・・!」

ユダはハンスを見下ろすと、静かな口調で語りかけた。

「やっと思い出したか。そう、俺達は十年前に一度会っている。お前と姉の婚礼の席でな。」
「あの時の・・・・子供か・・・・・・・!?」
「そうだ。あの時俺は、まだたった十の小僧だった。あの頃の俺には、お前達の結婚を止める術など無かった。あの頃の己の無力を、俺は何度呪った事か・・・・」
「止める・・・・・、だと・・・・・?」
「そう。俺達は血の繋がりこそなかったが、実の姉弟以上に深い絆で結ばれていた。あの頃の俺には、姉だけがたった一人心を寄せる事の出来た人だったのだ。たった十でその姉と引き裂かれたあの頃の俺の気持ち、お前に分かるか?」

分かる筈はないと心の中で毒づきながら、ユダは更に続けた。


「あの頃の姉は、眩いばかりに美しかった。美しく、優しく、知性に溢れ・・・・・、あの人は俺の憧れだった。」
「・・・・・・・・」
「その姉を、お前が奪ったのだ。俺からな。」
「今更・・・・・、そんな事を言われても・・・・・・」
「・・・・・何だ?」
「あの縁談は・・・・・・、父母が勧めてきた縁談だった・・・・・。奪ったなどと・・・」
「・・・・・何だと?」

ユダの眉が、一瞬不快そうにピクリと吊り上がった。

「そんな理由で、お前は俺から姉を奪ったのか?」
「・・・・・・・・」
「何故黙っている?」
「・・・・・・もう済んだ事だ、今更そんな話・・・・・・、する気はない・・・・・・」

ハンスはそれまで怯えと苦痛に歪めていた顔を、ユダからフイと背けた。


「・・・・・お前の目的は、大方・・・・を取り戻しに・・・・、だろう・・・・?」
「・・・・・・・」
「だったら・・・・・、無駄足だった・・・・・。はもう・・・・・、居ない・・・・」
「・・・・・知っている。」

ハンスとしては、ユダがきっと驚くと思っていたのだろう。
その予想が裏切られ、ハンスは再び驚いた顔をユダに向けた。


「な、何故・・・・・!?」
「俺は何もかも知っている。お前が父親に言われるまま、拳王軍に姉を差し出した事も、この十年姉が歩んで来た苦難の道のりも、そして・・・・・、今の姉の居所も。」
「ど、何処に居る・・・!?生きているのか・・・・!?」
「ああ、生きているとも。この俺の城でな。」
「・・・・・!」

血が滴る瞼を大きく見開いたハンスに、ユダは口元を歪めて笑いかけた。




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後書き

ユダの復讐劇、その一でした。
楽しいので(←書いてる私だけが)、長くなりました(笑)。