初めて結ばれた夜から、ユダとの距離はどんどん縮まっていった。
その顕著な例として、が主室をユダの部屋に移し、ユダと共に寝起きをするようになった事が挙げられる。
二人の関係が変わった事は、まず朝の支度をする下女達に知られる事となり、それから幾日も経たぬ内に、城中に広く知れ渡った。
は恥ずかしがったが、ユダにとっては勿論恥ずべき事などではない。
むしろ先に外野の者達を騒がせその気にさせて、を一日も早く妻の座に祭り上げようという気さえあったのだから。
別にを欺くつもりではない。
ただ、欲しいものを目の前にして、人間そう長くは待てないというだけだ。
ユダは愛情表現を益々激しくし、周囲の者が目を見張る程の寵愛をに傾けていた。
今日もまた。
「あっ・・・・・、ふ・・・・・んッ・・・!」
「・・・・・、ああ、・・・・・・・!」
「あぁんッ・・・・・!」
まだ日も高い内からユダに貫かれ、はベッドの上で身を捩っていた。
閣議をはじめ諸々の所用を終えるのに夜までかかるから、今日は一緒に過ごせないと聞いていたのに、ユダは昼下がりに突然時間が空いたと部屋へ戻って来て、求めてきたのである。
「あぁッん!!やっ、あっ!!」
「愛している、・・・・・、愛している・・・・・・!」
閨事を覚えたばかりの若者特有の激しさをもって、ユダは殆ど毎日といって良い程を求めていた。
朝も昼も夜もなく、ユダの思う時に、こうしていつでも。
身体を重ねる度に、ユダは女を悦ばせる術を一つまた一つと心得ていき、に悦楽の甘い痺れを与えるようになっていた。
がユダを拒まなかったのは、その激しい愛の虜になりかけていたからだった。
初めて感じた異性の愛、女として愛される事の悦び。
それに抗う術を、は知らなかった。
「ああ、・・・・・!もう・・・・・、くっ・・・・・!」
「ぃッ・・・・ああぁっ・・・・・!!」
身体の中でユダが大きく弾けるのを感じて、はぐったりとベッドに沈み込んだ。
その上に崩れ落ちるようにして、ユダが身体を預けて来る。
その重みを胸で抱きとめながら、は己の人生を滑稽に感じて、寂しげに微笑んだ。
「・・・・・・どうした?」
「・・・・・いいえ、別に何でも無いの。ただ・・・・」
「ただ?」
もう二度と会う事も無いであろう旧友達の誰よりも早く嫁ぎ、十六という齢で人の妻となりながら、十年経った今になってようやく、異性に愛されるという事を経験したのだ。
それも、夫以外の男性から。
これが滑稽でなくて何であろう。
だが、それを口にするのは何となく気が引けて、は小さく首を振った。
「・・・・・秘密。大した事じゃないから。」
「フッ・・・・・・、そう言われると、余計気になる。」
「本当に何でもないの。忘れて頂戴。」
「・・・・・全く、貴女にかかれば、俺は未だに掌で転がされる小童だな。」
苦笑しながら皮肉を口にしたユダは、しかしそれ以上しつこく問い質そうとはしなかった。
代わりにその力強い腕で、優しく身体を抱いてくれる。
ユダとの事は実のところ、本当にこれで良かったのかと悩む事もある。
しかし、悩んだところでどうしようもなかった。
やはり不釣合いだと身を引いたところで、帰る場所など何処にもない。
ただ一箇所、夫とその両親が住む、あの村以外は。
だが、またあの苦難の日々に戻ろうとしたところで、自分はあの村から拳王への貢物として差し出された身。
それが戻ったとあれば、夫や両親のみならず、村全体に迷惑が及ぶかもしれない。
そして、拳王から褒美として自分を譲り受けたユダにも。
「・・・・・・ユダ」
「ん?」
「本当に・・・・・・・、私で良いの?」
ユダと身体を重ねるようになってから、ずっと心の片隅にあった苦悩を思わず洩らしたに、ユダは呆れたように笑った。
「何を今更。当然だろう?」
「本当に・・・・・・?」
「貴女でなければ駄目だ。」
「・・・・・そう・・・・・」
「フッ、何をそんなに案じる?貴女はただ、俺に全てを任せていれば良いのだ。貴女はこのユダが全身全霊をかけて愛し、護り抜いてみせる。」
歯の浮くような睦言だが、ユダの顔は本気だった。
余りに真剣すぎて、そら恐ろしく感じる程に。
は、ユダが恋を覚え始めた若者特有の、恋に恋をし情熱にほだされているだけの状態ではない事を願わずにはいられなかった。
己の理想や世間体などのしがらみだけを大切にし、肝心の相手そのものを見ない事が、どれ程酷い事か。
夫からそれを学んだには、それが何よりも恐ろしい事だった。
「・・・・・さあ、そろそろ行かねば。」
物思いに耽るに気付かず、ユダは身体を起こして衣服を身につけ始めた。
「またお仕事?」
「ああ。間もなく偵察隊が戻って来る時刻なのだ。これから報告を聞かねばならなくてな。」
「そう。」
「夜は予定通り遅くなりそうだから、今夜の晩餐は悪いがお一人で。夜には必ず戻って来るから。」
「ええ。頑張ってね。」
マントを羽織るのを手伝ってくれたに嬉しそうな微笑を向けて、ユダはその唇にそっと触れるだけの口付けを与えた。
「そうだ、言い忘れていた。近々良い物を手に入れられそうなのだ。」
「まあ。なぁに?」
「フフッ・・・・・、秘密だ。」
「あら。意地悪ね。」
「仕返しだよ。とにかく、楽しみにしていてくれ。きっと喜んで貰える。」
からかうように言ったユダは、もう一度に口付けると、部屋を後にした。
勿論、仕返しなど本心ではない。他愛の無い冗談だ。
ただ、当日まで秘密にしていた方が、の驚きや喜びもきっと大きい。
その花が綻ぶような笑顔が、楽しみなだけであった。
その時のの表情を一人想像して、ユダは上機嫌で残りの執務を片付けにかかった。
それから数日後。
その日は、朝からやけに城の中が騒々しかった。
掃除道具や調度品を抱えた下男下女達が、バタバタと忙しなく廊下を行き交うのを、は朝の身支度を整えて貰いながら、何事かと訝しんで見つめていた。
「あれは一体何事なのかしら?あなた、何か知らない?」
鏡越しに髪を結ってくれている下女にそう尋ねたが、下女は曖昧に笑って答えてはくれなかった。
「申し訳ございません、様。ユダ様に固く口止めされておりますので。」
「まあ、そうなの?」
「はい。ですが間もなく、ユダ様ご自身がお聞かせ下さいますでしょう。」
「ユダが?」
その時、不意に部屋の扉が開かれた。
「。支度は済んだか?」
ユダはいつも、の前では基本的に機嫌の良さそうな穏やかな顔をしている。
ただ今日は、いつもにも増して上機嫌だと分かる顔をしていた。
丁度髪を整え終わったは、ドレッサーの椅子から立ち上がると、ユダに早速問いかけた。
「ユダ、あれは何の騒ぎなの?」
「それを今から見物に連れて行って差し上げようと思ってな。丁度あちらの支度も整ったようだ。」
「何かしら?」
「それは見てのお楽しみ。さあ、行こう。」
ユダは待ちきれないといった風にの腰を抱くと、を階下へと連れて行った。
騒ぎの場所は、一階にある城で一番大きな広間であった。
大きく観音開きになった扉の向こうに、いつもの如く優雅な空間が広がっている。
だが、少し違って見えたのは、更に華やぎを増した部屋の一角と、そこに昨日までは無かったある物があったせいだった。
「ユダ・・・・・、あれは・・・・・・・」
ユダに連れられて部屋に入っていくに従い、それはよりはっきりとした存在感を出し始める。
驚いたように目を丸くするを満足げに一瞥して、ユダは答えた。
「そう、ピアノだ。方々探させて、やっと先日手に入れられたのだ。」
「まあ・・・・・・・!」
そう。その物とは、艶々と深い紫色に輝く大きなグランドピアノだった。
大きな掃出し窓の側で、色とりどりの花が生けられた花瓶に囲まれて、それは静かに奏でてくれる者を待っていた。
「凄い・・・・・、まだこんな物が残っていたのね・・・・・」
「フッ、見つけるのは骨だったがな。昔我が家にあった物と全く同じ、という訳にはいかなかったが、なるべく良く似た物を探したつもりだ。気に入ってくれたかい?」
「これ・・・・・・、まさか私の為に!?」
「勿論。貴女のピアノを、また聴きたいと思って。さあ、鳴らしてみてくれ。」
ユダに促されたは、恐る恐るピアノの前に座った。
注意深く叩いたキーは、確かに昔ユダの屋敷にあったピアノとは違う音色を奏でたが、それでも負けず劣らず美しい響きを持っていた。
平和で幸福だったあの頃そのものの、穏やかな優しい響きを。
ピアノは調律も施され、手入れも良く行き届いている。
これならば、かつての時代でも十分に高価なものだったであろう。
それが今であれば、一体どれ程の価値のあるものか。
それを想像して恐ろしくなったは、泣き出しそうな顔でユダを見た。
「でもユダ・・・・・、これは・・・・・・」
「気に入らなかったか?」
「そうじゃないの、そうではなくて、こんな高価なもの・・・・・」
の言いたい事を悟ったユダは、ああと頷いて笑った。
「また貴女は。遠慮などしなくて良いと言っているだろう?」
「でも!」
「何?」
「・・・・貴方はこんな大きなお城と軍隊と、沢山の人達を抱えているわ。私にばかりこうして色々と与えていて、本当に大丈夫なの?私はそれが心配で・・・・・」
「フフッ、それも心配は要らぬ。今の時代に、ピアノを手元に置きたがるような高尚な趣味を持つ者は居ない。余り言いたくはなかったが、このピアノ、探すのには苦労したが、別に法外な代価を支払った訳ではないのだ。」
「え・・・・・・?」
「元がいかに高価なものだとて、この乱世には無用の長物。今の時代では、却ってさほど価値のあるものではない。」
「・・・・・そうなの?」
「ああ。二束三文で手に入れたなんて知られれば、貴女が気を悪くされると思った故、言いたくはなかったのだが・・・・・・、これで安心してくれたかな?」
「え、ええ、勿論・・・・、勿論よ・・・・!気を悪くするなんだなんて、とんでもないわ!それなら良いの、安心したわ。有難う。」
ようやく安堵して嬉しそうな微笑を見せたの肩を、ユダはそっと抱いた。
「さあ、何か弾いて。」
「まあ・・・・、でもどうしましょう。随分久しぶりだから、指がちゃんと動くかしら?」
「フフッ、ならば教師をつけましょうか?貴女のお嫌いなレッスンを、また始めてみられれば如何かな?」
「あら!まだ覚えていたの?意地悪ね!」
かつては憂鬱だった事でも、今となれば懐かしく幸せな思い出だ。
は苦笑すると、ユダに尋ねた。
「貴方は何が良い?折角だから、感謝の気持ちを込めて、貴方のリクエストに応えるわ。」
「それは光栄だ。では・・・・・・・・」
満足そうに頷いたユダは、暫し考え込んだ。
が弾いていた曲は、どれも好きだった。
だが、中でも一番好きだった曲がある。が、嫁ぐ直前にレッスンを受けていた曲だ。
甘美な旋律とその曲の由来、作者がやがて妻となった女性に捧げたという美しい由来に心惹かれ、
それまで全く興味のなかった楽器を手にしようと思った曲だった。
「うむ・・・・・、やはりあれが良い。『SALUT D’AMOUR』。」
「え・・・と・・・・・、ターン、タララララララーン、ラーン、ラーン・・・・・、だったかしら?」
「ああ、それだ。」
「ふふっ、上手に弾けるかしら、緊張するわ。」
「そう固くならずに、リラックスして。」
恥ずかしそうに笑ったは、ユダに促されて鍵盤に指を置いた。
そして間もなく、ピアノが静かに歌い始めた。
流れる美しい旋律に浸りながら、ユダはうっとりとの横顔を見つめていた。
この白く細い指先で奏でられる方が、このピアノも幸福というもの。
芸術品の何たるかも心得ない、野蛮な戦馬鹿の手元にあっても、豚に真珠だ。
そう、このピアノは、平和的に手に入れてきたものではなかった。
拳王軍と対立している、ある一派の将軍の屋敷にあった物だった。
如何に力自慢の猛将とはいえ、所詮は南斗紅鶴拳の敵ではない。
対峙してから数秒と経たぬ内に、全身を切り刻んで葬ってやった。
拳王軍の一団としての仕事をこなすという名目で、ピアノを手に入れるのは造作もない事だったのだ。
だが、そんな事はに知らせる事ではない。
どんな手段で手に入れようが、ピアノはピアノ。それで良いではないか。
ユダの耳に聴こえてくるのは、美しい調べとかつての甘い思い出の声ばかりで、
屠った敵の恨み言などは、全く聞こえなかった。