それから、何日かが過ぎた。
以前とはうってかわって、床を出た日から今日これまで、ユダが自分の側を離れた事は殆どない。
最近のの一日は、まるで判で押したように同じ事の繰り返しだった。
朝は侍女達に起こされ、身支度を整えられる。
毎日新しく用意されている贅沢なドレスやアクセサリーで装われたら、ユダと共に食堂で朝食を摂る。
それから昼食までは、二人で楽士の演奏を聴いたり散歩をして過ごし、昼食が済めば一旦部屋へ返され、着替えをして昼寝の時間。
起きてまた身支度を整えたら、二人きりのティータイム。
夕食が済めばまたどちらかの部屋で語らって、夜も更けた頃に就寝。
恵まれていた少女時代ですら、このような贅沢で怠惰な時間の使い方をした事はなかった。
それを心苦しく思う気持ちも勿論あるが、何より解せないのは、ユダの話が全て、かつて幸せだった頃の二人だけの思い出話ばかりという点である。
ユダはそこに、他者の介入を一切許さない。
また、十年前に別れた後の事も何一つ話さない。
は、それが気がかりだった。
「ねえ、ユダ。」
「ん?」
「小父様と小母様はどうしていらっしゃるの?それにばあやも。」
「・・・・・・・・何故そんな事を?」
「だって・・・・・・」
は、困ったように微笑みながら続けた。
「気になるのは当然でしょう?あんなに良くして頂いたんだもの。」
「・・・・・・死んだそうだ。」
「え・・・・・・」
「死んだと聞いた。父も母も、ばあやも。あの核戦争の折に。」
ユダは感情の篭らない声で、淡々とそう答えた。
「聞いたってあなた・・・・・、あなたのお父様とお母様よ?ばあやだって・・・・。」
「あの時、俺はもうあの家を離れていたから。」
「そう・・・・・・。でも、何故だか訊いて良いかしら?」
「・・・・・ああ。」
小さく頷いたユダは、の目をじっと見据えて言った。
「南斗の道場に居たんだ。姉様が嫁いですぐ後からずっと。」
「南斗の・・・・・・・」
「俺はそこで拳を学び、南斗紅鶴拳の伝承者となった。」
拳を握るユダの腕に、ぐっと力が篭る。
そこにはもう、かつての面影はなかった。
「じゃあ、あなたは・・・・・・・・」
「そう。俺はもう洟垂れの小僧ではない。天下を狙う将の一人、南斗六聖の一人、妖星のユダだ。」
「妖星・・・・・・・」
「そんなに怯えないで、姉様。」
ユダはそっとの肩を抱くと、小さく笑った。
「人は変わるものだよ、姉様。俺は望んでいた力を手に入れ、今の俺になった。俺が何故力を望んだか・・・・・、お分かりか?」
「何故・・・・・・?」
「貴女の為だよ、姉様。いつかきっと貴女をこの手に取り戻す。十年前から変わらない、俺の望みだ。やっと叶った。もう二度と離さないよ、姉様・・・・・・。」
「ユダ・・・・・・」
逞しい胸に抱き締められ、は困惑した。
「ユダ・・・・・・・、私の事は・・・・・・」
「なに?」
「私の事は・・・・・・、何も訊かないの?」
「・・・・・何か訊く必要が?姉様は今ここにこうして居るだろう。その事実だけで俺には十分だ。」
ユダはの髪を愛しそうに撫でながら、そう呟いた。
そう、訊く必要などない。
この手から愛しいを奪った憎い男の事や、ましてその男との間に生まれているかもしれない子供の事など。
どんな事情があろうとを手放す気はまるで無いのだから、無駄に不愉快になりそうな話は聞かずにいた方が良い。
ユダはゆっくりとを離すと、腰掛けていたベッドから立ち上がった。
「おやすみ、姉様。また明日。」
「・・・・・・おやすみなさい。」
に背を向けて、ユダは部屋から出て行った。
抱きたいと思わない訳ではない。むしろ欲望を抑え込むのが大変な位だ。
だが、まだ時期尚早である。
そんなに簡単に抱いて終わる程、あの頃の思い出は、は、安くない。
もっと、もっと。
高価すぎる宝石を触る事が出来ないように、太陽に触れる事が出来ないように、ユダは己の中で昂るだけの感情を持て余していた。
そしてユダは、その感情を形に表すかのように、出来る限りの贅沢をに与え続けた。
「姉様、入るよ。」
「あら、ユダ。」
出迎えたに親愛の情を示す軽い抱擁を与えて、ユダは室外に居る者達を呼びつけた。
「ユダ、この方達は?」
「以前はファッション業界の第一線で活躍していた連中だ。姉様の為に、方々捜して集めて来させた。」
にふわりと微笑みかけると、ユダはその連中に向かって高圧的な口調で言いつけた。
「良いかお前達。この美貌を更に引き立てるように、最高級の装いをして差し上げろ!」
「はい、心得ました、ユダ様。」
「ユダ!私はそんな・・・・・、今でも十分過ぎるのよ!?」
「何を仰る。姉様は本当に欲のないお人だ。慎ましさは昔よりも酷くなられたかな。」
今でも身を包む物は全て高級品ばかりだというのに、これ以上の贅沢は身に余る。
だが、必死で辞退するを、ユダは可笑しそうに笑って相手にしなかった。
「ユダ・・・・・・」
「さあ姉様。鏡の前に立って。おい、ドレスを持て!」
「はい。」
巨大な姿見の前に立たされたに、次々と目新しいドレスが当てられていく。
その一枚一枚を、ユダはこれ以上ない程真剣な顔付きで吟味した。
「うむ・・・・・・、いや、駄目だ!そんなくすんだ色では、折角の若さと美貌が引き立たん!次を持て!」
「では、これなら如何でしょうか?」
「ああ、駄目だ駄目だ!それではまるで乳臭い小娘の着る服ではないか!無礼者め!!」
「申し訳ございません!ならばこれは・・・・・・」
「うむ・・・・・・、色とデザインはまずまずだな。素材は?」
「シルクと麻の交織りでございます。」
「・・・・・・混ざり物は好かん。やはりシルクが良い。無いのか?」
「申し訳ございません!生憎と今は・・・・・・」
「フン、使えん。・・・・・・まあ良い。ならば誂えるとしよう。いつまでに出来る?」
「二月・・・・・・、いえっ、一月もあれば必ず・・・・・・!」
「良かろう。一月待ってやる。最高級の素材を使い、最高の仕上がりにしろ。褒美は何でも望みのものを取らせてやる。」
「心得ました。」
「ユダ・・・・・・!」
幾ら有り難いとはいえ、余りにも贅沢すぎる。
は慌ててユダの腕を掴んだ。
「ユダ、私は本当に良いのよ!?あなたにはもう十分良くして貰って・・・」
「何を仰る。まだまだ足りない位だ。これしきの事では、私の想いの十分の一も遂げられてはいない。」
「でもそんな事・・・・・・・」
「遠慮も行き過ぎると悲しいよ、姉様。」
ユダは困ったように笑うと、鏡越しにの顔を見つめた。
「姉様はいつも最高に美しくあって欲しい。これが俺の望みなのだ。分かってくれるだろう?」
「ユダ・・・・・・・・」
「これは俺の気持ちの、ほんの一部だ。何も姉様が申し訳なさそうな顔をする必要はない。黙って快く受け取ってくれれば、俺はそれで満足なのだ。これで俺の気が済むのだから、付き合ってくれるだろう?」
「・・・・・・でも、無理はしないで。」
の済まなそうな顔を見たユダは、苦笑しての肩を抱いた。
「無理など何もしてはいない。さあ姉様。寸法を測らせましょう。おい、早くしろ。」
「はい。」
軽装で巻尺を巻きつけられているを微笑ましげに見つめて、ユダはさながら王妃を寵愛する王の如く、豪奢な椅子の上で寛ぎ始めた。
一通り用が済み、一旦の部屋を出たところ、ユダは副官ダガールに捕まった。
「ユダ様、随分とあの方にご執心でいらっしゃいますな。」
「ダガールか。何用だ。」
「そろそろ閣議の時刻ですので。」
「もうそんな時間か。分かった、すぐに行く。」
「ときにユダ様。あのお方は一体どなたですかな?随分昔からのお知り合いのようですが。」
「うむ。そんなところだ。」
ダガールの詮索にも、ユダは珍しく素直に受け答えた。
いつもなら煩わしいところだが、今は恋焦がれていたが側に居るのだ。
これで機嫌が良くない方がおかしい。
「なるほど、やはり。拳王の奴めも、偶には役に立ちますなあ。」
「フッ。」
「ならばユダ様、あのお方を正式に娶られるおつもりは?美男美女同士、さぞや見目麗しいご夫妻になられましょうぞ。」
「・・・・・・・フッ、その内にな。時期が来たら盛大に披露してやる。」
おべんちゃらだと分かっていても、こみ上げてくる喜びを隠せない。
ユダは颯爽とした足取りで、広間へと向かった。