PHANTOM OF LOVE 4




それから数日、ユダは己の望みを必死に堪えて執務に没頭した。
望みとは言うまでもなく、と二人きりで過ごす時間である。
話したい事なら、してやりたい事なら、山のようにある。
かつてのように美しく贅沢に装わせ、存分に昔の思い出を懐かしみ、そして。

そして、あの日の約束を。


だが、その為にはの身体を回復させる事が先決だった。
故にユダは、周りの誰もが驚く程、に気を遣って休養させていた。
そんな日々が暫く続いて。






「姉様、お体の具合は?」
「ええ、もうすっかり!何だかとても力が湧いてくるの。もう一日中ベッドの中に居るのも飽きてしまったわ。」

年齢を重ねて落ち着きを増してはいるが、は以前と変わらぬ澄んだ声で訪れたユダを迎えた。
顔色も良く、少し痩せすぎていた身体は、健康的な肉付きを取り戻しつつある。
ユダは安心したように微笑むと、の髪をさらりと撫でた。

「だろうと思ったよ。だから、寝込むのは今日で終わりだ。医者の許しも出たからね。けれど姉様、辛くなったらすぐに言っておくれ。あんなに弱っていらしたのだから。」
「心配しなくてももう大丈夫よ、お陰様でね。うふふ、十年の間に、坊やはすっかり心配性になったのね。」
「姉様。」
「あら、ごめんなさい!つい昔の癖が出ちゃうのね。許して、ユダ。」
「全く・・・・・、敵わないな、姉様には。」

ユダは苦笑すると、をベッドから起き上がるように促した。


「さあ、こっちへ。湯浴みの支度を整えてあるから、ゆっくりと浸かっておいで。」
「まあ・・・・・、ありがとう。」
「礼など要らないよ。俺は外してるから、遠慮なく入ると良い。本当なら昔のように、一緒に入りたいところだけどね。」
「まあ!」

冗談めかしたユダの言葉に苦笑したは、それでも決して嫌悪も咎めもせず、ユダに促されるまま、侍女達の待つ方へと向かった。


「良いかお前達。この方に失礼のないようお世話するのだぞ。」
『承知致しました、ユダ様。』
「じゃ、姉様。また後で。」
「ええ、また後で。」

また後で。
また再会の約束を交わせる日が来るなんて。

この何気ないやり取りを胸の内で何度も繰り返しながら、ユダはの部屋を出た。






それから二時間程して、ユダの私室の扉がノックされた。

「どうかしら・・・・・・?」

そこに居たのは、侍女に付き従われただった。
ユダは暫し忘我の境地に居たが、すぐに侍女を追い払うと、だけを部屋に招き入れた。


「素敵だ、姉様・・・・・・・・」

を前に、ユダはうっとりと呟いた。

ワイン色のマーメイドラインのドレスは、成熟した女のボディラインを上品に浮かび上がらせ、金のアクセサリーがその美しさを一層引き立たせている。
大きく開いた肩から覗く薔薇色の肌も、綺麗に結い上げられた長い黒髪の艶も、かつてのそのままに、それでいて大人の女性へと確実に成長した事を物語っていた。

そしてこれこそがユダにとって、真のの姿だった。
ラオウの居城で再会した時の、どんな事情であんなボロを纏っていたのかは知らないが、あんな姿はには相応しくない。


「やはり姉様には赤が良く似合う。覚えておいでか?昔姉様がお気に入りだったベルベットのドレスも赤だった。」
「ああ・・・・・、あれね。そうだったわね。それよりユダ、折角用意してくれた物に、こんな事を言っては失礼かもしれないけど・・・・」
「何?」
「こんな高価そうなドレス・・・・・、何だか悪いわ・・・・・」

は申し訳なさそうに、己の姿を顧みた。
確かに、ドレスも手袋もアクセサリーもランジェリーも靴も、全てが高級品、貴重な品だ。
だが、それが何だというのか。
ユダは可笑しそうに笑うと、を眩しげに見つめた。

「何を仰る。こういった物は、身に着けるべき人が着けねば価値がない。そうでしょう?」
「でも・・・・・・」
「そしてそれは姉様、貴女だ。貴女が身に着けてこそ、これらの真価が発揮される。」
「でも私・・・・・・、貴方に何もお返し出来ないわ・・・・・。」
「馬鹿な事を。何を水臭い事を仰る!姉様はそんな事考えなくて良いんだ。他人行儀は無しだよ。」
「ユダ・・・・・・・、有難う。」

申し訳なさそうな微笑を浮かべたに、ユダはすっと手を差し伸べた。


「さあ姉様。行こう。」
「何処へ?」
「庭だ。お茶の用意をしてある。昔のように、また二人でティータイムを楽しもうと思ってね。」
「まあ・・・・、嬉しいわ。」
「さあ。」

ユダはの腰にふわりと腕を回すと、を連れて庭に出た。







こんな時代だというのに、庭には何本かの木が青々と茂っていた。
無邪気な子供時代に遊んだ庭園の風景と、何処か似ている。
は懐かしげに目を細めて、それを見上げた。


「あら、この木・・・・・・・」
「気付いた?そうだよ、杏の木だ。昔、家に沢山生えていただろう。」
「ええ・・・・・、覚えているわ!」

木の枝になっている黄色い果実を見上げて、は嬉しそうに微笑んだ。

「良かった、気に入って貰えて。さあ姉様、座って。」
「ええ。」

ユダは木陰のテーブルにを座らせると、自分もその向かいに座り、白磁のティーポットを取り上げた。
ポットには既に薫り高い紅茶が入っており、カップに注がれて温かい湯気を立てる。

「さあ姉様。どうぞ。」
「ありがとう、頂くわ。・・・・・・ん、美味しい!紅茶なんて久しぶりよ!」
「それは良かった。お茶請けもある。良かったら食べてくれ。」
「ありがとう。」

ユダに差し出された皿には、瑞々しい野菜のサンドイッチや焼きたてのクッキー、スコーンなどが贅沢な程に盛られている。
はスコーンを一つ小皿に取り分けると、添えられていたジャムを塗って注意深く口に運んだ。

「これ・・・・・・!」
「ふふっ、懐かしいだろう?この木になった杏で作ったジャムだよ。」

ユダは紅茶を一口飲むと、頭上の木を見上げて言った。


「昔・・・・・、二人でよく食べた。覚えておいでか。」
「ええ・・・・・、覚えているわ。」
「あの頃、俺はまだ貴女よりずっと小さくて、いつも姉様にせがんでは、杏の実を採って貰っていた。」
「ふふっ、そうだったわね。食べ過ぎて、お夕食も入らない位になった事もよくあったわ。」
「そう、そうだった。全部・・・・・、遠い昔の思い出だよ。」

ユダはゆっくりと席を立つと、木の枝に手を伸ばした。

「けれど姉様、俺は大人の男になった。貴女よりずっとずっと背も伸びて、力もつけた。ほら、見て。」

ユダは伸ばした手で易々と枝を手折ると、そこに付いていた二つの果実のうち一つを、に差し出した。

「まあ!うふふっ、ありがとう。」
「今度は俺の番だ。これからは、俺がいつでも貴女に杏を採ってあげる。さあ、食べて。」
「ありがとう。頂きます。」

は昔と同じ仕草で果実を磨くと、それをゆっくりと口に運んだ。
かつての初々しい桜色ではなく、ルージュの引かれた艶のある唇に。
それはユダに、男としての劣情を催させるのに十分だった。
ユダは薄く唇を開いて、暫し熱を帯びた瞳でを見つめていたが、やがてその瞳に恐ろしい程強い光を宿らせて言った。


「これからは・・・・・・・」
「ユダ?どうしたの?」
「これからは・・・・・・、俺が何でもあげる。姉様の欲しいもの、何だって俺が手に入れてみせる。俺はそれが出来るようになったんだ・・・・・・。」
「ユダ・・・・・・・・・」

ユダが一体どういう男になったのか、はまだ知らなかった。
ただ、鋼のような肉体と沢山の人間を傅かせているところを見ると、力のある人物になっている事だけは間違いない。
己の後をちょこちょこと追って来るだけだった無邪気な少年は、一体どんな男に成長したのだろうか。


そう、自分が知っているユダは、小さな坊やだ。
今目の前にいる男の事は何も知らない。


懐かしく頼もしく思いつつも、は一抹の不安を覚えずには居られなかった。




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後書き

特にこれといって内容のない回でした(笑)。
でも、管理人としてはこういう他愛ない話を書くの、好きなんですよね。
だから、どんどん無駄に長くなるという(爆)。