「拳王様・・・・・・、褒美というのはもしや・・・・・・・・!」
「うむ、これだ。うぬにくれてやる。好きなようにするが良い。」
― ああ、神よ・・・・・・!
神に祈る事は、あの日、淡い恋を摘み取られた日からやめた。
それが、今頃になってこんな奇跡を賜るとは。
そう、目の前に横たえられた『褒美』とは、あの日別れたきりの彼女であった。
衰弱しているのがありありと分かる。
そのせいで深い眠りについているのだろうか、固く閉じた瞼はぴくりとも動かない。
だが、十年という歳月を重ねていても、その面影ははっきりと残っているではないか。
忘れない、忘れる筈もない、この顔。
粗末な身なりをしてはいるが、白い肌も長い黒髪もあの時のままだ。
― 姉様・・・・・・!
だが、今すぐにも駆け出して抱き取りたい衝動を必死で堪えて、ユダは平静を装った。
「・・・・・・・・拳王様、この女は何処で・・・・・」
「先日、我が直属の一隊が侵攻の際に連れ帰ったのだ。ある村の者が貢物として差し出したらしい。」
「貢物・・・・・・」
彼女は、は、十年前に嫁いだ筈。
その後どうなってここに居るに至ったのか気にはなるが、ユダはあくまでそ知らぬ素振りでラオウに探りを入れた。
「見たところ美しい女ですが・・・・・、拳王様のお気には召しませんでしたか?」
「目が気に入らん。」
「目?」
「何処か達観したような、諦めきった目がな。まるで硝子で出来た人形の目だ。そんな女を抱いたところで、戯れにもならぬわ。」
「・・・・・流石は拳王様。お目が肥えておられますな。」
ラオウは決して好色ではない。
余程理想が高いのか、余程好いた女が居るのか。
その辺りは定かではないが、女を侍らせている所など未だかつて見た事もない。
己とラオウの共通点、それは正にその点であった。
だが、厄介払いであろうが何だろうが構わない。
ずっとずっと恋焦がれていた、会いたいと願っていたに会えたのだ。
「有り難く頂戴致します。」
「うむ。我が拳王軍の為、我が野望の為、今後も益々精進せい。」
「御意。」
ラオウはそれだけを言うと、部下を従えて謁見の間から出て行った。
「チッ、拳王め・・・・・、散々期待させておいて女一人か。」
「そう言うな、コマク。なかなか美しい女だ。拳王の手もついていないようであるし、これならユダ様のお気に召されるであろう。如何ですかな、ユダ様?」
その気になれば幾らも女を侍らす事が出来る立場でありながら、何故かユダは未だかつて女を側に置いた事はない。
二人は内心で『腰抜けの青二才』と揶揄する一方で、単純に同じ男として憐れにも思っていた。
「・・・・・ともかく、城へ戻りましょうぞ。このように味気ない場所、用が済めば一秒たりとも居りたくはございませんからな。」
ダガールはユダを促すと、床に横たわっているを抱き上げかけた。
「待て。」
「は?」
「俺が運ぶ。」
「は・・・・・・?」
「何だ、その目は。」
「い、いえ別に・・・・・。ただ、お珍しいと思いましたので・・・・。」
「拳王より直々に賜ったのだ。『忠実な部下』として、嘘でも有り難がっている所を見せておいた方が心証が良いであろう。」
「ははぁなるほど、ご尤も。」
ダガールは恭しく場所を譲り、ユダはの身体をそっと抱き上げた。
― 姉様・・・・・・
背中に負ぶって貰った日は、遠い遠い昔の事。
共に遊び疲れての帰り道、華奢な背中に負ぶって貰いながら、いつかは自分がと、いつもそう願っていた。
もう二度とそんな日々は帰って来ないと思っていたが、今は間違いなく、こうして己の腕の中に居る。
「ユダ様?どうなさいました?」
「・・・・・・何でもない。行くぞ。」
『はっ。』
目ぼしい女を見つけてはせっせと差し出してやっても、その誰にも反応した事の無いユダが、今度ばかりは少し違うようだ。
ダガールとコマクは顔を見合わせて、満足げに頷いた。
城に着くまでは、二人きりになるまでは、誰にも悟られたくはない。
ユダは必死で平静を装いながら、どうにか己の居城まで辿り着いた。
帰った早々部下共があれやこれやと報告に寄ってくるが、そんなものは後回しだ。
ぞんざいに追い払い、人払いをさせてと共に私室に篭り、ユダはようやく緊張を解した。
「はぁっ・・・・・・・・!」
大きな溜息が、思わず口をついて出る。
深い深い海の底から、ようやく上がって来られたような気分だ。
「姉様・・・・・・」
ベッドに横たえたの寝顔を、ユダはようやく誰にも遠慮せずに凝視する事が出来た。
面影は変わっていないが、やはり随分やつれて見える。
かつてはあんなに明るく、初夏の太陽のように眩しかったのに。
「可哀相に・・・・・、こんなにやつれてしまって・・・・・」
さくらんぼの様だった唇は乾き色褪せて、ふっくらと水蜜桃の様であった頬は少しこけてしまっている。
病に罹っているという程ではないようだが、相当疲労が溜まっているであろう事は一目瞭然だった。
「姉様、もう心配は要らないよ。このユダが、貴女を必ず元通り、太陽の如く輝かせてみせます・・・・・」
血の気の薄いその頬に、そっと触れた時だった。
「ん・・・・・・・・・」
「・・・・・姉様!?姉様!」
「う・・・・・・・」
「姉様、お気付きですか!?私です、ユダです!分かりますか!?」
は薄らと瞳を開けて、己を心配そうに覗き込む男の顔を見つめた。
「ユ・・・・・ダ・・・・・・・?」
「そうです、ユダです!」
「・・・・・・・・ユダ?ユダ・・・・・、まさか・・・・坊や・・・・!?」
遠い昔の記憶にあるその名と面影、それを思い出したは、まだ焦点の定まらない目を大きく見開いて飛び起きた。
「うっ・・・・・・」
「いけない、姉様!そんなに急に起きては!」
軽い眩暈を覚えて再び倒れそうになるを、ユダは慌てて支えた。
「ユダ・・・・・・、本当に貴方なの・・・・・?」
「勿論ですとも!姉様こそ・・・・・、私の事を覚えておいでか?」
「・・・・・・嘘・・・・・・、夢みたい・・・・・・・。」
信じ難そうに首を振りながらも、弱々しく微笑むを見て、ユダの昂った感情は堰を切ったように溢れ出した。
「姉様・・・・・、お会いしたかった!!」
華奢な身体を強く抱きしめ、ユダは十年振りに涙を流した。
「お懐かしゅうございます、姉様!生きておられたのですね!十年前のあの日お別れしたきり何の噂も聞かず、心配しました!」
「私もよ・・・・・!心配したわ、貴方の事や小父様や小母様やばあやの事・・・・!ああ坊や・・・・・、まさか生きてまた貴方に会えるなんて・・・・・!大きくなったわね、見違えたわ・・・・・!」
同じく感極まったように涙を流すに苦笑して、ユダはそっと腕の力を緩めた。
「姉様、『坊や』は止して下さい。私はもう二十歳になったのですよ。」
「あら・・・・。ふふっ、ごめんなさい。昔の癖でつい。でも、余りにも立派になっているから驚いたわ。私の覚えている貴方は、まだ小さい男の子だったもの。」
涙を拭いながらクスクスと笑うは、断じて人形などではない。
しとやかな仕草も、鈴の音のような笑い声も、この微笑みも。
ラオウは何処に目をつけているのかと痴づきたくなる程、感情の篭った人のそれであった。
「姉様こそ益々お美しくなられた。少し前まで私の記憶にあったのは、まだ少女の貴女だったのに・・・・・・。」
「あれからもう何年になるのかしら?」
「十年ですよ、姉様。」
ユダはの頬を両手でふわりと包むと、眩しいものを見るような目でを見つめた。
「十年、貴女にずっと会いたかった。十年想い続けて・・・・・、ようやく叶った。」
「坊や・・・・・・」
「・・・・・フッ、『坊や』は止して下さいと言ったでしょう?」
「・・・・・そうね、ごめんなさい。」
申し訳なさそうに微笑むに小さく笑みを零すと、ユダはその身体をそっとベッドに横たえた。
「色々お話ししたいが、まずはゆっくりとお休みになるが良い。随分お疲れのようだから。」
「でも・・・・・・」
「大丈夫、ここは私の城だ。安全だよ。姉様は何も心配しなくて良いんだ。」
「坊・・・、ユダ・・・・・・」
「起きたら食事を運ばせましょう。姉様がお休みの間、必要な物は揃えておきます。さあ、もう眠って。」
「・・・・・有難う。」
「礼など。私達の仲ではありませんか。」
ユダは目を細めて笑いかけると、に上掛けをかけた。
「落ち着いたら、ゆっくりと思い出話に花を咲かせましょう。おやすみなさい、姉様。」
「・・・・・おやすみなさい、ユダ・・・・・。」
昔習慣だった、就寝前のキス。
昔と同じ額に交し合って、二人は暫しの別れを迎えた。
― もう二度と・・・・・、何処へも行かないで、姉様。俺が貴女を護ってあげるから・・・・・。
やはり、相当疲労していたのだろう。
瞬く間に眠りに落ちてしまったの寝顔を見つめて、ユダは止まっていた胸の鼓動が再び高鳴り始めるのを感じていた。