「大変だぁ〜〜!!!拳王が来たぞ〜〜!!」
「拳王の軍が攻めて来たぁ〜〜!!!」
村の見張り役達が、血相を変えて走り込んで来る。
それまでひっそりと静かだった村は、この瞬間阿鼻叫喚の地獄へと変わった。
突如攻め入って来た拳王の軍隊は、果敢に抵抗した村人達を蟻でも踏み潰すかのように殺し、干草の束や荷台など、そこらの物を蹴立てていく。
拳王の目に留まったが最後、無事で逃れる術はない。
その恐ろしい噂を聞き及んでいた村人達は、青ざめた顔で恐怖に震えた。
「んっふっふぅ〜〜、いいか虫ケラ共!!今日よりこの地は、拳王様の支配下に置かれる!!」
醜悪な顔つきのこの巨漢が、どうやら部隊の将であるらしい。
多くの兵に傅かれながら、男は傍若無人な触れを言い放った。
突然やって来て『支配する』とは、余りにも酷すぎる。
だが、あの拳王の軍勢にどうやって刃向かえというのか。
「だがしかし!!拳王様は大層慈悲深いお方なのだ!!支配された村を危険に晒すような真似は決してせん!!お前達村人が大人しく従い忠誠を誓うなら、今後我ら拳王軍がお前達を護ってやる!!」
「何だって!?」
「どういう事だ!?」
男は勿体つけた笑みを浮かべると、部下に指図して大きな箱を用意させた。
「村人達は、各自この箱の中に貢物を納めろ!!家にあるだけ全てだ!!」
貢物とは即ち、食料・水・金属の類の物資だ。
だが、程度の差はあれ、どこの家にも余裕はない。
家族がその日を生きるのに必要最低限の物しかないというのに、それすら根こそぎ奪われては、それこそ死んだも同然ではないか。
「冗談じゃない!!家は今日食べる物すらないんだ!勘弁してくれ!!」
「家もだ!赤ん坊に飲ませる乳すらないのに、どうしてお前達にやれる分など・・・」
「貢物を納めない奴らは、これで忠誠を誓って貰う!」
男が再び部下に指図して持ってこさせたものは、大きな松明と重そうな鉄のこてだった。
直径10センチ程の円形になっている先端には、何かの紋章のようなものが彫られてある。
村人達が不安げに見守る中、それは松明の炎の中にくべられ、みるみる内に赤く燃え盛った。
「おいお前、来い。」
「お、俺か・・・・!?」
「そうだ、来い。」
赤ん坊に飲ませる乳がないと言った村人を引きずり出した男は、いきなりその背中に熱く焼けた鉄ごてを押し付けた。
「ギャーーーッ!!!!!」
「んっふっふぅ〜〜、これで貴様は拳王様の僕だ。これからは何を恐れる事もないぞ。・・・・・ん?死んだか。」
何でもない事のように言って、男は村人の身体を放り出した。
村人の身体はまるで人形のように地面に叩きつけられて、ごろごろと転がる。
背中にくっきりと焼け付いた鮮やかな拳王の紋章とは対照的に、その瞳はどんよりと濁って生気を失っていた。
熱く焼けた鉄ごてで突然背中を焼かれた為の、ショック死だった。
「なんと酷い・・・・・!」
「酷ぇ・・・・・、こいつら鬼だ・・・・!」
「大人しく貢物を寄越さんからだ!!この男の二の舞になりたくなくば、早く持って来い!!!」
男に一喝された村人達は逃げるように家に帰り、手に手に食料などの物資を持って戻って来た。
「んっふっふぅ〜〜、良いぞ〜。あるではないか。こうやって最初から素直に出せば良いものを。」
缶詰や水の樽、銃などが、次々と箱に収められていく。
その様子を見ていた老夫婦は、息子の脇腹を怯えたように見上げた。
「ハンス、どうしましょう!?もうすぐ家の番じゃないの・・・・!」
「あんな物を背中に捺されては、死んでしまうぞ!」
「お父さん、お母さん、落ち着いて・・・・・」
「だってハンス!母様はまだ死にたくないわ!あんな恐ろしい・・・・!」
涙目になった老婆は、側に居た女性をちらりと見た。
「・・・・・駄目で元々、を差し出すわよ。若い女なら受け取るかもしれない。」
「母さん・・・・・!」
「そうだ、そうしろ!食料や水を取られるより、遥かにマシだ!これで厄介払いも出来るというもの。ハンス、良いな!?」
「父さんまで・・・・・・・!」
「父様と母様の言う事がきけないの!?お嫁さんなら、新しい人を貰えば良いでしょう!?」
「そうだぞ、ハンス!それとも、なけなしの食料を差し出して、一家が飢え死にしても良いというのか!?」
「でも・・・・・・」
「言う事をきいて、ハンス!お前や父様が死ぬなんて、母様はそんなの耐えられない!」
「父様だってそうだ!父様は、お前や母様の命を守る責任があるんだ!」
「・・・・・・・・・・」
七十を過ぎた父母に言い包められたハンスは、妻・の俯いた顔をちらりと見て目を伏せた。
「・・・・・よし、じゃあ父様が行って来てやる。」
「あなた、気をつけて!」
「大丈夫だ。ハンス、母様を頼んだぞ。、!来い!」
「・・・・・はい。」
舅に怒鳴られたは、それでも素直に後について歩いて行った。
何も知らない訳じゃない。彼らの話は聞こえていた。
だが、最早悔しくも悲しくもない。
拳王という恐ろしい男に差し出される事も、まるで怖くない。
たとえ殺されたとしても、それならそれで良いではないか。
夫とその両親に疎まれ、家族でありながら人間以下の扱いをされて生きるのにも、もういい加減疲れていたところなのだから。
「次!・・・・・ん?おいジジイ。貴様、貢物はどうした?」
「ははぁ!貢物はこの女でございます!」
「女?」
老人に差し出されたを、男は値踏みをするように見据えた。
「名は、と、年は二十六、女の盛りでございます!い、如何でしょうか・・・・・!?」
「ふ〜む、二十六か。まずまずの器量だが・・・・・。ジジイ、この女は何者だ?」
「うちの息子の嫁でございます。ですが今日よりは拳王様の物!家には何も差し上げられるような物がなく、このような女一人で甚だ失礼かとは存じますが、何卒お納め下さい!!慰み者にでも下働きにでも、存分に・・・・!」
平伏する老人を一瞥して、男は考えた。
戦利品に女が混じっていたら、拳王はどうするであろうか。
― 拳王様が好色でいらっしゃると聞いた事はないのだがな・・・・。
拳王は、どんな美女を見かけても眉一つ動かさないような男だ。
連れて帰ったところで、すぐに追い払われるかもしれないが。
― まあ良い、うまくすれば俺が貰えるかもしれん。
ニヤリと笑った男は、の腕を掴んで無遠慮に引き寄せた。
「まあ良かろう。受け取ってやる。」
「ははぁ!有難うございます!」
「、といったか?これよりは拳王様がお前の主人だ。誠心誠意お仕えしろ!グッフッフ!」
男の下卑た笑いを見ても、は表情を変えなかった。
「お待ちしておりました、ユダ様。拳王様がお待ちです。」
「うむ。」
迎えに出た拳王の部下をぞんざいに追い払うと、ユダは己の腹心の部下、ダガールとコマクだけを連れて、長い渡り廊下を歩いて行った。
「ユダ様、褒美とは一体何でしょうなあ。」
「知らぬ。興味もないわ。」
「ヒッヒ、そう邪険に仰るものではございませんぞ。」
「拳王様は豪気なお方。そこそこ期待しても宜しいかと。」
部下達の欲深い目をちらりと一瞥して、ユダは退屈そうに鼻を鳴らした。
欲望、それが無い訳ではない。
力も領地も、そしていずれは天下をも。
そう思う気持ちはある。
だが、本当に欲しいもの、本当の欲望は余りに遠すぎて。
余りに抽象的すぎて。
「・・・・フン。俺の欲しいものを、あの力ばかりの愚鈍な男が寄越してくれるとは、到底思えんがな。」
周囲に拳王の手下が居ないからこその暴言を吐き、ユダは謁見の間への扉を開けた。
「拳王様。只今参りました。」
「来たか、ユダ。」
「はっ。」
只っ広い空間に、大仰な玉座だけがある無骨な広間の中央を歩み、ユダは玉座に威風堂々と座る男・ラオウの足元に跪いた。
「拳王様におかれましては、本日もご機嫌麗しゅう・・・・・」
「堅苦しい挨拶は良い。面を上げよ。」
地の底から響くようなラオウの低い声に、ユダはゆっくりと顔を上げた。
まだ二十歳になったばかりという齢を差し引いても、どちらかというと中性的な顔立ち。
長い赤毛の一房二房を綺麗に編み、男にしてはいつも身奇麗すぎる。
この外見は個人的には好かないが、それでもラオウはユダをそれなりに評価していた。
何しろこのユダ、女々しい外見の割には、恐るべき力を持っている。
南斗紅鶴拳。
ユダはその唯一の使い手・伝承者にして、南斗六聖の一人でもあるのだ。
伝承者になってそれ程日も経たぬ若輩者ではあるが、だからこそ勢いと強力なパワーがある。
そして何より恐るべきは、その知力。
常に冷静で、時には卑劣とも思えるような手段も使い、軍を確実に勝利に導く。
先日も、しぶとい抵抗を続けていたある集落を完膚なきまでに叩きのめし、見事領地を広げる事に成功したところだった。
「先日の働き、大儀であった。今日はその褒美を与える為、うぬを呼んだのだ。」
「有り難き幸せ。」
「早速取らそうぞ。これへ!!」
ラオウの一声で数人の部下が機敏に動くのを、ユダは退屈そうな眼差しで見ていた。
食料などの物資か、少しは腕に覚えのある兵達か、それとも僅かな領地を示す地図か。
いずれにしても大した事はないだろう。
本当に価値のある土地や物をくれるとは思えないし、ましてや本当に使える人間など居はしない。
従えている腹心の部下達ですら、時折口減らしに殺してやろうかと思う程だというのに。
ところがその予想は、それから間もなくあっさりと裏切られる事になったのである。