GYPSY QUEEN 11




走りながら、ゲンジョウは鬼のような形相でを責め立てた。


「馬鹿め!お前の体当りなどであの聖帝を足止め出来ると思ったか!?儂が咄嗟に態勢を整え直したから何とかなったものの、あのままであれば二人とも間違いなく殺されておったんだぞ!」
「ごめんなさい・・・・・・・」
「何故しくじった!?」
「ごめんなさい・・・・・・・」
「チッ・・・、ええい、何をグズグズしている!?さっさと走れ!聖帝に殺されたいのか!?」

一際苛立った声で怒鳴ってから、ゲンジョウははたと足を止めた。


「・・・・・・・そうだ・・・・・・、儂は御免だ・・・・・・・、こんな所で・・・・・・」

ゲンジョウは、酷く緊迫した表情で黙り込み、何事かを考え込んでいる様子を見せた。
そして暫くしてから、に向き直った。


「奴はすぐ後ろを追って来ている筈だ。この暗がりの中、盲滅法に走ったところで奴から逃げ切れる保証はない。ならばいっその事、迎え撃ってやろうではないか。」
「そんな、相手はあの聖帝・・・」
「・・・・・。今一度、機会をやる。」
「え・・・・・?」




















「うわああぁぁーーーーッ!!!!」

闇に閉ざされた森の中に、突如、男の悲鳴が轟いた。
自ら逃げ出しておきながら、馬鹿な男だ。
サウザーは嘲笑を浮かべながら、声の聞こえた方向へと向かった。



「・・・・・どうした。もう鬼ごっこは終わりか?」

そして、一人きりで震えて立ち尽くしているを見つけたのは、それから程なくしての事だった。


「あの男は?」
「下・・・・・に・・・・・・、足を滑らせて、その崖の下に・・・・・・・」

が震える指先で指し示したのは、切り立った岸壁だった。
その下には、深い深い谷が広がっている。ここから落ちたのなら、まず助からない。
もし、本当に落ちたのなら。


「ほう・・・・・・・」

その時、ヒュッと何かが空を裂く音が背後で聞こえた。
その音を聞いた瞬間、サウザーは機敏に身をかわした。
すると、今まで立っていた所に、鈍い銀色に光る折れた刀の切っ先らしき刃が突き立った。
何処かで見覚えのあるものだ。
そう、確か、の一行と初めて遭遇した時に叩き折ってやった、あの男の仕込杖の刃だったか。


「・・・・・・・そこか。」
「ぐぅっ・・・・!!!」

サウザーはその刃を引き抜くと、背後の木の上目掛けて投げ返した。
見事命中したようだ。
自分が獲物だという事にまだ気付いていない、狩人気取りの愚かな山猿が、苦痛に顔を歪めて木から落ちて来た。


「何度同じ事を繰り返せば気が済む?」
「うぬぬ・・・・・・・!」
「貴様の愚かな浅知恵など、この聖帝には通じんという事がまだ分からんのか?」

サウザーは、深々と刃の突き立った肩を押さえて蹲っているゲンジョウに、ゆっくりと接近していった。
この期に及んでまだこんな小手先の罠が通用すると思っていたとは、本当に愚かな男だ。
愚か者が必死に策を巡らせ立ち向かって来る様は、見ていて滑稽でなかなかに愉快だが、それも度が過ぎれば興が醒めて腹立たしくなって来るというもの。
サウザーはゆっくりと、しかし確実にゲンジョウを追い詰め、彼の身体を切り裂こうとした。


「・・・・・・・」

違和感を感じたのは、正にその時だった。


「・・・・・・・・!」

ゲンジョウの視線が一瞬逸れて、サウザーの後ろに向けられたのだ。
これから殺されようとしている人間に、余所見をする余裕があるとは思えない。
それに気付いたサウザーは、ハッとして振り返った。



「・・・・・・・どうした?」

甚だ不愉快だが、不覚だったと認めざるを得ない。
青ざめて震えているばかりだと思っていたが、まさか銃口を向けていたとは。
殺気も何も感じなかったとはいえ、正直、全く気付いていなかった。


「何故撃たなかった?俺がお前に背を向けている間、撃とうと思えば撃てた筈だぞ。」

しかし、やはりには何も出来ないようだった。
折角の好機だったというのに、の手は銃を握り締めたままただ震えているだけ、それでは何にもならない。


「俺を殺さねばお前が死ぬ、それ位分かっているだろう?」
「・・・・・・・・出来ません・・・・・・・、やはり、私には・・・・・・・」
「っ・・・!このうつけ者がっ・・・・・!」

銃を落としたを、ゲンジョウが叱責した。
どうやらこれも作戦の内、ゲンジョウがやらせていた事だったらしい。
一度ならず二度までも失敗に終わってしまったが。


「聖帝サウザー・・・・・・・、貴方のその名に一縷の望みを懸けて、お願い致します・・・・・。ゲンジョウの命を助けて下さい・・・・・・。」
「・・・・今更命乞いか?」
「彼はまだ生きたがっています。聖なる帝・・・・、その名に込められた尊い慈悲のお心で、どうか彼の命ばかりはお助け下さい。彼の命を助けて下さるのなら、私はどうなっても構いません・・・・・。」

の話を聞いて、サウザーは茶番もいいところだと笑い出したい気持ちになった。


「何を勘違いしている?俺が『聖帝』と名乗っているのは、この俺自身が神の如き唯一無二の尊い存在であるからだ。この俺自身が絶対であるからだ。神や仏のように慈悲の心があるからではない。追従のつもりだろうが、生憎と逆効果だ。俺には小賢しい説教にしか聞こえんぞ。無駄な悪あがきだったな。」
「・・・・・!」
「消えろ、目障りなウジ虫め。」

絶望するを蔑みの目で一瞥してから、サウザーは獲物を狩る虎のように俊敏な動きで飛び掛った。


「ひべっ!!」

にではなく、この隙を突いて逃げようとしていたゲンジョウに。


「かは・・・・・・、か・・・・・・・・・」

命からがら逃げ出そうとしていたゲンジョウは、振り返る事さえ出来ずに、背後からサウザーの手刀によって上下真っ二つにその身を切り裂かれた。




「日頃は口も利かずに廟に閉じ篭ってばかりのお前が、突然俺の部屋を訪ねて来た時から、大方こんな事だろうと思っていたが・・・・・、やはり予想通りだったな。」

手にこびり付いたゲンジョウの血を振り払って、サウザーはに向き直った。
月光を浴びて立ち竦むの強張った顔は、生きた人間とは思えない程、儚く青白く透き通っていた。


「しかし驚いたぞ。巷で奇跡の女神と謳われる評判の聖人君子が、まさか色香で惑わせて毒を盛ろうとしたり、銃を向けるようなはしたない女だったとはな。」
「・・・・・・・」
「この男の差し金だろうが、お前自身の意思だろうが関係ない。俺に逆らい、楯突く者には死あるのみ、そう言った筈だ。」
「良く覚えております・・・・・・。」
「覚悟の上だったという訳か。妙な女だ。そこまで覚悟していながら、何故折角の機会をみすみす逃した?何故俺を撃たなかった?」

するとは、か細い声を震わせて答えた。


「・・・・・・・・どうしても・・・・・・出来ませんでした・・・・・。たとえ誰であろうとも、どんな状況であろうとも、人を傷つけたり、まして殺すなど、私には・・・・・・」
「益々妙な話だな。決死の思いでこの男を助けようとしたのではないのか?」
「・・・・・・・・・・」
「俺の質問に答えろ。これまではあのでしゃばりなクズ共の後ろに隠れ、勿体つけてろくに口を開かなかったが、もうその手は使えんぞ。」
「・・・・・彼等には、随分と世話になって来ました。私が今こうして生きているのは、彼等のお陰です・・・・・。だから私は、彼等が望む事には何でも応じる義務があったのです・・・・・・・。ですがどうしても・・・・・、どうしても人の命を奪う事だけは・・・・・」
「義務?下僕共を逃がしてやろうとしたのが義務ならば、俺を殺せなかったのは慈悲の心だとでも言うのか?」

サウザーはこの時、鼻で笑いかけていた。
この直後に、予期せぬ答えが返って来るとは露程も思わずに。



「貴方を殺すつもりは、元よりありませんでした・・・・。」
「・・・・・・・何?」
「貴方に盛った薬、あれは毒ではありません。」

言い逃れをする為の嘘か、それとも。
サウザーは探るような目付きでを見据えながら、の話に耳を傾けた。


「確かに私は、毒薬を調合して貴方に飲ませるように言われました。ですが、実際に作ったのは毒薬ではありません、あれは只の眠り薬です。」
「・・・・・・・眠り薬だと?」
「毒を調合するようにと渡された花は、根の部分ならほんの少量で何十人もの人間を殺せる猛毒です。ですが若葉と蕾の部分は、ある稀少な薬草と混ぜ合わせる事によって、苦痛や気鬱を和らげ心地良い眠りをもたらす、とても効き目の良い催眠薬になるのです。この森で運良くその薬草を手に入れられたので、調合する事が・・・・・」
「・・・・・・・・フッ・・・・、ッククク・・・・・、ハッハハハ!」

の話を聞き終わったサウザーは、初めは唖然としていたが、やがて大きな声で笑い始めた。



「何を言うかと思えば、効き目の良い催眠薬だと?フン、馬鹿馬鹿しい!そんな物で、お前の思う通りに事が運ぶと思っていたのか?この俺も随分甘く見られたものだな。」
「私は只、貴方の足止めが出来ればそれで良かったのです。」
「・・・・・・・・・どういう意味だ?」
「もし貴方が眠ってしまえば、ゲンジョウとオウコは逃げる事が出来る。もし貴方に気付かれたとしても、貴方が私を殺している間に、たとえ幾らかでも二人が逃げる時間を稼ぐ事は出来る。私が考えていたのは、只それだけです・・・・・。」
「ならば、もし俺が薬を飲んで眠っていれば、お前はどうするつもりだった?」

もし、謀が運良く成功していれば。
その時がどうしたか、本当は訊くまでもない。
人は誰も皆、何よりも己の身が可愛いもの。
いや、生きとし生ける全てのものには皆、己が命を守り優先する本能が備わっている。
他人の為にその本能に逆らえる人間など、居る筈がない。



「・・・・・貴方が目覚めるのを待つつもりでした。」

居る筈がないのだ、あの人の他には。
サウザーは鋭く厳しい目で、をじっと見つめた。






















「待てばどうなるか、分かっていた筈だな?」
「はい・・・・・」

幾ら疑いの目で見られても、嘘偽りは一切ない。


「・・・・・・・・待ってどうするつもりだった?」
「別に何も。ただ、神の御心のままに・・・・・。」

サウザーが信じようが信じまいが、これがの真の気持ちだった。
するとサウザーは、呆れたように小さく溜息をついた。


「・・・・・・フン。神の御心だと?そんな話を俺が信じるとでも思っているのか。下らん話はもう終わりだ、さっさと館へ戻れ。お前にはまだ大事な務めが残っているだろう。」
「あっ・・・・・・・!」

はサウザーに強く腕を引かれ、否応なしに引き摺られ始めた。
山の夜は暗く、月光が届かない所では距離感さえ掴めない。
一体何処をどう歩いているのか、はそれさえ分からぬまま、問答無用に歩かされた。
いや、歩かされているというよりは、走らされていると言った方が近い。
サウザーの歩幅と歩調はのそれとは合わないのに、有無を言わさず引き摺られ、小走りにならざるを得ないのだ。



「待って・・・・・・、待って下さい・・・・・!」

あちこちに躓きながらも、はサウザーを呼び止めた。
何度か声を掛けても何の返事も返って来なかったが、聞き入れて貰えるまで呼び掛け続けた。
すると、何度目だっただろうか。
ようやくサウザーが足を止めて、後ろを振り返った。


「何をグズグズしている。さっさと歩け。」

一片の優しさも見当たらない冷たい瞳を見つめて、はきっぱりと告げた。


「私は・・・・・・・、もうお屋敷へは戻れません・・・・・・。」
「俺が戻れと言えば、お前は戻らねばならぬのだ。まだそれが理解出来んとでも言うのか?」

まだ理解出来ていないのは、きっと彼の方だ。


・・・・・、いや、ジプシー・クイーン。己に課せられた大切な使命を忘れるな。我が師を見事この世に呼び戻すまで、逃げる事も死ぬ事も許さん。そう覚悟しておけ。」
「・・・・・・・違います・・・・・・・」

救いの女神。人々に奇跡をもたらすジプシー・クイーン。
その真実の姿を明かす時が、とうとうやって来た。
これから話そうとしている事は、今度こそ間違いなくサウザーの逆鱗に触れるだろう。


「違う?何が違うというのだ?」
「私は・・・・・・・、私は、救いの女神などではありません・・・・・・・」

しかし、怖いとは思わなかった。
にとっては、『ジプシー・クイーン』の名の呪縛からようやく解放される安堵感の方が、遥かに大きかった。




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後書き

フオォォォォ、これでやっとヒロインにスポットが当てられる・・・・!
自分で書いといて何ですが(笑)、つい脇役ばっかり長々とスポットが当たってしまいましたので・・・・。
後はゆっくりヒロインを紐解いていくのみ、ですね、フフフ・・・・・(怪笑)。