GYPSY QUEEN 10




この地に来て、7回目の夜がやって来た。
その間、どれ程の時間を祈りに費やしただろうか。
もう何回、こうして懺悔を繰り返しただろうか。
そしてあと何回、繰り返せるだろうか。

聖帝サウザーの手に宿った神が、この身を断罪するその時まで。



「・・・・・・その時私は・・・・・、赦されるのでしょうか・・・・・・」

サウザーの師・オウガイに向かって呟いたその時。
廟の扉が開いて、ゲンジョウが中に入って来た。




「・・・・・クイーン。」
「どうしてここに・・・・・!?聖帝から立ち入りを禁じられていた筈では・・・」
「心配ない。聖帝なら風呂に入っている。」

とは言いながらも、ゲンジョウは何度も用心深く表を見回し、慎重な手付きで廟の扉を閉めた。


「・・・・・・何かあったのですか?」
「やって貰いたい事がある。」

ゲンジョウはそう言って、土から掘り起こされたままの草花を一株、に差し出した。


「・・・・・・この花は・・・・・・!」

凛とした深い紫色の美しい花。
だがこの花は、その美しさからは想像も出来ない程恐ろしい毒の花だった。
花も葉も茎も、全ての部位に毒があり、特に根の部分は、飲めばたちまちの内に神経が麻痺して死に至るという、恐ろしい猛毒を持っている。
こんな危険なものを、ゲンジョウは一体どうしろというのだろうか。


「森で見つけてきた。この根一つあれば、人一人殺すには十分であろう?」
「・・・・・この花の根は、たった一欠片で何十もの人間を死に至らしめる事の出来る猛毒。これを私にどうしろと・・・・・?」
「聖帝が寝所に戻ったら、訪ねて行って奴にこれを飲ませるのだ。」

は小さく息を呑んだ。
まさか人を殺せと命じられるとは、思ってもみなかったのだ。


「儂等は聖帝に目を付けられている。しかしクイーン、いや、。お前は違う。聖帝はお前の事など警戒していない。相手がお前なら、意外と簡単に騙される筈だ。」
「そんな・・・・・。きっと無理です。薬と偽って出したところで、聖帝は恐らく・・・」
「馬鹿め、色を使うのだ、女の色香を。その身体は何の為のものだ?」

神は、男を騙す為に女の肉体を造ったのではない。
誰かを殺める為に、この世に生を受ける人間など居ない。
しかし、このゲンジョウを相手にそんな事をこんこんと説き聞かせても無駄だという事は、嫌という程知っていた。


「これは女のお前にしか出来ん仕事だ。だからこうして頼みに来たのだ。もう頼みの綱はお前だけだ。やってくれるな?」
「でも・・・・・」
「案ずるな。聖帝とて男よ。まさか拒みはすまい。ましてお前は儂等が・・・」
「やめて下さい!」

は、ゲンジョウの言葉を遮った。
もうこれ以上、聞いていたくなかった。


「・・・・・・・もう、やめましょう・・・・・・。これはきっと、報いです。」
「・・・・・報い、だと?」
「これまでの報いを受けるべき時が、とうとう来たのです。私達はそれを受け入れねば・・・」
「ええい、黙れ!!」
「あうっ・・・・・!」

ゲンジョウに頬を思い切り張られ、は床に倒れ込んだ。


「救いの女神だの聖人君子だのと祭り上げられて良い暮らしが出来たのは、一体誰のお陰だと思っているんだ!?今日まで生き延びて来られたのは、一体誰のお陰だ!?」
「・・・・・・・・・お頭の・・・・・・、お陰です・・・・・・・」
「そうだ!まだ乳臭い小娘だったお前を拾って、タダ飯を食わせて一人前の女に育ててやったのはこの儂だ!その恩を忘れたのか!?お前の命の恩人であり、親も同然のこの儂に逆らう気か!?」

頭の上から雨のように降って来るゲンジョウの怒声は、の心を挫けさせた。
いつもこうだ。
一族の教えに背かないように、彼等の魂を汚さないように生きていきたいと思っても、結局はゲンジョウ達の言いなりになってしまう。


「・・・・・・いいえ・・・・・・・・」
「・・・・よし。最初から口答えなどせずに、そうやって素直に聞いておけば良いのだ。」

『彼等が居なければとうの昔に死んでいた』と言う心の中の自分の声が、彼等に逆らう事を許さない。


「頃合になったら呼びに来る。それまで、ここで待機していろ。」
「・・・・・・・はい・・・・・・・」
「うまくいったらすぐさまここを出て、麓まで下りて来い。儂等は一足先に山を下りて、聖帝の軍隊がうろついていないか見張っている。良いな?」
「はい・・・・・」
「よし。ともかく、また後で呼びに来る。それまでにそいつの準備を済ませておけ。」

は押し付けられた毒花を抱えたまま、ゲンジョウの背中を途方に暮れた顔で見送った。




















言われていた通りに呼びつけられたのは、それから1時間程経っての事だった。
湯を浴びて身を清め、いつもの身体をすっぽりと覆ってしまうワンピースとストールの代わりに、下着の薄いスリップ一枚だけになれば、にわか娼婦の出来上がりだ。



「精々綺麗にしてきただろうな?」
「肝心の物は?出来ておるのだろうな?」


風呂場を出るや否や、オウコとゲンジョウが只でさえ低い声を更に低くして、脅すように訊いてくる。
は無言のまま小さく頷き、掌を開いて見せた。
そこに濃い茶褐色の小さな丸薬があるのを見て、ゲンジョウとオウコは不敵な笑みを浮かべて頷いた。


「よし、行け。くれぐれも仕損じるでないぞ。」
「うまくやれよ。」

二人に押し出されるようにして、は階段を上がり始めた。
この階段を上って2階に行き、廊下を突き当たりまで歩いた所にサウザーの寝室がある。
進むべき道はその一方だけ、戻る道はもうない。


― 神よ・・・・・・

聖帝よりも、人を殺める事の方が恐ろしい。
悪魔の手先に成り下がる自分自身の方が恐ろしい。


― どうか私をお赦し下さい・・・・・・・・


手の中の薬を握り締めながら、は聖帝の寝室のドアを見つめた。















「・・・・・・これでよし。あとは事が始まりそうな頃合を見計らって逃げるだけだ。」

が階段の上に消えたのを見届けてから、ゲンジョウは声を潜めて呟いた。


「本当に良かったんですかい?は多分・・・・・、いや、ほぼ確実に、死にますぜ。」
「分かっておる、承知の上だ。この際、逃げる時間を稼いでくれればそれで良し、万が一仕留める事が出来れば奇跡だ。」

ゲンジョウが答えると、オウコは小さく溜息を吐いた。


「これで一味の人間は、お頭と俺だけになっちまうって事か。俺の弟も殺られちまったし。」
「ならば、今からでもお前が敵を討ちに行くか?」
「冗談じゃない。商売上だけの『弟』なんぞの為に、命は張れませんや。」
「フッ、分かっておる。冗談だ。」
「こんな時にお頭も人が悪い。」

ゲンジョウとオウコは、静かにほくそ笑んだ。
二人の言動にも表情にも、既に殺されてしまった仲間や、捨て身で聖帝の元に向かったに対する情はない。


「最後の手段・・・・、か。お頭、思い切った事をしましたね。を捨て駒にするなんて。『ジプシー・クイーン』は良い商売道具だったのに、勿体無ぇ。あんなにボロい商売はなかったのに。」
のお陰で、この時代に楽をしてあれだけ贅沢な暮らしをして来られたからな、出来ればまだまだ手放したくはなかったが・・・・・・、この際仕方あるまい。何事も命あっての物種だ。ここが潮時と思って諦めろ。」
「確かに。命さえあれば、また次の儲け口を考えられる。それに、万が一にもの奴がうまくやってのける可能性も、ゼロとは言い切れないかも知れませんしね。」
「そういう事だ。期待は出来んがな。」

刃向かう事も逃げる事も出来ない、憐れな程に従順な『救いの女神』。
それがこの二人にとっての最後の手段だった。


「ともかく、一度この辺りを離れて、ほとぼりが冷めるまで身を隠さねば。昔の縄張り周辺なら、ここから随分遠く離れているから安全だ。」
「何の収穫もなしにずらかるってのが悔しいですけどね。聖帝の屋敷なんだから、何か値打ち物の一つ位あるだろうと思いきや、何もねぇんだから。」
「こんなただ広いだけのボロ屋敷なぞ、もう用はないわ。さっさと逃げる方が得だ。じっくり家捜しする時間もない事だしな。」
「これまで稼いだ物も仲間も失くして、土産はテメェの命一つ・・・・、か。踏んだり蹴ったりだぜ。こんな胸クソ悪い場所、二度と来たくもねえや。」

一人、聖帝の元に取り残されるがどうなろうが、この男達にとっては最早知った事ではなかった。




















「・・・・・・・・誰だ?」

ノックの後、中からサウザーの声が聞こえて来た。


「・・・・・・・です。」

答えると、それきり声は聞こえなくなった。
はその沈黙を入室許可という意味に受け取り、静かにドアを開けた。


「・・・・何の用だ?」

寝酒でも嗜んでいたところなのだろう、サウザーはラフなズボン一枚の姿で、グラスを片手に揺り椅子に腰掛けたまま、横目でを一瞥した。
心持ち驚いているように見えない事もないが、やはりいつもの冷徹な表情に変わりはない。
鋭く冷たく突き刺さるサウザーの視線に耐えながら、は後ろ手にドアを閉めた。


「・・・・・・・抱いて・・・・下さい・・・・・・・」

そして、小さく呟いた。


「・・・・・・・・自分の言っている事が分かっているのか?」
「はい。」
「この聖帝の師の御魂を呼び戻す神聖な務めの最中に、何を戯けた事を。」
「戯れではありません。」
「戯れでなければ何だ?」

サウザーはテーブルにグラスを置いて立ち上がると、ゆっくりとに近付いて来た。
足取りこそ穏やかだが、その表情は酷く冷淡だった。
ここに来た目的を見透かされているのだろうかと思うと、思わず背筋が寒くなる。


「ただ・・・・・、抱いて欲しいのです。それが理由ではいけませんか?」
「俺はお前に、我が師・オウガイを生き返らせろとしか命じた覚えはない。」
「良く心得ております。」
「ならば、命令に背いてでも、この聖帝に身を捧げたいと言うのか?俺の怒りに触れ、その命を落とす事になろうとも?」

いや。
サウザーが気付いていようがいまいが、最早それは少しも重要な事ではないのだ。
気付かれていても構わない。


「構いません。」

殺されても構わない。
身を震わせる恐怖は只の生理反応、死ぬ覚悟は決めてきてある。


「ですがその前に、唯一度、お情けを・・・・・・・・」

は意を決して、自らサウザーの胸に飛び込んだ。
そして、手に握っていた丸薬をそっと口に含むと、背伸びをしてサウザーに口付けた。


「ん・・・・・・」

は、微かに酒の匂いのするサウザーの唇をやんわりと啄ばみ、おずおずと出した舌の先端で軽く舐めた。


「ふ・・・・・・・」

突き飛ばされるだろうか、それとも頬を張り飛ばされるだろうかと思っていたのだが、意外にもサウザーはされるがままで、全く抵抗しなかった。
そのまま2度・3度と、遠慮がちなキスを繰り返していると。


「んぅっ・・・・・・・!」

突然、サウザーの方から唇を重ね合わせてきた。
をしっかりと抱き竦め、頭を固定して逃げられないようにして、荒々しい仕草で。


「ふっ・・・・う・・・・んっ・・・・・!」

噛み付くように何度も唇を吸われ、強引にこじ開けられた口内を舌で無遠慮に弄られ、息苦しくなる程しっかりと舌を絡め取られて、は苦しげに顔を顰めた。
吐息と共に正気をも吸い取られてしまいそうな、圧倒的な力で捩じ伏せられてしまいそうな、熱く猛々しいキスだった。


「んんっ・・・・・・!ふっ・・・・・・・」

しかし、このまま圧倒され続ける訳にはいかない。
はどうにか意識を集中させてタイミングを計ると、舌先に乗せた丸薬をサウザーの喉の奥へと押し込んだ。
その瞬間、サウザーが目をカッと見開いた。


「・・・・・・・・・」

まだ唇を合わせたまま、は暫しサウザーと見つめ合った。
間近で見た彼の瞳は、ハッとする程美しい青色をしていた。
それに、とても澄んでいる。
聖帝は極悪非道な冷血漢だというのに、何故その瞳は少しも澱んでいないのだろう。
ついそんな事を考えていると、不意にサウザーの目が、ほんの一瞬だけニッと笑ったように見えた。



「はっ・・・う・・・・!」

我に返ったと同時に、サウザーはより激しい口付けを求めてきた。
キスだけなのに、まるで体中を弄られているような錯覚に陥りそうになる。


「うう・・・・ん・・・・・・!」

頼りなく爪先立ちになっている足元はコントロールが利かず、サウザーの意のままに動いてしまう。
サウザーに抱かれたまま、覚束ない足取りで何歩か歩き進んだところで、背中が何かに当たった。
窓だ。


「はぁっ・・・・ふ・・・・・・」

後ろは閉まった窓、左右は強固な腕と大きな机に塞がれ、すぐ目の前にはサウザー自身。
逃げ場など何処にもなく、はされるがままに唇を貪られ続けた。
その時だった。


「ぁッ・・・・!?」

突然、後ろの窓が開いて、の身体は大きく後ろへ傾いだ。
それと同時に、サウザーが何か投げるように腕を振り被った。
そして、外から何か鋭い声のような音が聞こえた。
全てが一瞬の事、窓から転落しそうになって思わず息を呑んでいた、そのほんの一瞬の間に起きた出来事だった。


「え・・・・・・・?」

何が起きたのかは分からないが、ともかくは転落を免れていた。
サウザーの片腕が、しっかりと背中に回されてあったのだ。


「い、今、何を・・・・・・、あっ・・・・・!」

窓の外にチラリと目をやると、暗がりの中に何かが見えた気がした。
しかし、良く目を凝らしてそれが何かを確かめる前に、はサウザーに抱き上げられていた。


「っ・・・、ああぁーーーっ・・・・!」

サウザーはを抱いたまま軽々と窓枠に飛び乗ると、そこから何の躊躇いもなく飛び降りた。
















震える足で地面に降り立ってみると、夜目にもはっきりと見えた。
目の前で倒れているオウコと、彼の横で呆然としているゲンジョウの姿が。


「オウコ・・・・・・・!」

オウコの首には細身のペーパーナイフが深々と突き立っており、そこから血が噴水のように噴き出していた。
サウザーが投げたのは、これだったのだろう。
オウコはピクリとも動かず、虚ろな目を開けたまま、既に絶命していた。



「な、何故だ・・・・・!?」

ゲンジョウの声は震えていた。
突然、何の前触れもなくオウコが目の前で死に、今また突然、サウザーが目の前に降り立ったのだ。
驚き、怯えるのも無理はない。


「仕損じたのか!?」

ゲンジョウは、血走った目でを睨み付けた。


「仕損じた?この女が俺に盛ろうとした、これの事か?」

するとサウザーは、低く笑って何かを地面に吐き捨てた。
それは、が飲ませた筈の丸薬だった。


「ククッ、生憎だがこの聖帝には、色仕掛けも毒も通じんぞ。」

それを見たゲンジョウが息を呑む様を愉快そうに一瞥し、サウザーは言った。


「言った筈だ、くれぐれも逃げようなどとは思わない事だと。」
「くそっ・・・・!」
「何やら色々と画策したようだが、肝心の貴様等があれだけ緊張した気配を撒き散らしていては、折角の計画が水の泡だ。フン、残念だったな。」
「うぐぐ・・・・・・!」
「最後の仲間は死に、貴様の主はこうして我が手中にある。さあどうする、ゲンジョウよ?せめて主の命だけでも乞うてみるか?」

サウザーの腕の中で、は硬直したまま動けずにいた。
口を開く事も、この状況をどうやって脱するか考える事も、何も出来ずに。
しかし、これだけははっきりと分かっていた。
やはりゲンジョウには、甘んじて死を受け入れる気など全くない。
彼のぎらついた眼を見れば、それは一目瞭然だった。


「とはいえ、一度は捨て駒に使った女だ。今更この女の命など惜しくはない、か。ならば、己が命を乞うか?」

サウザーが更に一歩、ゲンジョウに近付こうとした時、は何かに弾かれるようにして動いた。


「逃げて!逃げて下さい!」

気が付けば、サウザーにしがみ付き、身体全体で彼の行く手を阻み、ゲンジョウを逃がそうとしていた。


「・・・・・・・何のつもりだ、?」
「早く逃げて!!」

そうする事が良いか悪いかは分からない。
ゲンジョウに対する感情も関係ない。
ただ、昔受けた恩を返す為、それだけだった。
ゲンジョウがそれを望んでいるのならば、迫り来る死の恐怖から彼を逃がさねばならない。
はその一念で、サウザーを食い止めていた。
ところが。


「動くな!動けば脳天を撃ち抜くぞ!!」

ゲンジョウはその隙に、オウコの懐を探ってピストルを抜き取ると、その銃口をサウザーに向けていた。


、こっちへ来い!早う!」

は困惑していた。
今の間に早く逃げて欲しかったのに、どうしてそうしなかったのだろうか。


「さあ!!」

額に玉のような汗を浮かべて、切羽詰った鬼気迫る表情で手招きをしているゲンジョウとは対照的に、サウザーは銃を突き付けられているにも関わらず、至って涼しげな顔をしていた。
足を止めたまま微動だにせず、特にを拘束しようとも考えていない様子だ。
まるで、敢えて逃がしてやろうとでも言わんばかりに。


「ええい、早う来いと言うに!!!」
「っ・・・・・!」

ゲンジョウの一喝がきっかけになり、は反射的に彼の元へと走っていた。



「・・・・・フフン、やはりどこまでも足掻くか。」
「行くぞ、!」
「あっ・・・・!」

そしてそのままゲンジョウに腕を掴まれ、真夜中の森へと駆け出して行った。




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後書き

やっとサウザーとヒロインの絡みが出て参りました!
しかし、色気がない(汗)。
こ、この次こそは、この次こそは・・・・・!!(←ホンマかいな)