GYPSY QUEEN 6




いつの間にか、窓の外がすっかり暗くなっている。
サウザーは机の引き出しからマッチを取り出して、古いランプに火を灯した。
するとたちまち、柔らかく温かい光が部屋の中を照らし始める。
窓ガラスに映る自分の顰め面を何となく眺めていたその時、ようやくドアがノックされる音が聞こえた。


「飯の支度が出来ましたぜ。」

ノックの後に入って来たのは、確かサモンと名乗った男である。
多少は言葉遣いに気を付けているであろう事は辛うじて分かるが、それでも全くもって話にならない。
元々生まれも育ちも卑しいとしか思えないこの態度、この言葉遣い。
そして、呆れる程の出来の悪さ。


「たかが掃除と飯炊きに何時間掛かっている?これ程無能な奴隷など初めて見たぞ。」

サウザーは軽蔑の眼差しを彼に向けつつ、こう吐き捨てた。
すると彼は、明らかにムッとした表情で弁解を始めた。


「これでも目一杯急ぎましたよ。たった4人で水汲みして薪割りして、食材の調達にそこら辺を駆けずり回って、この広いお屋敷の中全部掃除して、釜戸の火を熾して料理して。重労働には、それなりの時間が掛かるってもんですよ。」
「供えの膳も出来ているのだろうな?」

サウザーはサモンの皮肉混じりの言い訳を完全に聞き流し、必要な事だけを尋ねた。


「ええ、ええ。出来てますよ。」
「そうか。分かった。」

サウザーは部屋を出るような素振りで、ドアの近くに立っていた彼に歩み寄って行くと、すれ違いざまその拳を彼の腹にめり込ませた。


「がはあっ!」

その瞬間、サモンは目を見開いて、膝から崩れ落ちた。
今にも嘔吐しそうな様に背中をピクピクと痙攣させ、声にならない声を喉から洩らし、うまく呼吸が出来ないのか、パクパクと口を開閉させている。
だが、これしきで死にはしない。
殺すつもりなら、今頃彼はとうに肉片と化している。


「今日のところはこれで許しておいてやる。だが、これからはもっと迅速にこなせ。言い訳は一切聞く耳持たん。仲間にもそう忠告しておいてやれ。」

サウザーは、まだ悶絶しているサモンに容赦なく命じた。


「いつまでそうしている。さっさと供えの膳をここへ持て。それが済んだら、食堂に俺の分を用意しろ。食事の後は風呂に入る。風呂も沸かしておけ。それから・・・・・・」

サウザーは側にあった本棚にツツ、と人指し指を滑らせた。
そして、涙目のまま『まだ何かあるのか?』と言いたげな顔をしているサモンの眼前に、埃のついたその指先を突き出した。


「・・・・・・掃除もやり直しだ。分かったな?」

サモンは最早何も言わず、がっくりと項垂れるようにして返事をした後、スゴスゴと出て行った。















それから暫くして戻って来たサモンから膳を受け取ったサウザーは、それを持って再び廟を訪れた。
師の供養という大切な仕事を、卑しい連中に任せたくはなかったのである。
すると廟の中には、一度追い出した筈のがまた居た。


「・・・・・・・お前、まだここに居たのか。」

サウザーは、祭壇の前に座っているに、呆れ顔で声を掛けた。


「何も出来る事がないのに、いつまでも居ても仕方があるまい。ここは我が師の眠る神聖な場所、用もないのに居付く事は許さん。霊力なら他所で高めろ。そこを退け。」

を押し退けて祭壇に膳を供えたサウザーは、自分では焚いた覚えのない線香が香炉で燃え尽きて崩れ落ちそうになっているのを見て、訝しげにを見た。
するとは、おずおずと遠慮がちな声で答えた。


「・・・・・・・お祈りを・・・・・・、しておりました。」
「祈り?フフン、これは異な事を言う。」

の話が余りにも滑稽に聞こえて、サウザーは皮肉な笑い声を上げた。


「祈祷などでは生き返らんと言ったのは誰だ?お前の側近ではなかったか?」
「・・・・・・・ただ、祈りたかったのです。」

ただ、祈りたかった。
師・オウガイとは縁も所縁もない筈なのに、一体何の為に?
の考えている事が理解出来ず、笑う気さえ失せたサウザーは、仏頂面で鼻を鳴らした。


「・・・・・・・あの」
「何だ?」
「儀式の時以外は、本当にここに来てはいけませんか?」

サウザーは、再び怪訝そうにを見た。
オウガイを蘇らせる事が出来るのは、の持っているジプシー秘伝の丸薬だけだ。
そして、その薬は日に一度しか与えられない。
つまり、儀式の時以外にがここに来る意味は何も無いという事になる。

それなのに、何故。


「来て何をする?祈るとでもいうのか?」

呆れ顔のサウザーに、は真摯な表情で頷いて答えた。


「それに何だか、この方の側に居るのが一番気が休まるのです。とても穏やかで・・・・・。」

これは、少しでも心証を良くする為の『台詞』かも知れない。
或いは、ここから逃げ出す為に、師の亡骸を盾に取ろうとでもしているのかも知れない。
穿った見方は幾らでも出来る。
幾ら巷で噂の聖人君子と言えども、まだ100%信用している訳ではないのだから。


「・・・・・・・・好きにしろ。」

しかしふと気付けば、サウザーは自分でも驚く位すんなりとの頼みを聞き入れていた。
オウガイの側が一番気が休まる、それは他ならぬサウザー自身も同じ思いだったからだ。


「但し、他の者は誰も入れるな。」
「はい。有難うございます。」

頭を下げるの姿から目を反らすと、サウザーは低い声で呟いた。


「・・・・・・失念していた。飯が出来ている。食え。」

だが、は返事をしなかった。
この至近距離で聞こえない筈はないのに。


「・・・・・・どうした。」

不審そうに再びに目を向けると、はまたおどおどと弱気な表情を浮かべていた。


「・・・・・・彼等の前で、私だけ頂く訳には・・・・・・」
「なるほど。気が引けるという訳か。」

救いの女神だか聖人君子だか知らないが、およそその器とは思えない程の酷い小心者だ。
人の上に立つ人間が、こんな些細な事でウジウジと思い悩むなど、言語道断というもの。
謙虚さは美徳とされ、傲慢さは罪だと広く思われているが、それはあくまで支配される立場の人間の感性だ。
傲慢さは、言い換えればカリスマ性であり、人の上に立ち、人を支配する人間には必要不可欠な要素だというのに。

の少ない言葉からその理由を察したサウザーは、を小馬鹿にして笑った。


「俺としては、お前に倒れられたり死なれるのは困る。少なくとも、我が師が生き返るまではな。」
「ですが・・・・・」
「言った筈だ、俺の命令は絶対だと。逆らう事は許さぬ。来い。」
「あっ・・・・・!」

まだ尚渋っているの手首を掴むと、サウザーは強引に廟から連れ出した。










二人分の食事の支度が整っているテーブルの上座に着き、サウザーは下座に座っているに不敵な笑みを見せた。


「食え。」
「・・・・・・・あの、どうして・・・・・・」

は、従者達が全員揃って壁際に整列しているのを横目で気にしている。
まるで、針の筵に座らされているような表情だ。


「『どうして』とは、どうしてこの連中をここに集めているのか、という意味か?それとも、どうして俺と同じテーブルで食事をするのか、という意味か?」
「・・・・・・両方です。」
「こいつらには給仕を言いつけてある。だからここに居る。それだけだ。」

サウザーは、口惜しそうな顰め面をしているゲンジョウを愉快そうにチラリと見てから、再び話し始めた。


「俺と同じテーブルに着かせた理由も簡単だ。俺の目が届かない所だったら、お前は俺の命令に背き、コソコソとこの連中に飯を分け与えたであろう?」
「それは・・・・・・」

口籠ったを見て、サウザーは満足げに口の端を吊り上げた。


「フフン、図星のようだな。お前のような人間の考えそうな事は分かっている。お前と似たような考え方をする古い馴染みが一人居るのでな。」

サウザーは、他人を助ける為にその両目を自ら潰した男の顔をふと思い浮かべた。


「さっさと食え。」

サウザーは、にそう命じると自分も匙を取り、スープを一口、口に運んだ。
そしてすぐに険しい表情になり、吐き捨てるように言った。


「・・・・・・酷い味だ。」

こうなる事は食卓に着いた時から薄々予感していたが、それにしても酷い味である。
やたらに塩辛く、具材の山菜や茸は灰汁が抜けていない上に、切り方も酷く不器用で大雑把だ。
いや、最悪なのはスープだけではない。
肉料理も、ぶつ切りにしてただ焼いただけというようなものであり、およそ食欲をそそるような出来映えではなかった。
試しに一切れ口に入れてはみたものの、やはり見た目通りの味しかしない。
しかも最悪な事に、今夜の食事はどうやらこの見た目も味も悪い2品だけのようである。
唯一、不幸中の幸いだと言えるのは、毒になる物は何も入っていないという点だけだった。


「本当に無能な奴隷共だ。話にならん。」

聞こえよがしな嫌味を呟きながらも、サウザーはその酷い料理を淡々と飲み込んでいった。
これらを作った5人の男達に感謝しているからではない。
大切な、師の温もりが残るこの地の恵みを、無駄に出来なかったからである。
顔を顰めつつも黙々と食べ進めながら、サウザーはふとを見た。


「・・・・・・・・・」

は、思ったより平気そうな様子で食べていた。
やはり遠慮がちな動作ではあるが、それでも一口ずつ、しっかりと味わうようにして。
極力味を感じずに済むようにと丸飲みに近い食べ方をしていたサウザーは、密かに驚いていた。
明らかに不味い物を食べさせられているのに、眉一つ顰めないのが解せない。
そう思ったところで、サウザーは気付いた。

このという女が、元々表情に乏しかった事に。


おどおどと気弱そうに目を伏せたり、不安げな表情になる事はあっても、酷くうろたえたり、取り乱したりするような事はない。
感情の起伏に伴う筈の表情の変化が微細で、分かり難いのだ。

そう、少々人間味がないと感じられる程に。


もしこの場で尋ねたら、きっとまたゲンジョウ辺りがでしゃばって『我等がクイーンは、恐怖や不快感などには動じない』とでも言い切るのだろうが、そんな筈はない。
たとえ聖人君子と言えども、が生身の人間である事に変わりはない筈なのだから。

















遠くで梟の鳴く声が聞こえる。
真夜中を過ぎて、不気味な程の暗闇の中、男達は疲れ果てた身体を引き摺って、部屋に雪崩れ込んだ。


「やぁっと解放されたぜ・・・・・!」
「もうクタクタだ・・・・・!」
「もう一歩も動けねぇ・・・・!」
「とにかく飯だ、飯!食わなきゃ死んじまう!」
「シッ、余り大きな声を出すな!聖帝に聞こえるぞ!」

サモン、リュウキ、オウコ、イドラ、そしてゲンジョウ。
そう、の従者である彼等だった。
そして今は、サウザーの奴隷でもある。
彼等はつい先程、サウザーに言いつけられた様々な雑事を終え、ようやく解放されたのである。
そして、寝床として与えられたこの部屋にやって来たところだった。

いや、部屋と呼ぶのは少々無理がある。
ここは館の裏にある粗末な納屋で、寝具はおろか、灯りの一つもなかった。
ある物と言えば、大量の干草と農具、細々とした道具類ばかりという有様である。
しかしそれでも、今の彼等にとってはひとまず気の休まる場所であった。
取り敢えず今日のところは、あの聖帝から解放されたのだから。

隙間風の吹き抜ける納屋の中で、彼等は自分達の荷物の中からランプを取り出して灯りを点け、食糧や酒を取り出して、遅すぎる夕食を摂り始めた。



「畜生、聖帝の野郎め。ここにゃ腐る程食料があるってのに、ケチケチしやがって・・・・・。お陰で、折角溜め込んだ自前の食料を食い潰さなきゃならねえじゃねぇか。大事な非常食だってのによ。」

目に付く物を片っ端から貪り食いながら、イドラが盛大に不満を洩らした。
だが、問題の本質がそこではないのは、言うまでもない。


「それもそうだが、俺はとにかくあの聖帝の野郎が気に食わねぇ。あの野郎、俺を思いっきり殴りやがって・・・・・。腹に穴が開いたかと思ったぜ。許せねぇよ。」
「全くだ。しかも、人を馬車馬みたいにこき使いやがって。明日もまた朝早くからこき使われるかと思うとうんざりだ・・・・・!」

苛々と葉巻を吹かすサモンに、リュウキが同調した。

「どうするんですか?本当にこのまま奴の言うなりになって、ここに留まるんですか?」


そして、酷く不満げなこの3人を代表するように、オウコがゲンジョウに尋ねた。
無論、彼も3人と同じ気持ちだったからである。


「分かっておる。儂とて、馬鹿正直に奴の言いなりになる気はない。ただ、時期を見計らう必要がある。お前達も見ただろう?あの男の力を。奴は儂の仕込み杖を、目にも見えぬ速さで真っ二つにしおった。鋼鉄で出来た刀身ごとな。」

ゲンジョウの言葉に、4人の男達は揃って言葉を詰まらせた。
そう、サウザーの力は、彼等の想像以上に凄まじかったのである。


「聖帝はまだ儂らに気を許してはおらぬ。ひとまずは従順に振る舞い、奴を信用させるのが先決だ。奴を信用させ、油断させれば、隙を作る事が出来る。その隙を突いて一思いに・・・・・・。幸いここには聖帝一人、1対5で不意打ちすれば、如何に聖帝とてひとたまりもない筈だ。」
「・・・・・なるほど。」
「違いない。」
「ならこの際、皆でとことん従順な奴隷になりきってやろうじゃないか。ああいう横暴な野郎は、案外オツムの方は単純ときてるんだ。なぁに、ものの何日もかからねぇ。大人しく従った振りをしてりゃ、すぐに油断するだろうよ。」
「そういう事ならしゃあねぇな。胸糞悪いが、少しの辛抱だと思って我慢するか。」

ゲンジョウの立てた作戦を聞き、リュウキ、サモン、オウコ、イドラは顔を見合わせ、含み笑いを浮かべた。


「まずは待つのだ。大人しく従っている限り、ひとまず命の保証はされている。焦らずに時が来るのを待て。分かったな?」

ゲンジョウがゆっくりと噛んで含むような口調で念押しすると、4人の男達は揃って頷いた。

















その頃、は床の上で何度も寝返りを繰り返していた。
どんな姿勢を取っても、一向に眠れないのだ。
いや、むしろ眠ろう眠ろうと考えるにつれて、益々目が冴えていく。
遂には無理に眠ろうとするのを諦めて、身体を起こした。


ここは館の2階にある、狭く古ぼけた小部屋だ。
物置か何かに使っているのか、ガラクタのような物がぽつぽつと置いてあるだけで、ベッドなどの人が生活するのに必要な道具は何もない。
しかし、雨風が凌げる屋根と壁があり、床には小ぶりの絨毯まで敷かれてある。
そこに寝そべり、自分のマントを掛布にすれば、ベッドなどなくても十分快適に眠れる、筈なのだが。



「今、何時かしら・・・・・・・」

実際にはこの通り、まだ眠れていない。
時計がない為、何時なのかは分からないが、もうかなり遅い時間になっている事だろう。
は小さく溜息を吐いて、壁を見つめた。

実はこの部屋、聖帝の私室の隣に位置しているのである。
壁の向こうはあの恐ろしい聖帝の私室で、聖帝が今そこに居ると思うと、とてもではないが落ち着けない。
勿論それが眠れない理由ではあったのだが、しかしそれが唯一の理由という訳ではなかった。


あの恐ろしい聖帝が、自分達をこの地に拘束している聖帝が、皮肉にも与えてくれた安らげる場所。
にとっては、あの廟がこの館の中で最も落ち着く場所だった。
この地に辿り着いたのは、もしかしたら偶然ではなく、神が導いてくれたのかも知れない。



行きたい、あの場所へ。



は足音を忍ばせて、そっと部屋を出て行った。




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後書き

わー聖帝様、姑みたーい(笑)。
まあそんな事はどうでも良いんですが、何かいつまでもダラダラと盛り上がらない話ですね(笑)。
サウザーとヒロインの接触も少ないし(汗)。