「うっ・・・・・・!」
鞭のようにしなるカシムの蹴りが、腕の肉を引き裂く。
その瞬間鮮血が噴き出した傷口を押さえながら、シュウは苦痛に顔を顰めた。
「でやぁぁぁっ!」
「くっ!」
繰り出される蹴りの嵐が、容赦なくシュウを襲う。
それを受け止めながら、シュウは何処か冷めた頭の片隅で考えていた。
カシムの蹴りは、以前より遥かに切れるようになっている。
宗家の道場での修行が、見事花開いたとみえる。
南斗白鷺拳の極意とも言える脚、その強化は怠っていなかったようだ。
個人的なしがらみを抜きにして、それは純粋に称賛するに値する。
ただ、惜しむらくはその力のみで立ち向かって来なかった事だ。
「どうされた?この程度の蹴りなど、貴方にとってはかわす事など容易い筈。適度に避けて反撃して頂かないと、長老達に怪しまれますぞ、ククク。」
「ほざけ・・・・・!」
接近戦の合間に、カシムが互いにしか聞こえない程度の小声で挑発してくる。
シュウは苦々しい表情を浮かべて、カシムとの間合いをとった。
言われずとも、急所を狙った攻撃は避けている。
だが、反撃は出来ない。
正確に言えば、決定打を与える事が出来ないのである。
いかに腕が上がったとはいえ、その動きにはまだ無駄もあれば隙もある。
そこを突くチャンスには、幾度も恵まれた。
だが、それをすればの身に危険が及ぶ。
が向こうに捕われている以上、ほんの僅かな危険も冒せない。
それを思うと、せいぜい牽制程度の反撃しか出来ないのだ。
そしてカシムは、それを良い事に、弄るような攻撃を仕掛けてくる。
一気に勝負に出ず、少しずつ少しずつ、猫が鼠を甚振るように。
決して自分から仕掛けられない、生殺しの私刑のような試合。
それを只、耐え抜くしかないのだ。
「どうした事だ、シュウともあろう者が・・・・・」
「あのカシムという男、シュウを上回る強さを秘めているのでは・・・・・」
「いや、目を失った事で、シュウの本来の力が発揮出来ずにいるのだ・・・・」
立会人の長老達は、予期せぬ展開に驚きを隠せず、それぞれに己の見解を口にしている。
そんな彼らに、スザクは余裕の笑みを口元に湛えて言った。
「その両方だ。カシムは力をつけ・・・・・・、シュウは力を失った。」
「私も父の言う通りだと思いますわ。如何に秀でた才の持ち主でも、目が見えなければ手も足も出ないというもの。勝負になりませんわ。」
「ううむ・・・・・、やはり盲目となってしまっては、あのシュウも最早・・・・・」
長老の一人が残念そうにそう呟くと、他の長老達も同感だとばかりに頷いた。
それ程までに、シュウという人物は南斗一門に認められていたのだ。
拳の強さにおいても然り、その精神においてもまた然り。
だが、それもこれまでだ。
誰もが試合を食い入るように見守る中、人知れずほくそ笑むスザクとエリザの顔を只一人見ていた者が居る。
南斗鳳凰拳伝承者・サウザーであった。
おかしい。
シュウは失った視覚をも克服し、ほぼ元の力を取り戻した筈。
少なくとも、カシム程度の男に良いようにしてやられる事は有り得ない。
― 何を遠慮している?
まさかこの期に及んで、その力を出し惜しむとは。
この胸に未だ塞がりきらぬ程の深い傷をつけた、あの凄まじい力を。
「失望させおって・・・・・」
その理由がどうであれ、このまま負けてしまうのならば、シュウはそれまでの男だ。
何にせよ、むざむざ手をこまねいて敗北を待っているような男と、死肉を満足げに喰らうハイエナのような男の試合など、これ以上観る価値もない。
小さく鼻を鳴らして、サウザーが立ち上がりかけたその時だった。
「おおっ!!」
観衆が一斉にざわめく。
シュウが脇腹にカシムの一撃を喰らって膝をついたところであった。
「うぐっ・・・・・・!」
「ククク。勝負ありましたな。」
「おのれ・・・・・・・!まだ私は・・・」
「もう少しお相手して差し上げたいのは山々だが・・・・、そろそろ飽きた。いい加減勝負をつけるとしよう。貴方にとっても、その方が良い筈だ。」
「くっ・・・・・・!」
体力的には、まだ闘える余裕がある。
だがカシムの言う通り、状況はそれを許さない。
シュウはその場に縫い留められたように、微動だにしなかった。
いや、出来なかった。
「いよいよこの時が来た。今よりはこの俺が、南斗白鷺拳伝承者だ・・・・・!」
「・・・・・・・!」
カシムの手刀が、今にも空を切り裂くように振りかざされる。
彼はこの一撃をもって、止めとするつもりのようだ。
南斗白鷺拳伝承者としての誇り、それは勿論ある。
このような卑劣な罠に堕ち、納得のいく勝負が出来なかった事が悔しくない筈はない。
だが、誇りよりも人の命の方が大切だ。意地や誇りで人の命は救えない。
皆の眼前で無様な敗北を喫したとしても、それでを無事に救い出せるのならば安いものだ。
だから何としてでも、この試合を耐え抜かねばならない。
そして、この手でを助け出すのだ。
たとえ何を引き換えにしても。
シュウはカシムの攻撃を、敢えて受け止めるべく身構えた。
その時。
「シュウ!!」
場内に、突如の声が響いた。
「!?」
「なにっ・・・・・・!?」
「シュウ!私は大丈夫だから、だからちゃんと闘って!!」
「女、何処から入って来た!?ここは南斗の道場だぞ!」
「即刻立ち去れ!ここは南斗の者以外立ち入り禁止だ!!」
「離して・・・・・!離して下さい!シュウ!お願い、ちゃんと試合を・・・・!」
門番の男達に腕を掴まれ、場外に放り出されかけつつも、は必死に男達を押し返し、闘技場の上のシュウに向かって声の限り叫んだ。
観衆の殆どが、何が起きたか分からないといった風に呆然とその光景を見守る。
そんな中、一人焦りの表情を浮かべたカシムが、観衆に向かって怒鳴りつけた。
「おっ、お前達!何をしている!?早くその女をつまみ出せ!厳粛な試合の最中であるぞ!」
「はっ!」
観衆の中の何人かがそれに返事をし、素早くを捕らえようと動き出す。
シュウは、彼らがカシムの手の者だと直感した。
このまま外に連れ出されてしまえば、その場で殺される危険が大きい。
そう考え、闘技場から飛び出しかけたその時だった。
気迫の篭った少年の声が、高らかに聞こえてきたのは。
「この人を連れて来たのは俺だ!不正に侵入したのではない!この人には指一本触れさせないぞ!」
「なぁにぃ〜!?貴様練習生だな!?名は!?」
「レイ!」
「レイ!?何故お前がここに・・・・・」
「シュウさん!さんの事は俺が!だから早く勝負を・・・・!」
自分より上の位にいる門下生達数人を目の前にしながら、レイは驚くシュウにそう叫んだ。
そのレイを、カシムがそのまま捨て置く筈はない。
激昂したカシムは、こめかみに血管を浮かび上がらせて叫んだ。
「おのれ小僧!門下生でありながら何たる不心得!お前達、何をしている!?小僧と女を捕らえよ!」
「待て!!」
シュウの一喝が、ざわめいていた場内を一瞬で静めた。
「二人に手出しをする事は、この私が許さん。」
「なっ・・・・・、何を言う!?奴らはこの神聖な試合に水を差した・・・」
「黙れ!!この試合に水を差したのはあの二人ではない、貴様自身だ!!」
「何!?どういう事だ、シュウよ!?」
「長老、その話は後程致しましょう。今は試合を続行させて頂きたい。勝負はまだついておらぬ故。」
「俺も同感だ。」
シュウの意向に同意を表したのは、立ち去りかけていたサウザーであった。
「まだ試合は終わっておらぬ。小僧と女など捨て置け。この試合は、南斗白鷺拳伝承者を定める重要なものだ。その二人の審議と勝負の決着、どちらを優先させるべきか・・・・・、長老達よ、貴殿達なら分かる筈だ。」
「ううむ・・・・・・・、良かろう、ひとまず試合を再開せよ。」
長老の重苦しい言葉に、唇を吊り上げて頷いたサウザーは、観衆に向き直ってこう叫んだ。
「皆の者にしかと申し伝える!この勝負の決着がつくまで、全員一歩たりともその場を動く事叶わぬ!この禁を破った者は、このサウザーが生かしてはおかぬぞ!!」
若き帝王の咆哮に怯えた観衆は、恐怖で凍りついたようにその場に立ち竦んだ。
その迫力と威厳には、門下生のみならず、長老達ですら気圧されているようだ。
「サウザー・・・・・・」
「早く勝負を続けろ、シュウ。」
再び闘志を漲らせて頷くシュウに一瞥をくれ、サウザーは自らの席に戻った。
「おのれ、シュウ・・・・・!」
「カシムよ。貴様の悪巧みも最早これまでだ。ここから先は、己の拳での勝負と心得よ。」
「ほざけ死に損いが・・・・・!そんな手負いの状態で、今更貴様に何が出来る!?」
「如何に手傷を負っていようとも、貴様の如き卑劣な輩に、我が南斗白鷺拳は破れぬ。それを今、その身をもって思い知らせてやろう。」
「面白い・・・・・、やって貰おうか!」
目論見が崩れ去り、怒りに我を忘れたカシムは、シュウ目掛けて踊りかかった。
平静を欠いた力任せの攻撃とはいえ、やはりその拳は鋭い。
だが、所詮足枷の取れた今のシュウの敵ではなかった。
「はっ!!」
「ぐはっっ!!」
渾身の力を篭めて突き出した手をあっさりと払われたその直後、カシムは逆にシュウの手によって、闘技場に叩き伏せられた。
「くそっ・・・・・・、ならば・・・・・これはどうだ!!」
素早く身構えたシュウの耳に、無数の足音が聞こえ始める。
目にも留まらぬ速さで、カシムが周囲を駆け回っているようだ。
今や目に頼れないシュウの、戦闘における重要な感覚・聴覚を乱す作戦らしい。
「むっ・・・・・・」
四方八方から聞こえるような足音に、シュウはより一層隙なく身構える。
そして、攻撃に転じる時の、微かな足音の乱れをじっと待った。
― 貰ったぞ、シュウ!
シュウの背後に回り込んだカシムは、その背に向けて倒立の姿勢を取り、そのまま手首を軸にして、凄まじい勢いで身体を回転させた。
「喰らえぇい!南斗烈脚空舞!!!」
シュウの必殺技が、その本人に向かって唸りを上げる。
だがシュウは、元より気付いていたとでもいうかのように、背後に向けて回し蹴りを放った。
その瞬間、激しく、そして鈍い音が場内に響く。
「ぐわぁぁぁ!!脚が、俺の脚がぁぁぁ!!!」
カシムは断末魔の叫び声を上げて、床に倒れ込んだ。
その右脚は、折れてあらぬ方向に曲がっている。
「まだまだ未熟なようだな。我が南斗白鷺拳は、付け焼刃で体得出来る程甘くはないぞ。」
「ふぅーッ、ふぅーッ・・・・・!おのれ・・・・、おのれぇぇ!!」
その右脚は完全に死んだにも関わらず、勝利への執念がそうさせるのか、カシムは残った左脚を支えに立ち上がった。
だが、それはシュウにとって絶好の好機だった。
「貴様の負けだ、カシム!南斗白鷺拳の真髄・真の烈脚空舞をとくと味わえ!!」
シュウはカシムの足元に手をついて、先程のカシムと同じ姿勢を取った。
だが、そのフォームは同じでも、完成度は全く違う。
回転力も、軸の強靭さも、何もかもがカシムを遥かに上回っている。
そして、脚の切れ味もまた然り。
「うげはぁっ・・・・・!!」
瞬く間に無数の蹴りを叩き込まれ、カシムの身体は見る見る内に切り刻まれていく。
余りに速く鋭い蹴りが、まるで回転する刃物のように見える。
そしてシュウが脚を地に着けると同時に、カシムは糸の切れた操り人形の如く、その場に崩れ落ちた。
数秒とも数十分ともつかぬ、重い沈黙が場内を流れる。
その直後、椅子から立ち上がった長老の尊大な声が轟いた。
「それまで!!勝者、シュウ!!!」
その声が掛かると同時に、観衆から怒涛の如く歓声が湧き上がった。