秋桜の記憶 25




毎朝の習慣である鍛錬を終え、レイは大きく深呼吸をした。
朝の清々しい空気が、火照った身体を内側から冷やしてくれる。



今日はいよいよ、シュウとカシムの試合の日だ。
肝心のシュウの姿はここ暫く見かけなかったが、何処かで修行をしているとの噂を聞いた。
彼の事だ、きっと盲目のハンデを乗り越えて、伝承者の座に守り抜くに違いない。
レイはそう信じて、今己のするべき事に集中していた。


今日は試合の為、練習生には闘技場の使用禁止令が出されていた。
師範代の拳士達も、今日は皆その試合の方に目が向いている。
従って、これ幸いにと朝の稽古を休み、寝坊を楽しんでいる練習生は数知れない。
しかしレイは一人、場所を敷地の片隅に移して、いつものように鍛錬を積んでいた。

『この地道な努力が、やがて大きな花を咲かせるのだ。』

何度となく聞かされたシュウの口癖、それを忠実に実行する事が、今の自分に出来る事だ。
遊びでこの南斗の門を潜った訳ではない。
必ず強くなる。シュウに認められる程の男になってみせる。



「よし、もう一度だ・・・・・・!」

活を入れ直し、再び拳を構えたその時、レイの視界の隅に人影が映った。
そちらの方に向き直ってみれば、その人影はシュウとカシムであった。
健勝そうなシュウの姿を見て安堵したのは束の間、二人の間に流れている一触即発の緊迫した空気を読み取ったレイは、咄嗟に木の陰に身を隠し、二人の様子を伺った。

「どうしたんだ、一体・・・・・・?」

不思議なのは、シュウが余裕のない厳しい表情をしているのに対して、カシムが今にも笑い出しそうな顔をしている事。
それから、二人の出て来た方角である。

「あそこには独房しかないのに・・・・・・」

こんな早朝に、そんな所で何をしていたのだろうか。
気になったレイは、二人が完全に去った後、その場所へ向かおうとした。
だが。


「そこの小僧。練習生か?」
「!」

突然背後から声を掛けられ、レイは慌てて振り返った。
そこに居たのは頭を丸めた険しい表情の老人だった。
その尊大なオーラから察するに、彼はどうやら南斗の長老の一人のようだ。

「・・・・・はい、何か御用でしょうか?」
「うむ。スザクはもう来ておるか?」
「スザク様ならば、確か昨夜都からこちらにお着きになった筈ですが。」
「何処におる?」
「生憎と今朝はまだお見かけしていません。まだ屋敷の方におられるかと。」
「ならば案内せい。」

ここの支配者スザクの名を呼び捨てている所をみると、やはりと同じ長老の立場らしい。
シュウとカシムの試合の立会いの為、呼びつけられたのだろう。
とにかく、まだ一介の練習生であるレイが、雲の上の人である長老に逆らう事など出来はしない。
独房が気になりつつも、レイは命じられるまま、彼をスザクの館まで案内するしかなかった。






闘技場は、物々しい空気に満ちていた。
道場の門下生がずらりと傅く中、南斗の長老達、そして南斗鳳凰拳伝承者であるサウザーが上座に鎮座する。
その中には勿論、スザク父娘の姿もあった。


「しかしスザクよ、何故わざわざこのような試合をする?」
「そうだ。シュウ本人が、そやつに伝承者の座を譲り渡すつもりだったのではないのか?」
「うむ。しかしのう、そこのサウザーがそれでは納得出来んと申してな。確かに伝承者の交代はシュウが望んだ事に違いないが、後任の者が劣等では話にならんのも事実だ。故にこうして勝負の場を設ける事になったのだ。」
「ふむ、なるほど。」
「貴殿達には、この試合をしかと見届けて貰いたい。宜しく頼むぞ。」


― よく舌の回る事だな、大狸めが。

平然と嘘の大義名分をでっち上げるスザクに、サウザーは内心で毒突いていた。
己が野望を果たす為に小賢しい策を弄するそのやり方には、ほとほと呆れる。
そして、体よく騙されるがままの、愚かで無能な長老達にも。
しかし、物事はそう上手くいかない。
他人をあてにしていては、野望など到底実現出来ぬものだという事を、今からその目で確かめる事になるであろう。
それを証明するものは、この胸に深々と刻まれている。

襟元から僅かに覗く、まだ血の滲んでいる包帯に触れて、サウザーは僅かに唇を吊り上げた。



やがて、時は来た。



「両者、前へ!」

闘技場の上で、二人の男が相対する。
異様な程の緊迫感に、周囲はざわめきすら止めてその様子を見守っている。
ここに居る者の内、どれ程の者が、この試合の裏に潜む卑劣な謀略に気付いているだろう。
いや、恐らく誰も居はしまい。
開かぬ目の代わりに気迫でもって、シュウは目の前の男、カシムを捉えた。

試合に負けても、勝負に負ける訳にはいかない。
だけは、何としてでも。
そう固く誓うシュウと、泰然と構えるカシムの間に、遂に審判の声が轟いた。

「始め!!」

そして、幕が切って落とされた。
最初から仕組まれた、茶番試合の幕が。






ようやく館から抜け出して来る事が出来た。
長老を案内した後も、屋敷の執事に捕まってあれやこれやと仕事を押し付けられ、随分手間取ってしまったが。

スザクの屋敷において、道場の者は召使も同然の扱いを受けている。
伝承者クラスの者は流石にそういう扱いは受けていないようだが、練習生は顔を出す度何かと面倒な用事を言いつけられる。
大体は、女中達が出来ないような力仕事が主だ。
今しがたも山程の薪を割らされ、不要になった重くて大きな執務机を物置に放り込まされてきたところである。

しかし、この屋敷の者全員が全員、横柄な訳ではない。
下っ端の使用人の中には、気の良い者も居る。
その者達が仕事の礼にと、茶と茶菓子を勧めてくれたが、レイはそれを断って道場に戻って来ていた。
目的は勿論、先程の疑問を解決する為である。




先程シュウ達が出てきた所には、やはり独房位しか目ぼしいものはない。
レイは周囲に人目がない事を確認すると、独房へと続く階段を下り始めた。
一段、また一段と下りるにつれて、墓所のようなひんやりとした陰気な空気が、春の暖かい外気にとって変わり出す。
その嫌な変化は、レイに昔を思い出させた。


昔まだ入門したての頃、練習生同士で些細な事から喧嘩になった事がある。
その時に、自分も含めてその喧嘩に関わった者全てが、この独房に押し込められた。
窓もない息の詰まりそうな牢獄で三日三晩正座をさせられ、それに耐えきれなかった者は、新入門生の破門第一号として、容赦なく道場の外に放り出されていた。


それ以来揉め事を起こしていないレイは、再び独房に入る事などなかったが、久しぶりにこの階段を下りると、まだ右も左も分からなかったあの時の心細さが蘇ってくるようで、正直良い気分はしない。
しかし、それを堪えて更に下へ下りていくと、足元に仄かな灯りが差し込み始めた。
それは、誰かが居る証拠である。
レイは壁際に身を寄せると、そっと向こうを覗いてみた。



「もう勝負はついた頃か?」
「さあな。まあ、そう時間はかからんだろう。なにせ初めから見えている試合だ。」
「違いない。」
「うぅーーッ!」
「五月蝿い!騒ぐな!」

鉄格子の前に立つ門下生二人はともかくとして、このくぐもった叫びを上げた女の声には、何処かで聞き覚えがある。
確かシュウと共に暮らしていた、という女の筈だ。

「どんなに騒いでも無駄だ。外には決して聞こえはせん。勝負が終わるまで大人しくしてろ!」
「うぅっ・・・・・・・!」
「しかし退屈だな。人質の番などつまらん。俺も試合を見たかった。」
「そう言うな、褒美が貰えるんだ。それに、今後は俺達の立場も上がるんだぞ。そう思えば少しばかりの番など、安いもんじゃないか。」
「そうだな。これからはあの人に付くのが利口だな。美味い汁がたんまり吸えそうだ。」

詳しくまでは分からないが、男達の会話、特に人質という言葉から、大方の事情は察しがついた。

シュウは強い。
南斗最強とされるサウザーと、唯一対等に渡り合える程の実力者なのだ。
正味勝負をすれば、いくら目が見えなくても、カシム如きに負ける筈がない。
そう、正味勝負をすれば。

だが、その勝負に邪な策略が絡んでいれば?
愛する女を盾にされて、その拳を存分に振るえる事が、果たしてあのシュウに出来るのか?


そう思った瞬間、レイは男達の前に躍り出ていた。





「なんだ貴様!」
「鍛錬はどうした!とっとと戻れ!!」

レイの姿を見た二人は、手にした槍を構えて口々に叫んだ。
だがレイは、油断なく身構えながらも、決して怯まなかった。

「その人を放せ。」
「何だと?練習生の分際で生意気な!それが兄弟子に対しての口の利き方か!」
「お前達のような姑息な輩を、兄弟子に持った覚えはない。」
「おのれ〜!その小生意気な口を、二度と叩けんようにされたいか!」

槍のようなリーチの長い武器を手にした相手と闘う場合は、決して怯んではならない。
素早く懐に入り込む事が何よりも大事だ。
何よりも踏み込みを早く、相手の間合いに入り込む。
それが勝つ為の極意。

かつてそうシュウに教わった。
それを今、活かす時が来た。

レイは男達が啖呵を切り終わらぬ内に、彼等の懐目掛けて一息に踏み込んだ。





「うぐわぁっ!」

案の定、男達はその長い獲物を持て余しているようだ。
狭い場所という事もあり、間合いに踏み込んでしまえば、なす術もなく手刀の餌食になる。
まだ切り刻める程の威力を持ってはいない為、一撃必殺とまではいかないが、それでも気絶させられる事ぐらいは出来た。
喉笛に喰らった一人の男が、悶絶してその場に崩れ落ちている。

だが、この男達もまた、腐っても南斗の拳士なのだ。

「このガキ!」
「ぐふっ!」

いきなり背後から延髄を打ち下ろされて、レイは鉄格子に顔から激突した。
一人仕留めるのに夢中になっている間に、もう一人の男への注意が疎かになっていた。
しかし、頭はそう考えられる程度に冷静でも、身体は痛みで動かない。
脳まで痺れるような痛みが身体を支配し、動きたくてもすぐには動けないのだ。


「ハァッ、ハァッ・・・・・!このガキが、調子に乗りやがって!練習生の分際で勝てると思ったか!」

男は息を切らせながらそう吐き捨てると、床に転がっていた槍を手に取った。

「勘弁ならんぞ!兄弟子に喧嘩を売った事をあの世で後悔しろ!」

男は槍を持った手を振りかぶり、それをレイの背中に突き刺そうとした。
だが。


「うわぁっ!」

大きく鉄格子の揺れる音がしたかと思うと、男は槍を放り出して前のめりになった。
何が起こったのかは分からないが、この機会を逃す事は出来ない。

「であぁっ!」
「か、はっ・・・・・・!」

ぐらつく頭を無理矢理起こし、レイはその男の鳩尾に、思い切り拳をめり込ませた。
その一撃で男が失神するのを見届けてから、レイは後ろを振り返った。





「やっぱり、さん・・・・・!待ってて、すぐに出してやるから!」

鉄格子に持たれかかって、安堵したように目で微笑むにそう言って、レイは気絶した男達の身体を探った。
そして、腰に下がっていた鍵の束を見つけると、それを毟り取り、の入っている独房の扉に次々と合わせ始めた。


「くそっ、これも違う!これもか・・・・・!」

束にはいくつもの鍵が下がっており、なかなか独房の鍵穴に合う物が見つからない。
額から流れる血が視界を邪魔するのを乱雑に拭いながら、レイは一心不乱に鍵を探した。
そして、7つ程も試した頃だろうか。
ようやく鍵穴に合う鍵が見つかった。


「よし、開いた!さん!大丈夫ですか!?」
「うぐっ・・・・・・!ハァッ、ハァッ・・・・・・・!」

レイに猿轡と手首の縄を解いて貰い、は苦しげに呼吸を繰り返して息を整えた。

「あ・・・・・、ありがとう・・・・・、お陰で助かったわ、レイ・・・・・!」
「俺の方こそ。貴女のお陰で命拾いをした。」
「偶然よ。あいつがこの鉄格子に背中をつけていたから出来ただけ。」

そう言って、は力なく微笑んだ。
あの男がレイに槍を突き刺そうとしたのを阻めたのは、幸運が重なって出来た事だった。
ここが狭い通路で、かつ鉄格子の建付けが悪く、ガタガタと揺れやすかったからこそ、の体当りでも男の構えを崩す事が出来たのだ。


「とにかく早くここから逃げて、さん!」
「・・・・・それは出来ないわ。」
「何故!?」
「行かなくちゃ・・・・・!シュウが危ないの!闘技場はどこ!?」
「えっ!?でも・・・・・・」
「お願い教えて!早く!!」

シュウの身が気がかりな事は自分とて同じだが、を闘技場へ行かせる事は、どう考えても危険な気がする。
またいつカシムの息のかかった者に、捕われないとも限らない。
だが、緊迫したの様子からは、どうあってもシュウの下へ向かうのだという気迫が窺い知れる。
止めたところで、恐らく無駄だろう。
それどころか、一人ででも駆け出していくに違いない。


「・・・・・・こっちだ、ついて来て!」

覚悟を決めたレイは、先頭に立って階段を駆け上がっていった。




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後書き

今回の話は、シュウ夢というよりは、レイ夢ですね。
シュウ出てないしな(笑)。
少年の頃のレイも、いつかは書いてみたいなと思っていたのですが、
よもやこんな所で実現するとは。
っていうか、何も長編の一話を使って書かんでもな(笑)。
お陰で一話分、話が延びました(笑)。