秋桜の記憶 21




シュウが両目を失ってから、早くも一月が過ぎた。
傷の予後は良く、今ではすっかり床から起き上がり、身の回りの事と単純な仕事なら出来る程度にまで回復していた。
ただ、道場の方へはまだ顔を出していないが。


「シュウ、そろそろお昼にしましょう。」
「ああ。もうそんな時間か。」
「12時よ。さ、こっちに来て。」

が手を貸さずとも、シュウは間違える事なく食卓に着ける。
顔に残る大きな傷や、塞がれた瞼さえ見なければ、まるで健常に見える。
こんなに早くそれ程までに動けるのは、やはり長年鍛え込んだ精神と肉体のお陰であろう。
永遠に光を失った事にも動じず、盲目の状態にもすぐ慣れた。
これは常軌を逸する厳しい鍛錬や戦闘で培った勘・精神力があってこそのもので、普通の者ならばこうはいかないだろうと、は口には出さねど常々そう思っていた。


「もうすぐ春ねぇ。」
「そうだな。温かくなったら、少し遠出でもしようか。」
「本当!?嬉しい!」

もまた、盲目のシュウに随分慣れてきた。
包帯が取れて痛ましい傷を目の当たりにした時は、やはりショックが強かったが、それも今ではもう見慣れた。
とにかくシュウは元気で側に居る。
日に日に動きのぎこちなさも消えて、以前の状態に近付いているのが分かる。
それだけで嬉しかった。

食卓に向かい、他愛のない会話と食事を楽む二人は、幸せそのものの恋人同士だった。



しかし、それでもシュウの目は一生開かない。
信念故の行動だったとはいえ、そうならずに済んだのなら、その方が良かったに決まっている。
だがそれを喜ばしく思い、良からぬ画策をする者達が居た・・・・・。





「スザク様、エリザ様。もう間もなく到着致します。」
「そう。ここへ来るのは随分久しぶりだわね。」
「相変わらず貧相な田舎だな。儂の肌には合わん。」
「私もですわ。でもお父様、こんな事ってあるのですね。一時はもうどうにも出来ないと随分苛立ちましたけど、フフ。こんなチャンスが巡ってくるなんて。」
「全くだ。あの小生意気なシュウに一泡吹かせてやるわ。エリザ、お前の恨みはこの父が晴らしてやるからな。」
「頼もしいわ、お父様。」

エリザは嬉しそうに微笑むと、窓の外に広がる長閑な片田舎の町を見つめた。


エリザ父娘がこの町へやって来たのには、勿論理由があった。
南斗白鷺拳伝承者であるシュウの大怪我の噂は、遠く都にまで及んでいた。
他流試合の掟を破り、両目を失った伝承者。
二人はこれを利用し、かつての屈辱を晴らそうとしたのだ。
掟を破り、拳を曇らせた不届きな伝承者。
それを理由に、シュウを南斗白鷺拳伝承者の座から引き摺り下ろす気である。

後釜に推そうとしているのは、共に連れてきたカシム。
昨年の一件以来、修行と称して南斗の道場を離れ、エリザと共に都に出向き、スザクの口利きで宗家の道場にて鍛錬を積んでいたが、その成果を今見せつけようとしているところだ。
尤も、どう足掻いてもシュウの実力には元々遠く及ばないのだが、そのシュウは今では盲目となっている上、カシムの腕は前より上がっている。勝機は十分にある。

自分達に屈辱を味わわせた男の地位と居場所と幸福を奪い、地の底にまで叩き落すというエリザ父娘の夢を乗せて、車は南斗の道場へとまっすぐに走って行った。





「さ〜てと、片付けして仕事再開しようかしら。」
「そうだな。」

いつもの平穏な昼食を終えた二人はそれぞれ動き出したのだが、それを中断させたのは玄関ドアのノックの音であった。

「誰かしら?は〜い!」

それを聞きつけたは、急ぎ玄関へと向かった。
ドアを開けてみれば、そこには以前シュウの怪我の報せを持って迎えに来た南斗の男だった。

「先日はどうも。」
「いえ。ところで、シュウ様はご在宅ですか?」
「はい。どうぞ、お上がり下さい。」
「いえ。ここで結構です。シュウ様にお目通りをお願い致します。」
「分かりました。少々お待ち下さい。」

はシュウを呼びに戻り、来客だと告げた。
シュウは軽く頷くと、と入れ替わりに玄関へ向かった。



「ご無沙汰しておりました、シュウ様。」
「おお、ハルではないか。久しぶりだな。して、今日は何用だ?」
「至急道場の方へお越し願いたく存じます。」
「何故だ?何か問題でも起きたのか?」
「いえ、何でもお話があるとかで、スザク様がお呼びですので。」
「スザク殿が!?」

スザクの名を聞いたシュウの顔が、厳しく強張る。
この一年、この町にも道場にも近付かなかった彼が、いきなり何の用だというのか。
嫌な予感はするが、行かない訳にはいかない。
シュウは一言『分かった』と告げると、の元に戻った。

、少し出かけてくる。」
「何処へ?」
「道場だ。少し用が出来てな。すぐに戻る。」
「そう・・・・、気をつけてね。」
「ああ。じゃあな、行ってくる。」
「行ってらっしゃい。」

にこやかに手を振るに微笑を一つ投げかけ、シュウは迎えに来た男と共に道場へと向かった。






「失礼致します。」

客間に入ったシュウは、その場にいたスザク・エリザ・カシムの気配を感じて、只でさえ険しかった表情を更に厳しくさせた。

「お久しぶりですことね、シュウ様。」
「お久しゅうございます。スザク殿もエリザ殿も、お変わりなさそうで。」
「うむ。しかしお前の方は色々大変だったようだな。」
「は・・・・・」
「まぁ大きな傷。さぞ痛かったでしょう。ご自分でわざわざそのような傷をつけるなんて、馬鹿な人ね。」

エリザの小さくせせら笑う声を、シュウは聞き逃さなかった。
分かっていたが、やはり見舞いなどではないらしい。
シュウは敢えて何も言わず、誰かが何かを言うのをじっと待った。

「シュウよ。その目はもう二度と見えんそうだな。」
「はい。」
「しかもその傷を負った理由が、他流試合の掟を破った為。相違ないな?」
「はい。」
「ふむ・・・・。困ったのう。何故そのような馬鹿げた真似をした?」
「・・・・・私の信念故です。」
「まぁ、恐ろしい信念だこと。私だったら、信念より両目の方が大事ですわ。」
「エリザ、口を挟むでない。シュウよ。こんな事を言うのは儂とて辛いが、その傷では本来の力は二度と出せまい。しかも理由が掟破り。これでは儂もどうしようもない。」

辛いと言いつつ、スザクの声は僅かに弾んでいる。
シュウは眉一つ動かさず、その真意を問い質した。

「・・・・何が仰りたい。」
「お前には最早、南斗白鷺拳を委ねる訳にはいかん、と言っておるのだ。」
「それは、宗家の方々がそう仰っておいでなのですか?」
「無論だ。お前の力は皆認めている。しかし伝承者たる者が掟を破ったとあらば、他の門下生に示しがつくまい。」
「・・・・・」

悔しいが、それは尤もだ。
シュウは僅かに唇を噛んで黙りこくった。

「お前の後釜はもう見繕ってある。ここにいるカシムだ。」

紹介されたカシムは、薄気味悪い笑顔をシュウに向けて頭を下げた。

「そういう事です、シュウ殿。私もこの一年、宗家の道場で夜も昼もなく修業に明け暮れて参りました。貴方の顔に泥を塗らない伝承者になってみせます。どうぞご安心して引退なさいませ。」
「カシム・・・・・・」

シュウの顔に、僅かに怒りが浮かぶ。
エリザは内心狂喜した。

この顔が見たかったのだ。
無様な負け犬に成り下がれば良い。
と共に、貧しく惨めな人生を歩めば良い。
いや、それよりも、伝承者の座を追われた絶望に見せかけて、二人まとめて殺してしまおうか。
エリザは、どんな美酒を飲むよりも、どんな美丈夫と寝る快感よりも、遥かに強い陶酔感に浸っていた。

その時、突然客間のドアが開いた。


「サウザー、何用だ!」
「先程の話、聞かせて貰った。」
「サウザー様、貴方には関係のない話でしてよ。即刻退室しなさいな。」
「断る。南斗六聖の一人として、今の話には些か不満があるのでな。」
「サウザー・・・・」

サウザーは口籠るシュウをちらりと見やると、今度はカシムをまっすぐに見据えた。

「カシム。久しぶりに戻っておきながら、俺のところに挨拶なしとは随分偉くなったものだ。もう伝承者気取りか?」
「も、申し訳ございません・・・・。色々と立て込んでおりまして・・・・」

温かく朗らかな雰囲気のシュウとは違い、周りの者全てに威圧感を与えるサウザーは、流石のカシムといえども気圧されるらしい。
その冷酷な視線から逃れるように俯き、非礼を詫び続けた。

「フン、まあそんな事はどうでも良い。しかし俺には、お前が南斗白鷺拳の伝承者に相応しい程強くなったようには到底見えぬ。」
「お言葉ですがサウザー殿!私は一年間宗家の道場で血を吐くような修行を・・・・・!」
「それでもだというのだ。同じ南斗でも、六聖は他の流派とは別格だ。群を抜いた力がなければ務まらぬ。しかしお前にその力は備わっていない。まして女の尻を追い掛け回し、機嫌を取って力を手に入れようとするような愚か者なら尚更無理だ。身の程を弁えよ。」

歯に衣を着せぬサウザーの物言いに、スザクとエリザは明らかに不愉快そうな表情を浮かべた。

「俺はこの男が次期南斗白鷺拳伝承者だなどとは認めぬ。」
「しかしサウザーよ。シュウは先程も言った通り、宗家からも伝承者の座にあらずと言われている。」
「そうですわ。そして今現在、後釜に座れそうな人物がカシムだけなのですよ。貴方一人が反対だと騒いだところで、ほほほ・・・・」

そうは言っているが、本当にこの父娘は、宗家に全て報告しているのだろうか。
己の傘下の道場から、掟破りが出たなどと不名誉な事を、このスザクが言うとは思えない。
もしかしたら、宗家はシュウの怪我の事しか知らないのかもしれない。

そう思ったサウザーは、ある一つの提案を申し出た。



「良かろう。そこまで言うのなら、それを証明してみせろ。」
「証明?」
「そうだ。シュウとカシム、二人が闘って伝承者の座を競い合うのだ。その勝負で勝てた暁には、カシム。このサウザーがお前を南斗白鷺拳伝承者と認めよう。」
「うぬぬ・・・・・」
「どうしたスザク殿?この条件呑めぬか?」

出来る事なら呑みたくはない。
しかし、下手に渋って勘繰られ、宗家に直訴でもされた日には、都合の悪い事を隠して己の息のかかったカシムを推した事を咎められてしまう。
宗家には、怪我を負ったシュウが、弟子であるカシムを後継者にしたがっていると言ってあるのだ。
目論見が知れれば、他の長老達から非難され、失脚しかねない。
スザクは甚だ不満ながらも、サウザーの申し出を呑むしかなかった。

「・・・・・良かろう。シュウ、カシムの実力をその身で味わうが良い。」
「でもカシムったら、本当に見違える程強くなりましたのよ。シュウ様はその目ですし、お気が乗らなければ辞退されても構いませんことよ。無理をして怪我の具合がより酷くなっても大変ですし、無様に負けて恥をかくのもお嫌でしょうし。」
「・・・・少し考えさせて頂く。それではこれで。」

シュウは抑揚のない声でそう告げると、客間を出た。





客間を出て少し歩いていると、後ろからサウザーの声が飛んできた。

「シュウ。」
「サウザー・・・・・」
「療養中に随分腰抜けになったものだ。」

鼻で笑うサウザーに、シュウは眉をしかめた。

「何とでも好きに思うが良い。」
「ほう?ではお前は伝承者の座から降りる気なのか?」
「・・・・分からん。降りたいと望んでいる訳ではないが、スザクの言う事も一理ある気がしてな・・・・・」
「何故だ?」
「私はあの時の事は後悔していないし、間違っていたとも思わん。しかし伝承者が掟を破った事には違いない。確かにそんな伝承者では、門下生に示しがつかんだろうな。」
「フッ、何を下らぬ事を・・・・。お前のそういう所は皆に慕われているようだが、俺は馬鹿げているとしか思えん。あの大狸の言葉など易々と信用していると、今に泣きをみる事になる。」
「信用している訳ではない。ただ客観的に考えて、そういう見方も出来ると思っただけだ。」
「フン、まあ好きにするが良い。結局はお前が考え行動する事だからな。伝承者の座をかけてあの思い上がった雑魚と争うも良し、伝承者の座を捨ててあのとやらと平凡に暮すも良し。」
「フッ、そうさせて貰うとしよう。ではな。」

シュウはサウザーに背を向けて、帰途についた。
今後の己の辿るべき道を思案しながら。




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後書き

はいは〜い、またまた出ました。
脇役1号2号3号が(笑)。
あ、ついでに4号も(爆)。
4号はともかく、1〜3号は最初にあれだけ絡ませましたからね。
最後にもう一絡み頑張らせようと思いまして(笑)。