今年もまた、吐く息が白くなる頃になった。
今夜は雪が降るだろうか。
低い空を見上げながら、ぼんやりとそんな事を考えていた時。
「!」
「シュウ!」
背後からもうすっかり耳に馴染んだ声が聞こえ、は微笑みを浮かべて振り返った。
「待たせたな、少し稽古が長引いてしまって。」
「ううん、私も今終わったところだから。」
「そうか。どうだ、たまには何処かで食事でもして帰るか?」
「ええ!」
シュウの微笑みは、この冬の寒空の下でも温かく感じる。
冷えた指先を包み込んでくれる大きな手を取って、は満ち足りた気持ちでシュウと歩き始めた。
もうあれから一年経つ。
無事再開出来た畑の花を売った金と、シュウが道場で手に入れる俸禄で、二人の今の生活は成り立っていた。
特別な贅沢は出来ずとも、時にはこうして待ち合わせ、町で羽根を伸ばす事が出来る程度のゆとりはある。
二人の暮らしは、穏やかで幸福に満ちていた。
そう感じるのは、金銭的な充足だけが原因ではない。
警戒すべきスザク・エリザ父娘も、エリザがこの地を発ち、都に戻った事で、あれ以来何の悶着もないのだ。
落ち着いた環境で、慎ましいながらも平和な生活を営める。
それを幸福と呼ばずして、何と呼ぼうか。
は今幸せだった。
そしてシュウもまた。
ずっとずっと、こんな日が続けば良い。
口には出さねど、二人の想いは同じであった。
だが、そんな単調ながらも穏やかな日々に、今再び嵐が来ようとしていた・・・・
「待て。」
町へ向かいかけた二人の背後に、低く威圧的な男の声が飛んできた。
その声は、には聞き覚えのない声であった。
背後にある南斗の道場に、はまだ一度も足を踏み入れた事がなく、またシュウも道場の誰をもの前に連れて来た例がない故、当然であったが。
「サウザー。どうした?」
「・・・・なるほど、その女か。貴様が共に暮らしているのは。」
シュウがサウザーと呼んだその男は、値踏みをするような目付きでを見据えた。
シュウは長年の付き合いなのだろうが、慣れぬは妙な緊張を覚えた。
恐怖さえ感じる程に。
ところがサウザーは、どうにか小さく頭を下げて名を名乗るを眼中に入れず、シュウに一通の手紙を渡した。
「これは何だ?」
「読めば分かる。たった今届いた文だ。北斗の次兄からな。」
「次兄・・・・トキから!?」
サウザーの言葉を聞いたシュウは、厳しい表情を浮かべて、その場で無言のまま文を開いた。
咳払いすら許されぬような沈黙が、しばしその場を流れる。
食い入るように文字を読むシュウの表情は、これまで見た事もない程の緊張感を帯びていた。
「他流試合・・・・、本気か・・・・」
「受けて立つが、よもや依存などあるまいな?」
「・・・・・うむ。」
そしてその表情は、サウザーが去った後もなお消えなかった。
北斗。
その名を知らぬ筈はない。
南斗と表裏一体の暗殺拳、その存在を最も警戒すべき流派。
「南斗乱るる時、北斗現る・・・・・」
「え?」
眠ったとばかり思っていたの声が聞こえ、シュウは我に返った。
「済まない、起こしたか?」
「ううん、起きていたわ。それより何?その『南斗乱るる時・・・』って?」
「ああ、いや、何でもない。気にしないでくれ。」
シュウは曖昧に笑ったが、は笑わなかった。
「嘘。貴方さっきからずっと何か悩んでるわ。あの手紙が原因なんでしょう?」
「はは、の心配するような事ではない。案ずるな。」
「・・・・・私には話せない事?」
暗がりでも、の瞳が心配そうに揺れているのが分かる。
シュウは諦めたように小さく溜息をつくと、を胸に抱き寄せてぽつぽつと語り始めた。
「あの手紙は、他流派からの試合の申し入れだ。」
「それだけ?」
「ああ。」
但し、敗北した場合生きては帰れぬ『死合』だが。
しかも今回は、そうなる可能性が極めて高い。
何しろ試合をする者は、北斗四兄弟の末弟、まだ10を回ったばかりの少年なのだ。
あの音に聞こえたラオウでもトキでもなく、名すら知らぬ少年。
同じ無名の者でも、年頃から言えばトキの下弟の方がまだ話は分かる。
それを敢えてまだ子供と呼べる少年を寄越すとは、只事ではない。
トキからの手紙には、長兄ラオウが末弟の腕試しの為、南斗の力を欲しているとの旨があったが、シュウにはそうは思えなかった。
他流試合の掟は、北斗とて重々承知の筈。
その少年をまだ若木のうちに摘み取るつもりなのか、或いは絶対の自信があるのか。
今の時点では、どちらとも予測がつかなかった。
「その試合は、そんなに大変な事なの?」
「・・・・その流派は、我が南斗にとっては別格なのだ。南斗が陽ならそれは陰。我が流派と対極に位置する北斗・・・・・」
「北斗?」
「我が南斗には、『南斗乱るる時、北斗現る』という言い伝えがある。」
「乱るる・・・・、じゃあ、南斗に何か良くない事がある前兆だというの?」
見極める必要がある。
『南斗乱るる時、北斗現る』、その言葉が真であれば。
そして、その少年が乱れを治め救世主となる為に現れた者であれば、生かさねばならない。
だが逆に、波乱を煽り破滅へと導く者であれば・・・・・
「・・・・シュウ?」
「・・・・まさか。相手が北斗故、少々気に病みすぎただけだ。なに、きっと私の取り越し苦労だろう。」
いつもの微笑を見ても、の心には一抹の不安があった。
いつか見た、拳士としてのシュウの姿。
先刻会った、サウザーという見るからに強大なオーラを放つ男。
南斗の拳士は、自分の知る限り只ならぬ者だ。
それを脅かすかのような、この不吉な言い伝え。
いつか、シュウの身に何かが起こるような。
口にするには余りにも漠然とした不安に駆られずには居られない。
だから。
「?どうした?」
「・・・・抱いて、シュウ・・・・」
だからせめて、この嫌な胸騒ぎを一刻も早く忘れたくて。
はシュウの口付けを求めた。
「あ、ん・・・・・」
甘い声で喘ぎながらも、は何処か不安げだった。
一緒に暮らすようになってもう幾度となく身体を重ねているというのに、今日はやけに溺れている。
まるで、温もりに飢えているかのように。
「は、ぁッ・・・・、あぁんッ・・・!」
とろりと零れる熱い蜜は、啜っても後から後から溢れてくる。
そうすればそれが更に溢れると知っていて、シュウは紅く色付いた花芽を舐め上げた。
「んっ!あぁ・・・・」
震えて閉じ気味になる太腿を両手で押し止め、シュウは其処を舌で刺激し続けた。
何処をどうすればが感じるかなど、もう熟知していると言っても過言ではない。
「あんッ!あっ、あっ、はんッ・・・・!」
甘く蕩けたような声が、益々艶を増してきた。
何度聞いても飽きない声。
何度抱いても飽きない体。
こそが己の守るべきものなのだと、シュウは心から思っていた。
日頃は固く門戸を閉ざし、外部との接触を避ける北斗。
その北斗からの突然の申入れに、良からぬ胸騒ぎを覚えた。
それが杞憂で終われば良いが、もしも真実になれば、はどうなる?
南斗に何かあれば、六聖の一角を担う自分が無傷で済む筈はない。
その時、はどうなろうか。
「んんッ・・・、あぁッ!!シュウ・・・・!」
太腿を掴む手にの手が重ねられた感触で、シュウは我に返った。
ふと合ったの目は、濡れたように光っている。
暗闇で頼りなげに揺れるの瞳に揺り動かされて、シュウはの腰を抱え込んだ。
「・・・・・」
「シュウ・・・・・」
熱く滾った楔をの身体に深々と突き立てて、シュウはの身体を強く抱き締めた。
苦しげに顰めた眉の下で、その瞳は相変わらず不安そうに揺れている。
「シュウ・・・・・、約束、して・・・・?」
「何だ?」
「絶対に死なないで・・・・。私を一人にしないで・・・・」
そうだ。
自分には、生きてこのを守る役目がある。
たとえ何があろうと、決して死ねない。
その為には。
もしも北斗の男達が南斗に害を及ぼすような者であれば、容赦はしない。
「約束する・・・・・。だから、そんな顔をするな。笑ってくれ・・・・・」
「ん・・・・」
ようやくが微笑を見せた。
月の蒼い光で彩られた柔らかな微笑みは、はっとする程美しくて。
その表情に突き動かされたシュウは、をしっかりと腕に抱いて律動を始めた。
「・・・・・!」
「んっ、あぁッッ・・・・!!」
じっくりと溶け合うような交わりが始まった。
腰を深く沈めて、ゆっくりと、だが力強く。
「あっ、あっ、あっ・・・・!」
古いベッドが軋む音と、の甘い声が響く。
吐息を飲み干すような接吻を何度も交わした後、シュウは律動を少しずつ早めていった。
「あんッ、あっ、あぅぅッ・・・・!」
耳朶に、首筋に、鎖骨に。
目に付く至る所にキスを降らせながら、シュウはを貫き続けた。
強く身体を抱いて、その心に抱えた不安を消してやるように。
「あんっ、はぁっ・・・!あんんッッ!!」
「はっ・・・・・、はぁッ・・・・!」
互いの息遣いが荒くなってくる。
目も眩むような幸せと、胸が締め付けられるような愛しさを噛み締める瞬間が、もう間もなくやって来るだろう。
繋がった部分から身体が溶けるような強い快感を伴って。
「シュ、ウ・・・・、シュウ・・・・!も・・・・、いっ・・・ああぁっっ・・・!」
「はっ・・・・・、・・・・!」
喉を仰け反らせて震えるの唇から最後の吐息までをも奪い尽くしながら、シュウもまた迸る絶頂に身を委ねた。
下腹部に零れたシュウの名残を拭き取り、はふらりと立ち上がった。
「?何処へ行く?」
「喉が渇いたの。シュウも要る?」
「いや、私は良い。」
「そう。」
ふ、と笑ったは、一糸纏わぬ姿のまま、テーブルへと歩いていった。
その上に置いてある水差しからグラスに水を注ぎ、一息に飲み干している。
情事の後で多少声を枯らしていたのを知っていたシュウは、その姿を苦笑交じりに見守っていた。
「フッ、美味そうに飲むな。」
「美味しいわよ。シュウは本当にいいの?」
「そうだな・・・・、やはり一口貰おうか。」
「やっぱりね。」
は笑みを零しながら、またグラスに水を注いだ。
闇が映るグラスには、まだ見ぬ未来が溶けているような気がする。
どうか、願わくば。
この夜の闇のような出来事など、何も起こらぬように。
愛するシュウの身に、何事も起こらぬように。
そんな密かな願いを冷たい水に託し、は微笑を浮かべてグラスをシュウに手渡した。
「はい。」
「有難う。」
「ふふっ、シュウも美味しそうに飲んでるわよ?」
「美味いからな。」
「でしょう?」
そう言って笑うに、シュウは目を奪われた。
月光だけが僅かに差し込む暗い部屋で。
浮かび上がる白い裸体と、優しい微笑み。
幾度となく見た笑顔、見た身体なのに。
この時見たの姿は、何故かシュウの心に特別くっきりと焼き付いた。
あれから10年以上過ぎた今でもなお、忘れられぬ程に。