「そこに居たか、女。」
「これ、あなた達がやったのね!!」
は銃口を男達に突きつけた。
「そうだと言えば?どうするつもりだ?」
「私の大事なものをこんなにして・・・、許さない!!」
「ほう、勇ましい事だな。」
鬼気迫る表情のに全く動じる事なく、カシムは悠々と歩を進めた。
一歩、また一歩と、との距離が縮まっていく。
「来ないで!!近付いたら撃つわよ!!」
「やれるものならやってみろ。」
銃を構え直す音を聞いても、カシムは依然としてせせら笑うだけであった。
あまつさえ、両手を広げて無抵抗を装っている。
だが、それはほんの一瞬の事だった。
「きゃあッッ!!」
はっと気付いた時には、カシムはもうすぐ目の前に居た。
カシムにとっては、何の心得もない女の懐に入る事ぐらい朝飯前であるのだが、は一瞬にして恐怖に支配されてしまった。
そうなると後は決まっている。
いとも簡単に銃を奪われ、瞬く間に丸腰にされるのみであった。
「いやぁッ!!」
武器を奪われたは、咄嗟にカシムを突き飛ばし、納屋へと駆け込んだ。
そんな所に隠れたところで、いや、隠れたが最後、決定的な危機に陥るというのに、完全なパニック状態になったにはもう冷静な思考など残ってはいなかった。
「こ、これは!!」
の家宅内の様子を見たシュウは、余りの荒れ果てぶりに愕然とした。
町から全力で駆けつけて来たのだが、どうやら遅かったらしい。
だが、室内に誰も居ない事が、シュウにとって一縷の望みとなった。
は逃げたに違いない。
そしてうまくすれば、まだすぐ近くに居るかも知れない。
「・・・・・!」
まだ間に合う、シュウは己にそう言い聞かせながら、室内を飛び出して行った。
「あうッ・・・・・!」
「随分と面白い真似をしてくれたな。」
頬を押さえて倒れ込むに、男は冷酷な笑みを見せながら近付いた。
納屋に逃げ込んだを追い詰める事など、カシムにとっては容易い事だった。
追いかけて納屋に入り、壁際で震えているを思いきり平手で打ったのだ。
女など、これですぐに脆く崩れ落ちる。
カシムのそのセオリーは、にもぴたりと当て嵌まっていた。
「威勢の良さは認めてやるが・・・・、所詮は女だな。泣く程痛いか?ん?」
「誰が・・・・・!」
自然と零れてくる涙を拭い、はカシムを睨み付けた。
だが、それ以上は何も出来ない。身体が動かないのだ。
竦んで座り込むしか出来ないを、カシムは気味悪くさえ感じる緩やかな動作で床に横たえた。
「すぐに殺してやろうかと思ったが・・・・、気が変わった。」
「な、何を・・・・・」
「せめてもの冥土の土産だ。今生最後の『男』を味わわせてやる。」
言葉もなく目を見開くに、カシムはこの上なく愉快そうな笑みを浮かべた。
を畑諸共始末しろというエリザの命令は、もう半ば以上遂行したようなものだ。
シュウの車で都から全速力で戻り、馴染みの町のゴロツキ共を使って畑も家も荒らした。
あとはさえ殺してしまえば、悪漢共の愉快的犯行だと思わせられるだろう。
犯された痕跡が残れば尚更だ。
それにしても、どうせ本人を殺すというのに、畑を荒らす事にどれ程の意味があるのかは正直理解出来ない。
だがエリザは恐らく、畑をシュウとの想いの結晶だとでも思っているのだろう。
下らぬ女の嫉妬とプライドという奴だ。
尤も、そのせいでシュウに即座に悟られる事になっても、カシムは一向に構わなかった。
確たる証拠さえ残さなければ、命令した張本人のエリザやスザクがどうとでも誤魔化すだろう。
それより今は、この疼くような肉欲をどうにかしたい。
小生意気にも南斗の拳士である自分に一撃を入れた事への腹立ちと、恐怖に凍る顔が、劣情を煽り立ててやまないのだ。
この顔を、更に恐怖と苦痛と絶望に歪ませたい。
それには、あの何かと癪に障るシュウの女だ。
シュウはどんなにかこのを大事に扱い、優しく抱いた事であろうか。
その女を滅茶苦茶にしてやれると思っただけで、自分でも異様な程興奮してくる。
― なに、時間など幾らも必要ない。ほんの数分で終わる・・・・
女に快感を与える為の愛撫など、するつもりは全くない。
ただ男の本能的な欲求を満たすだけなのだから、5分もあれば事足りる。
「観念しろ、女・・・・・」
カシムは、掴み所のない表情をぎらぎらと欲情に滾らせ、のスカートの裾に手を差し入れた。
「いやぁ・・・・・!」
カシムの冷たい手がショーツの脇に掛かり、は絶望の嗚咽を漏らした。
事態は万事休す、だ。
「・・・・・チッ、もう来たか!」
だが、貞操と命の両方を諦めかけたその時、不意にカシムの手が止まった。
そして次の瞬間、外から待ち焦がれた声が聞こえてきたのだ。
「ーーー!!」
「シュウ・・・・!?」
名を呼ぶシュウの声に反応し、は挫けかけていた心を奮い立たせた。
そして、シュウの到来に一瞬怯んだ様子を見せたカシムの腕に思いきり噛み付き、震える足を励まして駆け出した。
「シュウーーー!!!」
「!!!」
転げそうになりながら納屋から飛び出して来たを見て、シュウは顔色を変えた。
遠目で詳しくは分からないが、相当酷い目に遭った事だけは確かだろう。
だが、急いで駆け寄ろうとしたシュウの前に、見るからに下衆な男達が立ちはだかってきた。
「何だぁ、テメェ!?」
「貴様らこそ何者だ!!そこを退け!!」
「何だと〜!?これが目に入らねぇのか!」
「やっちまえ!!」
男達はが落とした銃を手に入れ、鬼に金棒だと言わんばかりの勝ち誇った表情を浮かべていた。
そしてあろう事か、それを構えてシュウに踊りかかってきた。
銃などシュウの前では全く何の役にも立たぬ事など、知りもしないで。
「退けと言うのだ!!」
「うぎゃべ〜〜ッ!!!」
「へぶっっ!!!」
「いぎゃっ!!」
怒りと焦りに駆られているシュウは、男達を一瞬の内に蹴り倒した。
不規則に並び向かってくる者達を一網打尽に薙ぎ倒すその恐るべき脚は、シュウが南斗白鷺拳伝承者である事の何よりの証であった。
殺さない程度には力を弱めたものの、男達はなす術もなく土に這い蹲り、悶絶してしまった。
その様に、は一瞬何もかも忘れて目を見張った。
それ程までに圧倒的な強さであった。
これがあのいつも穏やかな微笑を湛えた、暴力性の欠片もないシュウなのであろうか。
初めて見る南斗白鷺拳伝承者のシュウは、の知っているシュウとはまるで別人であった。
「、大丈夫か!!」
「シュウ・・・・・!」
ようやくを腕に抱きとめる事が叶い、シュウは心から安堵した。
不安の種は色々あるが、とにかくが無事であった事が何より嬉しかったのだ。
「おのれ・・・・、ぬかったわ・・・・!」
従って、騒ぎに乗じてひとまず身を引いたカシムの存在にも、今の時点で気付く事は出来なかった。
安堵の余り、声を上げて泣くを腕に抱きかかえ、シュウは取り敢えず母屋に戻った。
中は酷く荒れていたが、ざっくりと片せば今夜のところはどうにかなりそうだった。
「とにかく傷の手当てをしよう。道具は何処だ?」
「そこの・・・・棚に。」
「これか?ああ、あった。」
シュウは薬箱を傍らに置き、と向かい合って座った。
まず、手や足の擦り傷に軟膏を塗布し、次に一番酷そうに見える顔の傷を診る。
「酷いな・・・・、痛かっただろう?」
「ん・・・・、ちょっとね。」
は気丈に笑ってみせたつもりであろうが、その笑顔は酷く衰弱している。
それに、痛みもちょっとどころではない筈だ。
幸い歯は折れていないようだが、唇を酷く切ったらしく、口の端が痛々しく腫れている。
相当強く殴られた証拠だ。
乾いた血をガーゼで拭き取ってやりながら、シュウはまるで自身に深手を負ったように顔を顰めた。
「シュウ・・・・」
「何だ?」
「ありがとう・・・・」
「・・・・礼など・・・・」
礼を言われるような事ではないのに、は腫れた頬を薄く綻ばせて微笑んだ。
をこんな目に遭わせた事への自責の念や、どうしようもない程溢れてくる愛しさに、思わず涙が出そうになる。
シュウはそれを隠すように何度か瞬きをして、冷たい水で絞った布をの口元に当ててやった。
「っ・・・・!」
「滲みるか?」
「大丈夫・・・・、平気よ。自分でやるわ。」
はシュウから布を受け取って、自分で患部を冷やし始めた。
シュウは小さく笑い、荒らされた部屋を片付け始めた。
床には色んな物が散乱し、先程までの修羅場が容易に想像出来る。
眉を顰めてそれらを片していると、床に見慣れない大量の糸くずを見つけた。
「、これは?」
「ああ、それ・・・・・。シュウへのプレゼントのつもりで編んでたんだけど・・・・、そんなになっちゃもう駄目ね。ごめんね。」
「いや、良いんだ。気持ちだけで私は充分嬉しい。」
それは本心だった。
物より何より、その気持ちがシュウにとってはこの上なく嬉しい事だったのだ。
「私こそ、早く帰りたい一心で君への土産を失念していて。済まないな。」
土産を買い損ねた本当の理由は話せなかった。
今はこれ以上下手に怖がらせても、良い事など何もないからである。
幸いはそれを信じてくれたらしく、小さく声を上げて笑った。
「良いのよ。気持ちだけで充分だし、こうして帰って来てくれた事が一番のお土産なんだから。」
「済まない・・・・・。さあ、着替えてもう寝た方が良い。私がずっとついているから。」
「うん・・・・、ねえシュウ、エリザさんとの事は上手くいった?」
「ああ。きちんと話を通して破棄してきた。心配を掛けたな。」
「ううん・・・・。良かったわ、シュウの気持ち、ちゃんと分かって貰えたのね。」
本当は、『ちゃんと分かって』貰えてなどいないのだが。
ひとまず婚約破棄こそ認めたものの、連中は何をするか分からない。
そもそも今しがたの騒ぎも、どうもきな臭さを感じて仕方がないのだ。
だがシュウは、そんな心中の不安をに感じさせぬように微笑んで頷いた。
「ああ・・・・・。さあ、もう休むんだ。行こう。」
「ふふっ、一人で平気よ。子供じゃあるまいし。」
「そうか・・・・」
「おやすみなさい。」
「おやすみ。」
些か心もとない足取りで寝室に向かうを見送って、シュウは険しい表情を浮かべた。
「やはり怪しい・・・。あの連中は只のゴロツキのようだが・・・・」
先程蹴散らした男達は、気絶させたまま縛り上げて納屋に押し込めておいた。
身のこなしが全くの素人であった事から、奴らは南斗の者ではなく、そこらの小悪党であろうと踏んだのだが、この件はその連中の悪行であったと判断するには余りにも単純に思える。
そんな事を考えながら室内の片付けをしていると、深緑の毛糸に混じる白い布を見つけた。
「これは・・・・・」
摘み上げてよく見てみれば、それは見覚えのある生地と酷似していた。
南斗の拳士が日頃拳に巻いているバンテージのものと。
確かに、白い布などそこらにいくらでもある。
だが、これ程色も質感も似ている生地が偶然ここにあるものだろうか。
「締め上げて吐かせるか・・・・」
きっとこの件は不運な事故ではない。
スザクが講じた何らかの策である、シュウにはそう思えてならなかった。
それにはまず、捕まえた連中の背後を洗わねばなるまい。
シュウは眠ったであろうを起こさぬように、そっと家を出て行った。