秋桜の記憶 15




― まだ何事もなければ良いが・・・・

シュウは今、の元に戻っている最中だった。

本当なら、あのやり取りの後すぐさま都を離れるつもりだったのだ。
だが実際のところ、シュウにはそれが不可能だった。

「車さえ盗まれていなければ、今頃は・・・・」

拳を握ったシュウの手に力が篭る。
思い出すのも忌々しい。

そう、あれは昨日の事だった・・・・・



スザクの屋敷から宿に戻ったシュウは、慌しく帰り支度を整え、宿を引き払った。
そこまでは良かったのだが、宿の者に頼んで停めさせて貰っていた車が、忽然と消えていたのだ。
宿の主はその犯人をそこらのゴロツキだと推測し、自分の管理不足だと何度も詫びてきたが、シュウにはそう思えなかった。

何故なら、この宿にはもう10日程も滞在していたのだ。
当然車もずっと停めていた。
不届きな輩の仕業とすれば、もっと前に事に及んでいそうなものなのに、何故今この時点で盗まれるというのか。
余りにもタイミングが良すぎるではないか。

しかしシュウには、その疑念を確信に変えている暇はなかった。
ましてや、平伏して謝罪する宿の主を責めて何になるというのか。
シュウは賠償を求めるつもりなどない事を彼に言い渡し、すぐさまそこを飛び出した。



そして今、シュウは乗り合いの大型車両に乗り込んでいた。
都から幾つかの町を経由しては停留する為、どうしても時間が掛かってしまうが、それは仕方のない事だった。
これに乗っていれば、あと1〜2時間後には南斗の道場近くの、あの町に辿り着く。
しかし、いくら頭では分かっていても、『あのまま順調に帰れていたら』と虚しい想像をせずにはいられない。
そうすれば、今頃はとうにの家に着いている頃なのに、と。

それ程シュウは焦っていた。
早くの無事を確認したい一心が、シュウをそうさせているのである。
に都土産の一つをも買う事すら叶わなかったが、事態はそんな呑気な状況ではないのだ。





「さむ・・・・・」

物心がついた頃からある古いストーブに火をくべ、は手を擦り合わせた。

シュウが旅立ってからのほんの僅かの間に、この一帯はみるみる冬景色になりつつあった。
木々の葉が散り、枝が枯れ、野も山も色を日々失っている。

「この分だと、近々雪でも降るかしらね・・・・」

朝晩の凍るような寒さは、そんな予感をに感じさせていた。

さらさらと降りしきる雪を、火を焚いた暖かい部屋からシュウと二人で眺めたい。
その雪はこの山里をあっという間に覆いつくし、瞬く間に白銀の世界に変えてしまうだろう。
亡き父と自分と、そしてシュウの思い出が詰まった花畑も、全て。

だが、その雪はまたやがて解ける。
野山には再び緑が蘇り、畑には冬の間ひっそりと咲いた花と入れ替わりに、華やかな春の花達が眩しい太陽を求めて顔を出す。
その喜びを、シュウと共に分かち合いたい。
願わくば、何度同じ季節が巡り過ぎていってもずっと。


「寒いなぁ・・・・」

寒い一人の夜にも関わらず、は満ち足りた穏やかな気分だった。

一日の仕事を終え、眠るまでの僅かな余暇に、は間もなく帰って来るシュウに贈るマフラーを編み始めていた。
温もりを感じさせる渋い緑の糸を選んだのは、シュウの温かな人柄に相応しいと思ったからである。
せっせと編み進めたお陰で、それはもうすぐ完成しそうな長さになっていた。

「シュウ、風邪ひいてないかしら・・・・」

またこうして誰かを、愛する人を気遣う事が出来る幸せに、は一人浸っていた。





音が聞こえたのはそれから間もなく後だった。

「・・・・・何?」

玄関の方から、何やら音が聞こえる。
人の足音らしき音が。

「シュウ・・・・・?」

そうだ、きっとシュウだ。
彼以外に、こんな夜更けに我が家を訪ねてくる者など居ないのだから。

は編みかけのマフラーを慌しくテーブルに置き、足音も軽やかに玄関へ走って行った。


だが。



「な・・・・・!?」

扉を開けた途端、それまでの満面の笑みは消え失せた。
そこに立っていたのはシュウではなく、蛇のような目をした男だったからだ。
その薄気味の悪い笑みに本能的な恐怖を覚えたは、咄嗟に扉を閉めようとした。
しかしそれは男の足で阻まれ、叶わなかった。

「何なのあなた!入って来ないで!」

拒絶するをものともせず、男はいとも簡単に侵入を果たした。
続いて手下らしき連中が4〜5人程、ぞろぞろと入って来る。
恐怖に凍りついたは、ただひたすら奥へ逃げる事しか出来なかった。

それが余計に自分を追い詰める事になると分かっていても。





「出て行って!!来ないで!!」

薄笑いを浮かべて近付いて来る連中に、は手当たり次第に物を投げて抵抗した。
しかし、その蛇の目をした男は、見た目の通り逃げ惑う獲物の様子を伺う蛇のように全く動じない。

「何が目的!?お金なら無いわよ!!早く出て行って!!」

震える声で怒鳴りつけるに、その男、カシムはようやく口を開いた。
完成間近のマフラーを手に取りながら。

「男への贈り物か。健気な事だな。」
「き、汚い手で触らないで!!」
「口の利き方には気をつけろ、女。」

カシムは益々気味の悪い笑みを浮かべたかと思うと、唐突にそのマフラーを引き裂いた。
シュウに比べると明らかに見劣りのする体格の割に、恐ろしい腕力を持っていたようだ。
あっという間にズタズタにされたマフラーは、なす術もなく立ち尽くすの前で只の糸くずと化してしまった。

「酷い・・・・、何て事を!!」
「良い顔だ。女の絶望する顔には堪らない色気がある。」
「この・・・・、変態!!」

舐めるような目線を向けられたは、身の毛を逆立てながらそう吐き捨てた。
だが、それはカシムを益々悦ばせただけに終わった。

「ふふふふ、これからもっと絶望を味わわせてやる。おい、やれ。」

命令を受けた手下達は、心得たと言わんばかりに一斉に室内を荒らし始めた。
テーブルをひっくり返し、棚の引き出しなどを次々に床へ投げ捨てていく。

「やめて!!何するの、やめて!!!」

の悲痛な叫びだけが、虚しく室内に響く。
必死で縋って止めさせようとするが、の体当たりなど、連中にとっては全く意味のないものらしい。
連中は何の障害もないかのように、その狼藉を続けるだけであった。

「何でこんな事するの!?一体何が目的なの!!」

震える声を励まして、はせせら笑う蛇に詰問した。
その後すぐさま、聞かなければ良かったと思う事になるとも知らないで。

「目的か・・・・・?」

ニタリと笑ったカシムは、一歩一歩ゆっくりとに近付いて来る。

「こ、来ないで・・・・」

じりじりと後退するも、カシムはいよいよ獲物に狙いを定めた蛇の如くに近付く。
そしてその緩慢な動きは、一瞬にして鋭いものへと変わった。




「きゃあッ!!」

気が付けば、は床に押し倒され、カシムに首を絞められていた。

「や、めて・・・・!!!」
「やめてやるさ、お前が死ねばな。」
「なっ・・・・!!」

カシムのその言葉は、を恐怖のどん底に叩き落した。
金品目的ならばまだ助かる道もあるが、命が目的ならば助かる可能性など無いに等しいではないか。

「ぐっ・・・・、何、故・・・・?私が・・・・何を・・・・」
「さてなあ。運が悪かったと思って諦めるんだな。」
「そ・・・んな・・・・!」

そんな馬鹿な話があるものか、その一念では全身の力を振り絞って抵抗した。
首を絞めるカシムの腕を掴み、必死で引き剥がそうともがく。
自己防衛本能から湧く力は凄まじく、はカシムの腕に巻かれていたバンテージを引き千切った。

だが、の腕力ではそこが限界だった。
カシムの腕は少しも怯む事なく、首を締め潰さん勢いで益々力を強めてくる。

「往生際の悪い女だ。いい加減に観念して死ね。」
「い、やぁ・・・・・!!」
「うっ・・・・!」

しかし、運はに向いてきた。
夢中で振り上げた膝が、男の局部を蹴り上げたのだ。
いかに力が強かろうとこれにはどうしようもないらしく、カシムは顔を歪めての首から完全に手を離した。

ここを逃すと、もうチャンスはない。

は咳き込みながらカシムの身体の下から這い出ると、厚い木の扉がついた棚を開け、中から一丁のライフルを取り出した。


「来ないで!!近付くと撃つわよ!!」

銃は亡き父が昔使っていた物だったが、は射撃の練習程度にしか触った事がない。
だが今のには、この上ない御守りであった。
少なくとも部屋を荒らしていた連中は、その銃口を向けられただけで怯えている。


「動かないで、撃つわよ・・・・!」

真冬だというのに、額や背中から冷たい汗が流れる。

― 父さん、母さん・・・・!

チャンスは一瞬しかない。
捕まれば、今度こそ確実に殺されるだろう。

は銃口を連中に向けたまま、じりじりと2・3歩後退した。
男達はまだ身体が動かないらしく、その場で硬直している。


― シュウ・・・・!!

父に、母に、そしてシュウに祈り、は一気に戸外へと駆け出した。





「はぁ、はぁ・・・・!」

は、足に任せて走りに走った。

何処へ駆け込めば良いのか、この混乱した頭では最良の策が思いつかない。
この近辺は民家もまばらな為、隣家とは距離がある。
同じく町とも。

― どうしよう、何処へ・・・・・!

立ち止まって考え込む暇はない。
男達が後ろから追ってきているのが分かる。
しかし、恐怖に乗っ取られて頭が働かない状況になると、身体が反射で動くようだ。
の足は、自然と畑へ向かっていた。



「なっ・・・・!!」

だが畑に着いた瞬間、は余りの光景に足を止めてしまった。
夕刻まではきちんと整っていた筈なのに、今は見るも無残に荒らされているではないか。

数少ないこの季節の花は全て根こそぎ乱暴に引き抜かれ、ゴミクズのように投げ捨てられている。
最近咲き始めたばかりの寒牡丹も、今この時期を盛りとするポインセチアも。
おまけに土まで掘り返され、春に花を開かせる筈の球根まで露出している。

いや、それだけではない。
無残に晒された植物達は、更に酷い仕打ちを受けていた。
美しく咲き綻んでいた花や葉も、花開く日を夢見て眠っていた球根も、皆踏み潰されていたのだ。

「酷い・・・・・!」

その一つ一つを育てる為に、日々どれだけの努力をしてきたか。
この畑に父母、自分、そしてシュウの労力と思い出が、どれ程宿っているか。

「許せない・・・・・!!」

その怒りは恐怖を超え、をその場に押し留まらせた。
は銃を構え、男達を迎え撃つ姿勢を取ったのだ。


それがどれ程危険な事かという一般論など、怒りに満ちたには何の歯止めにもならなかった。




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後書き

暫くぶりの更新でした。
にも関わらず、シュウとヒロインの絡みがなくて済みません(汗)!
前回あんな方向にもって行っている以上、やはりやっておかねばと(笑)。
という訳で、ヒロインピンチの巻でした〜。