あれから幾日も過ぎた。
しかしシュウはまだ、目的を遂げられずにいた。
都にはとっくに着いている。
だが、エリザの父に未だ目通りが叶わないのだ。
日に何度足を運んでみても、居ないだの取り込み中だのの一点張りで会えない。
そのあからさまな拒絶は、シュウの心に次第に怒りをすら沸き上がらせていた。
「お待ち下さい、シュウ殿!」
「離せ!スザク殿に話がある!!」
「スザク様は只今お取り込み中で・・・!」
「その嘘はもう聞き飽きた!今日こそは何が何でも目通り願う!!」
おたおたと行く手を阻もうとする執事を振り解き、シュウはエリザの父・スザクの私室のドアを開けた。
「きゃ・・・・」
勢い良くドアが開かれる音に驚いた女が、半裸の身体を隠してそそくさとソファから下りる。
女と共にソファに寝そべっていたのは、言うまでもなくこの屋敷の主であった。
見苦しい所を見られたにも関わらず、その表情には何の焦りも悪びれもない。
「スザク殿・・・・、これは一体どういう事ですか?」
「おお、シュウか。来ているとは聞いていたが、都まではるばる何用だ?」
用件など承知している筈なのに、この飄々とした言い草。
明らかに軽んじられている。
シュウはこみ上げる憤りを必死で堪えて、低く呟いた。
「エリザ殿との事です。何度も手紙でお伝えした筈です。それに、貴方の執事にも毎日言伝を頼んでいます。」
「ああ、そうだったかな。分かった、わざわざ出向いて来たのだ。話を聞こう。」
「その前に人払いを。そこの女性に同席願う必要はありませんので。」
そう言って、シュウはちらりと女を見た。
シュウと目が合ったその女は、面白くなさそうな顔をして服を着込みながら出て行った。
ようやく邪魔者が去ったところで、シュウは口を開いた。
「私が参ったのは他でもない。エリザ殿との婚約の事です。」
「ほう。」
スザクは気のない返事をすると、サイドボードからブランデーを取り出した。
「お前も飲むか?」
「結構。それより私の話をお聞き下さい。あれはなかった事にして頂きたいのです。」
「あれは何と言っているのだ?」
「有り体に申します。彼女には何を言っても通じません。だからこそ、こうしてスザク殿に直接話を・・・」
「しかしこういう事は本人の気持ちが物を言う。あれはあれなりに、お前を好いているようだが。」
「しかしながら、私にはそうは思えません。」
「ははは、それはお前の思い違いだ。あれは気の強い娘だからそう見えるだけであろう。」
シュウの言い分を、スザクはまるで深刻に受け止めない。
飄々と笑い、グラスを傾けている。
「のうシュウ、分かってくれ。儂も人の親だ。可愛い娘の気持ちを優先してやりたい。そのような願い、儂の一存で聞き届ける事は出来んのだ。」
尤もらしく話すスザクに、シュウは内心呆れていた。
そんなものは嘘だ。
エリザが魅力に感じているのは、この拳の才能と、それに対する周囲の評価。
そしてこのスザクもそう。
この拳に己が邪な野望を掛け、あわよくば宗家を手中に収めようとしているだけなのだ。
「スザク殿。私は貴方の野望を叶える事など出来ませんぞ。」
「野望とはまた随分な。儂はただあれの幸せを願うておるだけだぞ。」
「ほう、私が何も気付いていないとでも?貴方の考えなど、私はとうに気付いている。この私の身をもって、宗家を実質的に牛耳ろうとしておられるのだろう。」
それを告げた途端、スザクの笑みに一瞬不穏な色が混じったのを、シュウは見逃さなかった。
「宗家の嫡子は二人。だが嫡男は、残念ながら世継ぎとしての見込みはない。もう一人は幼い息女。他には庶子の男児が一人居るだけ。しかしその男児に南斗宗家の継承権はない。」
「・・・・・・」
「嫡男が継げぬとなると、いずれ南斗宗家はその息女のもの。しかし女の身では何の力もない。後ろ盾になる者が必要だ。」
「・・・・何が言いたい?」
「貴方は宗家と縁続きだ。その貴方の娘、いや、娘婿をその後ろ盾とし、宗家を支配する。それが貴方の野望であろう。」
そこまで言い切ってもなお、スザクは飄々と笑うのみであった。
「ほほう。そこまで言いおるか。それは相当の覚悟あっての事であろうな?」
「無論。」
「なるほど。良く分かった。」
確固たる意思をもって肯定するシュウに、スザクは抑揚の無い声で言い放った。
「美しい女を娶り、地位も名誉も権力も手に入れる。普通なら誰しもが望む事であろうが・・・・。それよりも余程大事と見えるな、その女が。」
「・・・・・!」
「今更隠さずとも良かろう。エリザから聞いておる。何でも恋仲の女が居るそうではないか、ん?」
の事が筒抜けになっていた事に、シュウは焦燥感を覚えた。
まさか今頃、何らかの卑劣な行為に及んでいるのではなかろうか。
今度は先日のような小手先の小細工ではない、もっと恐ろしい何かに。
「そのような取るに足らん小娘一人の為に、輝かしい未来を捨てると申すか?」
だが、今更は関係ないと言い張ったところで、通用する筈もない。
手を出さないでくれと願い、無理矢理口約束を交わさせても無駄な事だ。
そんな事をするよりも、一刻も早くの元に戻り、己自身の手で守ってやらねば。
「・・・・私にとって彼女は、地位より名誉より権力より、価値のあるものです。」
「・・・・言うたな、シュウよ。良かろう。お前の願い通り、エリザとの婚約は白紙に戻してやる。だがその言葉、努々後悔するでないぞ。」
「元よりそのつもりです。貴方こそくれぐれもお忘れ召さるな。もしも彼女に何かするつもりなら、いかに貴方とて容赦はいたしませんぞ。」
きっぱりとそう告げると、シュウは踵を返して部屋を出て行った。
だがその暫く後、再びドアは開かれた。
「お父様!」
「どうしたエリザ?今日は観劇に出掛けるのではなかったのか?」
激昂した娘とは正反対に、スザクは何事もなかったかのようにグラスを傾け続けている。
「それどころじゃありませんわ!何故あのような事をお許しになったの!?」
「シュウ自身があれ程言うのだ。仕方あるまい。」
「酷いわ!私の屈辱を晴らして下さると仰ったじゃないの!?」
「分かっておる。そう騒ぐな。」
「だったら・・・!」
屈辱に耐えかねてヒステリーを起こすエリザの髪を撫でながら、スザクはわざとゆっくりとした口調で話しかけた。
まるで不機嫌な幼子をあやすように。
「お前の気持ちはこの父が一番良く分かっておる。お前程優れた女を無下にするなど許されん事だ。そして、この儂に楯突く事もな。」
「その通りよ、お父様!私達をコケにする事など許さないわ!」
「その女、・・・とかいったな?シュウはその女が余程大事らしい。だがそれを失えば・・・・、どうなろう?」
「お父様・・・・・」
父の意向が自分にとって好ましいものである事を悟ったエリザは、歓喜の笑みを浮かべた。
「ね、私に任せて下さるわね?」
「良いだろう。但し巧くやれ。お前はもう暫くここに留まるが良い。分かったな?」
「はい!ああ、ぞくぞくするわ!やっとこの屈辱が晴らせるのね!お父様、やっぱりエリザはお父様が一番好きですわ!」
「可愛い事を言う。さあ、折角戻って来たのだ。都の空気を存分に味わって来い。」
「ええ!あんな片田舎の暮らしには、もう飽き飽きしていたところですもの!」
頬に口付けて軽やかな足取りで出て行く娘を見送って、スザクは不敵な笑みを浮かべた。
「あと二日かぁ・・・・・」
暦を見ながら、は小さく溜息をついた。
シュウが帰ってくると言った、約束の二週間まであと二日だ。
「ちゃんと話は出来たのかしら・・・・」
シュウが目的を果たせたのかどうか、それがいつも気になる。
だがシュウの事だ。
きっと目的を果たして、良い報告を聞かせてくれる筈。
「早く帰って来て、シュウ・・・」
ぴったりと閉まっている玄関ドアを見つめて、は呟いた。
このドアの向こうに、大好きなあの笑顔が現れる日を待ち侘びて。
だが、は気付いていなかった。
この扉の向こうには、既に人の気配がある事を。
そしてその気配は、愛する者の纏うあの温かなものではない事を。