秋桜の記憶 13




温かな何かが身体を包んでいる。
夢現のうちに薄らと瞼を開けてみれば、シュウの逞しい胸板が視界に飛び込んできた。

― そうだ、昨夜シュウと・・・・

まだ覚醒しきっていない頭に、昨夜の事が次第に蘇ってくる。
あれは夢ではなかった。
その証拠に、優しく抱き締めてくれる腕の温もりを感じる。
そして。

「起きたか、。」
「シュウ・・・・・」

低く穏やかな声が聞こえてくる。
その声がする方に目を向けると、そこにはシュウのあの笑顔があった。

「・・・・おはよう。」
「おはよう。」

何となく擽ったくて、シュウとは、はにかんだ笑顔を向け合った。

「いつから起きてたの?」
「ついさっきだ。余りにも気持ち良くて、ついうっかり寝過ごしてしまった。君もよく眠っていたな。」
「もしかして、私の寝顔見た?」
「ああ。」
「ひどい・・・・」

いつの間にか月とすり替わっていた太陽の光が、上掛けに隠れている二人の裸体を赤裸々に晒しているようだ。
そんな錯覚が恥ずかしくて、照れ隠しで唇を尖らせた。
だが、シュウは益々優しく微笑んだだけだった。

「はは、そう怒らなくても良いだろう。見ていたかったんだ。」
「だって・・・」
「夢じゃなくて良かった。」

大きな手で寝乱れたの髪を梳りながら、シュウはぽつりと呟いた。
その言葉に、は黙り込んだ。
自分と同じ事を思っていてくれたからだ。


「私も・・・・、そう思う・・・」

何故だろう。
シュウの笑顔に包まれていると、素直な気持ちになれる。
は心地良さそうに瞳を閉じて、シュウの胸にそっと顔を埋めた。





甘やかな空間にずっと漂っていたいのは山々であったが、それから間もなくして二人はベッドから起き上がった。
身支度を整え、窓を開け放つと、昨夜の事が風に乗って飛んで行くような気がする。
だが、二人は明らかに、昨日までの二人ではなかった。

互いに互いの気持ちを知っている。
愛を交し合った事実は、たとえ何度日が昇っても沈んでも、決して消える事はない。
その自信と相手への信頼が、二人の間に確実に芽生えていた。

だからもはや、何の恐れも必要なかった。




、話がある。」
「・・・・うん。」

軽い食事の後、シュウは改めて話を切り出した。
それが昨日話しかけていた事だと即座に感付いたは、姿勢を正して椅子に掛け直した。

「あの時の事、エリザが君にした事を、もう一度詫びたい。済まなかった。」
「・・・・もう良いのよ。済んだ事だわ。それより私の方こそ・・・」
「いや、あれは尤もだ。ああ言われても仕方がなかった。私は君に何も告げなかったのだから。」

白鷺拳の伝承者である事も、エリザとの事も、全て彼女の口から言われてしまっている。
シュウはどうしても、それらの事を自分の口でに伝え直したかった。

「私は南斗白鷺拳の伝承者だ。それを告げなかったのは、私にはその立場に拘りがないからだ。」
「うん・・・・」
「伝承者としての責任は重い。それには勿論拘りがある。だが、それを人にひけらかすという意味では皆無だったのだ。」

以前にも告げた理由を、シュウは更に細かく話した。
そしてそれは、にとって十分納得のいく理由であった。
シュウの人柄を思えば、当然のものだったからだ。



自然な表情で頷くに安堵して、シュウは次にエリザとの事を話し始めた。

「彼女とは、一方的に取り決められた『婚約』で結び付いていた。だが私は彼女の気性がどうしても受け入れられなかった。」
「でもあの人は・・・・、貴方が好きなんじゃないの?」
「彼女にとって魅力なのは、私の拳に対する周囲の評価だ。それは私自身が一番身に染みて分かっている。」
「そう・・・・」

ごく平凡な家庭で育ったにとっては、宗家だの何だのという複雑なしがらみは正直不可解なものだったが、きっと想像以上に人を捕らえるものなのだろう。
あの日、彼女が自分に言い放った内容を思い返せば、それが容易に窺い知れる。

「だから、私はずっと彼女を拒んできた。そのうち彼女の方から去っていくだろうと考えて。ところが・・・」
「あの人には通じなかった・・・・のね?」
「そうだ。出来る事なら不用意に彼女を傷つけずに済ませたいと思っていたが、その考えは裏目に出てしまった。私の取った行動は、彼女の自尊心を刺激したばかりで、とうとう君にまでその矛先を向けさせてしまったんだ・・・・」

再び『済まなかった』と詫びるシュウの顔には、自責の念がありありと浮かんでいた。

「もう良いのよ、シュウ・・・・。もう私・・・」
「いや。やはり全ては私の責任だ。もっと早くに正しい行動を起こすべきだった。」
「正しい行動?」

それが何なのか分からず、は訝しげに首を傾げた。
シュウはそんなの手を取って、はっきりと告げた。

、私は近々、少しの間ここを離れる。」
「え・・・・?どうして・・・・?」
「都にいる彼女の父君に直接会って、婚約を解消してくる。」
「シュウ・・・・」

反対など出来る筈もないし、する理由もない。
はシュウの手を握り返し、柔らかな微笑を浮かべた。

「行って来て。シュウが帰ってくるのを、私待ってるから。」
「・・・・有難う。だが君は・・・」
「私ならもう平気。何日でも何週間でも待っていられるわ。」

もう寂しくはない。
シュウと想いを通じ合ったのだから。
一人だなどとは、もう思わない。

「私の事は気にしないで。貴方も私も、それぞれのするべき事をしなくちゃ。でしょ?」
「・・・・ふっ、そうだな。」

の微笑に、逆に勇気付けられる気がする。
シュウは改めて、の存在の大きさを再確認した。
この関係をより揺ぎ無いものにする為にも、必ず責任を果たして帰らねばならないと、シュウは固く心に誓った。





小春日和のほの暖かい日差しの中、はシュウを見送った。
早速の旅立ちを勧めたのは、他ならぬ自分であった。

― 数日か、遅くても二週間程で戻る。

出掛けにシュウが告げた期日を暦に記して、はふ、と軽い溜息をついた。

家の中には、まだシュウの気配がそこかしこに残っている。
テーブルの上にある二つのカップや、シュウに貸したタオル、そして、昨夜抱き合って眠ったベッドのシーツに残る、二人分の皺などに。

それらはほんの少しだけ、寂しさと切なさを誘う。
だがそれは、甘い甘い感傷だった。
一時の別れは、次に会う日への期待を大きくさせる。


「さてと、私も頑張らなくちゃ!ね、父さん・・・・」

写真の父に微笑みかけ、は以前のような軽い足取りで畑へと出掛けて行った。
開け放たれたままの窓から吹き込む風が擽る花瓶の秋桜と、娘を見守る父の笑顔が、の背中を微笑んで見送っていた。




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後書き

アディオス、シュウ!の巻でした。(←何)
ひとまずシュウとヒロインの決着はついたのですが・・・・

うふふふ、うひひひ。(怪)

まだまだイジり回しましょうか・・・・ね。