秋桜の記憶 11




町での行商が済み、はまっすぐに家へと戻った。
もう既に日は暮れて、辺りには夜の闇が立ち込め始めている。

「ただいま〜!ごめんね、遅くなっちゃって!すぐご飯の支度するから!」

部屋に居る父に呼びかけながら、は慌しく家の中へ入った。
だが、返事がない。

「父さん?まだ寝てるの?父さん、起きて!ご飯食べなきゃ!」

床が敷いてある部屋を覗いてみると、父は出て行った時と同じくまだ寝ていた。

「もう・・・・。父さん、一旦起きてよ!ご飯食べて薬飲まなきゃ!ほら・・・」

呼びかけながら揺さぶるが、父はまだ目覚めない。

「父さん?」

様子がおかしい。
ここまでされて起きないなど、普段の父では考えられない。

「父さん・・・・?ねえってば・・・・、父さん!?」

そこでは気付いた。
父の身体が、冷たく強張っている事に。





― やはり行くしかあるまい。

最初の手紙を出してから、もう一月が経過していた。
二度目・三度目の手紙を出しても、依然返事は来ない。
これは故意に無視しているという、明らかな証拠であろうとシュウは考えていた。

そして決断したのだ。
都へ赴き、強引にでも話をつける事を。

もう既に支度は整っている。
いつでも出掛けられるのだが、その前にやっておきたい事があった。





いつの間にか冬に差し掛かろうとしている季節の、夕日は儚い。
さっき薄く色付いたばかりのオレンジが、もう今にも闇色に変わりそうな。
そんな空の下で、シュウは一人佇んでいた。


・・・・」

やっておきたい事とは、にもう一度会う事だった。
もう一度会って最初から事情を説明し、その上で今からしようとしている事を告げる事だったのだ。
勿論、が会ってくれるかどうかは分からないし、話を信じてくれるかどうかも分からない。

だがとにかく、と話がしたかった。




相変わらずひっそりとした玄関のドアを、シュウは遠慮がちに叩いた。
だが中からの返事はない。

「留守か?変だな・・・」

玄関に回る前に立ち寄って来たが、畑にの姿はなかった。
とすれば、はまだ町に行商へ出たままなのかもしれない。
だとしても、誰も居ないというのはおかしい。
の父親は、いつも家の中に居るのだから。

シュウはもう一度、先程より強めにドアを叩いた。
二度、三度と。
するとややあって、ようやくドアがゆっくりと開かれた。

「良かった。居たのか、。」
「シュウ・・・・・」

シュウを出迎えたの、表情は何とも妙であった。

あの時の事を引き摺っていれば、拒絶や狼狽、或いは怒り。
そんな表情を浮かべていそうなものなのに、実際はいずれも違ったのだ。
普通に見えるが何処か虚ろな、強いて言えば放心。
そんな様な顔をしていたのである。


「どうかしたのか?」
「・・・・何か用?」
「君にどうしてももう一度話しておきたかったんだ。あの時は済まなかった。だがどうか、私の話を・・・」

最後まで言わぬ内に、はふっと家の中に戻る素振りを見せた。
上がっても構わないと、そういう事なのだろうか。
しばし躊躇った後、シュウは無言のままのの後についてドアをくぐった。





、私は・・・・」

部屋に足を踏み入れつつ、背を向けたままのに話を切り出しかけたシュウは、途端にその場で凍りついた。

「これは・・・・!」

シュウはその場で、衝撃的な光景を目にした。

まだ新しい木の額縁に入った、の父親の写真と。
その横にそっと添えられている、花瓶に活けた一輪の白い秋桜を。

何の意味もなく、がこんな真似をする筈がない。
つまり、それの意味するところは。


、まさか・・・・!」
「綺麗でしょう?これ、今年最後の、咲き納めの秋桜なの。」
「いや、そんな事より・・・・」
「父が好きだったの、秋桜。せめて最後の一輪ぐらい父にあげたくて。私、何も出来なかったから・・・・」

背を向けたままのを見つめて、シュウは顔を曇らせた。

「いつ・・・、亡くなったんだ?」
「二週間前よ。突然呆気なく・・・・・。私、とうとう一人になっちゃった。」
「・・・・気の毒だったな。一人で・・・、全部?」

は父一人子一人だ。
葬儀や埋葬、その辺りの事を全て一人で手配し、こなしたのであろうか。
どうやらその予想は当たっていたらしく、は小さく頷いた。

「そうか・・・・。大変だっただろう。疲れていないか?」
「疲れなんて・・・・、何でもないわ。父の気持ちに比べたら、何でも・・・・」

の中で、何かが引っ掛かっているようだ。
それを消化させてやらねば。

シュウはそっとの肩を引き寄せた。
思った以上に身体が強張っている。
その過ぎた緊張を解し、胸の痞えを吐き出せるようにと、シュウは抱き寄せた細い肩を、大きな掌で包み込んだ。





「・・・・あの日、お昼まではいつも通りだったのよ。笑って、ご飯も食べてて・・・・」
「・・・・・」
「夜になって戻って来たら・・・、もう、冷たくなってた。」

視線を床に落としたまま、ぽつりぽつりと語るの声に、シュウはじっと耳を傾けていた。
抑揚のない、妙に淡々とした声に。

「私、変に慣れてたのかもしれない。」
「・・・どういう事だ?」
「ずっと患ってたから、父のそんな状態にすっかり慣れちゃって、変に気が大きくなってたのかもしれない。今更今日明日に死ぬ筈なんてないって。」
「・・・君の気持ちは・・・、良く分かる。」
「もしもの時はもっと大変な状態になってからだって、勝手に思い込んでて・・・」

その気持ちは良く分かる。
良くもならないが、急激に悪い変化を遂げる訳でもない。
そんな病状が長く続けば、それを受け止めねばならない者ならば誰でもそう思うだろう。

ずっとずっと落ち込んで気を張り詰めて、そんな風に人は生きられないのだから。

「でもまさか、こんなに突然に・・・・。結局私は、父に何もしてあげられなかった・・・・」
「そんな事はない。君はあんなに・・・」
「そうよ。あんなにずっと側に居たのに、結局肝心の最期を看取る事が出来なかったのよ・・・。」
・・・・・」
「私が高を括ってたせいで、父は一人で寂しく逝ったのかと思うと、やりきれない・・・」
、そんなに自分を責めては・・・」
「分かってる。過ぎた事を後悔してももう遅い事ぐらい。でも、ずっと頭から離れないのよ・・・」

親の死に目に会えなかった。
それを悔やみ、自分を責める気持ちはシュウにもよく分かった。



「私にも・・・・、覚えがある。」
「え・・・?」
「両親が亡くなった時、私はまだ一介の門下生だった。」

今ではもう殆ど思い返さない、けれど決して忘れない。
そんな過去の苦い経験を、シュウは初めて人に話した。

「報せが届いても、私は両親の元に駆けつける事を許されなかった。見事拳を極めるか、或いは破門されるか、そのどちらかしか、一度くぐった南斗の門を出る術はない。」
「そんな・・・・」
「私は断腸の思いで道場を動かなかった。破門覚悟で飛び出しても、私に望みをかけてくれた両親は喜ばない。そう自分に言い聞かせて。」
「そんな事が・・・・」

言い淀んだは、初めてシュウの顔を直視した。

「勿論、今の君のように、当時の私も自己嫌悪に陥った。只の親不孝に尤もらしい大義名分を宛がっただけじゃないか、と。だが今になって思う。親にとっては、死の恐怖よりも何よりも、自分の事で悩み苦しむ子の姿を見るのが一番辛いのだと。」
「・・・・・」
「私はそれを、他ならぬ君の御父上から見取ったのだ。」
「父から・・・・!?」
「そうだ。以前君の御父上に、もし自分に何かあったら君を頼むと頭を下げられた。」

シュウの脳裏に、あの日の彼の必死の形相が浮かんでいた。

「いつの間にそんな・・・」
「あの時の彼には、死自体への恐怖などなかったように思える。あるのは一人残る君への不安、それだけだった。」
「そんな・・・・」
「御父上は、君がそんな風に悩み苦しむ姿など見たくない筈だ。ただ笑って幸せに生きて欲しい、そう思っている筈じゃないか?」
「父さ・・・ん・・・・」

思い出す。

まだ幼かった頃の、父の大きな背中と優しい笑顔を。
母が亡くなった時、抱きしめてくれたあの腕の強さと温もりを。
病床から見せた、弱々しげな、でも精一杯の明るい笑顔を。

そして、あの日の最期の言葉を。

思い出が次々と蘇る度に、父が亡くなった夜に流し尽くしたと思っていた涙が溢れ出して止まらない。
拭っても拭っても、後から後から頬を伝う。


「っく、うっく・・・・、ひっ・・・・」
「堪えなくても良い。泣きたいだけ泣くんだ。」
「えっ、えっく・・・、父・・・さん、父さ・・・・ん・・・・!」


まるで子供のように泣きじゃくるを、シュウは胸にかき抱いた。




back   pre   next



後書き

自分で言うのも何ですが。
最っっ高に・・・・、暗い(爆)!!!
いやぁ、炸裂させてしまいました。
お決まりの、そしてクサクサの展開です(呆)。
ついでにまた勝手な南斗の掟を作ったりなんかして(笑)。
もうこんな路線なんだなと、諦めて頂ければ幸いかと(乾笑)。