秋桜の記憶 10




あの日以来、シュウはに会っていなかった。
いつも笑顔を見せてくれていたが、あれ程疑念と拒絶の色を表した事への動揺もさる事ながら、
エリザの心無い行動が直接の原因とはいえ、彼女を酷く傷つけてしまった事への自責の念が強かったのである。

そう。
誤解だの全てはエリザの仕業だの、それらは只の言い訳だ。
何よりもっと早く、きちんとけじめをつけなかった自分が悪いのだ。
もっと早く取るべき行動を取っていれば、は傷付かずに済んだ筈だ。

― 許してくれ、・・・・・

シュウは心の中でに詫びながら、一通の手紙を書き上げた。
それは、エリザの父親に宛てたものであった。

宗家と親交の深い彼は何かと多忙の身、突然訪ねたところで話など聞いて貰えない。
ましてその内容が、彼の愛娘との縁談を正式に辞退するという事であれば尚更だ。

シュウは慎重に言葉を選び、エリザとの婚約を破棄したいという事、理由を説明する為の訪問に対する許可を願う旨を書き記した。
そして何度も読み返した後、祈るような思いで封をした。
一日も早く、己が責任を果たせる日が来る事を。





ところが。

手紙を出して一週間、二週間と経っても、何の音沙汰もない。
シュウは一日一日を、苛立つような思いで過ごしていた。



鍛錬が終わり、休憩場で佇んでいると、背後から何者かの拳が飛んできた。
すんでのところでそれを避け、後ろを振り返ってみると。

「フン、気は張り詰めているくせに動きは鈍いな。」
「サウザー・・・・・。何の用だ?」
「最近の貴様の腑抜けぶりは見るに耐えん。他の連中のように、貴様も三下伝承者に成り下がったか。」

サウザーは軽蔑の眼差しをシュウに向けた。
南斗最強の戦士にて、並ぶ者のないとされる彼だが、シュウだけは唯一認めていた男なのだ。
その拳に乱れが生じている事が、サウザーは気に入らなかった。

「・・・・・済まん。お前の言う通り、今の私はとても伝承者と呼べる者ではない。」
「ほう。自覚はしていたか。大方の原因は察しがつくがな。どうせあの女の事であろう。」
「うむ・・・・・。実は先日、彼女の父親に正式に婚約を辞退する旨の手紙を書いた。」
「ほう?」

― シュウがあの女を好ましく思っていない事は前々から知っていたが、とうとう実行に移したか。

サウザーは探るような目付きで話を促した。

「しかし、いつまで待っても返事が来んのだ。」
「さもあろう。娘が女狐なら、父親は大狸といったところだからな。そう易々と貴様の願いなど聞き届けぬわ。」
「・・・・・その物言いは感心出来んが、お前もそう思うか。」
「フン。つくづく面倒な男だ。返答がなければ同意したものと見なして捨て置けば良かろう。」
「そうはいかん。それは私の通すべき筋なのだ。」
「勝手にするが良い。何にせよ、あの女の癇に障る声を聞かずに済むだけでも、俺はせいせいしているがな。」

エリザもあれ以来、この道場には姿を見せていなかった。
余程プライドを傷付けられて怒り狂っているのか、或いはもっと性質の悪い事を考えているのか。
後者であればシュウの憂いの種となるのだが、サウザーにとってはどちらであろうと関係なかった。

「下らぬ事で思い煩うのも大概にしておかんと、今に寝首をかかれる事になるぞ。」

皮肉な笑みを浮かべて去っていくサウザーを見送って、シュウは溜息をついた。

サウザーに言われずとも、元々返答など返って来ない予感はしていた。
だが、通すべき筋は通さねばならない。
彼の言うように、一方的に自身の中で結論付ける事は、シュウには出来なかった。

― 返事が来ぬなら、応じさせるまでだ。

礼を尽くして許可を願ったが、いくら待っても音沙汰がないなら、許可がなくとも出向くしかない。
シュウは密かに、旅立ちの決意を固め始めていた。





シュウがそんな日々を送っていた頃、もまた思い悩む日々を過ごしていた。

何をしていても何処か上の空で、ろくに何も手につかない。
また一人になった畑で黙々と作業をしながら考えるのは、もう会えなくなったシュウの事ばかり。

― 馬鹿ね。いい加減忘れなさい。

シュウの笑顔が浮かぶ度に己を叱責するが、それでもあの優しい笑顔を忘れる事は出来なかった。

あの時はただただショックで、傷付いた自尊心が痛くて、シュウを拒絶する事しか出来なかった。
今もそのショックは忘れていないが、あの時のシュウを信じられなかった事を正直後悔し始めている。
だが、もう遅いのだ。

― もう忘れるのよ。

そう。
失恋の事ばかりにかまけて、落ち込んでいる訳にはいかない。
病床の父に心配を掛ける訳にはいかないのだ。




「なあ、。最近その・・・・、シュウさんが来ないな。何かあったのか?」
「・・・・何も。何もないわ。ただお手伝いを断っただけよ。」
「どうして?」
「もう忙しい時期は終わったもの。あとは一人でも大丈夫だし、何のお礼も出来ないのにいつまでも甘えるのも悪いじゃない。だからそう言って断ったのよ。」

我ながら上手く嘘がつけたと、は内心安堵した。
父がシュウを信頼しているのが分かっているからこそ、やはり余計な事で気を病んで欲しくない。
あくまでも何事もなかった事にせねばならないのだ。

「そうか・・・・。まあ、当然だな・・・・。彼には彼の生活があるだろうし。」
「そうよ。いくら彼が良い人でも、甘えてばかりはいられないわ。迷惑じゃない。」
「そうだな。しかしお前は・・・・・、それで良いのか?」

心配そうな父の目は、全てを見透かしているようだ。

― 駄目よ。嘘をつき通さなきゃ・・・・

泳ぎそうになる視線を必死で父の顔に固定し、は事も無げに笑ってみせた。

「何が?」
「いや・・・・・、別に。お前が良いなら良いんだ、変な事を訊いて悪かったな。」
「変な父さん。ほら、早くご飯食べ切っちゃってよ!」
「いや、もう腹一杯だ。」
「もう?・・・・しっかり食べなきゃ駄目だってお医者様もいつも言ってるのに・・・・」
「済まんな。」
「・・・・じゃあお薬飲んで。飲んだら横になってよ。私は町に行ってるけど、一人で大丈夫?」
「ああ・・・・。ははは、これじゃあどっちが子供だか分かりゃしないな。年を取るのは嫌なもんだ。」

手渡された薬を飲みつつ、気恥ずかしそうに笑う父の顔を見て、は苦笑を零した。

「何馬鹿な事言ってんの。父さんはいつだって私の父さんよ。」
「この間まで小さな赤ん坊だったのに、いつの間にか大きくなったもんだ。」
「やだ、やめてよ!私が今いくつだと思って・・・」
「今のお前は、母さんの若い頃にそっくりだ。顔も性格も。働き者な所なんか特に良く似ている。」

そう言って、彼は眩しいものを見るように娘の姿を見た。

「父さん・・・・・」
「お前は自慢の娘だ。出来る事ならもっと不自由なく育ててやりたかったが・・・・。不甲斐無い父さんを許してくれ。」
「や・・・・だ・・・・、何言ってるの!ほら、いいから寝てなきゃ!」

喉につまる塊を押し込めるように明るく笑って、は父を床に促した。

「夜までには帰ってくるから!じゃあね、行ってきます!」

そそくさと逃げるように出ていく娘の後姿を、父は目を細めて見送った。
そして戸が閉まる音を聞き届けると、彼はゆっくりと瞼を閉じた。




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後書き

久々にサウザー登場です(笑)。
うーん、難しい・・・・。
なんかもっとこう、俺様チックに書きたいんですが(笑)、
この話の内容が内容だけに、聖帝様モードというより、
ちょっと偏屈でへそ曲がりな性格の親友モードになっちまいます(笑)。
むむむ、イメージ修正を図りたいところですな(爆)。