秋桜の記憶 9




シュウは今、努めて足を運ばないようにしていたその場所、エリザの屋敷に居た。

「あらシュウ様。貴方から訪ねて来てくれるなんて嬉しいわ。」

部屋を訪れてきたシュウを、エリザは艶然とした笑顔で迎え出た。
先日詰め寄ってきた時のあの形相が、まるで嘘のようだ。

「とにかくお入りになって。」
「・・・・失礼します。」

エリザに招かれるまま、シュウは豪華絢爛な居室へと足を踏み入れた。
ここに入るのは初めてだ。
本当なら応接室か、何なら玄関先でも良い位だったのだが、エリザは自室へ通すように執事に言いつけたらしい。
まっすぐにここへと連れて来られてしまった。




「ともかくお掛けになって。今お茶を。」
「いや結構。話が済めばすぐにお暇するつもりですから。」
「まぁ、つれないのね。そんなに固い事を仰らず、泊っていらしても結構ですのよ?折角未来の妻の部屋にまで来られたんですもの。」

エリザは誘うような笑みを浮かべると、シュウの胸にしな垂れかかった。
だがシュウは、厳しい面持ちでその華奢な身体を押しやった。

「戯れを聞きに来たのではありません。私が聞きたい事は只一つです。」
「・・・・何ですの?」
「花売りの娘に・・・・・、何か仰ったのでは?」
「花売りの娘?何の事です?」
「とぼけるのは止して頂きたい。私が手伝っていた、花農家の娘です。ご存知でしょう。」

シュウは探るような視線をエリザに向けた。
ところがエリザは、それに全く動じなかった。

「ああ、その事。でも存じませんわ。何か言ったの何のと言われても、一体何の話だか。」
「本当に?」
「ええ。そもそも私がどうしてそんな下賎の娘を見知りおかねばなりませんの?」

その尊大な物言いと言い分は、いかにもエリザらしい。
だが、その言葉はどうにも信用出来なかった。

「・・・・・あくまでしらを切るおつもりか。」
「人聞きの悪い事を仰るものじゃありませんわ。それとも、何かそう決め付けられる証拠でもお有りなのかしら?」
「それは・・・・・・」

残念ながら証拠はない。あくまでも推測なのだ。
いくらその推測が、ほぼ的中していると思われてならないものでも。

「それにしても貴方、ご自分の仰っている事をお分かり?そんな下賎の娘に関わっていると父に知れればどうなるか・・・・」
「・・・・何が仰りたい?」
「私との縁談が破談になりかねませんわよ。それどこか、伝承者の資格をも剥奪されるやも・・・・。勿論、私はシュウ様をお慕いしておりますから、父に言いつけたりなどは致しませんけれどもね。」

勝ち誇ったような流し目を送って寄越すエリザに、シュウは空しい溜息をついた。

彼女は何も分かっていない。
人の気持ちは強制されてどうにかなるものでは、まして脅しに屈服するようなものではないというのに。
残念ながら、彼女の人間性に対する僅かな期待は、只の幻想と成り果ててしまったようだ。


「憐れな者への施しも結構ですが、私が許している内にお止めなさいな。得るものと失うもの、どちらが大きいか、秤にかけるまでもないでしょう?」
「・・・・・・」
「貴方は私のものよ。私を愛すれば、貴方は絶大な力を得る事が出来るわ。こんな片田舎でなく、父の待つ都で贅沢三昧に暮らせるのよ。」
「・・・・・施しではありません。」
「・・・・何ですって?」
「都へ戻って贅沢三昧に暮らしたいのは、貴女の願望に過ぎない。私はそんな生活も権力も、何一つ興味がない。ついでに貴女にも。」

今までずっと拒絶の態度は示してきたが、ここまではっきりと言い切ったのは初めてだった。
出来る事なら彼女の心を傷付けたくない。
そんな仏心がそうさせていたのだが、最早やむを得なかった。

「なっ・・・・・」
「施しだの憐れみだの、何か勘違いをなさっておいでのようだ。私は慈善家でもなければ、貴女のような家柄ばかりを尊ぶ上流階級の人間でもない。」
「何ですって!?」
「貴女より豊かで美しい人を、私は知っている。」
「何ですって・・・・!」
「話はそれだけです。失礼。」

自尊心を傷付けられてうち震えるエリザをその場に残し、シュウは振り返る事なく去っていった。





その翌日、シュウは早速の家を訪ねた。

エリザは認めなかったが、彼女が何かしたのはほぼ間違いない。
今はとにかくその事を詫びて、一刻も早く誤解を解きたかった。

しかし、は家にも畑にもいなかった。
何も事情を知らないらしいの父親は、町の方へ行商に出たと教えてくれた。
シュウは礼を言って家を出ると、大急ぎで町の方向へ引き返した。



― どこだ、・・・・!

いつもと変わらぬ様子の町を、シュウは焦りの表情を浮かべて彷徨った。
早く、一刻も早く、に会いたい。
会って誤解を解きたい。

その一念で、シュウは町を方々駆けずり回った。
そして。

!」
「シュウ!?」

ある店から出てきたを、ようやく見つける事が出来た。
大声で呼び止めると、は驚いた表情を見せた。
逃げられるかもしれない。
そう思ったシュウは、大急ぎでの元へ駆け寄った。

「やっと会えた・・・・・!」
「な・・・・、何・・・・?」
「君に言いたい事があるんだ!頼む、話を聞いてくれ!」
「・・・・何なの?」

言いたい事は山程あるが、ここは商店の軒先だ。
ひとまず場所を移そうと、シュウは気まずそうな表情を浮かべるを連れて移動した。





人通りの少ない町の外れまで来て、シュウは話を切り出した。

、昨日の態度の訳を聞かせて欲しい。」
「・・・・・訳なんて・・・・。昨日言った通りよ・・・・。」
「嘘だ。エリザという女性が君に何かしたんじゃないのか?」
「・・・・・・」
「私はその事を詫びたいんだ。正直に答えて欲しい。」

両肩を掴まれて瞳をまっすぐに見つめられ、は内心狼狽した。
おまけにすぐさま核心を突かれてしまい、言い逃れる事すら出来ない。
出来る事なら、彼女の事には触れたくなかったのに。
何も知らぬ振りをして、シュウを責める事なく別れたかったのに。

「・・・・・来たわ。昨日、家に。」
「やはり・・・・!彼女が原因なんだな。何を言われた?それとも何かされたのか?」
「彼女、貴方の婚約者なんでしょう?」
「それは・・・・・」

シュウは口籠った。
確かにそういう関係にあったからだ。
折をみて正式に辞退するつもりだったのだが、もっと早くにしておけば良かったと、シュウは後悔した。

「確かに彼女とはそういう関係にあった。しかし私は彼女をそういう目で見た事はない。婚約の事も、近々正式に辞退するつもりだったのだ。」
「・・・・・本当かしら。」
「何?」
「私が傷付いたと思って、嘘を言ってるんじゃない?」
「何だと・・・・!?」

シュウは愕然とした。
真実をありのままに述べたつもりなのに、却って裏目に出てしまったらしい。
の瞳からは、猜疑心がありありと見てとれる。

「嘘などではない!本当なんだ!」
「優しいのね。でもそんな優しさは要らないわ。」
「何故だ!何故信じてくれない!?」

肩を掴む手に、思わず力が篭ってしまう。
顔を顰めたに気付いたシュウは、はっと我に返って手を離した。

「済まない・・・・」
「・・・・・悪いけど、信じられないわ。」
「何故だ・・・・?」
「だったらどうして今まで黙っていたの!?彼女の事も、伝承者の事も!私には何一つ教えてくれなかったじゃない!」
「それは・・・・・・!それも彼女が?」
「そうよ。彼女から聞いたわ。貴方はとても偉い立場の人なのね。そんなの何も知らなかったわ・・・。」
「違う!私はそんな人間ではない!伝承者とて一拳士、立場など私にとっては無意味なものなのだ!」
「それは貴方個人の意識でしょう?そんなのが問題なんじゃない、問題なのは私の自尊心なのよ!」

声を荒げたに、シュウは驚いた。
これ程までに激昂するとは、エリザは一体に何を言ったのだろうか。


「彼女は言ったわ。私が貴方と関わっていると、貴方の名誉に傷がつくって。」
「下らない・・・・、そんな戯言を信じたのか!?」
「それに、貴方は私を憐れんでいるだけだって。お金もくれたわ。貴方の気持ちが篭っているってね。」
「金だと・・・・・・!?」
「勿論お断りしたわ。そんな憐れみなんて欲しくないから。」
「憐れみ!?私はそんなつもりなどない!私はただ・・・」
「私は貴方に憐れんで欲しかったんじゃない!私は・・・・・」

シュウの顔がぼやけて揺れる。
辛いのはこちらなのに、何故シュウはこんなに辛そうな顔をしているのだろう。
唇を噛み締めながら、は心の隅でぼんやりとそんな事を思った。

「・・・・憐れみなんて・・・・、要らないのよ・・・・・」

やっとの思いでそれだけを告げ、はシュウに背を向けて駆け出した。
涙を零す様は見られたくなかった。

シュウの目は嘘をついていない。
エリザの事も彼自身の事も、そして自分への気持ちも。
きっと、嘘ではないだろう。

けれど。

そうだと信じたくても、素直に信じられない。
あの日のエリザの言葉は、の自尊心をそれ程深く傷付けていたのだ。
傷付いた自尊心のせいで、一番信じたい言葉を、信じたい者を信じられない。

その哀しみに、は一人打ちひしがれた。




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後書き

修羅場ばっかり(笑)。
でも何故か修羅場を書いてる方が楽しいな、なんて。
昼メロに感化されすぎですか、私(爆)?