秋桜の記憶 7




南斗の道場から程近い白亜の豪邸。
その一室から、建物の優雅さに似つかわしくない程怒りに震えた声が上がった。

「なんですって!?」

その声の持ち主は、言わずと知れたエリザである。
原因は勿論、カシムの仕入れた情報を聞いたせいだ。

「・・・・良い仲の女、ですって・・・・!?」
「はい。大変申し上げ難いのですが、そうとしか。」
「・・・・つまり何!?人助けだの何だのとは偽りで、要はその女の為なのね!」
「シュウ殿の性格から判断すれば、その人助けとやらは嘘ではないでしょう。どう見ても、あの家は楽な暮らしをしている風には見えませんでしたからな。ただ・・・」
「憐れみだけでなく、その女と愛し合っている、と!?」
「・・・・流石はエリザ様。お察しが早い。」

カシムは媚びるような笑みを浮かべた。

「お黙り!そんなものお世辞にもならないわ!それよりその女の事は調べたの!?」
「はっ。という女で、その家に病気の父親と二人暮しをしております。花売りはの家の生業のようですな。」
「卑しい身分の分際でよくも・・・・・」
「いかがなさいますか?お望みとあらば、如何様にでも。」

カシムは何気なく恐ろしい申し出を口にした。

『如何様にでも』というその言葉は、決して誇張表現ではない。
エリザが命じさえすれば、平然と殺しをもやってのける。
カシムはそういう男だ。
手段を厭わず命令を遂行する。
そこがエリザを満足させ、その信用を得られるところなのだ。


「結構!お前は手出し無用よ!私に考えがあるの。」
「と仰いますと?」
「その卑しい娘に、格の違いを思い知らせてあげる・・・・」

いつになく低い声で呟いたエリザは、窓際の花瓶に生けてある秋桜の花を握り潰した。
既に枯れかけていたその花首が無残にもがれるのを、蛇の目だけが愉しそうに眺めていた。





玄関の戸を叩く音が聞こえた。

「誰かしら?」
「シュウさんじゃないのかい?早く出てあげなさい。」
「うん。」

父に促され、は首を傾げながら玄関に向かった。

父はシュウだと言ったが、には今一つ信じられない。
まだ午前中だというのに、シュウが家に来るのは考え難い。
午前中はいつも稽古で、午後にしか時間が取れないと、いつかシュウ自身が言っていたからだ。

― でももしかしたら、今日は稽古が休みなのかもしれないわね。

「はーい、今開けるわ!」

簡単に靴を突っ掛けると、は玄関の戸を開けた。
そこに立っていたのは。

「あの・・・・、どちら様でしょうか?」

やはりシュウではなかった。
目の前に居るのは、見るからに高貴な身分と分かる美しい女性。
派手な美貌が、さながら大輪の紅薔薇のようである。

と目が合った直後、その薔薇は更に美しく綻んだ。

「こちらにさんという女性が居ると訊いたのですが、もしかして貴女かしら?」
「え、ええ。は私ですけど。あの・・・・、何か?」
「少しお話がありますの。少々お時間を頂けないかしら?」
「は、はい・・・。あの、じゃあどうぞ中へ。むさ苦しい所ですが、立ち話よりは・・・」

は優雅な微笑を浮かべるその女性、エリザを、家の中に招いた。
しかしエリザは緩やかに首を振った。

「いえ結構。すぐに済みますから、そこまでお付き合い願えるかしら。」
「はぁ・・・・・」

エリザに誘われるまま、は外に出た。



を玄関先に連れ出したエリザは、唐突にある申し出をした。

「貴女、お花を作ってらっしゃるそうね。一度拝見させて頂いてもよろしくて?」
「え、ええ。勿論。どうぞ、こちらです。」

― なんだ、お客だわ。

一方、花の事を言われたは、エリザの事を客と思った。
明らかに身分の高い女が一人で現れたから何事かと思ったが、もしかしたら町で話を聞きつけるか何かして、興味を持ってくれたのかもしれない。

は先頭に立って、エリザを畑に導いた。





「こちらです。足元にお気をつけ下さいね。折角のドレスの裾が汚れてしまっては・・・」
「構わなくてよ。こんな物、只の普段着ですから。」
「そうですか。」

高慢な物言いも、この身なりなら頷ける。
相当な家柄の女性なのだろう。
正直虫は好かないが、客とあってはそ知らぬ振りをするしかない。

「まあ綺麗。素敵なお花畑だこと。」
「有難うございます。それで今日はどういった花をお探しで?」
「花を買いに来たのではございませんわ。申しましたでしょう。貴女にお話があるの。」
「は・・・・?」

商談でなければ、こんな女性が自分に一体何用だというのだ。
身分違いも甚だしいのに、話などある筈がない。

全く見当もつかないは、微笑むエリザに小さく首を傾げた。

「申し遅れました。私エリザと申します。」
「はぁ・・・・」
「貴女、シュウをご存知ね?」
「え?ええ・・・・。それが何か?」
「率直に申しますわ。そろそろシュウを解放してあげて欲しいの。」
「は?」

は大きく目を見開いた。
解放以前に、彼を束縛した覚えなど全くないからだ。

「あの・・・・、それはどういう・・・」
「言葉の通りよ。実は彼、もうすぐ私の夫になる人なの。婚礼も差し迫っておりますので、こちらも時間の余裕がなくて。」
「夫・・・・!?」
「ええ。貴女の事はいつも彼から伺っていたわ。」

勿論、口から出任せである。
だが、エリザはそれを堂々と言ってのけた。
自信に満ちた振舞いは彼女の最も得意とするところであり、またその態度が人を否応なしに納得させる事を、エリザは良く心得ていた。

「そう・・・・ですか。」
「ご病気のお父上の看護もあって、随分ご苦労なさってるとか。」
「いえ別に・・・・、苦労という程の事は・・・・」
「ご謙遜なさらなくてもよろしくてよ。彼もそんな貴女のご苦労を気の毒に思っているのですから。」
「気の・・・毒・・・?」
「ええ、それはもう。ですから忙しい合間を縫って、貴女のお仕事を手伝っていたそうですわ。」

は言い様のないショックを受けた。
少なくとも、彼の態度からは慈善じみたものは見受けられなかった。
礼を断り続けていたのも、純粋な善意からだと思っていた。
常日頃から彼を良い友人だと思い、そして、密かな恋心すら感じ始めていたのに。


一方、動揺を隠しきれなくなってきたを見て、エリザは内心ほくそ笑んだ。

「勿論、彼の気持ちは私にも良く分かりますわ。ですが、彼も何かと忙しい人なんですの。貴女ご存知?彼は南斗白鷺拳の伝承者ですのよ。」
「・・・・・いえ、知りませんでした。」
「まぁそう。彼ったら言わなかったのね。でもそうなんですの。伝承者ともなると色々ありますのよ。」
「・・・・・・」
「多忙もさることながら、その名誉を守らねばならなくて。」
「・・・・・何が仰りたいのですか?」
「こうしてその名誉に相応しい家柄の女が妻になると決まっているのに、いくら善意から出た行動とはいえ他所の女性の所へ入り浸っていては・・・・ねぇ?」

値踏みをするような微笑を向けながら、言葉尻を濁すエリザ。
そこから先の台詞は、皆まで聞かずとも分かった。

高貴な家柄の女性との婚礼が近いのに、こんな庶民の娘と親しくしていては悪い噂が立つ。
そして自分の存在が、シュウの立場を傷つける。

そんな聞こえぬ声が、の脳裏に五月蝿い程響いた。


「そういう事情ですの。納得して頂けるわね?」
「・・・・・・」
「勿論、タダでとは申しませんわ。貴女のお家にとっても貴重な労働力を奪う事になりますからね。ですから・・・・」

そう言って、エリザは見るからに上等なバッグの口を開けた。
そして中から分厚く膨らんだ封筒を掴み出した。

「これを貴女に。」
「これは・・・・、何ですか?」
「開けてごらんなさいな。」

言われるまま震える手で中を見たは、はっと息を呑んだ。
大方予想はしていたが、その予想を遥かに上回る金額の札束であったからだ。

「どうかしら?」
「・・・・これは受け取れません。」
「あら、何故?不服と仰るなら、もっと上乗せしてもよろしくてよ。」
「そうじゃありません。貴女からお金を受け取る理由がないからです。」
「これにはシュウの気持ちも篭っているのよ。それでは駄目かしら?」
「尚更受け取れません。どうかお納め下さい。」

は封筒をエリザに突き返した。

「あらあら。人の厚意は素直に受けた方がよろしくてよ。」
「こんな事をして頂かなくても結構です。もうお手を煩わせませんと、彼にお伝え下さい。」
「そう。物分りの良い方で私も嬉しいわ。」
「御用が済んだなら、申し訳ありませんがお引き取り下さい。こちらも立て込んでおりますので。」
「ええ。そうさせて頂くわ。それでは御機嫌よう。」


優雅な一礼と共に軽やかな足取りで去っていくエリザを見送ってから、は唇を噛み締めた。




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後書き

いやっ、全然シュウが出て来てませんやん(汗)!
それどこか、ドロドロの女の修羅場が展開(笑)。
ひええぇ、クサすぎ(爆)。