秋桜の記憶 6




「許せないわ・・・・!」

シュウが立ち去った後、エリザはその端麗な横顔を屈辱に強張らせた。
今まで誰一人として、自分に意見した人間はいない。
まして男にすげなくあしらわれるなど有り得ない、いや、あってはならないのだ。


怒りに打ち震えるエリザの背後から、一人の男が近付いて来た。

「おやおや、これはこれはエリザ様。ご機嫌麗しく・・・・」
「お黙り!!」
「・・・・なさそうですな。」

ヒステリックな怒鳴り声に肩を竦めたこの男の名はカシム。
南斗の拳士にて、エリザの取り巻きの一人である。
腕はそこそこだが、それ以上に頭の切れる男で、何かにつけて要領が良い。
何を考えているのか分からないような爬虫類めいた風貌は人を寄せ付けないが、それでもエリザの機嫌を取る事にかけては、彼が一番巧かった。

「近頃ご機嫌斜めの日が多いようですが、シュウ殿と喧嘩でもなさいましたか?」
「喧嘩?この私と対等の立場にある訳でもないのに!?」
「そうでしたな。失言でした。」
「私に逆らうなど許さないわ・・・・。カシム!」
「はっ。」
「彼の後を追いなさい!一体どこの誰の為に酔狂な真似をしているのか、即刻探るのよ!!」
「仰せのままに。」

即答して跪いたカシムは、エリザの手を取って白い甲に薄い唇を寄せた。
これは男も女も行う、彼女への忠誠の誓いである。

「この私に傅かない男など・・・・、居る筈ないのよ!」

力任せに振り払ったエリザの手が、カシムの頬を掠めた。
長い爪でつけられた傷跡から血が滲んでも、カシムは薄気味の悪い笑みを浮かべたままであった。





足早に道場を出て行くシュウ。
カシムは気配を悟られないように、その後ろを追っていった。
尾行は慣れているが、何しろシュウは相当の使い手である。
ほんの僅かでも殺気や敵意を発していれば、即座に感付かれるだろう。

カシムはいつになく慎重に気配を殺し、シュウの後を追った。





シュウが向かった先は、いつもの如くの家であった。

「シュウ!」
!」

互いの姿を見て取った二人は、名を呼び合いながら笑顔で手を挙げた。

「なんだ。荷積みから手伝うつもりだったんだが、もうすっかり準備万端だな!」
「ええ!今日は特に忙しい日だから、そのつもりで段取りしていたの。」

は既に行商の準備を整えていた。
荷車に色とりどりの花が載せられている。
シュウが手伝うようになってから男手が出来たので、こうしてより多くの花を一度に売り歩けるようになったのだ。

「本当に貴方には感謝しなくちゃ!お陰で行商まで効率が上がったわ!」
「なに、これしきの事お安い御用だ。」
「お得意回りの日には沢山持っていかなきゃいけないけど、荷車は私一人じゃ引けないし・・・・。かといってあんなちっぽけな籠じゃ、何度も家と町を往復しなきゃいけないでしょ?実はかなり大変だったのよ。」
「知ってる。」
「そうだったわね。」

二人は仲良く笑い合いながら、荷車を押して町の方角へと歩いて行った。
まだ言い交わしてこそいないが、その睦まじい姿はすっかり恋人同士のようだった。

そう。
藪の中に潜む、蛇の目から見ても。





夜になってようやく、シュウとは町から引き上げて来た。

「ごめんなさい、すっかり遅くなっちゃって!」
「なに、構わんさ。商いが忙しいのは結構な事じゃないか。」
「・・・・ありがとう。」

今日はとりわけ忙しい一日だった。
何軒もの得意先を回り、更にその内の何軒かから臨時でアレンジメントの仕事まで受けたのだ。
その為こうして帰りが遅くなったが、その分いつも以上の収入を得る事が出来た。
それはにとって、そしてシュウにとっても、喜ばしい事だった。

「さて、と。私はそろそろ。」
「あ・・・・・、待って!」
「何だ?」

荷車を片付けてから帰りかけたシュウを、は呼び止めた。

「その・・・・、良かったら、夕飯食べていかない?」

その誘いは、何も受け取ってくれないシュウへの、せめてもの礼のつもりであった。
しかし礼云々もさることながら、はただシュウと出来るだけ長く居たかったのである。

最近、気付けばシュウの事ばかり考えている。
こんな気持ちになったのは、本当に久しぶりだ。
家業と父の世話に追われて自分の事を顧みる暇などずっとなかったが、は今、少しずつ己の心の内に目を向け始めていた。
つまり、恋をしている自分に気付いたのだ。


「大したおもてなしも出来ないけど、良かったらどう・・・?」
「しかし・・・・、良いのか?」
「勿論!」

受けてくれる素振りをみせたシュウに、は嬉しそうな笑顔を向けた。





誘われるままの家に上がったシュウは、の父親と共に食卓についていた。
食卓の上には、既にが作り上げた何品かが湯気を立てて鎮座している。
シュウは何度も手伝うと申し出たのだが、は座っていろと言って聞かなかった。


「本当にいつも申し訳ない。シュウさんのお陰で随分助かります。」
「何を仰る。私はただ、ほんの少々手伝っているだけですから。」
「あの子は貴方に甘えていませんか?無理な事をお願いしているんじゃ・・・」
「とんでもない!彼女は遠慮し過ぎる位です。」
「何?何の話?」

が最後の料理の皿を持ってやって来た。

「いや、何でもないんだ。それより、シュウさんにお酒を。」
「あ、そうね!」
「いやいや、もう十分だから、これ以上はどうか気を遣わないでくれ。」
「いいのよ!遠慮しないで。」

遠慮するシュウが止めるのも聞かず、はまた軽やかな足取りで台所へ駆けていった。





夕食は本当に美味だった。

採れたての新鮮な野菜が何種類も使われた料理も勿論だが、自家製の酒が何とも格別だった。
ほのかに金木犀の香りがするその酒は甘く芳しく、丁度良い加減の酔いをもたらしてくれる。
高価な食材など使われていなくても、素朴で温かな家庭の味は何にも勝る馳走であった。


「いやぁ、すっかりご馳走になってしまった。」
「いえいえ、お粗末様でした。流石にお若い方は気持ちの良い食べっぷりをしておられる。」

の父親は、シュウの健啖ぶりを惚れ惚れと褒め称えた。
娘しかいない彼は、若く逞しいシュウの姿に、恵まれる事のなかった息子像を映し見ているようだ。

「お恥ずかしい。あまりに美味かったもので。」
「恐れ入ります。そのお言葉、娘が聞いたらさぞ喜ぶでしょう。」

の父親は、細めた目を台所の方向に向けた。
ここからは見えないその場所で、は今夕食の後片付けをしている。
シュウも釣られてそちらへ目を向けかけたが、一瞬視界に入った彼の仕草に気付いて視線を戻した。

「・・・・いやはや、お客人の前でみっともない。」
「いや、気になさらずにどうぞ。」
「申し訳ない・・・・、では失礼して。」

の父親は、申し訳なさそうに小さな紙の袋から取り出したいくつもの薬を口に含んだ。
食卓の上に置いてある水の入ったグラスをシュウが差し出すと、彼は益々恐縮したようにそれを受け取って、急いで飲み下した。
まるで無様な姿を極力見られたくないとでもいった風に。



「面目ない。みっともない所をお見せしまして・・・・」
「みっともないなどと。御身に関わる事なのですから・・・・」
「本当に・・・・・、私がこんな状態なばっかりに・・・・」

の父親は、弱々しい笑みを浮かべた。

「私が長患いなどしているせいで、あの子には・・・、には散々迷惑を掛けてしまって。その上貴方にまで・・・・」
「・・・・差し出がましいようですが、彼女はきっと迷惑などとは思っていないでしょう。」

推測ではない。
が一日も早い父の回復を心から願っている事を、シュウは良く知っていた。

「・・・・・私は不甲斐無い父親です。」
「そんな事は・・・・」
「娘ももう年頃です。本当なら今頃は、他の娘さん達のように着飾って恋をして、結婚も考えるような頃です。なのに私のせいで、あの子は自分の幸せを掴めない。」
「・・・・・・」
「本当に面目ない。嫁入り支度をしてやるどころか苦労ばかりかけて。」
「・・・・彼女はきっと、苦労などとは思っていないでしょう。」

きっと彼は、いつもこうして自分を責めているのだろう。
不甲斐無い父親だと。
父と娘、両方の気持ちを察するシュウは、そう言うしか出来なかった。


「・・・・・シュウさん。ご迷惑ついでと言ってはなんですが、お願いを訊いて貰えませんか?」
「何でしょう?」
「もし私に何かあった時は、どうか・・・、どうか娘の力になってやって下さい・・・・!」

彼は床に額が届く程頭を下げて懇願した。
余程が可愛くて、そして心配なのだろう。
その気持ちは痛い程分かるが、シュウは厳しい表情でそれを制した。

「頭を上げて下さい!そんな馬鹿な事を言うものではありません!」

迷惑だからではない。
が望んでくれさえすれば、どんな事でも力になるつもりだし、支えてやりたいと思う。
けれど、これではまるで遺言ではないか。
彼の身に何かあった時の、の悲しむ姿を想像すると、居た堪れない気持ちになるのだ。

「どうか・・・、どうか頼みます・・・・!」

彼は何度止めても頭を下げ続けた。
そしてそれは、片付けを終えたが戻って来た事によってようやく止まったのだが。


娘の顔を見た途端に不安そうな表情を消す父親と、そんな切実なやり取りがあった事など知る由もないの無邪気な微笑みを、シュウは只一人、複雑な思いで見ていた。




back   pre   next



後書き

やー、また訳の分からん脇役を出してしまいました(汗)。
いえね、クサクサ恋愛ものに付き物の障害をね、発生させようと思いまして(爆)。
更に父親まで大活躍です。
娘を託す父という風にしたかったのですが、台詞から何から有りがち過ぎですな(呆)。