町を出て少し歩いた所に、の家はあった。
辺鄙と言ってもいいぐらい、周囲には何もない。
しかし、何処までも広がる田園風景は、この上なく美しかった。
「ただいま〜!」
玄関先まで到着すると、はそのまま中に声だけを投げ掛けた。
すると奥から返事がして、誰かが迎えに出て来た。
「おかえり。どうだった?」
優しそうな笑みを浮かべているこの男が、の父親らしい。
は先程シュウにしたのと同じように、空っぽの籠を差し出した。
「ほら見て!今日は良く売れたわ!だから仕入れに戻ってきたの。」
「そうか、それは良かった。ところで、そちらの方は?」
「お客さんよ。畑で直接選んで貰おうと思って。」
シュウは軽く頭を下げた。
「そうですか、それはそれは有難うございます!ささ、どうぞどうぞ!畑へご案内しましょう。」
「父さん、いいから。私がやるわ。」
「・・・・そうかい。それじゃ頼んだぞ。」
申し訳なさそうに引き下がった父親は、シュウに『どうぞごゆっくり』と頭を下げて中に戻った。
「ほう、これは見事だ・・・・」
畑に着いたシュウは、思わず感嘆の台詞を口にした。
広い畑の一面に、色とりどりの花が咲き乱れている。
「実に素晴らしい。まるで楽園のようだ。」
「ふふっ、ありがとう。」
シュウの褒め言葉を擽ったそうに受け取ったは、シュウを更に奥へと誘った。
「さ、どれでも好きなのを選んで。」
「しかしこれ程あると、どれにしようか迷ってしまうな。」
「ええ、どうぞどうぞ!じっくり悩んでいって下さいな。」
茶化すような軽い口調で言うと、はシュウから少し離れて畑の手入れを始めた。
しゃがみ込んで一本一本丁寧に雑草を抜いている。
白い指先が土に塗れる事もお構いなしである。
広い畑で、かつこれ程見事に咲かせる為には、さぞや甚大な労力が要される事であろう。
若い娘と年老いた父親の二人だけでは、かなりの重労働に違いない。
― まして彼は・・・・・
シュウはをちらりと見てから、その後ろへと歩み寄った。
「大変な作業だな。」
「ええ。でも必要な事だから。」
は、雑草を抜く手を休めずに返事をした。
その声には、充実感から来る張りがある。
「こうやって、いつも一人で手入れをしているのか?」
「・・・・・どうしてそんな事訊くの?」
「失礼だが、君のお父上は病に冒されているのでは?」
やはり見立てに狂いはなかったようだ。
が手を止めて黙り込んでしまった。
「・・・・なんで分かったの?」
「顔色が優れないように見えた。」
「そう・・・・」
は観念したように小さく笑った。
「・・・・あまり良くないのか?」
「まぁね・・・・」
「・・・・済まなかったな。悪い事を聞いた。」
「いいの、気にしないで!それよりどう?決まった?」
沈みかけていた口調を努めて明るいものに戻しながら、は立ち上がった。
これ以上父親の病気の事に触れても気の毒だ。
そう思ったシュウは、にならって気持ちを切り替えた。
「そうだな・・・・」
畑を隅々まで見渡す。
本当に色とりどりで、次から次へと目移りしてしまう。
だがその時、ふとある一角が目についた。
「あれは何の花だ?」
「あれ?ああ、あれは秋桜よ。綺麗でしょう。」
の言う通り、白や薄紅の花弁をしたそれはとても綺麗だった。
「ああ、とても素晴らしい。よし、決めたぞ!あれを貰おう。」
「ありがとうございます!」
自分に向けられる満面の笑みが、シュウには一瞬秋桜の花に重なったように見えた。
切花にして貰った秋桜を抱えて、シュウは己の宿舎へと戻った。
腕の中で揺れるその花は、シュウの心を温かく満たしている。
ところが、上機嫌なシュウを迎えたのは、不機嫌極まりないエリザであった。
「エリザ殿・・・・」
「何処へ行っておられたの?鍛錬なんて嘘ばっかり。」
「申し訳ございません。」
「シュウ様は私に恥をかかせるおつもり!?」
エリザはえらく腹を立てているようだ。
秀麗な眉を吊り上げて詰め寄ってくる。
こうなると、もはや何を言っても無駄であろう。
早々に観念したシュウは、甘んじてエリザの責めを受けようとした。
しかしその時、エリザの口調が不意に変わった。
「あら?その花は何ですの?」
「これですか?先程買ったものですが。」
「もしかして、私にかしら?」
当然そうだろうと言わんばかりの微笑を浮かべたエリザは、シュウの返事を聞く前に、その手から花束を奪った。
「まあ綺麗。秋桜ですのね。」
「ええ・・・・」
取り返す気力もなく、シュウは機械的に肯定した。
「でも私、どちらかと言うと薔薇や蘭の方が好きですのよ。」
「はぁ・・・・」
「でも良いわ。貴方が私にくれた最初の贈り物ですものね。嬉しいわ。」
「はぁ、いや・・・・」
一方的なエリザの態度に、シュウは閉口するより他なかった。
不本意な贈り物が功を奏したのか、あの日以来エリザの機嫌は悪くなかった。
お陰で五月蝿く付き纏われずに済んでいる。
それは有り難い事なのだが、それ以上の喪失感をシュウは味わっていた。
別に特別花が好きな訳ではない。
だが気が付けば、シュウは代わりの花を求めての家へと向かっていた。
玄関へは回らずにまっすぐ畑へ来てみると、は相変わらず手入れに精を出していた。
そんな姿を見るだけで、心の靄が晴れていく気がするから不思議だ。
「!」
「シュウ?いらっしゃい!」
呼びかけに気付いたが、手に付いた土を払ってにこにことこちらへやって来る。
「済まんな、仕事の手を止めて。」
「構わないわよ。それよりどう?あの秋桜、ちゃんと咲いてる?」
「ああ・・・・、それが・・・・」
「何?枯れちゃった?」
「いや、あれはその・・・・、人にあげたんだ。」
シュウは言い難そうに白状した。
「そう。喜んで貰えた?」
「ああ・・・・」
「そう。なら良かった。」
そう言って、は微笑んだ。
その笑顔を見て、シュウは内心安堵した。
はエリザの事など知る筈がないのに、何となく見透かされている気がしたからだ。
だから、いつもと変わらぬ笑顔を見せてくれた事に安心したのである。
だが生憎と、その声が微妙にぎこちない事に気付く程、シュウは女心に聡くなかった。
後になって、がこの時の事を語ってくれた事があった。
男が花を贈るとなれば、相手は十中八九女だ。
なのに妙に目を泳がせて口籠ったから、『女たらしなのか自分の気持ちにどこまでも正直な人なのか、判断に困った』と、そう言って笑っていた。
「で?今日は何の御用かしら?」
「自分の部屋に飾る花が欲しくてな。あの秋桜はまだあるか?」
「ええ。」
頷いて、はシュウを秋桜の一角へと誘った。
そして、シュウが選んだ何本かを丁寧に摘み取って手渡した。
その代価を支払った後もなお、シュウは所在なさげに佇んでいた。
このまま帰る気になれない。
「どうしたの?」
「その・・・・、もし良かったら・・・・」
「何?」
「手伝わせてくれないか?」
何処か不安げな瞳で申し出るシュウをきょとんと見つめていたは、次第に笑い声を上げ始めた。
シュウもまた、釣られて苦笑を零し始める。
「参ったな、そんなに可笑しいか・・・?」
「ちょっとね。ふふっ、じゃあお願いしようかしら。向こうの土を耕してくれる?」
「任せてくれ。」
まるで照れ隠しのように、シュウはが指し示した畑へと足早に向かった。