翼の折れた鳥 14




「この部屋をお使いなさい。」
「ありがとうございます。」
「私は礼拝堂の方にいますから、何かあれば声を掛けて下さい。」
「はい。」

神父はレイとを簡素な客室に通すと、ドアを閉めて去っていった。
神父の足音が遠のいたのを聞き届けると、は貼り付けていた笑顔を消して一息に肺の中の空気を吐き出した。

「信じられないわ・・・・!」
「何がだ?」
「いきなり夫婦の真似事だなんて、聞いてないわよ?」
「仕方あるまい。臨機応変に対応したまでのことだ。お前を見習ってな。」

レイは涼しい笑顔を浮かべての抗議を受け流した。

「同室する為にはああ言うしかなかった。そう怒るな。」
「別に怒ってる訳じゃないけど・・・・」
「もしあの神父がクロだとしたら、ここはあの酒場より遥かに危険な場所になる。別行動は避けるんだ。」
「分かったわ。仲の良い夫婦の振りをして、四六時中寄り添っていればいいの?」
「怪しまれん程度にな。」

レイはベッドに腰を下ろすと、疲れを取るように首や肩を回した。
もその隣に腰を下ろすと、茶化すような口ぶりでレイに話しかけた。

「それにしても、あなたも結構口が回るのね。」
「そうでもない。何かの皮肉か?」
「違うわよ。よりにもよって神様の前で、よくもあんなにいけしゃあしゃあと大胆不敵な嘘をつけるものねって感心してるのよ。」
「やはり皮肉ではないか。」

レイは苦笑しながらの肩を抱き寄せた。

「ともかく、ここでは俺達は夫婦だ。それらしく振舞えよ。」
「分かってるわよ。けど夫婦の営みは無理よ。こんなとこじゃそんな気になれないわ。」
「分かっている。それは俺とて同じだ。」
「そう?」

は再び苦笑するレイにわざとしなだれかかると、意識して甘い声を出した。

「ところで潜り込んだはいいけど、これからどうする気?」
「取り敢えず奴の様子を観察する。この教会の中もそれとなく調べる必要があるな。」
「そうね、あなた。」

は悪戯っぽい笑みを浮かべて、誘惑するような目付きでレイの顔を見上げた。

「・・・・さっきから何の真似だ。挑発しているのか?」
「あら、だって夫婦なんでしょ?練習しておかなくちゃ咄嗟に上手く演技出来ないわ。」
「お前の演技力は練習などせずとも大したものだと思うがな。」

レイはニヤリと笑ってみせると、おもむろにの唇を貪った。
わざと息もつかせない程激しく深く口内を荒らすと、そのまま何事もなかったかのように唇を離す。

「これ以上は無理だな。抑えが利かん。」
「・・・・・わざとでしょ。仕返しのつもり?」
「何の事だ?」

レイは頬を少し上気させて俯くに、してやったりとばかりに不敵な笑みを浮かべた。
は2〜3度頭を振ると、跳ね起きるような勢いで立ち上がった。

「じゃあ早速行ってくるわ。」
「おい待て。どこへ行くつもりだ。」
「取り敢えずこの建物の中を探索してくるわ。そう広くもないからすぐ戻るわよ。」
「お前は・・・・。危険だと言っただろう!?」
「分かってるわよ。用心する。」
「何かあってからでは遅いのだぞ!昨日ひどい目に遭ったのをもう忘れたのか!?」
「大声出さないで。」

は思わず声の大きくなったレイを窘めると、更に声のトーンを落として話を続けた。

「大丈夫よ。昨日みたいにいきなりどこかに監禁されたりしないと思うわ。」
「根拠はなんだ?」
「私は『夫』と一緒に来たのよ?一緒に居た『妻』がいきなり消えて怪しまない夫なんていないわ。そんな真似はしない筈よ。」
「分からんぞ。何とでも言い訳をするかもしれん。」
「だったら私はお手洗いに行くわ。これでどう?」
「何?どういう事だ?」

レイはの言う意味が分からず、首を傾げた。

「お手洗いを探す振りをして探索するって言ってるの。しばらく経っても私が戻らなかったら、彼にそう言うといいわ。やましい所があれば何か引っ掛かるでしょう。」
「なるほど。そういう事か。しかしくれぐれも深追いはするな。すぐに戻れ。」
「分かってます。じゃあ行ってくるわね、あなた。」
「・・・・全く。」

ウインクを一つ投げて部屋を出て行くを、レイは呆れ顔で見送った。
だがすぐに緊張を帯びた表情になり、ベッドから立ち上がる。

― 昨日のような危険な目には二度と遭わせたくない。

レイはいつでも部屋を飛び出せるように扉の前に立つと、僅かな物音も聞き逃すまいと耳をそばだてた。




は、教会の中を注意深く観察して歩いた。
建物自体は大した広さはなく、何事もなければすぐに終わりそうだ。

狭いキッチンとダイニング、手洗い、自分達が泊っているのと同じ感じの部屋が1つ、それから納戸。
いずれにも不審な点は見当たらない。
キッチンには勝手口がついていたので念の為に外の様子を伺ってみたが、猫の額程の裏庭があるだけだった。
納戸も狭く、古い経典やその他雑多なものが収納されているだけで、人が隠れられるようなスペースはない。

ただ一つ、廊下の一番突き当たりに鍵の掛かった部屋があったが、おそらくここは神父の私室なのだろう。
『Private Room』という札が掛かっている。
不審な所はこの部屋ぐらいであろうか。
だが、中の様子を伺えないだけにどうにも判断がつかない。
鍵をあける道具もなく、また、あったにしてもあけ方など知らないにはどうしようもなかった。



はレイの言いつけに従い、ひとまずこの辺で切り上げようと踵を返した。
神父が戻って来ないか内心びくびくしながら、音を立てないように慎重に歩いて部屋に戻る。
手早くドアをノックすると、ドアはすぐに中から開かれた。

「どうだった?」
「特に何も。」

ドアを後ろ手に閉めて、は残念そうに首を振った。

「そうか。」
「一つだけ鍵の掛かっている部屋があったわ。どうしようもなかったから調べてないけど。」
「そうか。まあいずれ目にするチャンスがあるやもしれん。取り敢えずはこれで十分だ。」
「今からどうするの?」
「そうだな、少し休んで疲れを取るといい。焦ってうろつき回って怪しまれては意味がない。」
「そうね。」
「その前に傷を見せてみろ。」
「もう何ともないわ。」
「つべこべ言うな。」

レイはの腕をぐいと引っ張ると、ベッドに腰掛けさせた。
そして有無を言わさず包帯を解き、傷の具合を確認する。

「これのどこが大丈夫だ。」

レイは傷を見せ付けるように、の手首を高く持ち上げた。
は口をへの字に曲げて、バツが悪そうに口籠る。

「ちょっと痣になってるぐらいじゃない。傷はもう塞がってるわ。」
「ちょっとどころじゃない。傷もまだ生乾きだ。薬を塗るから大人しくしてろ。」

レイはきつめの口調で言い聞かせると、手当てを始めた。
吊られている最中もがいていたのか、手首の皮膚の殆どに擦り切れた傷がある。
傷自体は確かに治りつつあるが、鬱血して痣が出来ており、白い肌が痛々しい色に染まっている。
昨夜は暗がりで手当てをしたせいか気付かなかったが、こうしてみると思ったより酷い状態だ。
レイは忌々しそうに顔を顰めた。
しかし当のは、レイの心の内を知らないかのように楽しげな口ぶりで話しかけてくる。

「それにしても、あなたも変な人ね。」
「何がだ?」
「ついこないだまで冷たい瞳をして『置いていくぞ』なんて脅してたと思ったら、こんな傷ぐらいでそんなに心配するなんて。」
「へらず口を・・・・」

自分の口真似のつもりか声色を変えて茶化してくるに、レイは呆れ顔を浮かべて溜息をついた。

「ちゃんと手当てをせねば傷跡が残るだろう。それともそうしたいのか?」
「そんな訳ないでしょ。ちょっと新鮮だっただけ。傷をつけたがる男は山程いたけど、治したがる男はあなたぐらいしか知らないわ。」
「フン。俺の感覚は至ってノーマルだ。お前が今まで当たってきた野獣共が狂っているだけだ。」
「ふふっ、本当ね。」
「腕を動かすな。包帯が巻けん。」
「はいはい。」

はにんまりと笑うと、黙って大人しくされるがままになった。
ようやく手当てに集中できるようになったレイは、また小さく溜息をつくと包帯を巻き終えた。

「終わったぞ。」
「ありがとう。」
「少し眠れ。疲れているといざという時に動けんぞ。」
「そうね。じゃあちょっと休憩させてもらうわ。」

そう言って、はベッドに横になった。

「あなたは?休まないの?」
「ああ。俺はいい。」
「そう。」

は小さく頷いて瞼を閉じた。
そして瞳を閉じたまま、口元だけで微笑んでぽつりと呟いた。

「私、最近気付いたことがあるの。」
「何だ?」
「あなたって意外と優しいのね。」

手当ての事を言っていると受け取ったレイは、事も無げに返答した。

「女の肌に傷が残るのは感心せん。それだけだ。」
「ううん。手当ての事だけじゃなくて他にも色々。初めて会った時の印象とは大違い。」
「・・・・下らん。とっとと寝ろ。」
「ふふっ。おやすみなさい。」

レイの素っ気無い台詞をさも楽しげに聞き届けると、は今度こそ眠りにつく為に黙り込んだ。


― 全く、調子の狂う女だ。

レイは苦笑を浮かべて、の寝顔をぼんやりと見つめていた。




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後書き

余計なとこは端折ろうと思ってたのに、またこんな話かよ(笑)!
っていうか、この話自体が余計な話なのでどこを端折ればいいか分かりません(爆)。
とりあえず、潜入成功ってことです、ハイ(笑)。