Aリハビリ=学習 B患者中心のリハビリ:

それでは、認知運動療法とはどんな治療法なのか?が気になると思います。これまでの発達心理学の研究から、こどもの発達は、生まれつき意志をもち、周りの環境から自分がそのときに意味のある認識できるものを選び、自ら少しずつ学習し、それに合うように動きを身に付けていくものと考えられます。認知運動療法では、この「学習」を重視します。一般に成人のリハビリは、一度失われた動きを新たに学習して獲得していくものであることは、みなさん納得できることだと思います。こどもの場合は新しい動きを学習していくのがリハビリであると考えるのは当然のことです。

それでは、この「学習」はどのように行われるのでしょうか?認知運動療法の基本となる認知理論では、学習は認知過程を通して行われるとされています。認知過程とは、知覚・注意・記憶・判断・言語のことです。

「リハビリテーション=運動の学習」と考えるならば、リハビリはこの認知過程を重視する必要があるわけです。つまり、人間が運動を学習していく過程を重視するということです。現在のリハビリは、脳梗塞などの脳血管障害による麻痺や、骨折に対する治療などそれぞれ病気やけがによってリハビリ方法が異なります。筋力が衰えているならば筋力をつけ、関節が曲がらないのであれば曲げてもらい、立てないなら立つ練習をし、歩けないなら歩く練習をする・・・・・。

でもよく考えてみてください。筋力をつければできるようになるのでしょうか?関節が曲がるようになればできなかったことができるようになるのでしょうか?立つ練習、歩く練習をすれば、立って歩くことができるようになるのでしょうか?筋力が衰えている、関節が曲がらない、立てない、歩けないのは、測ったり外から見たらわかります。でも患者は、それをどのように感じているのでしょうか?立って歩くことができない患者にとって、筋力がいくつだとか、関節が何度曲がるとかは意味のないことです。患者にとっては、立って歩くことのできる足になりたい訳です。

よく骨折などで衰えている筋力をしんどい思いをしてつけ、曲がらない関節を痛い思いをして曲がるようになっても、実際に立って歩こうとしたときに、足をうまく使うことができずに歩くことができないままの患者さんをよく経験します。これは患者が、自分の足をうまく使う使い方を学習しなかったために起こるものです。実際にその障害を負った足を使うのは患者自身です。ただ立つ練習、歩く練習を繰り返しても、その使い方を学習しなければできるようにはならないのです。もし歩くことができるようになったとしても、それは患者が自分で考えながら(認知過程にそって)学習したということになります。そのときに自分の足をどのように感じているのか、例えば体重がどれだけかかっているのかがわかることで、それに合わせた力を発揮することができるのです。

ここで私の言いたいことは、リハビリがある動作を獲得するためのものである以上、病気や障害の種類によってリハビリ方法が全く異なること自体がおかしいということです。麻痺であろうと、骨折であろうと、その動作を獲得するために必要な情報を患者が得ることができるようにし、それに合わせて手や足を使うことができるように教え、患者がそれを学習することが本当のリハビリだと思うのです。どんな疾患であれ、運動を学習するということには変わりないはずです。ただ病気や障害の種類によって、またその患者によって得られにくくなっている情報が異なるだけのことなのです。

私たちが現在無意識に行っていることのほとんどが学習されたものです。そして「学習」は認知過程(知覚・注意・記憶・判断・言語)を通して行われます。例をあげて説明してみましょう。はじめてテニスをするときを想像してみてください。はじめてラケットでボールを打ったときにまっすぐ打ち返すことは難しいことです。最初は変なところに飛んでいくのが普通です。そこであなたは、まっすぐに打ち返せるように学習しようとします。まずボールを打つときのラケットの角度や打つ強さなどが知覚できなければなりません。さらにそれを知覚しようとすればそこに注意を向けなければなりません。そしてさっき打ったときのラケットの角度や強さを記憶して、さっきはこう打ってあっちに飛んだから今度はこうしようと判断し、それをまっすぐ飛ぶように変える必要があります。そして大人では、それを言語化して説明することができます。このように学習は、認知過程を通して行われるのです。

こどもの場合も同じです。言葉でそれを説明することはできませんが、知覚し、注意を向け、記憶し、判断することで学習を行っているのです。認知運動療法では、患者の頭のなかで起こっていることに焦点を当ててそこにアプローチするわけです。

認知運動療法 とは?

特別寄稿