細気管支炎@
12月に入ったばかりの頃、ゆーさくの痰がやたらと多く、長引かないもののたまに強く咳き込むので、念の為主治医の診察を有卦に入った。
聴診をした主治医は、何か異常に気づいたようで、すぐに「胸部レントゲンと採血検査をしましょう」と言った。
そしてレントゲンを撮り採血検査を行う。
再び診察室に呼ばれると、主治医はレントゲン画像の横隔膜の辺りを指し、「細気管支炎です」と言った。
その日は、熱があるわけでもなく咳が止まらなくなる、というわけではなかった。
午前中に主治医の診察を受けたあとは、その帰りに保育園に用事があったので少し寄り道して家に帰るつもりだった。
しかし、主治医は「なるべくなら入院したほうがいい」という。
私は「入院準備も全くないし、昼から用事があるので、もう少し家で様子を見てもいいですか?」と聞いた。
主治医も「うーん。まだ採血の結果もそんなに悪くないし、お母さんに用事があるならば今日は家で様子を見ましょう。悪くなるようだったら、明日入院準備をもってまたきて下さい」と言ってくれた。
こうして、そのときは家に一旦帰ることになった。
帰り際主治医は言った。
「夜に悪くなったら、その時点で入院準備を持ってすぐに連れてきてください。僕は今晩当直当番じゃないけど、セカンドコール(自宅待機)なので、当直の先生にはゆーさくさんが夜中にきたら僕にコールしてもらうように伝えておきます。」
主治医のその言葉を聴き、かあちゃんは少し安心して病院を後にした。
病院を出て保育園に寄り用事を済ませ、家に帰り夜を迎えた。
夜が深まるにつれ、ゆーさくの咳き込みは激しくなってきた。
「あー、明日入院になるなあ」ととうちゃんとかあちゃんは言いながらゆーさくの様子をみていた。
夜中3時くらいだったか、ゆーさくの激しくなった咳き込みがとまらなくなる。
咳が続く間はサチュレーション(血中酸素濃度)モニターの数値も80代で、ゆーさくにはチアノーゼが出ていた。
「あー、朝までもたなかった。入院や!」
とうちゃんとかあちゃんは、入院準備をしてゆーさくを病院に連れて行った。
しかし、まだこの時は、何分何十分か続く咳は、まだ止まることを知っていた。
咳が止まるとサチュレーションも90くらいには回復する。
とうちゃんとかあちゃんはゆーさくが咳き込むたびに「早く咳が止まって・・・」と祈りつつ、病院にゆーさくを連れて行った。
病院に3時半くらいに着く。
当直の先生は主治医にすぐ連絡を取った。
主治医はすぐに病院にきてくれた。
そして、入院の手続きに入る。
病室の準備が整い、病室へ移動。
ここでとうちゃんは入院準備に足りないものがあることがわかり、一旦家にものをとりに帰った。
4時半ごろだったか、病室のベットにゆーさくを移したとたん、ゆーさくはまた酷く咳き込み始めた。、
しかし、この咳は止まることを知らなかったのであった。
”ひゅん、ひゅん、ひゅん、ひゅん”・・・病棟の廊下に響くくらいの咳で、ゆーさくは酷く咳続ける。
ゆーさくは冷や汗をかい、青白い顔をして咳続ける。
主治医と当直の先生と母かあちゃんは、咳が止まるのを祈るようにして、ゆーさくの様子を見ていた。
何分たったのだろうか、咳が止まるどころかゆーさくの容態は徐々に悪くなっていった。
ゆーさくの咳き込む力は段々弱くなっていく。
そしてとうとうゆーさくは意識を失った.
舌根沈下が始まった。
「がっ、がっ、がっ、ひゅん・・・がっ、がっ、がっ、ひゅん・・・」ゆーさくの咳の音は、変わった。
”がっ、がっ、がっ”はゆーさくが息をするときの音なのだが、舌根沈下で気道が塞がってて、ゆーさくは息を吸えていないのだ。
ゆーさくのサチュレーションは徐々に80をわり、そして徐々に70をわろうとしていた。
ゆーさくの顔色も青白いを通り越し、すこし黒味がかってくる。
横でゆーさくの様子をじっと見守っていたかあちゃんは、「あー、また気管内挿管かな・・・」と数ヶ月前の嘔吐物窒息のことを思い出した。
あの時は、呼吸が一気に止まり、一気にサチュレーションが低下し、除脈が起こった。
今回は、徐々に徐々に呼吸が弱まっていっている。
一気に止まったときはとにかくびっくりであったが、今回の徐々に徐々に・・・というのは、本当に見るに見かねない光景であった。
かあちゃんは主治医の顔を見た。
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