転院
ゆーさくは12月の始めのある日の早朝、細気管炎で入院し、呼吸困難を招いたので気管内挿管を行った。
その日の昼のことだった。
「むかつく!!!なんでここじゃ駄目なんや!!!」
主治医が、かあちゃんが今まで聞いたことのない大きな声で、ゆーさくの病室に怒鳴り込んできた。
主治医は完全に我を失っているようで、そんな主治医の姿も見たことがなかった。
かあちゃんはとにかく、びっくりした。
主治医はかあちゃんの顔を見ると、話を始めた。
「○○先生(小児科の一番偉い先生)が、人工呼吸器治療をしたほうがいいというんです。しかし、今この病院にはゆーさくさんに使えるような子供用の人工呼吸器はすべてNICUで塞がっていて・・・。さらに、ここの病棟の看護師長が今のゆーさくさんは万が一に備えて、小児の設備が整った大きい病院に転院させるべきだ、というんです。
でも、僕はゆーさくさんを診たい・・・。」
主治医は興奮しながら、いろんなことをしゃべっていた。
かあちゃんは”えっ?転院するの?ゆーさくの今の状況ってそんなに深刻なの?”と思った。
とはいえ、かあちゃんにとっては主治医の興奮ぶりのほうがインパクトが強かった。
それくらい、いつもどんな深夜で寝ぼけていてもゆーさくに何かあったら、些細なことでも様子を見に来てくれる温厚な主治医が私の前でもキレていたのであった。
主治医はいろいろ話をしている途中で、思いついたように、「そういえばNICUにまだ1台使えそうなのがあるかも」と言い、NICUにその呼吸器を取りに行った。
ゆーさくの病室に呼吸器を運んでくる。
使えるか使えないかわからないくらい、古い呼吸器だった。
しかし、やはりその呼吸器は使えなかった。
主治医は「くそっ!」と舌打ちする。
そこへ「使える呼吸器がまだあったの?」とその○○先生が様子を見にきた。
主治医は「やっぱり駄目だ。これは使えない・・・」と投げ捨てるように言う。
それでもその先生は主治医に、どこが使えないかなどを聞く。
主治医は使えない原因を一気にその先生にまくし立てる・・・。
話をきいた先生は、主治医をなだめるように、「△△(主治医)くん・・・」と言いながら、主治医の肩に手を置いた。
主治医は、少し落ち着いたようで「受け入れ先の病院に連絡を取ります」といい、病室を出て行った。
主治医が病室を去った後、その小児科で一番偉い先生はかあちゃんに言った。
「今は状態が悪いから出来ないけれど、これが落ち着いたら、ゆーさくくんは気管切開をするべきです。こんな深刻な呼吸トラブルが起こるようでは・・・」
実はこの先生は、数ヶ月前に主治医が帰宅後にゆーさくが嘔吐物を喉に詰まらせたとき、ゆーさくのところに駆けつけてきてくれて挿管をおこない処置をしてくれた先生であった。
かあちゃんは「もちろんです。今回ばかりは私もそう思いました。気切に反対していたお父さんも覚悟をきめたようです」と答えたのであった。
受け入れ先の病院が決まる。
我が家に近いA病院。
そこはかあちゃんがゆーさく妊娠中に、切迫早産で入院していた大病院であった。
かあちゃんが胎盤がはがれ陣痛が来てゆーさくを生まざるを得なくなったとき、そのときの対応の遅さにとうちゃんもかあちゃんも少し不満が残っている、というそのA病院であった。
しかし、家に近い病院を・・・という主治医の配慮もあったことだし、敢えてかあちゃんは何も言わず、「わかりました」と転院準備を始めた。
主治医は転院そのものに対し必死に謝る。
「本当にすいません。僕が最後までゆーさくさんを治療したいんです。でも、僕にはNICUもあってゆーさくさんに24時間ついておくわけにはいかない。だから看護師の協力が絶対不可欠なのだけど、その看護師さんにゆーさくさんを看れないと言われたら、どうしようもなくて・・・。
転院には僕がついていって、しっかり直にあっちの先生に僕が引く継ぎをします。本当にすいません」
謝りつつも、主治医はまだゆーさくの転院に対して納得がいっていなくて、興奮しているような感じであった。
しかし、かあちゃんはその時すでに、転院はやむをえないとすでに覚悟を決めていた。
うすうすは感じていた。
ゆーさくのあふれる痰の頻回な吸引により、担当の看護師さんは、他にも受け持ちの患者さんを数人持っているはずなのに、ゆーさくに付きっ切りになり、そのことで、ゆーさく一人の為に病棟の他の看護師さんたちも仕事が増えててんてこまいしているようすだった。
また、ゆーさくのいる病棟は、元々は大人の急性期病棟で、小児の患者も引き受ける体制になってまだ日が浅かった。
以前、ある看護師さんが「大人ばかり看ていて、急に子供を看るのは小さいから怖い」といっていたし、逆に新生児ばかり見ているNICUの看護師さんも「大人を急に看ろと言われたら、ちょっとこわい」といっていたのを聞いたことがある。
ゆーさくは、挿管したので命はとりあえず確保された状態だったとは思うけれど、咳がとまらなく痰があふれ、その痰を吸引したらさらに酷い咳を誘発し・・・という収拾がつかない緊迫した状態が続いていた。
主治医から「病棟の看護師長が・・・」と打ち明けられ、かあちゃんは正直「やっぱりなあ」と思う気持ちもあったのだ。
ゆーさくの状況の深刻さ、そして看護師さんの戸惑いを思うと、仕方ないことだと思った。
転院に対する思いよりも、かあちゃんは、主治医のそんな様子に、ゆーさくの主治医という仕事に対する熱意と責任感の強さを感じ、かなり圧倒されていた。
主治医って、日ごろからいい先生やなぁ、とは思ってたけど、こんなにあつい人だとは・・・主治医の意外な一面を見たような気がした。
普通の主治医⇔患者の家族という関係から、もう一歩踏み込んだような関係を感じ得ることができた。
今回はやむなく別の病院に行くけれど、私たち家族は、主治医にゆーさくを任せていて良かったしこれからも任せよう、と強く決心する。
正直、B病院は大病院でもなく小児専門病棟もない。
さらに、ゆーさくの周りの障害児たちはみんな障害児専門の病院に通っているのだけど、B病院は障害児専門病院でもない。
そして、ゆーさくは脳性麻痺の発達の問題だけでなく、呼吸機能の内科的な問題もあり、障害が重複している。
そんなことから、かあちゃんは、小さい普通の総合病院であるB病院に頼ることに対し、少しだけ不安があった。
(とはいえ、障害児専門C病院を止めるかわりに、全部見て欲しいとB病院の主治医に自分が頼んだので、矛盾している話なのだけど。)
しかし、今回の転院騒動で、そんな不安は一気に晴れる。
一生医療に頼らなければいけないゆーさくやゆーさくを育てる私たち家族にとって、大切なのは、病院の設備や知名度ではない、支えてくれる医療スタッフの信頼関係・・・もちろん医療スタッフの医療技術や知識がベースにあっての話だけど・・・。
うすうすそれはかんじていたのだが、今回の主治医の姿を見て、とうちゃんもかあちゃんも確信した。
信頼しているからこそ、今回病院側の都合により転院させられることにたいいし、憤りなどはなくすぐに仕方ないとわりきれたのであった。
かあちゃんは、主治医の誤りぶりに対し、
「いやいやしかたないです。じゃあ、ちょいとA病院にお出かけしてきまぁす」
と答えた。
そして、転院準備が整い、病院の救急車でA病院に運ばれる。
大きくて綺麗なA病院の小児病棟の詰め所のまん前にある監査室がゆーさくの病室だった。
待ち構えていたのは、年配のベテランの先生と研修医のような若い先生。
二人ともゆーさくの主治医となっていたが、実質は若い先生がつくようで、若い先生と主治医は引継ぎをする。
引き次が終わると、B病院に主治医は帰っていった。
かあちゃんは「ありがとうございました。また、退院したらお願いしますね」と主治医に頭を下げ、去っていく主治医の後姿を見送った。
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