アイルランド旅行記その19 灼熱の(!)グレンダロッホ


 

 ダブリンから海岸沿いに南へ下っていったところにウィックロウという
町があります。その町から、少し内陸部に入ったところにあるのがグレ
ンダロッホ。針葉樹林に囲まれた山地に、氷河が削った湖水が連なる国
立公園で、高山植物が咲き、渓流が走るその景観はさることながら、そ
こに残された6世紀頃の石作りの初期キリスト教遺跡群は、アラン島の
それと並んで有名で、霧の中、滴もしたたる針葉樹の鬱蒼たる森陰に、
黒ずんだ石の門や教会、修道院、ケルト十字が累々と並ぶ墓場が隠され
ていて、ふと目をやると黒い衣のドルイド僧が見えたような気がした・
・・幽玄の世界  をもちろん期待して出かけていったわけです、当然。
 ところがその日もまた、イタリアの気候が間違えてアイルランドに上陸
していたのに違いありませんでした。
 公共交通機関では帰って来れなくなるかも知れない辺鄙なところなので、
ダブリン発のバスツアーに同乗。デンマーク人やイタリー、スペイン、ド
イツ、スコットランド人、と国際色豊かな一行で、陽気な運ちゃんのガイ
ドとともににぎやかに出発したのはいいんだが、しばらくすると余りの陽
光のまぶしさ、暑さにバスの中はうだり始めました。ここはニースかフロ
リダか、というような真っ青な海辺をしばらく走りますが、運ちゃんの話
では、水温は冬も夏もあまり変わらないのだそうだ。ブレイの港に浮かぶ
小島の横をとおったとき、なかなか話のうまい彼いわく、「この島には絶
対、決して、何があっても食べるものを持っていっちゃいけませんぜ。も
しもってゆくと、その人は追われ、つけ回され、狩られ、つきまとわれて
ついにはその食べ物をすっかり奪われてしまいますからねえ、この上なく
反社会的な山羊が住んでるもんで。」
 手織の布が有名なAVOCAのクラフトセンターで休憩した後、バスはウィッ
クロウの谷を走ることになります。アイルランドではもっとも肥沃な土地
というとおり、柔らかな緑に溢れる風景。他ではついぞ見なかった小麦畑
が今、収穫時の黄金の実りです。谷を囲む山には、この国には珍しいほど
の標高900メートルという高さのものもあります。ダブリンから正味3時間
くらいで、グレンダロッホに到着。意外にも明るい緑の開けた谷で、燦々と
照り注ぐ太陽の光に、この頃にはさしもの日光浴大好きヨーロッパ人も、木
陰に隠れたくなる陽気です。おまけに観光バスが何台か着いて、うんざりす
るほど人がいるし、アイスクリーム売りの屋台がいい儲けをしている。ツアー
毎に色の違うシールを貼られ、時間を区切ってヴィジターセンターに連れ
込まれると、15分ばかりアイルランドにおける修道院史のビデオを見せられ
る。このビデオ自体は美しく、わかりやすくて、授業用にもらいたいくらい
だったが、管理教育されてるようで、もうひとつ気分が良くない。センター
を出るとまたやたらジェスチャーの大仰なお兄さんのガイド付きで、石の門
教会、円塔、十字架を順繰りに引き回される。さあ、あと30分で食事しなさいっ
てなぐあいで、ミステリアスな雰囲気も何もあったものではない。つくづく
ツアーじゃなしに自分で来て、林の中の散歩道を上の湖まで歩いて、セントケ
ビンのベッドとか、回ってみればよかったと後悔しました。
 しかし緑の谷間の遺跡群はやはり素晴らしいものです。だが今日の日差しも
半端じゃありません。集合時刻で、バスに戻るとき、運ちゃんは「さあかまど
に戻りましょう」といって皆を笑わせましたが、笑い事でもなかったのでした。
上の湖へはそうしてバスで行ったのですが、あんな林の中の小径をバスで走るの
は犯罪行為のような気がします。氷河の作った湖が二つ、細い糸のような川で
連ねられている、その上流の方の湖なのですが、そこに迫る山は、岩肌が見えて
いて枯れ木が目だちます。19世紀まで鉛の鉱山があって、鉱害でやられたそう
です。だからこの澄んだ水を湛えた美しい、静かな谷間の湖にも魚はいないのだ
そうです。意外でした。荒涼とした風景は、人災の結果ということもあるのです
ね。その先、バスが登っていったウィックロウの山の斜面も、木はなく泥炭にヒー
スの茂みがあるだけですが、銅山の滓の山が所々に残っており、さびれた廃鉱
の悲しい風景を形づくっているのでした。その砂山の上に、どこででも生きていく
たくましい羊がお山の大将しているのでした。(MOST ADVENCHUROUS SHEEP と運
転手は言った。)
 その前の晩あまり眠らなかったせいか、蒸し風呂バスで眠ってしまったわたしの
記憶はその後定かではなく、何度か窓ガラスに顔をぶっつけたことは覚えているの
だが、いつのまにかダブリンに帰ってきたという感じで、実に明るく、灼熱のグレ
ンダロッホという訳の分からぬ思い出が残ったのですが、その一ヶ月前、寒々とし
た当地を訪れた知人とあまり印象が違うので驚いたような次第でした。

 次回はついにさようならアイルランド、最終回の予定です。
 
 

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