アイルランド旅行記その16 コーク滞在記


 

 久しぶりの鉄道。窓ガラスは汚く、座席も埃っぽい。ダブリンへ向かう
人がマーロウで降りてしまったので、コークまで行く人はまばらでした。
午後8時、小雨の中コーク到着。この町はかなり大きな商業都市で、リー
川の河口の中州にあります。リー川は、暗く水量の多い大きな川で、
ゆっくりと蛇行し、二つに分かれて町の真ん中を流れているため、それ
を飲み込むまでは、道がややこしくて困りました。大通りも川に沿って
曲がってたりするものですから。北のリー川より北、南のリー川より南
は上り勾配になっていますから、ここはほんとに谷間なのです。そうし
た町外れの坂道には結構有名な教会がいくつもそびえています。鐘楼の
上に金のシャチホコならぬ鮭をのっけたシャンドン教会、ノースアベイ
は北にあり、サウスアベイ、町で最古のレッドアベイ(廃墟のみ)、ホー
リー・トリニティー、アイルランドを「賢人と聖者の島」と呼ぶその
語源となったというセント・フィン・バー教会は南に、町のど真ん中に
はセントメアリーカセドラルにセントピーター&ポール教会・・・実は
私もこのへんでもうどこがどの教会か認識の限界を超えてしまっていて、
よく区別が出来なくなっているのです。モッタイナイハナシ。
 ここで二晩泊まったのは、駅の裏のきったないB&Bでした。だいたいア
イルランドもイギリスも駅というのは町のはずれです。柄の良くないとこ
ろが多い。その裏となるとだいぶんアヤシイ境界領域です。魑魅魍魎がバッ
コする(漢字変換できない)ことはなかろうが、ここもまたうらぶれて
汚くて、臭くて、ゴミだらけの通りでした。戸口で汽車の到着を待ちかま
えていたような男の子が、鞄を持って上がってくれた階段はギシギシ、床
の傾いだ部屋、安っぽい家具、ひび割れた洗面台。ロンドンのB&Bを思いだ
し、ちょっと落ち込みました。夕食に出たのですが、近くにはさびれたパブ
が数軒あるだけです。橋を渡って町中へ出ればいくらもあるのでしょうが、
この初めての晩はあまり遠くに行くのがおっくうでした。橋のあたりには、
酒瓶を持ってうろうろしているじいさんとかいたりしますし。しかし8時
半ともなると、食事を出してくれるパブはまれです。(リムリックで、すげ
なく追い払われた記憶がある)MEAL SERVED と書いた黒板が出ているパブを
のぞいてみると、ごく普通の女の子が普段着でビーミッシュ(コークの黒ビー
ル)を注いでいたので、入ってみました。彼女に晩御飯食べられるかと聞
いてみたら、首を傾げ、サンドイッチなら、といいます。それでいいから紅
茶と、と頼みますと、「ほんとにプレーンハムしかできないけど」と、それ
でも快く引き受けてくれました。しばらくして出してくれたのは、ほんとに
プレーンで、今切ったばかりの食パンにバターを塗ってハムを挟んだだけ。
でも、こんな時間にサンドイッチと紅茶なんていう迷惑な客に、わざわざ作っ
てくれた親切が身にしみて、あの味は忘れられないのでした。
 翌日はコークの町の教会、美術館、クラフトセンターなどを回りました。
悪趣味な、と思いつつも、町外れの刑務所博物館にも行ってしまいました。
クラフトセンターの骨董品屋のおじさんに、中国の陶器に書いてある漢詩を読
んでくれと頼まれたが、読めなかった。読める人が来るのを待っているのだそ
うですから、誰か行って教えてあげてきて下さい。
 町の南には中世の砦跡が残っています。ELIZABETHIAN FORTというのですが、
笑ってしまうのはその砦の中に、今はガルダ、すなわち警察署があるというこ
とで、リサイクルですね。砦の上に上ると、雑草が茂っていましたが、今日は
スカートだったので、うっかりそこに踏み込んだはずみにいらくさの刺に刺さ
れ、全治一日の引っかき傷。いらくさの痛みは経験者にしかわかるまい。確か
刺に蟻酸という酸(蟻とか蜂とかの毒と一緒)があるのです。そのちくちくし
た痛がゆさは一日持続します。アンデルセンの『野の白鳥』の話で、兄王子た
ちを救うため、王女はいらくさのシャツを作るところがありますが、刺が痛い
どころの話じゃありません。想像を絶します。
 久しぶりの大都会の人混みはずいぶん疲れます。しかもゴミの汚いところで、
あまり美しい町じゃありません。大きいといっても一日歩き回ればだいたい、
回れるわけで、二日目はバスで、少し離れたブラーニー城へ行くことにしました。
 その石にキスすれば、雄弁の才を授かるというブラーニーストーンが、城の最
上部にはめ込まれているというので有名なところです。続く。
 
 

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