四畳半友の会 会報2号 1976年10月(その2)

1976年10月当時、学生時代から引き続き石津の四畳半の部屋に住んでいた。尼崎の会社まで京阪、環状線、阪急と
乗り継いで通勤していた。京阪は沿線に松下とサンヨーがあったので時間帯によって強烈に混んでいた。





タイトルは何か?わからん  三浦

エ〜、この度は、会長、田ブチ、幹事、森田氏のもとに第3回、四畳半友の会会合を持たれましたことに対し、

その努力に深く、ふかぁ〜く感謝いたしております。

みんな、ヨ〜きいてョ。

俺、見てたんだヨネ、彼らすばらしかったヨ、仲よくってさ。俺、疑っちゃったもんネ、「ホモ」かって、ネ。

もう気持がでっかくってさ。今度の会の費用全部二人で持つんだって、すばらしいなあ〜。

PART1 (田ブチさん 独白 )

 オイ、会費、五千円ヤド。ハヨ、ハヨ、領収書持って来たんやから。

 ハヨよこしてや。(三浦さん 払う)

 ハイ、まいどオオキニ。

 あと、ダレとダレから、金、取るんやったかな。

 あー、森田さん・・  と   別所・・  はよー取らんといかんナ。

 別所からか、取りにくいな

 あいつ、はヨとっとかんと払ってもらわれへんからな。

 ハヨ、行ってこ・・・・

PART2(ダイエーにて)

田ブチ:

 ホース買って、割りばし買って、・・・・・

 そや、サラやったナ

 あっ、アト、あれや、ガスの分けるやっちゃ・・・    あれ、高いねんど・・・

 これ、全部で何ぼやろかナ

 あ、そや、あすこで電卓売ってたで。

 カリよ〜っと、・・・   1800   ぐらいか。

 ハイ、森田さん (といって、田ブチは森田さんに2000円をてわたす。)


しばらくして、森田さんが戻ってくる。

とはいっても

 ア〜、森田さん、ここや。こっちにおるで。

 ア、そっちやナイって、・・・  ア〜ア、行ってしもた。

 しゃないな、・・・   どこに目えつけとんのやろ。

そして、森田さんと田ブチの会話

Mo:

 ナンや、田ブチ。1970円取られたやないか。どナイしてくれんネン。

Ta:

 まあ、ヨロシガナ。足りんかったら出しとき、自分の金でやぞ。

しばらくして

Mo:

 オイ、田ブチ、カセットのテープ買っていこや。

Ta:

イラン、イラン、そんなもんどないすんネン。欲しかったら、自分の金でこうとき。

Mo:

 ア〜、  (ガックリ)

 アイツ、ガッチリしてるナ。

 もう、しゃないヤッチャ ・・

     ( etc )

以上、述べました事はすべてウソであります。

あの、太っ腹田ブチさんが、間違っても、そんな事するはずもありませんし、

できようとしてもできるはずがあり・・・ましたのですゾ、ミナサン。

私は声を大にして叫びたい。

このすばらしい四畳半友の会が、こんなことでよいのだろうか。

ボクは会員諸氏の気持ちに訴えたい。

(『役者』としての私登場)

と言っても・・・・オモシロかったで、

みなさん、森田ハンと田ブチハンやで、役員が、エライ笑わしていただきました。

『森・ブチ』さんありがとう!!


就職して1〜2年。生活の拠点を求めて寝屋川を後にして去っていった者、そのまま残ったもの、
それぞれの会社勤めが忙しく、私は月曜から金曜まで泊まり込み出張で家を空けることが多くなった。

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