青い小鳥は宮殿を抜け、淡く光るその身で夜闇を切り裂き地下に続く洞穴へと入っていく。それを視認した黄瀬はその後を追い、石造りの階に足を掛けた。
人が三人通れるだけの幅しかないそこは、常時篝火が焚かれているものの薄暗い。加え、ねっとりとした湿気が上がってくるため階は滑り易くなっている。
一段、一段、気を配りながら下りていく黄瀬の目の前を小鳥が旋回していた。鳥は夜目ではない。だというのに、この小鳥がなぜ自由に夜闇の中で飛べるのかというと、これの飼い主が特殊だからだ。もちろん、この薄暗い洞穴の中で淡く光る理由も、その一言に尽きる。
「にしても、オレのが身分高いんスけど。なぁんで、オレが態々行かなきゃいけないんだろーね」
黄瀬は溜息を吐き、足を止めた。
態々黄瀬があの部屋から出てきたのは、この小鳥の飼い主が良い八つ当たりの相手だったからだ。言ってしまえば彼を少々嬲ってやるために剣まで持って来たのだ。だが、それも段々と面倒臭くなってきた。
炎と共に揺らめく影を見遣り、黄瀬は剣の柄を撫でながら再度溜息を吐く。小鳥は早く来いと言わんばかりに自分を囲むように旋回している。
何度目かの溜息を吐きだしたとき、黄瀬の鼓膜を揺るがすのは炎が爆ぜる音だけになった。今は静かになった羽音の元凶を横目にし、黄瀬は歩き出す。右手に持った剥き出しの刃の汚れを払うため空気を切り裂けば、階に黒い何かが散った。
「考えれば、青い小鳥を使ったっていうのも気に食わないっス」
青は全てあの子のための色だ。それを他が持つなんて、あの子への侮辱であり、あの子を愛する自分への侮辱だ。許されるはずがない。
黄瀬は剣を鞘に戻すことなく、地下へと足を進める。
空間に反響する炎が爆ぜる音を耳にしながら、黄瀬はそれとは違う音を確かに捕えた。波の音だ。地下は海へと続いており、小さな舟の停留所となっているのだ。
そこに不快な小鳥を差し向け、黄瀬を悠々と待っている人間がいる。従者の笠松同様結構な時を共に過ごした友だ。
だが、飄々としたあの男が嫌がる報復方法がなかなか見つからない。黄瀬は何としても友を嬲るために頭を捻りつつ、最後の一段を降りた。
階を降りれば、そこからは広い踊り場になっている。際では波が打ち寄せ、舟を揺らし、時折そこを濡らす。
海へ続く洞穴付近は月光の恩恵に預かり明るいが、それ以外は篝火が一切焚かれていないので暗い。
足音を立てぬように進みながら、黄瀬はその岸辺を目指す。夜目の効く双眸がそこにある船影の他に、人影を捕えていたからだ。
だが、不可思議なことに人影というのは、二つあった。一つは間違いなく、あの男のものだとして、もう一方は、誰か。
黄瀬は警戒するように手に持った剣を持ち替えた。
そして、白刃は暗闇をひっそりと切り裂き、友であるその男の喉元へと突き立てられた。
「それに、触んじゃねぇよ」
それを耳にした途端、彼の脳は悲鳴を上げるように警告を発した。耳鳴りを起こすほどの凄まじい警告に、彼はすぐさま『それ』を囲っていた両手を離し、敵意はないと示す。だが、それでも、支えを失って彼の体躯に寄り添う『それ』に冷や汗が募る。
背後に立って喉元に刃を突き立てているのは、それなりに長く一緒にいた友だ。だが、これ程の怒りと殺意を込めた恫喝は一度も耳にしたことがない。友が『それ』に過度な執着を持っていることは彼とて重々承知していたが、こんなことで怒りを示すなどとは思ってもいなかった。
折角『それ』を連れてきたのに海に攫われては堪らないと思い、彼は両腕で囲っていただけだ。恐らくは友だって分かっているだろう。だが、それでも友は怒りを、殺意を向けて来た。そんな友が、『それ』と密着しているだけであっても、この現状を許すだろうか。友の逆鱗が何処にあるか分からない彼は恐ろしくて堪らなかった。
判決を待つ時間は長かった。大して時間は過ぎていないだろうが、彼にとっては長かった。
彼の喉元にあった白刃が引いていく。だが、無罪放免ではないらしく、恐ろしく切れの良い白刃は薄らと彼の咽喉を割いた。走る痛みに呻き、咽喉に触れればぬるりとした何かが彼の手を濡らした。当然、血だ。手に付いていた潮気にズキリズキリと痛みは主張を強めた。
「ひでぇ、オージ」
嘆息しつつ、彼が愚痴を零しても友は意にも介さない。
背後で地面が抉られる音がする。恐らくは友が白刃を地面に突き立てたのだろう。
声を荒げることもなく、自分を震え上がらせた友はまるで別人のように恭しく『それ』を奪い去っていく。海水に汚れることも厭わず、友は身動ぎもしない『それ』を宝物のように腕の中に閉じ込めた。
友の長い指が『それ』の頬を撫で上げ、瞼を撫でる。月下の淡い光に照らされた中では勿論、こんな薄暗い場所でも淡く輝くベビーブルーの髪を掻き上げ、友は笑った。今は夜目が利く体質になっている彼は、見た。口角を釣り上げ、双眸を爛々と歓喜に彩らせる友の顔を確りと。
彼の頬が引き攣った。人身御供が成功したという安堵に因るものであり、友の執着心の強さに対する恐れでもあった。
だが、とにかく、人身御供は成功した。彼はホッと息を付き、海に沈む慣れぬ尾鰭を動かした。
「これで、帳消しにしてくれんだろ?」
友はベビーブルーの髪を梳きながら、此方を睨み据えてくる。怪訝なその眼差しが一体何のことだと言っているようで、彼は慌てて昨日のことを話した。
「おいおい、例の薬の件!これで帳消しにしてくれよ?」
あの時、この男はお前の所為だと酷く熱り立っていて、彼は殺されると本気で思ったのだ。だから、折角の遊学先を棒に振ってまで海の一族の王女を誘拐した。
「……ああ、あのムカつく人魚が飲んでた薬ね。アンタが態々作ってくれた姿を擬似させる」
一拍後、友は漸く思い出したようで彼はそれだと頷いた。若干怨みがましい音が含まれていたが、間もなく友は、いいよ、と答えた。腕の中の宝物を愛しそうに見詰めながら、帳消しにすると。
「但し、人魚の真似事はもうお仕舞いっスよ、高尾っち」
―――アンタは、オレ専属の魔法使いなんだから。
元は二本の脚であり、今は海水を緩やかに蹴る尾鰭を睨まれ、高尾は乾いた笑声を上げる。
「わかってるって」
その答えを聞き、友は腕の中の宝物を大事そうに抱きかかえ、その場を去って行った。闇に解けるように消えていく後ろ姿を見詰め、高尾は自分の顔を確かめるように触る。ふと、モノクルに触れ、それを外し本来の持ち主を思い出す。
「ごめんねぇ、真ちゃん、カガミン―――それと、オヒメサマ」
意識が重く沈んでいく中、黒子は彼を思い出していた。ヘイズルの髪と瞳を持った綺麗な容貌をした人間。海で溺死し掛けたというのにへらりへらりと笑っていた、あの男のことだ。
珠を盗られたことは黒子の生死に関わり、重要なことだ。だが、その事じゃない。ベビーブルーの髪がよく似合うと言ってくれたことだ。
それは初めて貰った言葉で黒子は戸惑うしか出来なかった。周囲にいた同胞は誰もそんなことを言ったりはしなかったから。
まじまじと眺める視線から逃れるように海に潜ったとき、黒子の顔は熱が溜まっていた。多分、嬉しかったのだ。
黒子はそんな事を考え、意識を更に深く沈ませていった。
次に目が覚めたとき、そこは知らない世界だった。黒子は其処に蹲り、歪んだ世界を見つめた。
ガンガンと痛む頭を抱えながら、自分はなぜ此処にいるのだろうかと記憶を辿ってみた。けれど、頭痛が邪魔をして思うように思惟出来ない。
右へ左へと視線を巡らせても、此処が何処かの一室であることしかわからない。歪みながらも視野に入る調度品は、海しか知らない黒子が見たことのないものばかりだった。
自分はなぜ此処にいるのだろうか、黒子は必死で記憶を手繰る。此処にいてはいけない気がする。痛いほどの警鐘が頭を打ち砕こうとしている。
「―――かがみ、くん」
黒子は呆然と呟いた。
そう、自分の代わりに連れ去られた弟を助けるため、確かに黒子はバルコニーが見える崖の近くにいたはずだ。崖に空いた穴に、緑間といたはずだ。なぜ、こんな場所に一人でいるのだろう。
考えてもわからない。黒子は髪を掻き乱し、焦ったように左右を見回して頭上を仰いだ。そうして、自分が水の檻に囚われていることに気が付いた。
「……っ」
困惑する中でも、分かっていることは、幾つかある。一つ目は、黒子の最後の記憶は緑間の魔法薬を飲み干した時だということ。二つ目は、恐らく此処は海ではないということ。三つ目は、自分は何者かに捕まったのだということ。
(っ、尚早です……っ)
過った推測を黒子は頭を振って否定する。
震える腕を叱咤して黒子は檻の縁まで這って行く。随分巨大な檻らしく、辿り着くのに時間が掛かった。
檻に恐る恐る触れてみてば、それは硬い物質だった。知らない物質ではない。黒子はこれを見たことがあるし、触れたこともある。何故なら、陸の一族が時折海へと落としていくからだ。つまり、これは海の物質ではなく、陸の物質なのだ。
だとすると、やはり此処は陸地。
一層強くなった懐疑に黒子の血の気が下がる。
緑間の魔法薬を飲んで、気が付いたら陸地で水の檻にいた。自分を捕えたのは、人間。
導き出される答えは、なんだ。
「……みど、ま、くん」
黒子は全てを拒絶するようにその場に蹲り、戦慄きながら幼馴染の名を呼んだ。
どれだけの時間が経ったのだろうか。何も見たくない、何も聞きたくない、何も知りたくないと、蹲っていた黒子はふと水の振動を感じ取り、虚ろな眼で身体を起こした。
視線を右へ左へとくれても変わった様子はない。いったいなんだろうかと億劫に考えてみるが、間もなくそれも泡のように消えた。そんな黒子を誘うように再び水が揺らぐ。
振動を辿るように動かした視線の先は頭上。そこには、歪んだ壁画と、影の姿。
黒子を呼び寄せるように水面がまた揺れている。広がる波紋を下から見つめ、黒子は唇を引き結んで尾鰭を緩やかに動かした。
浮かび上がってくるシルエットを見つめながら、黄瀬は頬が緩むのを止められなかった。
彼女は此処に来てからずっと深く眠り就いていた。丸まって眠る姿はとても可愛かったが、ベビーブルーの瞳が見れないのはとても寂しかった。
漸く、漸く黄瀬は彼女と合い見えることができる。それが嬉しくて堪らない。
水槽脇に作らせた階に腰掛け、黄瀬は水面を緩やかに撫でる。
水音と共に顔を出した少女は黄瀬から随分と距離を取っていた。あからさまな警戒に黄瀬は顔を歪める。
「人魚さん、こっちおいで」
そんな言葉と共に手招きするが、少女は思っていた通り後退ってしまう。一瞬虚を突かれた顔をしたが、海水に浮かぶその姿に黄瀬は相好を崩した。
いつかに捕まえた人魚と同じ反応ではあるが、この少女の反応なら許せる。というよりは、この少女と同じ反応をしたあの人魚が黄瀬は許せなかっただけなのだ。同じ反応をするなんて、二人が繋がっているようで、胸糞悪かったのだ。
黄瀬は胸元を探り、ずっと持っていた珠を取りだした。
「これ、ちゃーんと返すっスよ」
珠をプラプラと揺らせば、彼女は一瞬顔色を変化させた。そう、一瞬だけ。彼女は黄瀬を睨みつけ、此方には近づこうとしなかった。
「投げてください」
嵐の夜にこの耳で覚えた声よりも掠れた音だった。高尾が呑ませた睡眠薬の所為だろうか。そんなことを考え、黄瀬は高尾の抹殺計画を思案してみた。
「こっちに、投げてください」
変わらず掠れた声だったが、堅い音でもあった。それに引き戻された黄瀬は鮮やかに笑んだ。
「いーや。返して欲しかったら君が来てよ。君にとって、大事なものっスよね?―――それに、君の身代わりの人魚のこと、聞きたくないスか?」
そう答えてやれば、少女の顔が悲痛に歪み、その瞳が揺れる。分かっていた反応ではあるが、黄瀬としては面白くなかった。
自発的にこの少女の身代わりとして来たのだから、あの男の人魚と彼女は面識があるはずだ。しかも、随分な宜しい仲なのだろう。そんなことを考えれば益々あの人魚に殺意が湧いて来る。
「ねぇ、こっちに来ないんならそれでもいいっスけど、代わりに身代わりの方は殺してもいい?」
殺気だなんて物騒なものを少女に欠片も向けないよう努める反動として、黄瀬の声音が冷やかなになるのは許して欲しい。
彼女はそれを聞き、血の気を下がらせた。白雪のような肌が青白くなり、ベビーブルーが水膜を張って彷徨う。そして、間もなく少女は此方へと泳ぎ始めた。
度々止まり、距離を少しでも取ろうとする度に黄瀬は手招いた。少女が腕の中にすっぽりと納められる位置までそれは続いた。
唇を噛み締める少女の首筋に珠が付いたペンダントを掛けてやる。珠を取り返した後も少女が逃げないと知るや、黄瀬はベビーブルーの髪を愛しげに梳き始めた。
(まあ、逃げ道なんて何処にもないんスけどね)
「あ、そうだ。人魚さんの名前教えて欲しいっス。んで、オレのこともちゃんと名前で呼んで?」
―――覚えてる?黄瀬っスよ、黄瀬涼太っていうんス。