豪奢な家具に囲まれた部屋の中、少女はソファに身を沈め閑々と瞳を閉じる。そして、波立つ感情を抑えようと一つ溜息を吐き、ゆるりと輝石のように見事な碧眼を現した。
目の前には見慣れたアンティーク調の豪奢な家具。この屋敷で生まれ、育った少女には特に感動を受けるほどのものではない。だが、庶民と呼ばれる者たちは少女と同様ではいられないだろう。この家具を一つ売れば庶民の様に過多な贅沢を望まない限りは働かずとも無事に一生を終えることが出来る。そんな馬鹿みたいに値の張る高価なものがこの屋敷の中には溢れている。
微かに焦点の合わないその瞳を揺らし、少女は口唇を戦慄かせる。己が仕出かした罪に耐えられず、咽喉が嗚咽を上げようとしているのが解る。
こんなものがあるから、いけなかったのだろうか。こんな、豪奢なものに囲まれる生活をしていたから、間違ってしまったのだろうか。他者は、自分よりも下にいるのだと。そんな驕りを、抱いてしまったのだろうか。
「けれど、それは、罪なのです」
可憐な口唇から、震える声が零れていく。
「だから、貴方は裁かれねばなりません」
柔らかな頬を雫が伝うと、泣き喚きたい衝動が全身を駆った。そんな弱い自分を隠すように少女は小さな両手で顔を覆う。ふと、真っ暗になった視界を掠める金色の光。それはつい一刻ほど前に此処を尋ねてきたこの東方司令部の最高司令官だ。
少女の親類一同に罵詈と憎悪の刃を向けられても毅然としていた、光の支配者。彼女のように、強くなると決めた。この身に流れる血の義務を果たすのだと、愚かな自身と哀れな子羊たちに誓った。あの、激しい雨の日に。
けれど、所詮は甘やかされて育った十六の小娘なのだ。軍で心身ともに鍛え上げられた彼女のように、強くなどいられるはずがない。
「どうして、ですか、―――如何して、御祖父様……」
だから、少女はその人を貶めるような真似をしたことを、今更に悔いていた。
金の眼下に佇む教会。何度も訪れ見慣れたはずのそれは、空が暗く翳った所為で潔癖を表す本来の色ではなく、灰色のような薄暗い色に見えた。
もう直ぐ昼に差し掛かる時間だが、普段ならば広い庭で子ども達がまだ遊んでいることをエドワードは知っていた。だが、今日は天候が怪しい所為か、其処は皓々としているばかりだった。どうしたのだろう、と少し首を傾げるがそれの答えが出る前にエドワードはシニカルに唇を歪めた。
「俺が最後に此処に来たのは二年前だ。あの頃と同じであるとは限らないか……」
例えば、子ども達の情緒教育のためにと為されていた、朝の朗読会、昼の清掃、夕方の調理会。その他の色々なことも、今はもう廃れてしまっているのかもしれない。
何もかもが、移り変わっていく。自分の知っているものが、なくなっていく。そんな恐怖がエドワードの背を這って咽喉をゆるゆると締め上げる。だが、仕方がない。これが循環する世の常なのだといえば、確かにそうなのだ。いつまでも変わらないものなどない。形があっても、なくても。
「そんなこと、解っているはずなのにな……」
それでも、変わらないで欲しいと切願するのが自分なのだ。
ふと、上質な翠玉を思わせる双眸を持つ幼い少女を思い出した。一刻ほど前に訪れた屋敷の中、憎悪と罵詈を思いつくままに吐き出していた大人たちを尻目に一人静かに座していたあの子ども。いつだったかは恐怖に震えながらこの金色の双眸を見据えてきたのに、そのときは上流階級らしい閑雅な様子は見せるものの決してこの眼を見ようとはしなかった。
もしかしたら、今頃、少女は泣いているのかもしれない。たかだか十六の娘、と見下げるつもりはない。けれど、あの子どもは自分とは違う。真綿に包まれ育ってきた存在だ。そんな繊細な少女が、右も左もわからない暗闇をただ義務感だけで我武者羅に駆けて来た。駆けている間は特に何も考えてはいなかっただろうが、すべてが終わった今、少女は罪悪を感じているはずだ。
「けれど、俺は強要していない。そして、覚悟はあるのかと聞いた。あの子は、あると、答えた」
だから、例えば今、少女があの広い屋敷の中、たった一人で悲しみと罪悪に涙を流し、声を上げていたとしても、自分にはどうにも出来ない。また、するつもりもない。
少女の心根は変わっているだろうか。あの時、これはこの身に流れる血を継ぐ者の義務なのだと、護るべきは身内ではなく自分たちの所為で被害に遭う者たちなのだと、高潔に告げたその心は。
ゆっくりと琥珀を目蓋の奥に閉じ込めれば、少女に遭遇したあの日の激しい雨の音が聞こえてくるような気がした。
聞き慣れた、正午を告げる音。腹に響くその音は耳を澄まさずとも、ちゃんと聞き取れる。ロスは部屋を見渡す。ブロッシュとイーグルは資料室に出向いていて、此処にはいない。この部屋にいるのは自分とまず一番に食事に立つ早番の男だけだ。
いつもならそのシステムを知っている男は定時に昼食に出かけるのだが、今日は席に着いたまま動こうとしない。ロスは仕方なくその男に声を掛けた。
「ハボック中尉、お昼をどうぞ」
けれど男は正午のサイレンもロスの声も聞こえていないのか、机の上に広げた何かを見ているだけで反応がない。もしかしなくても、金色の上官のことで色々行き詰っているのだろう。
ロスは呆れるように溜息をつき、ミスのある書類を書き直していたペンを置いた。そして、息を吸う。
「ジャン・ハボック中尉!」
先程よりも随分と大きく力の入った声であったため、ちゃんと彼も聞き取れたようだ。ハボックはビックリしたような顔を此方に向け唖然としている。ロスはもう一度溜息を吐き、同じ言葉を繰り返す。
「お昼をどうぞ」
「あ、ああ、もうそんな時間か……」
無音の時計を見て、ハボックは苦虫を噛み潰したような顔をする。そして次には、逡巡するように眼を眇めた。
「すこし、外に出てくる」
口数少なくそう告げ、足早に去った男にロスは本日何度目かの溜息を吐いた。それは決して、呆れや侮蔑、嘲笑などといったものは孕んではいない。
然して上等ではない椅子の背凭れに背を預ければ、厭な音がする。けれどロスは気にすることなく、体勢を変えずに天井を仰いだ。それは二年前のよりも少し薄汚れている。だが、それは変化ではない。時間が進み、それに比例し蓄積してきたものが見えてきているだけだ。
金色の上官の危険な内緒事も然り。そんな事は、ハボックにだって解っているだろう。一体、何故、今更に彼女の理不尽に腹を立てているのか。ロスには理解できない。勿論、ハボックが怒っている上官の理不尽の内容を自分は知らない。知らないけれど、心当たりはある。だから、“ああ、又かこの人は”ロスの上官への言い分はそれだけだ。
金色の上官の内緒事など、本当に今更なのだ。今回のイーグル・ワークという内緒事が明るみに成るのは彼女にとってイレギュラーだったらしく随分と驚いていたが、こういう隠し事があの小さな足跡の中にあとどれ程あることか。ただ、自分たちが知らないだけで。知らされることがなかっただけで。
今までも、これからも蓄積されていく内緒事を暴こうとはロスは思わない。それは既に諦めた。いつかは今回のように金色の意思から外れ、自分たちの目の前に晒される事もあるだろう。けれど、いつか、金色を纏う彼女が自らにそれらを話してくれたらとロスは思う。
「だから、ハボック中尉、貴方もさっさと諦めなさい。―――諦めて、あの人が根負けするくらい近くまで、私たちが墜ちて行けばいいのだから」
(その日は必ず来るのだと、私は信じている。だって、私たちは既に、地獄への切符を手にしているのだから)
「その覚悟は、疾うに出来ている」
気圧を重く感じ始めているのか、鳥が低空飛行を眼界で繰り返している。ライルはその闇い双眸を空に向けた。
東方司令部を出たときは薄灰の積雲だったが、今では立派な雨雲だ。道理で随分と薄暗いと思った。風も随分と強い、そろそろ空が泣き始めるのだろう。地下に墜ちた、無用の長物となった神の仮初の住処を見つめる女の身体を汚れた冷たい涙で濡らすわけにはいかない。
「少将」
帰還を呼びかけるように称を呼ぶが、女は此方を見ようとはしない。
「エルリック少将」
もう一度呼んでも、やはり同じ。この様子では、過去を思い起こしているのかもしれない。そうなっては、中々こちらには戻ってはこないだろう。ライルは諦めるしかないと溜息を吐いた。同時にザワリと不快感が背を撫でるのを感じた。
「あの時、やはり殺しておくべきでしたか」
鋭く物騒な眼光を孕んだ眼差しで女の細い背を突き刺す。
本当に、あの時、殺しておけばよかった。そうすれば、今、自分がこんな面倒に巻き込まれることも、不快な思いをすることもなかった。
ライルは噛み締めた歯をギシリと鳴らし、軍服をその身に纏うくせに殺気にも気付かない馬鹿な女を更に強く睨みつけた。
エドワードは耳に蘇える激しい雨の音を聞きながら、二年前のあの日を思い出す。
あの日は、今事件の序章となる未成年者誘拐事件の捜査が漸く進展を迎えたときだった。仮眠室では書類を持ち込んでぐっすり寝てくれないからと、泣きボクロの副官は態々自分を邸宅へと帰したのだ。日を跨ごうという時刻の、豪雨の中。
鉄の箱の屋根を強く打つ空の涙。眼を閉じながらそれを聞き、エドワードは何処かで土砂災害がありそうだな、と坦々と予測をつける。場所は何処辺りだろう、そんなことを考えていれば隣から冷ややかな声が掛かった。
「ご自宅に着きましたよ、エルリック准将」
億劫に目蓋を開けば、確かに目の前のフロントガラスの向こうに銀の紗幕が掛かったように見にくくはあるが無駄に広大な屋敷がある。
「ああ、ありがとう」
隣から声を掛けてきたライルは既に軍用車を降り、エドワードの為に扉を開けこの身が濡れない様にと傘を差している。彼に礼を言い、濡れた地に降り立つ。不意にエドワードが視線を感じた途端、脇に立つ男が軍服の上着に隠れた腰の拳銃を手に取った。考えるまでもなく、この男は准将の邸宅に忍び込んだ不届き者を始末する気なのだと解る。自分は兎にも角にも命が狙われやすいのだから、こういう事は日常茶飯事だった。勿論、部下であるこの男にとっても。
だが、何かがおかしい。いつもとは違う。エドワードは本能が告げるそれに従い、銃口が火を噴くよりも早くライルの手を掴む。更に発砲できないように彼の目の前に立った。雨水に軍服も髪も濡らしながら、この眼差しの元を探す。それは、左手の草叢の方からだった。
「退きなさい!」
背後から冷たい叱責を浴びながら、エドワードは不可思議な心地だった。向けられる視線に殺気はない。寧ろ、視線は戦々恐々と言った様子で、自分の命を狙う暗殺者としてはあまりにレベルが低い。油断を誘うためかとも考えたが、此方には冷徹な部下が二人いる。そんなことをしている間にその身に死が誘われると、暗殺者側では有名な注意事項に為っているとエドワードは聞き及んでいた。だから、そういう浅はかな考えの者ではないのだろう。
「退けと言っているのです!!」
無理矢理に前から退かそうと、細い上腕をライルが手加減なしに掴む。骨が軋むような痛みを感じながらもエドワードが踏ん張っていれば強い雨音に紛れながら、確かにカサリと草木が揺れる音がした。其方に気が取られた瞬間、華奢な身は強い力で引っ張られ車へと叩き付けられた。背を強く打った痛みに眇めた眼に、ライルが構える黒色の拳銃が映る。指が、引き金を引いた。
「―――ひっっ」
鼓膜を震わせる重い音。間も無く、小さな悲鳴を雨に打たれながらエドワードは聞いた。
「銃を下げろっ、クロビアン大尉!」
すぐさま目の前で盾の様に立つ部下に向かい命を出すが、銃口が下がることはない。だが、冷酷非情なこの男が死んでいない標的に二度目の発砲をしないということは、彼も聞こえたのだろう。
激しい雨音に紛れて此処まで届いたあの悲鳴が、子どものように高いものであったことに。
「五秒待ちます、出てきなさい。そこで凝然としているのならば、それでも結構です―――次は、外しません」
「クロビアン大尉!」
子どもかもしれない相手への非情な言い様に大喝を飛ばすが、闇い瞳の眼光を鋭く音がした草木の方へと向けカウントを始める。手を伸ばしライルの拳銃を奪おうとするが、彼は歯牙にも掛けずエドワードを再度車の側面へと押し付ける。
「three――― two―――on……」
「ま、まっ、て、……だ、さ」
最後のコールがライルの舌に乗り切る前に、草木を踏み分けて銀色の紗の向こうから現れたのは真っ黒な外套をすっぽりと頭から羽織った150cmほどの子どもだった。深夜の時間ではあるが敷地内に立つ電灯は灯っている。それでもフードを被っている子どもの顔は、影が掛かっており性別も年齢も判断できない。判断できるとすれば、同じような格好をした上級の護衛を四人も連れていられる上流階級の子どもだということ。
その子どもはカタカタと小さな身体を震えながら、銃口を向けるライルのほうへと歩んでくる。護衛たちは誰もが子どもの前には立たず、頼りない小さな背に従っている。
この身体を車に押し付ける力は未だ引かない。除けろと口には出さず、筋肉の付いた腕を何度か叩くがそれでも力の強さは変わらない。エドワードは溜息を付き、諦めた。この男が此処まで譲歩したのだ、あちらが馬鹿をしない限りはライルが攻撃をすることはない。そんな確信がエドワードの中にあった。
子どもはライルの二メートル手前で立ち止まり、自身が被るフードに震える手を掛けた。ライルの身体越しから見た、ぼんやりとした灯に照らされるその子どもは十代前半の少女だった。
可哀想なほど小さな肩を震わせ、悲鳴を上げないように唇を噛み締めて、儚げな容貌は真っ青だ。それでも少女は護衛たちの背に護られようとはせず、虚栄を張りながらも其処に立っていた。
「御初に、御眼に、掛かり、ます、っ私は、メイリア・ジールディ、スっと申します。―――エドワード・エルリック、准将、っ貴方と取引がしたい、のですっ」
声音も小さな肩も震わせながら、それでも、真っ向から挑むようにその少女の翠玉はエドワードの金の双眸を睨みつけてきた。
メイリア・ジールディス。歳は十四、性別は女。東方では名高い資産家、ジールディス一族の直系長子の子ども。エドワードはそう記憶していた。そして、それは最重要事項であった。
現在、イーストシティ全域で未成年者が行方不明に遭っていた。恐らくは誘拐なのだろうが、犯人から身代金などの要求は一度もない。これ以上の誘拐を防ぐため、瑣末な情報でも掴むため、夜間だけではなく昼も朝も、時間など関係なく巡回を強化した。それでも事件に関する情報は中々入ってこなかった。そうこうしている間に月日が流れ、被害者は十九人となり、生後三ヶ月の赤子にまで及んでしまった。これだけの月日を費やしても、子ども達の安否は不明なまま。そんな中、情報を偶然にも手にしたのはエドワードだった。
事件の所為で人通りがめっきりと減った通りを巡回していれば、エドワードは迷子になったとある少女と出会った。少女は父親が勉強ばかりで遊んでくれないからと大きな犬を連れて出てきたらしい。
寂しそうな顔をするその少女とその犬と、遊びがてら家までエドワードは送り届けた。家に着いたとき少女のファミリーネームが判り、エドワードは少女の“パパはおべんきょうでいそがしいの”という言葉の意味がわかった。
それでも、今は誘拐事件がある。子どもを一人外で遊ばすのは危険だと、父親に注意を促すためにその姿を探せば彼は何人かの男たちと密会している最中。その中の人物はエドワードもよく知る人物ではあったものの、彼らの間に流れる空気は怪しげなものだった。話の内容を聞いていると、幾つかの単語から両者が誘拐事件と深く関わっていると判断できた。漸く捜査線上に浮かんできた有力な手掛かりだった。それからは、兎に角相手に気取られないようにと情報を集めた。
結果は上々。迷子の少女の父は生態の権威と巷では噂の国家錬金術師だ。そして、一ヵ月後には国家資格継続保持を問う査定が待っている。だが、彼は去年の査定の判定が芳しくなかった。今回はなんとしてもいい判定結果が欲しいはず。それらの軍が持つ情報に加え、近辺の市民からも必要な情報は得られた。
此処数ヶ月彼は家から出ず、十歳の娘は庭で一人犬と遊ぶようになったということ。そして、家からは一定の周期で獣の断絶魔のような声が聞こえるということ。知らない子どもが時々父の元に遊びに来ていたり、知らない誰かが食事を持ってきたりすることなど、娘が不思議に思い隣の女性に洩らしていたこと。そして、男が家に篭もる数週間前には、夜中に何度も人が尋ねてくるのを見たという証言も得た。それが、エドワードもあの家で見た、東方ではその名を知らぬ者はいないと言われている資産家一族の当主であるということも。更に言うならば、当主には最近孫娘が生まれ、その子は随分と特殊な子どもだという情報も手に入れた。
お粗末な状況証拠だけで相手取るには余りに分の悪い相手ではあるが、これだけの状況証拠があればショウ・タッカーの身柄を拘束出来る。邸内を捜索すれば、子どもたちも見つかることだろう。生存は、期待できないけれど。
兎にも角にも、既に日を跨いでしまったこの日のうちにイーストシティを永く騒がせたこの事件を解決できるだろう。エドワードはそう思っていた。最重要参考人の一人と目している人物の孫娘が、こうやってこの眼界に映るまでは。
果たして少女は一体どんな取引を持ってきたのか。祖父を見逃してくれとでも言う気だろうか。
外では人目に付かないとも限らないと邸内に招き入れた少女は、ソファに浅く腰掛け相変わらず見え透いた虚栄を張りエドワードを睨みつけている。震える手を押さえるように重ねられる小さな手を見なかった振りをして、エドワードは問う。
「で、どういう取引がしたいのかな、レディ・メイリア」
特に威圧したわけでもないが、少女は肩を揺らす。いくら上流階級に生まれ、相応の学問を習得していても、こんな駆け引きの方法などこの子どもは知らないだろう。エドワードは取引を持ち出した少女を甘やかす気はないが、せめても話し易い状況下は作ってやるつもりだった。だからこそ、紅茶を淹れて来ると場を離れたライルが戻ってくる前に、取引の口火を切らせたかった。
浅く、静かに、少女の細い胸が数回上下する。それが止むと、可憐な口唇が引き結ばれた。
「ジールディス一族の弾劾を、二年、待っていただきたいのですっ」
ピクリと目元が動くが、エドワードは少女の次の言葉を待った。少女は真っ青な顔色のまま矢継ぎ早に言葉を繰り出した。恐らくは、身内保身かと誤解されては堪らないとでも思ったのだろう。
「ジールディス一族は、様々な事業を展開しています。大きな事業は景気の問題がありますから、一族が解体されても軍や国が手を回してくださるでしょう。ですが、滞りなくとはいきません。そうなれば、その余波を喰らうのは、中小企業です。失業者は数百にも及ぶ可能性があります。それを何とかしたいのです。いいえ、……いいえ、必ず何とかして見せます。協力者も少なくはありますが、います。ですが、矢面に立つ私は若輩者です。ですから、どうか、二年待っていただきたいのです。―――今回の事件で罰せられるべきは、ジールディスです。関係のない、彼らではない。どうか、御慈悲を、エルリック准将」
真っ直ぐに、真摯に、想いをぶつけてくる子ども。けれど、愚かだ。情に流されて受け入れるわけにはいかない要求だ、それは。
だから、エドワードは問う。
「レディ・メイリア、私のメリットは何処にある?」
「え?」
「レディは取引と言った。取引とは両者にメリットがなくては、成立しない。それでは、君の自己満足で終わり、私にはメリットがないだろう」
少女は口唇を震わせ、あります、と消え去りそうな音で紡いだ。少女が護衛に目配せをすると、護衛の一人が茶色の封筒を差し出す。受け取ったそれを紐解き、少女は中身をエドワードに提示した。それは白い紙に手書きで何事かを書き綴った文書だった。
子どもの成長記のようなものだが、これは暗号だ。錬金術師の研究文書だ。解読は出来ないが、なんの研究書の一部であるかは考えるまでもない。
「これは……」
「そのお考えの通りですわ。もう、突き止めておいでなのでしょう?御祖父様がショウ・タッカー氏に願い、子ども達を犠牲に新種の血液型を作らせていたことは。これは、その研究過程を記した一頁です。タッカー氏が祖父に渡され、隙を見て私が盗みました」
エドワードの反応に光明が射したとでも思ったのか、少女の口元がふと緩む。それを視認しながら、まだ詰めが甘いと金眼を微かに眇めた。だが、相手はまだ十四の子どもだ。大人同様に追い求めるのは、酷な話ではないか。このまま流されてやるか、否か。暫しの逡巡の後、エドワードは口を開いた。
「つまり、メイリア・ジールディス、君は軍に提出すべきものを提出しないと?祖父共々、裁かれる覚悟は出来ているのだろうな?」
恐れに揺れる翠玉を一度目蓋の奥に閉じ込め、少女は息を吐き出し、答えた。
「あります。けれど、それは二年後です。貴方が取引に応じてくださらないのでしたら、研究書自体を燃やします。状況証拠をいくら集めても、中央司令部のホーランド中将が貴方の邪魔をするでしょう。ホーランド中将と御祖父様は親友ですから。―――ですから、揺るがされない証拠(メリット)が、欲しくないですか」
目蓋を開き、現れた翠玉には強い決意が宿っていた。そして、人から墜ちる覚悟が。
ならば良いだろう。エドワードは片頬を歪め、諾と頷いた。
「レディ、まだ十四歳だろう。何故態々君がそんな茨道を行く?」
メイリアは困ったように瞬きをして、答えた。
「御祖父様が犯した罪だから、血を受け継ぐ者がなんとかしなくてはいけません。でも、私以外にはいませんでしたから」
罪を罪と自覚できる人間は。
メイリアはそう云って悲しげに微笑んだ。
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