「なつかしい。二年ぶりなのよね。東部は」
短い黒髪を靡かせた泣きボクロの女は窓の外を眺める。
戦場と化し、深く傷を負った東部だからこそ、復興は色鮮やかにされた。
大きな時計台をシティの中心に置けば、アンティーク調のそれは、シンボルと化して愛された。
辛い時代を生き抜いた市民は心優しく温かい。助け合いや、慈しむことを止まない。
まだ遠いあの地を懐かしく想う。
女の隣に座る淡い向日葵色の髪の男は、人のよい笑顔を零しながら相槌打ってくる。
彼はまだ入隊して二年も経ってはいない。当然、女が二年前までいた東方司令部に来るのは初めてだ。
そんな彼に、好い所なの。
女はそう云って笑う。
「連絡は彼にしかしていないから、急に私たちが目の前に現れたら『あの人』は驚くわ」
眼に浮かぶのは『あの人』の姿。
金色の髪を一つに纏め上げて靡かせる、背筋をピンと伸ばしたその姿は凛として。颯爽なんて言葉は『あの人』にこそ似つかわしい。
ほんの少ししか離れていないというのに、再会が目の前だと思えば心が躍る。
女がほんのり顔を綻ばせれば、目元にある泣きボクロはキツイ印象を消し、その表情は優しく映る。
「あはは。あの人はすぐに約束破りますから、会った瞬間に誰かさんの雷が落ちたりするかもしれないですね」
「有り得るな」
相対する席で今まで寝ていた男が伏せていた瞼を開いた。
現れる黒曜石にも似た藍の色。髪もそれに倣うように黒と言うよりも藍に近い。
「あ、起きたんですか。もうすぐですよ、イーストシティ」
その言葉にまだ眠そうな様子の男は窓を眺める。
男は眼に入る色鮮やかな景色を前に似合わない溜息をついた。
「まだまだだぞ。この分じゃ、あと二時間は狭いコンパートの中だ」
先は遠いと言い男は目の前に座る男をジトッと見遣る。
相手が言葉に詰まった様子をその眼に納め、もう一度目線を窓の外に戻した。
まだ東の運河さえも越えてはいないその景色。それでも移り変わる景色は確実に東へと進路を取っている。だからこそ遠いと言った男にも感傷があった。

「貴方は、東部に来たことは?」
不意に向けられた問いかけは黒髪の女性から、自分へ。
矛先がこちらに向くとは思いもしなかったのでほんの少し瞠目してから、口を開いた。
「…いいえ」
三人の旅の同行者と同じく、自分も外を眺める。
流れていく景色を見ながら心に迷いが生じる。
『彼』が、自分だと言ってもよいならば、彼女への答えは『はい』でいい。けれど、今の自分は『彼』とは別物だから。やはり、『いいえ』と答えるしかないのだろう。
それは少し悲しくて寂しい。
それでもたった一つ、変わらない事実がある。
「けれど、私にとって東部はとても大事な場所なんです」
自分が、生まれた場所。
『彼』と彼女が出会い、再会出来た場所。
閉ざされた左の目に手をやれば指先が触れるのは歪に引き攣った傷跡。今はまだ完治していないので、微かな刺激でもじんじんとした痛みが神経を走り自分を苛んでくる。
『その眼には一生光が映ることはない』
医師からその告知を受け取って一週間も経っていない。
それでも男の心が占めるのは絶望ではない。
胸の内、温かくなる感覚に目元を緩ませ、口端を持ち上げた。表情は何とも言えない優しげなもので自分に視線を向けていた三人は眼を丸くした。

「私も、早く再会したい」
「お前も怒られること覚悟しとけよ」
隣に座る男の言葉はほんのりと笑みが含まれていた。
目の前に座る男女を見れば、苦笑しながら同感だと頷かれる。
「……はは、了解です」
彼の人が下す雷なんて、怖くはない。新しいこの命、どうか『あの人』の傍で存在したい。だから、自分は此処にいるのだ。

「はやく、会いたい」
それだけが、この四人の強い想い。






第九話 作戦







「話を整理します」
朝日を遮り電灯をつけて光をつくる東方司令部の会議室の一室に、五人の軍人がいた。
空気は重く、緊張感が漂っている。
その中でただ一人立位を取る女性将校は、片手に資料を持ち進行役を務めていた。
「二年前のショウ・タッカーが引き起こした事件の情報は世間に全く公表されていなかったにも拘わらず、現在起きている未成年者誘拐事件は当時の事件を詳細に再現されているものであると思われます。よって、現事件はショウ・タッカーと共通の目的を持った者、もしくは者たちの仕業と考えられます」
「そうだ。だいたい、二年前と全く同じ事件が起きるなど不自然極まりない」
「それに気付かなかったのは貴方ですが?マスタング中佐」
冷静に痛い切返しを受けてロイは顔を引き攣らせた。
が、彼女の言葉は今の段階では神のお告げよりも正しい。よって返せる言葉など男には存在せず、これ以上痛い目に合わないうちにと、話を進める。
「兎に角。問題は、今事件の犯人たちがどうやって過去の情報を手に入れたか」
「現場から失くなっていたという研究記録から、ですね」
資料を洗っていた一人の男が答える。ほっそりとした容姿の男は、細い目を更に細めて資料に食い入る。
彼が見ている資料の頁には、研究者にとって必ずあるべき研究記録なるものがないと書かれていた。
「でも、気になるんですけど。研究資料なんですから、唯一成功したリア・グラフィックさんのことも書かれているんじゃないんですか?」
今の誘拐の被害に遭った子どもたちそれぞれが、二年前の犠牲者の一人一人とまったく同じ要素を持っていた。
数多にいる子どものなかで、ここまで一致する対象を探すのは至難の業だ。
犯人たちは研究資料を持っている。ならば成功体である少女の情報とて手の内にあるはず。何故こんな面倒なことを起こすのか。
恐る恐るというようにそれを言葉にしたのは小柄で眼鏡を掛けた男だ。
短い黒髪を右の人差し指で掻きながら、上官であるロイを見ている。
「ですね。それが気になります」
相変わらず資料を洗っていた男は顔を上げてそれに同意を示した。
「フュリー曹長、ファルマン准尉」
ロイは言葉を投げかけた順番に彼らの顔を見る。
そして、それは簡単なことだと言った。
犯人が盗ったと思われるその研究記録は暗号化されていたのだと。
「じゃあ、暗号が解読できなかったんですか?」
「全くと言う訳ではない。解読が出来た部分と出来なかった部分があるのだろう。たとえば実験結果は酷く困難な暗号になっていたとか」
それならば、唯一の成功体であるリア・グラフィックと同条件を満たす子どもだけではなく、失敗作と言われた子どもと同条件を満たした子どもまで攫われたことにも説明が付く。
フュリーは眼鏡を押し上げて納得したように頷いた。
「それにしても、すごいですね」
「なにがだ」
ロイは再び資料に目線を落とすファルマンを見た。
彼は感嘆とした音を零す。
「ここまでどうやって各子どもたちの要素を一致させる情報を得たのでしょう」
ロイがぱらぱらと資料を捲れば、二年前の事件の口火を切った犠牲者の資料があった。その次の頁を捲れば今の事件の最初の被害者。
調べ上げられているのは名前、性別、年齢、育った環境、果ては三代前まで遡った血液型。それらすべてが二人は同じなのだ。
次の頁を捲れば二年前の二番目の犠牲者。その次はそれに対となる今の事件の二人目の被害者。それがリア・グラフィックの対となる少女まで続いている。
これはつい先程、指揮権と共に譲り受けた資料だった。ひよこ頭が怒って自分に渡していたことから恐らくこれはハボックが集めたものなのだろう。
あんたの為に集めたわけではない、と彼が口には出すことはなかったが、ロイの目の前で資料を乱暴に積み上げていく態度で示していた。
せめても、その苦労だけは無駄にするわけにはいかない。
「相当な権力者じゃなきゃこんなのわかりませんよね」
「その権力者も、病院等の関係の研究所がなければ知りえないわ」
話の行方を沈黙で見守っていた女性将校が口を開いた。
「権力だけでは三世代前までの血液型なんてわかりっこないもの」
「では、やはり。有力な候補となるのは、ショウ・タッカーが国家資格を得る前に勤めていた研究所、ですか」
「ああ、事件が起きる数日前からジールディスの人間とショウ・タッカーの頻繁な接触が認められているからな。実行犯は研究員、黒幕は一族の誰かだと考えるのが妥当だ」
ロイが告げた言葉は、事件の解決の糸口に繋がるはずのもの。だがその場は静まる。それはどこか困惑や敬遠した雰囲気だった。
「あの、ホークアイ中尉。聞いてもいいですか」
疑問に思ったフュリーは、女性将校へ小さく問い掛けた。
ホークアイはそれに首を傾げて続きを促す。
「その研究所を所有するジールディス一族ってそんなにやりにくい相手なんですか?」
「ああ、貴方は西方から志願してこちらに来たものね」
東方で精力的に繁栄する彼の一族を知らなくても無理はないかとホークアイは、彼に説明するために頭の中を少し整理する。
ジールディス一族はとても有力な家柄で、多様な企業を起こした末の溢れるばかりの財は福祉面、軍事面、様々な面で寄付されていること。お陰で一族が裏で悪行を重ねてもそれを取り締まることは簡単には出来ずにいること。それは上層部からの圧力や市民からの反発のせいであること。
今回も、証拠となるものがなければ。
「証拠、あるんですよね?」
「ないな」
不安そうなフュリーの言葉には微かに希望を探す音が宿っていたが、ロイはそれを打ち砕く。
「こんなに緻密に調べ上げているのに、ですか」
「ああ。だが、可能性がないわけではない。証拠となるとすれば攫われた子どもの発見。ないと思われているショウ・タッカーの研究記録だ」
後でグダグダ言うのならば、いくらでも証拠を作ればいい。幸い自分はそういう口八丁手八丁の騙し合いは得意なのだから。
ロイは、作戦を言い渡す。
最後の被害者が攫われてから十日が過ぎている。
もしもロイとエドワードの予想通りならば、事は早々に付けなければ手遅れになってしまう。
最初で最後の犠牲者が出ないようにとロイは祈るように拳を固めたのだった。


その室内には最後まで口を開かなかった五人目がいた。
豪快な体躯にオレンジ色の髪の男。その眼はとても真摯な色に満ちている。
彼はロイの決然とした様子を真っ直ぐに見ている。
それは何かを判別するかのようにも見えた。





ペッタン。
カリカリカリ。
ペッタン。
カリカリカリ。
室内に響く決済の様子。
扉を叩くもう一つ違う音が紛れる。
部屋の主は顔を上げることなく、入室の許可を与えた。
「なんか始めるみたいですよ。マスタング組」
エドワードが顔を上げればハボックがこちらへと歩み寄る途中だった。
彼はまだ機嫌が直っていないらしく、ぶすっとした表情をしている。
それをなんだか可愛らしいと思いながら、エドワードは手を止めて傍近くによる姿を待つ。
「組って…まあ、時間はないからな。マスタング中佐はどうするんだろうな」
「知りませんよ」
「…まだ怒ってんのか?」
素っ気無い言葉にエドワードは軽く眉を顰める。
そして何度目かの謝罪をハボックに繰り返した。
ちらりと視線を感じつつ、それでもハボックは真正面からエドワードを見ようとはしない。
「別にいいですよ」
なんていうくせに、彼のその言葉は妙に刺々しい。
溜息をつきながら明後日を見れば、エドワードの視界には書棚が入る。今朝の穴は別の書籍で塞がれていた。
「ハボック、事件は被害を最小限にして解決することが重要なんだ」
その点を抑えた人間ならば、誰が解決したっていい。
エドワードがそう言えばハボックは悔しそうに顔を歪めて、わかっていますと答えた。
けれど、わかってはいても、納得は出来ない。
エドワードのためだからこそ、二日も続けて徹夜をしたのに。その苦労の賜物が誰かの元へ行くなんて、やっぱり理不尽な気がする。
金色の上官の理不尽さには、仕返しが許されると思う。
ハボックは数日前に受けたとある人物からの電話を思い出し、笑みを零した。
せめて、これくらいは、と。


顔は俯いているが明らかににんまりと笑っている部下を見てエドワードは迷う。
果たして、自分のあの理不尽さが彼を壊してしまったのかと。何が可笑しいのだろうか、この部下は。決して、意味のないことでこういう笑い方をする人間ではなかったはずなのだが。
机の上に乗せた左腕の手の甲に顔を乗せ、軽く覗き込むような姿勢になる。
そこからほんの少し覗く顔はやはり笑っていて。男の変わりようにエドワードは内心頭を抱える。
なんにしろその不気味な笑い方は止めなくては。そんな思いでエドワードは口を開いた。
「ハボック、もう少し顔を引き締めろよ?そんな顔じゃお前の好きな女に嫌われるぞ?」
「えっ」
漸く正気に戻ったのか、ハボックはぺしぺし頬を叩いて緩む筋肉を引き締まらせる。
「失礼しました」
「で、なにが面白かったんだ?」
ハボックはにんまりと笑って。
「近日中にお教えいたしますよ、エルリック准将殿」
なんだか鼻歌まで混じってきそうなほど上昇しているハボックの機嫌。こういう類で彼の秘密事はあんまりいい期待は出来ないはずだ。過去の体験から言って。
エドワードは、今週辺りの自分の運勢はあまり良くないのだという事を知った。





「マスタング中佐」
今朝ぶりに聞くその声に、ロイは振り向く。
「グースタック曹長」
「どうでしたか?」
彼が言わんとしているのは書庫に篭もった成果のことだろう。
だからロイは笑って、なんとか、そう答えた。
「それはようございました」
「ですが、あとでなんらかの罰則が下ります。司令官である自分たちがユラユラ揺れるのだから共に罰を受けろと、言っていましたから」
何がくるのだかわからない。
ロイがそう零せば老人は笑った。
「恐らく一日かけての司令部清掃と減俸ですな」
ほんの少し沈黙が落ちた。
たったそれだけか。ロイが安堵したのも束の間、老人は甘いと喝を入れる。
「あれはそれほどに容易くはありませんぞ。何しろ罰ですからな。罰と言うからには厳しくなければ」
「いえ、ですが。たかだか清掃ですよね?」
「丸一日かけてと言っておりましょう?司令部全域ですぞ?」
考えれば司令部はとてつもなく広いのだよな、とロイは考えた。
ここに赴任した当初は、何でこんなに広くて迷路のようなのだと、愚痴を零していたことを思い出した。
「ですが、二人合わせても、一日で終わるものではありませんし」
「終わるまで、『丸一日』というのは終わりませんぞ?」
「は?」
「ですから、もしも、丸一日内で清掃が終わったとしても、二十四時間が過ぎるまで清掃活動は終われません。清掃を二十四時間で終わらせなければ、期限の『丸一日』が終わりません。終わるまで清掃し続けろ、ということです。ほっほっ」
因みに、終わるまで緊急の事件以外は手につけられませんぞ。つまりは、執務机の上には山ができますな。
そう付け加えたグースタックは、本当に愉快で楽しそうだ。
ロイは一つ想像をしてみる。
清掃をし始める。きっと一日では終わらないだろう。十時間ほどオーバーして漸く終了した。その足でくたくたなまま自室に向かい、扉を開けば、今朝漸く綺麗にしたばかりの机の上には紙の山が一つ、二つと。その隣にはライフルを構えた自分の優秀で美麗な副官が…。
「……っ地獄絵図だ」
たらたらと額から流れる水も、がたがた震える肩も気のせいではない。
恐怖にぼそりとロイが零せば、相変わらず楽しそうな笑い声がそれに同意した。
頭が痛くなります、とロイが答えれば、彼は当日が楽しみですと言う。グースタックは傍観を決め込んでいるようだ。
「ですが、あの方もご一緒ですから。貴方一人でやれとは仰らなかったはずです」
ふとその言葉に、ロイの胸の奥で何かが形作っていくのを感じた。それを音にしようと口を開く。
だが、声帯が震える直前に、背後から緊迫した音で自分の階級が呼ばれる。
振り向けばファルマンの姿。
「中佐、御指示通り、準備が整いました」
その言葉を聞いてロイは笑った。
これで漸く、事件にピリオドが打てる、と。


「そうそう、ご存知ですかな」
踵を返したロイはその言葉に振り向いた。
視線の先にいるグースタックの表情は、丁度逆光が重なり見えない。
「ショウ・タッカーの事件を解決したのは、エドワード・エルリック准将なのですよ」
果たして、その言葉の意図はどこにあったのだろうか。








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