規則的なリズムを少しずつ緩やかに刻みながら、プラットホームに入ってくる列車。
それを確認して、ホーム内は緊張が走った。
件の列車を囲うようにプラットホームに待機しているのは青と黒の制服を纏う数十人の軍人と憲兵。いずれもその手に拳銃、もしくは狙撃銃があるのを確認し、ホークアイは前方に立つ上官を仰ぐ。
列車が完全に停止し、ホーム内は背筋が凍るほどの緊張感が漂った。
そんな中、指揮官であるロイは音声拡大機を手にし、形式だけでもと東方地開放義団に呼びかけようとした。だが実際には、指揮官の声が辺りに響く前に、一等車両から降りてくる影に、その行為は押し止められた。
「必要なかったようですね、それ」
その影に心当たりがあったホークアイは、ロイの手にある物を受け取る。降りてくる人物を見極めてもいない状態で、その行動は無用心ではあったが、影が通る度に、待機している軍人たちが敬礼をするのだ。テロリストということはない。
「そのようだ。楽に終わってよかったな」
ロイたちにとっては予測どおりの結果だ。背後に控える副官に、肩を竦めながら笑い、歩み寄ってくる姿を待つ。
曖昧な姿かたちが狭まる距離に比例してはっきりとしたものになってくる。それは随分久しい、ロイの親友、マース・ヒューズだった。
ヒューズは手を挙げて声を掛けてくる。
「よう、久しぶりだな。元気にしていたか?」
「ああ。久しぶりだな。取り敢えず元気にしているよ」
相変わらずの親友にロイの心のうちは、温かいものが広がっていくのをロイは感じた。
最近はテロに手を焼き、気の休まる時がなかった。
だが、それも今日で終わりだ。
「終わっているんだな」
もはや解りきってはいるが、念ために聞けば、ヒューズはもちろんだと、ロイに頷き返す。
「全車両の乗客には、無事解決したことと、軍が入ってくるまでは出ないように伝えてある。テロリストは全員一等車両で拘束してある。で、肝心のハクロ将軍は一等車両んなかだ。怪我もなくな」
残念だったな。そんな本気交じりの揶揄を小声で寄越してくる。
ロイはそんな親友を鼻で笑う。
「まぁ、いいさ。将軍に借りは作れた。
ヒューズ中佐、ご苦労だったな」
相変わらず強かなやつだな、そんな呆れ言葉を背中で聞きながら、列車を囲い込み、自分の指示を待っている軍人と憲兵に命令を出す。
「列車内はすでにヒューズ中佐の協力により、鎮圧されている。
一斑は一等車両におられるハクロ将軍と、一斑車両の乗客を保護しろ。
二班は一等車両で拘束されているテロリストの捕獲。
三班は乗客名簿の確認。一人ひとり名前を確認して、テロリストが混じっていないか調べろ。
憲兵は待機し、連行の準備をしておけ。
始めっ」
指揮官の言葉でいっせいに待機していた軍人は統制の取れた動きを見せた。それには、指導の行き渡ったものが現れ司令官として嬉しい。だが、どうせなら、どこかの馬鹿将軍が少しは怪我でもしてくれて、ついでに退役でもすればよかったのにと、内心では不満が消えなかった。降りてきたら、またグダグダとくだらないことを云うのだろう。
ロイは少し先を予知し溜息を押し殺して、指揮官に徹した。
「そういや、今度来る最高司令官の名前ってさ」
背後から人が近付いてくる気配と、声がする。その正体がわかっているロイは後ろを振り向かない。
「ああ。エドワード・エルリック准将だ。それがどうかしたか」
意識も目線も前に向けたまま、ロイは受け答えをする。
その最中にも、幾つかのおかしい点が気になっていた。
すでにテロリストが外に出されているのに、一向にハクロの姿が一等車両から出てこないのだ。
もう一つおかしなことは、テロリストの身体の拘束具のこと。一部の者は恐らく鉄だろう物体で拘束されているのだ。
ロイは見咎めるように、眼を細めた。
「いや、実はよ…」
先程から背後に立ち、どこか言いよどむ声の主にロイも一つ聞きたいことができた。
それを口にする前に、一人、部下が自分に寄ってくる。
「マスタング中佐。捕らえたテロリストは全員で二十六人です」
テロリスト確保を命じていた部隊の班長であるファルマンが敬礼をし、報告をしてくる。
ご苦労だったと、労いついでに、同じ車両にいるハクロはどうしたと聞けば、部下は細い目を更に細めて云い辛そうに。
「あー、はっ。失神しておいでです。護衛の方たちが眼を覚まされるまで待てと云って、一斑の邪魔をしているんです」
明察を誇るロイでも、さすがに予想外のものだった。将軍の名が聞いて呆れる。あまりのハクロの情けなさに自分の顔は歪んでいくのがわかる。
ふと、さっき親友の云っていた新しい上官はこうであってほしくはないものだなと、今はまだ訪れていない顔も知らない人物に毒づいた。
とにかく、降りてきたらこちらも要らぬ労力を割かされたのだ、厭味には厭味で応えてやろうと決意し、ファルマンを配置場所に戻した。
皺の寄る眉間を解しながら、ロイは再び例の拘束具に意識を戻した。
「ヒューズ。あの一部のテロリストの拘束具はなんだ」
あれはどう見ても錬金術によるものだ。その証拠によく見れば錬金術による分解後の構築痕がある。ヒューズは錬金術を使えない。ハクロも同様だ。ハクロに付いている護衛はよくは知らないが、ヒューズが特になにも云わないことから、やはり護衛も違うのだろう。ならば、別にこの事件に介入した人間がいるということになる。
ちょっと待て、とロイは思い留まる。先程から、ヒューズがなにかを云おうとしてはいなかったか。それは、出来ることなら、まだ聞きたくない者のことではなかったか。
嫌な予感がしながら、ロイは背後にいる親友に振り返ろうとする。
「マスタング中佐」
ロイの行動を押し留まらせたのは、先程随分と情けないと批評していた上官のもの。ロイは立場的に、後ろではなく前へと、視線を向けることを強いられた。
視界に映るのはブレダに付き添われる青い軍服の男。髪は白髪。男の歳に見合う渋い顔には見覚えがあった。
「ハクロ将軍」
列車ジャックの渦中にいたその男。
わざわざテロ行為が活発なイーストシティに軍服を身に着け来たのか。それには怒りも呆れも通り越しいっそ馬鹿馬鹿しさを覚えた。
だがそれを表に出すわけにもいかず、男の身を案じるような言葉を掛ける。
「お怪我はございませんか?」
「いや、大丈夫だ。
ヒューズ中佐、制圧ご苦労だった」
この場の指揮官ではなく、ヒューズを労うあたり、ハクロは余程ロイを毛嫌いしている。
「いえ、自分はマスタング中佐に指示をいただいてだけです。東方司令部の管轄でしたから、この事件は」
ヒューズは敬礼を取りながら云う。
実際のところ、確かにヒューズにロイは指示を出した。だがそれは、勝手に片付けてくれ、との言葉だけだった。
昔からこの親友は、自分の野望を共感してくれ、そのために下から押し上げてくれる。
「ふ、む。まぁ、マスタング中佐もご苦労だった。
だが、東部の主要都市がこの様子では困るぞ。いったい、君はなにをやっているのかねっ」
屈辱だったのかわずかに顔を歪めながらの労いに続く言葉に、その場は唖然とした。さすがにロイや今は背後に控えるヒューズやホークアイは顔を変えはしないが。
ハクロが云っていることは、決して間違いではない。確かに東部の主要都市でテロが横行するのは有り難くはない。だが、いま、男がそんなことを云える資格はないだろう。男の行動のせいで、いらない事件は起きたのだから。
ロイは出来ることなら殴り飛ばしてやりたかった。この非常識な上官を。
だいたい、地位や身分なる者たちの殆どは、自らの失態を認めようとしない。それを良いとは決して云わないが、仕方のないことだとロイは諦めている。それでも、男のように、自分のことを棚に上げて他者を批判するのは些か不愉快だ。
形だけの謝罪をして、相応のものを返してやる。そう思い立ち行動しようとしたとき、一等車両から降り立つ姿があった。
はっきりとしない姿だが、不思議なほどに眼を引き寄せる存在感がそこにはあった。
視線に気付いたのか、その姿は顔をこちらへと向けた。風に舞い踊る長いプラチナに近い金色の髪と、細い体躯に女だということが判る。
「マスタング中佐?」
謝罪の言葉が来ると思っていたハクロは、自分の後ろに視線をやる男の名を訝しげに呼ぶ。男は聞こえていないのか応えない。男の背後、鷹の眼と恐れられる男の補佐官すら、同様に目を見開いて自分の後ろを凝視めている。凝視の域に入るほどになにを見ているのかと、ハクロも同じく振り返った。
そこにいたのは自分よりほんの少し低い一人の女。
見覚えのある女にハクロは顔を青ざめた。
背後を取られていたことにまったく気付かなかった。それは女が意図していたのだとハクロは知っている。この女が、どれ程の戦闘能力を誇っていているのかも。
その所為で自分の立場がどれほど危うくなっているか、自覚がある。
「お久しぶりです。ハクロ将軍。
なにやら大きな声で、随分と分を弁えないことをおっしゃっていたご様子だが。
東方司令部の指揮官を責めておられましたね。ですが、東方司令部のテロリスト検挙率は他の司令部よりも抜きん出ています。貴方の所属部署であるニューオプティン支部よりも。
今のような責めはどうかと思うのですが」
まるで鼻で嗤うように言い放たれた。まだ年若い癖に、自分とはたった一つしか階級が違わないこの小娘に。
ハクロは確かに女の云っていることはわかっていた。イーストシティはテロが多く、誰もが手を焼いていた地域だ。三年前の司令官には劣るが、今の司令官であるマスタングは確かに優秀で、検挙率は何処よりも高い。自分が東方司令部の指揮官となっても、絶対にこれほどの検挙率は挙げられない。
「イーストシティの現状について彼を責めるのならば、貴方こそ何をしたのです。ハクロ将軍」
綺麗だけど底冷えするような笑顔を向けられる。責めの言葉を使うくせに、声音は優しげなもの。
意識を失い、すべてが終わった後気がついた自分はなにもしていない。ハクロはそれが解っていた。だからなにも云えず歯噛みする。何故この女が此処にいるのかは知らないが、恐らくはあの列車に乗っていたのだろう。そして、解決したのも、マース・ヒューズではなく、彼女なのだろう。
彼女の白い服に小さく飛び散った紅い染みにハクロは息を呑む。
「貴方がされたことは、事件を引き起こし、司令部に負担をかけただけでしょう。
尚且つ軍人であり、少将などという立場に着きながら、市民はおろか自身の身ですら守れていない」
「知った風な口をっ」
「では、反論されるか」
「そ――」
「貴方は東方が不安定な情勢だと知っていた。にも拘わらず、そのように軍服でここに来られれば、このような事態になることはお分かりだったはず。一体どういうおつもりか。
それとも、貴方は例え軍服を纏って、この地に降り立っても、なんら問題は起こらないとの自信でもお有りでしたか」
今までの笑顔を消して、眼を細め、睨みつけてくる女。その瞳に宿る力は、とても強い。ハクロは素直に恐れを抱く。がたがたと肩が小さく震える。
この女はなにを言っているのだろう。なにを、知っているのだろう。もしかしたら、女はあのことを知っているのだろうか。そう考えるとハクロの顔からは血の気が引いていく。 もしも、女が自分の考えていることを、知っていたら、自分は破滅する。
女はそんな男には構わず言葉を続ける。ハクロはいつ決定的な言葉が出るかわからず、女が口を開くたび、地が崩れていくような感覚を味わっていた。
「この件は自分の所為ではないと云いたそうですね?ですが、彼らの目的は貴方であった。その時点で貴方の所為だと云えるのではないですか?」
「ち、ちがう。わたしはっ…」
「なにが違うのでしょう。なにを、違うとおっしゃりたい?」
「わ、わたしは将軍だぞ」
「では、将軍。その名に恥じぬように戦われたか。銃を携帯されていたはずです。弾丸は減って?」
女が繰り出す矢継ぎ早な言葉にハクロはたじろぎ一歩後退する。女はそれを追うように一歩前進して、自分を冷ややかに見遣ったまま、懐にあった銃を奪う。細い指は流れるように銃床からカートリッジを抜き取り、それを真っ逆様にして弾丸を地に落とす。
かんかんと金属音が響いて幾つものの銀色が床に散らばった。女の一つ一つの行動に、ハクロはまるで最終勧告を待つ犯罪者のようだ。
一瞬だけ床を一瞥し、女の金の眼はハクロを射抜いた。
「一つとして、減ってはいない。
ただ大人しく、向けられた銃に怯えていただけではないのですか?それで人を蔑むなど、浅ましい限りです。
人に対して、なんらかの非難をされるのでしたら、それ相応のご自身であっていただきたい。
―――今の貴方に、東方司令部の司令官を責める権利はありませんよ」
厳かとも言えるその声は高らかにホーム内に響く。
ハクロは周囲から集まる白い眼に、顔を赤らめた。
「な、なんなんだ、貴様は。好き勝手云いおってっ。大体私の命すら危なかったというのに、なぜ市民なんぞに気を配らねばならないっ。私のほうが格が上なんだ、偉いんだぞっ」
集まる視線に耐えかねてハクロは女を怒鳴る。
そうだ、たとえなにを知っていたとしても、消せばいい。そんな思いがハクロには浮かぶ。このときの男には、それが浅はかな考えだとは思わなかった。普段ならば、彼女の実力を考え、無理だと気付けることだったのに。それほどに、追い詰められ、正常に頭は働いていなかった。
女はハクロの言葉に蔑んだ眼を向ける。同時に、彼女の機嫌を表すように、ホーム内は重く冷気を孕み、呼吸が苦しくなる。ハクロは呼吸艱難にヒュッと咽喉を鳴らす。
「上に起つ者を護るのは、下にいる者の義務です。
ですが、上に起つ者にも、下にいる者を護る権利と責任、そして義務があるのですよ」
それは自分がずっと想い続けている信念のようなもの。それをどこの誰かも、何者なのかもわからない金髪金眼の女が告げた。 彼女はいったい誰なのだろうか。何者なのだろうか。綺麗に整った幼顔、プラチナのように見えていた色鮮やかな金の髪、稀有な混じりけのない金眼。
目の前で起きたことに少し呆然とする頭で、ロイは彼女のことが知りたいという欲求が湧き上がった。
彼女とハクロの様子を見ている限りでは、どうやら知り合いらしい。苦虫を噛み潰したハクロの顔は、彼女を相当に嫌っているのだと示していた。
引かない重い威圧感が漂うなか、金色の彼女に近付く姿があった。その顔は見覚えのあるもので、ロイはふと頭を傾げた。だが、それはすぐに解けた。
「ジャン・ハボック?」
それは以前、自分の下にいた部下の名前だった。
何故あの男がここにいるのか。彼女の傍にいるのか。予想外の人物の登場に、顔には出さずとも、ロイは愕然とした。
ハボックはロイに気付かず、何事かを彼女に耳打ちして、そのまま彼女の背後に控えた。まるで上下関係のある者の図で、彼女は軍人なのだろうかと、ロイは思う。
ハボックから伝えられたものは、彼女の機嫌を向上させるものだったのか、肌を刺すような空気が和らいだ。
息を呑んでいたハクロはやっと声を発せられたのか、勢いよく彼女を罵ろうとする。
「大体貴様はっ」
「うぉぉおおっ」
罵声を打ち消したのは、先程捕まえた東方地開放義団の一人。縄を切ったのか、今は自由の身。右手は機械鎧のようだが、途中から切り落とされていて、その先には隠しナイフがある。ギラギラと物騒に光る暗い双眸はなぜか金色の女性に向いている。
なんにしても諦めが悪いと、ロイは溜息をつく。テロリストの標的となっている彼女、一般人か軍人か、何者かはまだわからない。判らないが、ハボックが彼女を起てようとするところを見ると、相応に高位の人間なのだろう。彼女になんらかの被害を齎す(もたらす)と、ロイ自身が好ましくない状況下に落とされることは間違いない。
ハボックが彼女を護ろうと、前へ出る。同時にロイは発火布を、背後に控えていたホークアイも愛銃を、テロリストへ向けて構える。
だが、それを、彼女は手で制した。
エドワードは掌を合わせてパンッと高い音を打ち鳴らす。その手をアスファルトに付ければ、体内を走る構築式。もう随分とこの練成法を使っていて慣れた感覚だ。
練成反応の青白い光が走り、次の瞬間には、エドワードを睨みつけていたバルドは地面から突き出た鋭い突起に身体が囲われていた。それは身体の隙間を縫いながら、男を雁字搦めにしており、微かな身動きすらも許さない。
「錬…金術師?」
声の方向を見遣る。黒髪、黒瞳の男。顔色は変わっていないが随分と驚いていることが、声から判った。
どうやらあの司令官らしい男は自分の正体にまだ気付いていないらしい。
エドワードの口元がほんの少し上がる。身体が竦みあがっているハクロに、というよりロイに向きなおし、つかつかと歩み寄る。傍近くに寄れば、遠目に見るよりも端整な顔。以前この男の部下であったハボックの情報である女誑しというのが頷けるものだった。
近寄って来たエドワードの意図がわからないのだろう。男は不審に思う内心を隠して、エドワードに見ている。
「さて、自己紹介がまだだったな。始めまして、エドワード・エルリック、階級は准将。
加え――鋼の錬金術師だ。
あんたが、ロイ・マスタングか?」
随分と不躾な物言いだが、階級はエドワードのほうが上なのだから問題はない。というより、これが地で、堅苦しい喋り方は嫌いだからだが。
東方司令部司令官ロイ・マスタングと思しき人物は、予想していた以上にエドワードの訪れが早かったのだろう、そしてきっと自分の名前でエドワード・エルリックは男と思っていたのだろう、愕然とした表情をしている。だが、一瞬でそれは消える。
「はっ。私がロイ・マスタングです」
ロイは敬礼をして、余計な答えを返さずに自分の出方を見ている。
一を聞いて十を理解するタイプだとエドワードは確信した。この時点では、いろいろ気になる点はあるが、ぎりぎりの及第点をやってもいい。双司令官と呼ばれる、もう一方の椅子を託せるかの及第点を。
「うん。これから、よろしく。
明日からのつもりだったんだが、タイミングがいいんで本日より東方司令部、最高司令官の任に着かせてもらう」
極めて無表情でロイに告げる。
これは想定内だったんだろう。ロイは驚くこともなく、もう一度敬礼をして了承の意を示した。現司令官のその行動は、まるで波紋のように他の軍人に広がっていく。それは、最高司令官となったエドワードへ向けて。
そんな畏(かしこ)まったことをされるとは思っていなかったので、今度はエドワードが驚きに眼を見張り、肩を竦めて笑う。
「ん、皆さんよろしく」
途中から意識の範疇から追い出していた上官に振り向き、エドワードは男と向き合う。
ハクロはまだ、冷めやらない怒りに顔は血が上がっていて赤い。
「貴方には、用があります。ご同行を」
その言葉を聞いたハクロは一変して顔から血の気が引いて、いっそ哀れなほどに、蒼い顔をしていた。
「よろしいですね、ハクロ少将」
最後通牒で、彼の立場を思い知らせてやる。
「さて、なにを聞きしたいかお分かりですね?」
ソファに腰掛けたハクロはいまだ青ざめたまま。いい加減になにか喋れよと、エドワードは溜息をついた。
同席を命じたロイとヒューズは、話の要領が掴めずなにがなんだかわからないまま、自分たちを見ている。
エドワードが彼らに同席を命じたのは、ハクロへの精神的圧力のためだ。自分が圧力を掛けてもいいのだが、それをやると呼吸困難に陥る可能性があった。ならば、焔の錬金術師と呼ばれる男を立たせていれば、自分よりも小さいが多少の圧力が掛かるかと思ったからだ。ヒューズには、この件を持ち帰ってもらおうと思ったので、ついでに同席させた。
エドワードはパラリと、束になった資料をめくった。それは列車内に隠されていたクリスが集めたものだった。隠し場所を聞く前に彼の世界を終わらせてしまったので、それが何処にあるかもわからず、ハボックと共に探し回っていた。途中まではヒューズも協力してくれていたが、司令官に情報を渡さなくてはならず、到着と同時に彼を司令官の下に送った。ハクロの声が聞こえてきたとき、あまりの男の浅ましさに、エドワードはハボックに後を頼み、降りていった。その後、ハクロの言葉に怒りを露にしていたときに、ハボックから、見つけたとの耳打ち。
これで、漸く、お前の努力を汲み取れるよ、そんな思いで口を開いた。
「1920年3月21日 東方地開放義団の下に、ハクロ少将が訪れる。
軍の武器工場から、各司令部に向け搬入の情報を密通。
1920年3月29日 搬入途中、武器を強奪」
ぱらぱら、とまためくる。一枚一枚が、とても重い。
「1921年9月17日 ハクロ少将からテロ行為の依頼あり。南部のとある町を爆破。そこには、ダニエル少将が視察に来ていたらしい。見返りは、軍の情報」
ぱらぱら。
「や、やめろ」
「1923年3月29日 ハクロ少将が訪れ、連続爆破テロを依頼。場所はイーストシティ。出来るだけ大多数の死傷者を出すようにとのこと。捕まらないように、隠れ家はハクロ少将が提供、場所は、イーストシティ内のハクロの別宅。地下通路があり、人目につくことはない。――いかれている」
「やめろっ」
ばんっ、ソファと共に設置された上等なテーブルを、ハクロは拳で叩く。目線を資料から男へ向ければ、蒼くなった顔でこちらを睨んでいる。
エドワードはそれに微笑み返し、なにか、と訊ねる。ハクロはそれが気に食わなかったのだろう、大股で歩み寄り、エドワードの胸倉を掴み挙げようと手を伸ばす。
エドワードは微笑みながら見ている。彼は感情のまま自分の胸倉を掴み上げ、殴りつけるだろう。そうすれば、公務執行妨害になる。どんどん罪が増えていくな、とエドワードはやはり笑った。それはそれで自分には願ったりだから。
だが、エドワードを掴みあげる前に、伸ばされた手を捩じり上げる姿と、首筋にナイフを押し当てる姿があった。結果ハクロは、息を呑んで、そこに固まることを余儀なくされた。
「准将さんよ、少しは反撃する態勢とってくださいよ。見ていたら、心臓に悪いですよ」
そのまま殴られるのかと冷や冷やして結局、手出しましたよ。ヒューズは飄々と云うが、眼は剣呑としている。この男の実践はあまり詳しく見ていないので実力はわからないが、相当に強そうだな、とエドワードは感心してみた。
「聞いてます?」
ヒューズは引き攣らせた顔をエドワードに近づける。どうやら、怒っているらしい。自分の部下にも感情表現が多彩な者がいる。だがヒューズはそれとはまた一味違うタイプだ。どちらにしても、好ましいタイプだ。
叶うなら、敵にはしてやりたくないな。そんなことを、思った。
どの道、それはすべて、ハクロを止めたもう一人。ロイ次第だと、エドワードは溜息をついた。
「聞いてるけど、まあ、殴られるつもりはあったしね」
「はっ?」
驚いているのは二人、そしてハクロもだった。
「いまここで、俺が殴られました。はい、何の軍法に引っかかるでしょう」
そうして、ロイに指をさす。
ロイは戸惑いながらも、答えを上げていく。
「正解。すごいな。全部云いやがった。合計十八の軍法、条項に違反だ」
エドワード椅子から腰を上げ、資料を手に持ちながら、ハクロの目の前に立つ。
「き、貴様の云ったことなど、すべて、言い掛かりだ。そんなもの、なんの証拠になる」
ハクロは随分と焦っている。額には脂汗を掻いて、身体はがたがたと震えている。当たり前だ、これが事実と立証されれば、彼は銃殺刑で終わるかわからないのだから。民衆に悪印象を与えないため、その存在を消されるかもしれない。下手をすれば、これ以上の違反がないか、拷問されるかもしれない。
けれどエドワードにはまだ足りなかった。もっと、もっと増やしたかった。瑣末なものでもいい、男の罪を、増やしたかった。
「証拠ならありますよ、これがなんだかお分かりになりますか」
見せたのは、一枚の紙。
正確に言うならば、写真。はっきりと、東方地開放義団のバルドとハクロが写った。
男はそれを見て、手を伸ばす。破り捨てるつもりなのだろう。
エドワードは証拠を後ろへと逃がした。
それを追おうとする男の腕を、ヒューズに力の限り捩じり上げられ、足を払いそのまま流れるように床に殴りつけるように押し付けた。その後をロイが、いつの間にか身に着けていた発火布で指を擦り合わせる。火は小さなものだったが、ハクロの悪足掻きを封じることの出来るものだった。
どうやら二人とも、一連のテロがこの男の計画だったことに怒り露な状態らしい。エドワードの心情も、なにか言えるような状態ではないので、放っておくことにする。
「ハクロ将軍、これは、私の部下が潜入捜査をして、手に入れたものなのですよ。もちろん、東方地開放義団にです。
彼は、貴方に大切なものを奪われたらしく、たいそう貴方を恨み憎んでいましたよ。だから、破滅を与えたいと、望んでいました。殺害ではなく、破滅を望んだので、私も協力することに決めました。
私も腐った膿を取り除きたかったのですよ、ハクロ少将。
貴方を軍法会議に掛けさせて頂く。
一つは今回の東方地開放義団と通じ、スパイ活動の件。
もう一つは、東方地内乱イシュバール戦においての、大師団を率いている指揮官に有るまじき行為の数々についても」
クリス・リッチレインから奪った権利。
クリス・リッチレインと交わした約束。
ハクロに、罪相応の罰を。
「御覚悟を。銃殺刑は免れませんよ」
本当は、もっともっと、罰を重くしてやりたかったけれど、これが限界。男のふしだらな行いが、議論のネタになることが、クリスへの餞になるだろうか。
けれど、自分こそが、罰を受けるべきではないのだろうか。
エドワードは小さく、名を呼んだ。
懐かしいその名を。
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