こうして黄瀬は黒子の犬として飼われることになった。
だが犬と言っても、別に黄瀬の耳が犬のそれになったり、尻尾が生えたわけでも、2足歩行ができなくなったわけでもないので、実際には何も変わらなかった。

数日たって、あの日の答えはやはり聞き間違だったのか。と黄瀬は思った。
冷静になって考えるとそうに違いなかった。あんな言葉を真に受ける方がおかしいのだから。
聞き間違いでなくとも彼らしくない冗談だったのは間違いない。
黒子は黄瀬を喜ばせるために、あの時頷いてくれたのだ。


だがそうして一度落胆した黄瀬は、次の週末にメールを受け取った。

『今週末、会いませんか?』


それからと言うもの、黒子は休日の日に連絡してきては、部活が終わった後に黄瀬の家にやって来て散歩に行ってくれるようになった。
散歩の後には一緒に軽食をとり(黒子にとってはどうであるかは知らないが黄瀬にとってはそれは軽食だった)
黄瀬の家のソファーで寛いだ時に、おずおずと黒子の手が黄瀬の髪に触れるようになった。


これが何を意味するか分からないほど黄瀬は馬鹿ではない。

そして新しい黒子との時間を何度か過ごしたある日
玉砕覚悟に「オレ、黒子っちの犬っスよね!」と笑いかけた時、普段表情を変えない彼がぎこちなく微笑んだのを見て、黄瀬は確信した。


ああ。黒子っちは優しい
本気でオレを飼ってくれてるんだ
本当に真面目に、あの言葉を受け止めてくれたのだ


それが分かると黄瀬の行動も大胆になった。
これまで以上に黒子の体に抱きつくようになったし、彼が頭を撫でてくれれば鼻を鳴らして喜んだ。

飼い犬であるという魔法の鍵が、黄瀬が黒子に送るスキンシップを正当なものにした。
黄瀬は心往くまま黒子に甘えることが許される。犬の特権だからだ。
そして黒子も、黄瀬を甘やかしてくれた。

黄瀬は満足した。
黒子は黄瀬をとても慈しんでくれた。大好きな人に全力で愛してもらう日々に、黄瀬は毎日が幸せだった。
心の奥底にくすぶる不安が掻き消えるのに、安堵した。


もっとも、お互い部活に精を出す学生だったし、学校も遠い。
だから黒子が黄瀬を散歩に連れて行ってくれるのも休日だけだった。だが、それが精一杯だと分かっている黄瀬もそれ以上を要求しなかった。



しかし、ついに待ちに待っていた試験前がやってきたのだ。
これから1習慣は週末にならずに黒子と過ごすことができる。

偶然にも誠凛と海常は、試験が始まる時期が同じだった。
黄瀬が今大切に抱えている携帯電話の中には昨日黒子から送られてきた『明日、僕は試験前なので部活がないのですが、黄瀬君はどうですか?』というメールがはっきり残っている。




黄瀬は胸の高鳴りを抑えられずに、途中からは走り出した。

一緒にテスト勉強をするのかもしれないと予感がある。中学時代はよく、黒子は黄瀬の勉強をみてくれたから。
だが今の黄瀬は中学時代のように単なる友人ではなく、黒子のペットなのだ。
ひょっとすると勉強を見てくれる間、黒子は黄瀬の頭を撫でてくれるかもしれない。

想像して笑み崩れた黄瀬にとって家までの道はあっという間で。
帰宅するなり黄瀬は部屋を、特に床を綺麗に掃除した。前に黒子が家に来てから、物はほとんど動いていない。


黄瀬はモデルという仕事もあってセキュリティーの問題云々で親と別居している。
一人暮らしで気兼ねないし、黒子の家は家族がいる関係、黄瀬は黒子に「飼われている」はずなのに、黒子の方が黄瀬の家にやって来る。
もちろん、そんなことは黄瀬にとってささいな事だったが。

それから黄瀬は冷蔵庫を開いて、缶ジュースの横に昨日MAJIバーガーでお持ち帰りしてきたシェイクが並んでいるのを確かめる。
後は一緒に食べる食事についてだが、これについては二人とも得意ではない。だから黄瀬はちゃんと、帰る途中にコンビにでお弁当を買って帰った。
これで準備は万端だろう。


満足気な息を吐いて、もう一度黄瀬が床を掃除しようかと考えた時、やっと心待ちにしていたインターホンが鳴った。

「わん!」
思わず嬉しそうに独り言を言って黄瀬がボタンを操作する。こうして黄瀬がボタンを押せば、黒子はマンションの中に入ることができる。あと少し待てば、黄瀬の待つこの部屋に来てくれるだろう。

黄瀬は扉の鍵を開けておくと玄関でウロウロと待ち続けた。
この時間は非常に長く感じる。だが、たまらなく幸せな時間だった。


黒子はもう一度、扉の前でインターホンを鳴らすこともノックをすることはしない。
自分の家のようにノブが回されて、開いた。

途端に黄瀬は飛び出して、自分よりも一回り小さな黒子の体に抱きつく。近所の人は見ていなかったが、例え見ていたとしても気にしなかっただろう。
さすがに体格差を熟知しているので本当の犬のように全体重かけることはしなかったが。
頬を摺り寄せてくる駄犬を抱えながら、黒子は苦笑して部屋に入り扉を閉める。
軽く髪を撫で付けてやると黄瀬はおとなしくへばりついたまま、黒子についてリビングに入った。


「・・・ただいま」

そう。ここは黒子の家なのだから、黒子は黄瀬に「ただいま」と言う。
少なくともそう黄瀬は頼んだ。だから黒子は、インターホンを押すのはマンションに入る初めだけで、この部屋に入る時にはノックもしない。
黄瀬は本当は鍵を渡したかったのだが、黒子に断られてしまった。
黄瀬にとってはもはやここは彼の一人の部屋ではなく、黒子とペットの犬の部屋のつもりでいるのに。
しかし鍵を受け取ってくれなくとも、それを文句の言える立場にない黄瀬は黒子の考えに従った。
犬が飼い主に意見するなんて言語道断だろう。


黒子は黄瀬を連れてソファに座ると、ぽとんと鞄を足元に置いて。ます胸元にこすり付けてくる茶色い頭をわしゃわしゃと撫でた。
きちんと櫛を通され、セットされた髪がぐしゃぐしゃになっていく。しかし黄瀬はこうして撫でて欲しいらしく、そうでなければ満足しなかった。
だから黒子は、家につくなり黄瀬の髪を撫で回した後で適当に櫛で梳いてやることにしている。黒子自身は自分の髪をさして整えていないのだが。
案の定喉から嬉しそうな唸り声を上げながら、黄瀬は黒子の手の平を感受していた。


「黄瀬君、今日は一緒に勉強しますか?」

ひとしきり黄瀬を撫で続けて手も疲れてきたあたりで、黒子は持ちかける。
黄瀬の予想通り、黒子はテスト勉強をするで来たようだ。

内心他の理由もあって欲しいと黄瀬は思ったが、素直に頷く。
テスト勉強をするために来てくれれば、本当にこの1週間は黒子は黄瀬の家に来てくれることになる。
逆に黒子に「今日は試験勉強するので遊べません」と断られるのは嫌だった。


(なんで本当の犬になれないんスかね・・・)

黄瀬の中ではぐるりとそんな思いが回る。
口には出さなかったが、最近の一番の悩みはそれだった。


「犬のようだ」とかつて良く言われていた黄瀬だが、本気でみんな犬だと思っていたわけではないのは知っていた。
どうしても黄瀬は人間でしかない。
だが本当に犬になってしまいたいと黄瀬は思った。

そうしたら本当に黒子の家に住み着くことだってできるし、誰に気兼ねすることなくベタベタできる。

それに・・・・


「どうかしましたか?」

黄瀬の雰囲気が悲しものに変わったのが分かったのだろう。しょんぼりとした黄瀬に、黒子は一旦止めた手で再び撫で始めた。
勉強がしたくないという態度にしてはしんみりしすぎている。

心配そうな空色の目に、黄瀬は慌てて首を左右に振りながら立ち上がった。

「・・・なんでもないっス。俺、シェイク持ってくるね」




黄瀬がバニラシェイクと缶ジュースを片手にひとつづつ持って戻ってくると、さっそく勉強会が始まった。
黒子が取り出した教科書には蛍光マーカーがあちこち引かれている。さすが黒子っち。と黄瀬は思ったが、少し妙にも思った。
帝光中の時、黒子はテスト勉強をする際に基本的にノートを使っていた。
しっかりと要点のまとまったノートは見るだけで復習ができ、お陰でテスト前は黄瀬は黒子のノートを借りるだけで結構勉強になったものだ。

「珍しいっスね。ノート作ってないんスか」
「・・・黒板が見えないので、ノートが上手く取れないんです」
「黒板が?視力落ちたっスか」
「いえ。前の席が火神君なので・・・視力は変わっていません」

火神の身長は黒子より約20cmも高く、おまけに体格も良いため黒子の目の前に座られれば黒子からは全く黒板が見えなくなる。
黒子も精一杯火神の横から顔を出して見ようとはするのだが、やはり限界はある。

授業は聞いているし、教科書の要点さえ掴めば大丈夫だと踏んでいますが。と黒子は呟いた。

「仕方がないので火神君に授業のノートを見せてくれるように頼んだこともありましたが、火神君のノートって所々英語で書いてあるんですよね」

あれでは片手に英語の辞書が必要だ。
おまけに予想はしていたが、ノートは落書きばかりで使い物になりそうになかった。


火神のノートを思い出して黒子の表情がほころぶ。
特に試合の前になると、火神のノートには対戦相手についての落書きで一杯になってしまうのだ。
それを見た時、呆れるのを通り越して笑った。ノートが使い物にならないという事実をどうでも良いと思えるほど。

そうして思い出し笑いをしたのだが。彼の滅多に現れない笑顔はすぐに驚きに塗り替えられた。

「・・・・黄瀬君?」

さっきまで確かに笑っていた黄瀬がまた暗い顔つきになっていた。
一目見て傷ついている黄瀬に不思議そうに問いかける。
やはり今日は、勉強なんてしたくないのかと思った。
もしそうなら無理に勧めず、今日は遊ぶだけでも構わないのに、と。


しかし黄瀬は顔を上げて「黒子っち」と言うと、また立ち上がってどこかへ小走りで行ってしまった。
バタンバタンとどこかのドアを乱暴に開ける音がして、戻ってきた時には手に何か持っていた。


「これ、黒子っち。オレに嵌めて」

差し出された物を見て黒子は我が目を疑った。
一瞬頭の中がフリーズするほどに。

「・・・っ、とつぜん。何を言ってるんですか」
「学校にはね。ちゃんと外すっス。黒子っちと会う時だけ付けるから」

慌ててひっくり返った声を出す黒子に、黄瀬がにりじよる。
しかし突き出されたものを黒子は両手で防ぎ、受け取らなかった。

黄瀬の指で捧げ持たれていたのは黒い首輪だった。
ファッションなどでつけるものではないと一目で分かる、本当に大型の犬が嵌めるような細身の首輪で、ちゃんと散歩の時に紐をかけるための金具もついていた。


「できません。そんな・・・」
「だって俺、犬なんだよ!?黒子っちは俺の飼い主なんスから、首輪つけないと。飼い主は飼ってる犬に首輪つけないと駄目なんスよ!」

(ああ、駄目だ!)

黄瀬が体を震わせる。
一気に黒子の顔が青くなって強張っているのを見て、黄瀬の顔もまた青ざめていった。








わんこ黄瀬いっぴき




NOVEL by『 未だ未定 』

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PHOTO by『 空色地図 』