黄瀬の周りにはいつものように女性が群がっていた。
昼休みだけでなく、休みになれば彼の周りには誰かしらが側にいることが多い。
嫉妬のフィルターがなくなれば、同じ男の目から見ても毎日これでは体がもたないだろう。と思われるのだが、黄瀬は上手いあしらい方も心得ているらしく本当に席を外して欲しい時にはあっさり引かせることができるようだ。

だが、今回はいつものように。とは言い切れなかった。
彼女たちはいつになく強引に黄瀬の腕を掴むと、甘えた声で揺さぶっている。

「テスト期間前って部活ないんだよね?」
「どっか遊びに行こうよ!」
「ね、リョータ。良いでしょ?」


普段、意中の彼はモデルの仕事とバスケで一杯一杯らしく、誰の誘いにも乗ってくれることがない。
どんなにねだっても「今日は忙しいっスから」と困った顔をされると、彼女たちも折れないわけにはいかないのだ。
幸い、誰かの誘いに乗って自分には、ということはなく、誰の誘いにも乗らないとなるとある種の安堵感はある。
だが今日は部活という、黄瀬を奪うものがなくなっているのだ。
こんなチャンスを見逃すことなどできないと、さっそく部活休み1日目からこうして彼を囲い込んだというわけだ。


本来であれば勉学に励むためにこの期間はあるはずなのだが、そんなことはお構いなし。という同級生に、黄瀬は「弱ったなあ」という笑顔を浮かべていた。

その胸の中では明らかにどうやって断るか。が思案されている。
だがうまく断る口上も思い浮かばなかったので、あ〜だとかう〜だとかもらして頭を掻いていた。
それはあと少し彼女たちが強引に押せば落とせる。という感触を抱かせて、ますます彼女たちは柔らかな体を密着させて強請った。

「ホラ、リョータあんまり授業とか出てないし、テストとかどうでも良いじゃん」
「え〜?俺だってちょっとくらいは勉強するんスよ」
「うっそお」


きゃらきゃらと笑いながら、当然のように黄瀬を連れて行こうとする。
その流れに逆らうように「でも今日は・・・」と黄瀬が手を振った時
「オイ」と怒りを孕んだ声が浴びせられた。

「あ。キャプテン」
「おせぇぞ。もうミーティング始まる時間だろ」
「え?・・・・・ああー。そうそう」

黄瀬はスルリと自分にからみついた細い手を外すと、「ゴメンね」という表情を目一杯作って笠松の元へ走る。
うまく逃げ出すことができた黄瀬の明るい髪を軽く叩く先輩に、女生徒たちからブーイングが上がった。
多くは横暴!だとか空気読んでよ!である。
愛らしくリップクリームで彩られた唇から漏らされる言葉の数々に、笠松の眉間に深々と皺が寄り、黄瀬は彼女たちの見えないところで申し訳なさそうな顔を作った。

(キャプテン、ほんとすみませ・・・)
(何で俺だけ悪者扱いなんだよ!テメエ部活始まったら覚悟してろよ!)
(そ、そんな〜)

黄瀬はがっくりと肩を落としたが、それ以上にホッとしている。
ミーティングなんて嘘だ。
黄瀬が困っているのを見て助けに来てくれた笠松に対して黄瀬は深く感謝していた。練習中にイビラれるのは勘弁だが、お礼に何か奢るくらいは朝飯前である。


角を曲がって群がっていた女性たちの突き刺さるような視線が外れると、ようやくふたりはふうと安堵の息を吐いた。
改めて笠松から蹴りが入れられる。

「言っておくけど、テストのせいで部活ねえんだからな。赤点なんて許さねえぞ!」
「イテテッ。わ、分かってるっスよ〜」
「・・・一応、1年で勉強会するって話もあるみたいだけど。お前も行くのか?」
「あっ俺はそういうの良っス」

笑いながら、黄瀬は手をブラブラ振って見せる。
黄瀬の場合はモデルを兼業しているということを鑑みて、多少の成績でも優遇されるという話だ。黄瀬の場合は熱心に勉学に励む必要もないのかもしれない。
そういう事も笠松は気に入らないのだが、実際黄瀬が頑張っているのが分かっているのであまり強く言わなかった。

また1年にも関わらずスタメンに入っている黄瀬はバスケ部の中でも特殊な立場にあって、他の1年と同じような関係を築くのは難しい。
だから勉強会などがあったとしても、黄瀬は参加しないだろうと笠松も踏んでいた。
予想できた答えに、フンとため息を出す。

「じゃあテスト期間中は一人で勉強してんのか?」

自分で言った後、その姿が想像できなくて笠松は淡い笑みを浮かべる。
黄瀬という男ほど努力という言葉が似合わない者はいないと、彼は思っている。
バスケに対してもだが、モデルという仕事に関しても。
彼は何でも鮮やかにこなしてしまうイメージがあるのだ。バスケとモデル。決して簡単に手に入るものではないとは知っていながら、汗水たらして。という印象はどうしても無縁のような気がする。
手を伸ばせばすんなり取れると分かっていたから手に取った。そんな風に。


それが事実かどうかは、笠松には分からない。
ただ黄瀬は、先輩からもらった質問にへらりと笑顔で返した。

「勉強、するっスよ。ただ、ひとりじゃないっス」


(なんだ。やっぱり黄瀬にも友達、いんだな)

当たり前のはずなのに、その答えに若干驚いた笠松は、次いで胸を撫でおろした。

笠松は黄瀬とは学年が違うが、部活の風景を見ていても黄瀬は明らかに別格で。(それは監督の態度にも問題があるのだが)
この調子では同じクラスに友達なんていないのではないかと密かに心配していた。
べつに彼が心配する事ではないのはもちろんのこと。友達なんていなくとも黄瀬ならば何ら問題なさそうにも思えるのだが、やはり安心する。


安堵した笠松は、これで「女友達と勉強するっス」など言われていれば即座に後輩の頭を叩いていただろう。

だが、この10人に聞けば10人が格好良いと認める面の良い後輩は予想もしなかった言葉を告げた。


「飼い主と。オレ、飼い主とあんまり一緒にいられないスから。こういう機会あったら目一杯使わないと」

「・・・・・・・・はっ?」


笠松が一瞬、言葉の意味を理解するのに機能停止していても仕方がないだろう。

その間に黄瀬はサッと身を翻して
「さっきは助けてくれてアリガトウゴザイマシタ!近いうちにご飯奢るっス〜」
と手を振って小走りで行ってしまった。
モデル仕込みの、スポーツマンに相応しいさわやかな笑顔を浮かべて。

彼が曲がり角を曲がったところで、「あ、リョータ!」「理沙ちゃんまた明日!」「待って。一緒帰ろうよ」「ゴメンね今日急ぐっスから」などという会話が耳に入ったが、笠松にとっては先ほど言われた言葉を理解するので手一杯だった。


「飼い主・・・なんてお前、犬じゃあるまいし・・・」

犬のようだと何度が思ったが、それとも本当に犬だったのだろうか。
笠松は考えて、自分の考えにぶるりと身を震わせた。



わんこ黄瀬いっぴき




そこが人通りの多い道でなければスキップでも踏みそうなほど、足取り軽く黄瀬は歩いていた。
テスト前で、いつもであればロッカーに放置している教科書も入った鞄はずっしりと肩に食い込んでいるが、そんなものが彼の浮上した気分の荷重にはなりはしなかった。

あの日のように雲が青空の中、高く泳いでいるこんなに天気の良い日だからか。
それとも久しぶりに自分の飼い主にたっぷりと甘えられることが分かっているからか。
つい、思い出して黄瀬は柔らかく微笑んでいた。





「黒子っち〜!」
「黄瀬くん?」

その日
学校が変わって、なかなか会えなくなった元チームメイトに偶然街中で会った。
黄瀬は仕事の打ち合わせの帰り。黒子は、図書館の帰りだったらしい。
遠くからでも黒子の姿をみつけて駆けつけてきた黄瀬に、黒子は少し目を丸くしていた。


久しぶりに、二人ならんで道を歩く。
もともと家はそう遠くないので、一緒に帰るのは自然な流れだった。

そうしているとまるで昔に戻ったように感じられて、黄瀬は浮かれっ放しだった。
自分でもそう思っていたのだから、傍から見ると異常に興奮していたのだろう。

道すがらひたすら喋り続ける黄瀬に、黒子は苦笑する。

「少し落ち着いたらどうですか」
「え。だって」
「・・・そういえば火神君が、練習試合の後に黄瀬君を犬みたいだと言っていました」

まさしく今の黄瀬は、犬で言うと尻尾を激しく振りたくった状態に違いない。
そのため同級生の一言を思い出して、黒子はクスクス笑った。


中学の頃から、同じキセキのメンバーにも良く「黄瀬は犬みたいだ」と言われていたが、黒子の回りをぐるぐると回る黄瀬はどこか犬を彷彿させてしまうらしい。
そうかなあ。と黄瀬は半信半疑だったが、その度に黒子は「犬みたいです」と同意した。そんな時の黒子が自分へ向ける目線の先に小さな子犬がじゃれついている映像を見た黄瀬は、なら良いかと許諾したのだが、
今、目の前で微笑む黒子を見て、つきん、と棘が刺さったような痛みを覚えた。黄瀬の笑顔が僅かに曇る。それはこれまで感じたことのない苦しさだった。
わずかな陰りを、隣を歩く黒子は気づかなかったのだが。
黄瀬は突然、わけもわからないまま襲ってきた不安に打ちのめされる。メーターがあるのなら、一瞬にして振り切れるほどの猛烈なそれはほとんど恐怖だった。
その苦さから息ができなくなりそうで、慌て口から言葉を綴った。

「犬みたいっスか――ねえ黒子っち。犬、好きっスか?」
「僕は特に嫌いではありません」

唐突にもたらされた質問を、黒子は自然に返す。
黄瀬はこの答えにホッとし、少しばかり胸の痛みが落ち着くのを感じた。


それまで黒子に合わせていた歩調を乱して大きな一歩を踏み出すと、彼の数歩前を歩き振り返る。
後ろ向きに歩きながら笑顔を作り元チームメイトに持ちかけた。


「じゃあさ。黒子っち、俺を犬だと思って飼って欲しいっス」


黒子が驚いた。のは当然だろう。
もともと大きな目をきょとんと見開いた友人に、黄瀬は慌てた。畳み掛けるように続ける。

「飼うって言っても、黒子っちの家に住むとか。そういう意味じゃないっスよ?ごはんだって自分で用意できるし。金銭的な意味で迷惑は絶対かけないっス!ただ、定期的に散歩に連れて行ってくれたり、一緒にご飯食べたり、頭撫でたりしてくれる飼い主が欲しいんス」

言いながら。黄瀬は真剣だったが、駄目かな、と思った。
今自分が相手にしている友人がどれだけ生真面目なのかを知っている。
いや、真面目でなくてもこれに素直に頷ける人は少ないだろう。ほとんどの人は冗談だと思って流してしまうに違いない。
黄瀬は冗談でも頷いてほしかった。
だが黒子は、きっとこの提案を「冗談でしょう?」と笑い飛ばしたりはしない。

代わりに、謝罪の言葉を述べるのだ。


黒子の顔を見つめたまま後ろ歩きで足を進める黄瀬を、黒子はしばらくその大きな目で眺めていた。
その沈黙に耐えかねて、黄瀬が「やっぱり今のナシで!」と口にする前に、彼は「すぅ」と息を吸い込む。


「良いですよ」


思わず身構えた黄瀬に届いた言葉。
あまりにも短かった言葉に、黄瀬は都合の良い空耳を聞いたのかと思った。

黄瀬があっけなくもたらされた受諾にポカンとしいる間に、黒子の足が追いつく。
いつの間にか黄瀬の歩みが止まっていたらしい。
黄瀬の鼻先をくすぐって、黒子の露草色の髪が通り過ぎていく。ハッとして黄瀬が振り返った。

「黒子っち!」
まるで逃げるように歩き続ける彼に、後ろから首に腕を回して圧し掛かるように抱きつく。
やっと黒子は立ち止まった。

「なんですか」

振り返りたくとも黄瀬の腕が邪魔して首は途中までしか回らないようだ。
なんでもないように聞いてくる黒子に対して、黄瀬の頭の中は混乱でぐるぐるし続ける。

(え。本当に?)
などと聞き返して、もしも「冗談です」と返されたら。
冗談でも頷いてほしかったが、本当に冗談なのだろうか。

それが怖くて、黄瀬は口をパクパクさせただけで言葉にできなかった。

自分を引き止める腕に向ける不思議そうな薄い目に、せっつかれるようにして
代わりに彼が黒子の耳のそばで囁いたのは、ひとこと。


「わ・・・・わんっ」








わんこ黄瀬いっぴき




NOVEL by『 未だ未定 』

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PHOTO by『 空色地図 』