雪の奈良街道
暗峠
大阪と奈良の生駒を結ぶ街道の府県境にある。何十年ぶりかで訪れた峠の風景は、雪が舞い、
人家も峠のひとところに何軒か寄り添うようにたっているだけで、人や車の往来もなく、さびしげであった。
電力会社のPR誌の表紙に使用。
奈良
東大寺二月堂
毎年3月に修二会が修せられる二月堂。連行衆が振りまく松明の火の粉をかぶると、一年息災に暮らせると、多くの人々が集まる。3月12日には、若宮から水を汲む、「お水取り」がおこなわれる。近畿ではお水取りが済むと春が訪れる。修二会は天平時代、東大寺開山良弁僧正の高弟実忠和尚が始めたものだそうで、以来一度も途切れることなく続けられ、2010年で1259回目になる。
世界遺産。国宝。
「経済人」2010年3月号表紙に使用
吉野金峯山寺
南朝妙法殿
吉野の金峯山寺は役小角が開いたとされる、修験道の本山で、「「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産に登録されています。本堂蔵王堂の南にある南朝妙法殿の八角三重塔は、南北朝時代に南朝の後醍醐天皇の�行宮となっていた実城寺の跡に、昭和になって建立されたもので、南朝の4天皇などを祀っています。
水彩スケッチ 「志摩大王崎 燈台の見える丘から波切漁港」 2008年 157x202mm
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東大寺三月堂 奈良 ポストカード水彩スケッチ 2007年 120x165mm
東大寺に残る8世紀、奈良時代の建築。建物の左側(北側)が正堂と呼ばれ仏像が安置されてます。右側(南側)は礼堂と呼ばれ鎌倉時代に付け加えられたもの。本尊不空羂索観音立像日光・月光菩薩立像、吉祥天・弁才天立像、金剛神立像、四天王立像などをはじめ、多数の国宝・重要文化財の天平仏が安置されています。継ぎ足した建物であるのに、均整がとれ、無駄のない美しいたたずまいに、いつ見ても感動。1200年前にこんな完成度の高い建築ができていたことにも感嘆します。
■「経済人」2010年3月号表紙掲載。
雪の餘部鉄橋 水彩スケッチ 2001年 158x239mm
兵庫県の城崎から鳥取に向かう山陰線はリアス式の但馬海岸に沿って、山から山へ、いくつものトンネルを縫うように走ります。香住(香美町)のあたりでは、高さ40mの鉄橋で谷を渡ります。1912年に完成した長さ310mの日本最大規模の鉄橋です。新しい橋につけかえられることになり、全国から注目を浴びている橋です。設計にあたった鉄道庁の技師古川晴一は、当時高い橋脚の鉄道橋で実績のあったアメリカにならい、トラス構造の橋脚をいくつも立ち上げ、上に橋桁を渡すトレッセル式の鉄橋を完成させました。海に近いため、潮による錆の対策が大変で、かつては橋守の家族が線路のそばに住んでいたそうです。完成から100年、もうすぐ赤い鉄の橋脚は姿を消してしまいます。
■「国づくりと研修」2003年冬号掲載
YASUDA YASUYUKI
水彩画スケッチ紀行
近畿のスケッチ旅
吉野 金峯山寺
蔵王堂
壮大な建物を間近に寄って描いたものです。このときのスケッチはしごとでしたので、お寺の食堂でお昼ご飯をごちそうになりました。大寺の食堂に入れてもらうのはもちろん初めてで、その日の献立はカレーライスでした。千年以上も続く修験道の本山であるお寺で、職員のお坊さんと一緒に食べるカレーライス。これがおいしかったし、ちょっとおもしろい体験でした。
国宝。世界遺産。
桜の季節の
広村堤防
「稲むらの火」という話をご存知でしょうか? 小学校の国語の教科書で読んだ方がいらっしゃるかも。江戸時代の終りの頃、安政南海地震が起こり、紀伊地方は大きな津波に襲われました。このとき広村(現在の和歌山県広川町)の濱口儀兵衛(梧陵)は刈り取ったばかりの稲むら(稲や藁を束にして積み上げたもの)に火を放って、暗がりの中、津波に襲われた村人を安全な場所に導き、避難させたそうです。この話を題材に小泉八雲が'"A
Livinng God "を英語で著わし、その作品を読んで感銘を受けた小学校の教員が書き直した物語が「稲むらの火」です。壊滅的な津波のあと、濱口梧陵は被災者の救済や復旧に力を注ぎ、また起こるかもしれない津波に備え、巨額の私財をつぎ込み、高さ5m、長さ600mの堤防を築きました。安政南海地震の92年後、昭和南海地震が起こり、再び大津波が広村を襲いましたが、人々が住む村の中心部は、この堤防に守られたそうです。梧陵の偉業は、応急措置、復旧、予防という、現代の防災の基本を当時実践したことだそうです。いま堤防は、桜並木と松並木に彩られ、地元の人が散歩する穏やかな景観をつくっています。
和歌山湯浅
大仙堀と醤油蔵
醤油の発祥については、いろいろな説があるそうですが、室町時代、紀州由良の興国寺の僧覚心が、中国から製法を伝えた金山寺味噌の醸造が、湯浅の町に広がり、味噌をつくる過程でできたという説が、有力だそうです。できた醤油は、漁業と海運で栄えていた湯浅の町から各地に出荷されていきました。醸造蔵の裏には、醤油の積み出しに使われた埠頭の面影が残っています。醤油蔵のある狭い通りを歩くと、ほのかに香ばしいにおいが漂ってきます。
国の重要伝統的建造物群保存地区
2006年電力会社PR誌表紙
「経済人」2010年4月号
水彩スケッチ 「吉野金峯山寺南朝妙法殿」 2008年 158x203 mm
水彩スケッチ 「雪の奈良街道暗峠」 2002年 159 x 202 mm
浜坂漁港の夕暮れ
兵庫
兵庫県の北部、日本海に面した浜坂港はかつて北前船が寄港した良港で、日本屈指の水揚げ高を誇る漁港でもある。すぐそばに有名な湯村温泉があり、冬は温泉とカニ目当ての観光客に人気である。
ポストカード水彩スケッチ 「浜坂漁港の夕暮れ」 2003年 120 x 163 mm
北國街道 長浜
滋賀
北國街道沿いの長浜の町の家並み。北國街道は琵琶湖の東岸を北上し、余呉湖、栃の木峠を経て、北の庄へ至る。長浜宿は豊臣秀吉の頃から楽市が開かれ、町衆自治の商業の町として栄えた。街道沿いには古い虫籠窓ののある商家や土蔵、明治時代の銀行の建物が続く。
ポストカード水彩スケッチ 「奈良東大寺大仏殿」 2008年 120 x 165 mm
ポストカード水彩スケッチ 「奈良東大寺二月堂」 2008年 120 x 165 mm
水彩スケッチ 「和歌山湯浅 大仙堀と角長の醤油蔵」 2006年 148 x 226189 mm
和歌山湯浅
補陀落山施無畏寺
鎌倉時代、湯浅の地頭であった藤原景基が、従兄弟であった、華厳宗の高僧明恵上人に寄進して開かれた寺です。施無畏とは、明恵上人が「生類をして畏れ無きを施す寺」、殺生禁断の寺となることを願いつけられたと伝わっています。山の中腹の寺に続く参道や、広い境内にはたくさんの桜がうえられ、のどかな春の午後、やわらかな陽射しが、かすかに揺れる花の影を地面に映していました。
「経済人」2010年4月号表紙に使用
ポストカード水彩スケッチ 「吉野金峯山寺蔵王堂快晴」 2008年 120x165 mm
水彩スケッチ 「湯浅・広港 和歌山」 2009年 159x204 mm
水彩スケッチ 「大阪能勢 長谷の棚田」 2009年 157x204 mm
ポストカード水彩スケッチ 「平城宮跡 内裏の遺構から第一次大極殿を望む」 2010年 120x165mm
ポストカード水彩スケッチ 「龍谷大学本館」 2003年 121x167mm
ポストカード水彩スケッチ 「志摩大王崎波切 宝門の浜と燈台」 2008年 120x165mm
ポストカード水彩スケッチ 「美山町の茅葺民家」 2004年 120 x 166 mm
水彩スケッチ 「長浜 北國街道」 2001年 149 x 210 mm
ド水彩スケッチ 「桜の季節の広村堤防」 2009年 157 x 226 mm
ポストカード水彩スケッチ 「和歌山湯浅 補陀落山施無畏寺」 2009年 120 x 165 mm
ポストカード水彩スケッチ 「平城宮跡 朱雀門 復原」 1998年 113x158 mm
水彩スケッチ 「尾鷲 三木里広小路」 2009年 (120x165mm)