三嶺〜白髪小屋
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白髪別れより見る朝日(画像中央、ガスのかかっている山が剣山、次郎笈)
◆【山行日時・天候】 2005年9月18日〜19日
□9月18日  晴れ

□9月19日  快晴のち高曇り、にわか雨
◆【コース・タイム】
□9月18日

名頃・お堂=40分=登山口=105分=三嶺山頂=75分=白髪避難小屋(泊)

□9月19日

白髪避難小屋=80分=三嶺山頂=105分=いやしの温泉郷=20分=R439・・〈バス乗車〉・・名頃・お堂



◆【詳細】
かつて、ここからの三嶺南面を撮ろうと思い出掛けたものの雨にたたられ、その目的を達成できないでいる懸案事項を達成するため18日早朝、祖谷側・登山口の東祖谷山村・名頃へ向け車を走らせた。

こことは、広義では白髪別れ付近。あえて狭義で言うとその少し北の地点。

「秋の入り口は何処?」
残暑は厳しかったものの、好天に恵まれ人も少なく静かだったことで、その中に小さい秋を見つけられた山歩きが出来た―。


ちょうど日の出の頃、自宅を出発。
淡路島を経て四国に入り、登山口の祖谷・名頃へは貞光よりR438をしばらく走った後右折、小島峠へと向かったが、先日の台風の影響で民家が途切れたすぐ先の沢に架かる橋の手前で通行止めのロープ。

いくらかでも時間短縮できると思いこのルートを選択したにもかかわらず、これでは何のためのものか解らなくなってしまった。

R438からの往復の道中に通行止めの標識は確認できなかったのだが・・・。

地元の方の生活道路でもあるので他所からのホンの通過者が大きなことは言えないが、通行止めなら通行止めと国道分岐付近に大きく表示しておいて欲しかった。

少し出鼻をくじかれた格好となったが、見ノ越経由となったことで、今やこのルートを利用する際には立ち寄るのが常となっている”手打ちうどん・田舎で暮らそうよ”のご主人と短く話せたあと、名頃へ向かうことが出来た。

R438ではスキー場先、夫婦池手前で路肩が崩れ片側通行規制。

見ノ越から名頃へ向かうR439でも沢を見る度、押し流されてきたと思われる大木や表面をあらわにした大きな岩が目に付く。重量規制箇所もあり、先の台風の影響は色濃く残っていた。

やがて到着した名頃からの三嶺林道については、前日のうちにその状況を役場に問い合わせると
「道路陥没により通行止めです。」
とのこと。

駐車場整備中の林道入り口で通行止めかと思いきや、現地へ来て見ると規制はない。

この林道は地道の上、前日の降雨のせいもありかなりぬかるんでいたが、乗用車でも何とか走れそう。
(今日はこの林道が通行できないとのことだったので、あえて70には乗ってこなかった)

今回の山行ルートのこともあり林道の奥に駐車する気は鼻からなかったのだが、折角乗り入れたので小さな駐車スペースのところまで乗り入れる。

駐車車両は3台のみで駐車スペースはあったが、ザックだけをデポして今来た道を引き返す。

国道に出て、お堂脇に駐車し足元だけを整えたら身軽で歩き始める。

先ほどの駐車スペースまで歩いたらザックを背負い本来のスタイルの歩行となる。
「やはり、荷物がないと楽だった。」

目と鼻の先にロープがあり、すぐ前方には道路中央にぽっかりと大きな穴が開いていた。

「これではどうあがいても通行不可。」

通行不可の要因はこればかりではなく、登山口までの林道はとてつもなく大きな打撃を受けていた。
陥没がなくても到底通行できるような状況にないことは一目瞭然。今後の荒れ具合も少なからず危惧する。

それにしても暑い。
既に9月も半ばだというのに秋の気配はみじんも感じられない。
登山口に着くまでに大汗をかく。

本来の登山路を歩くようになっても暑さは変わりなく、沢筋では河床がえぐられ様相が変わってしまっている箇所もあるので、余計な冷や汗もかく。。
どれだけの雨が一時期に降ったのだろう。こんな様相を目の当たりすると自然災害の脅威を感じざるを得ない。

沢の源頭上部の急坂では倒木とともに登山道が消失。踏み跡を頼りにスリップに注意しながら慎重に上る。

やがて、一息つけるダケモミの丘。

林道終点への道を目にすると現在の林道の状態と来年には整備が完成するらしい駐車場のこともあり、
「これからは歩く人はずいぶん少なくなってしまうんだろうな〜・・」
メランコリックな気分になってしまった。

これまでと変わらず、これからもしばらく展望は得られないが、この辺りの風景は広葉樹が多くなるので自身は好きな場所のひとつ。

ブナ林帯のササ原の急登は少々きついが紅葉時には素晴らしい景観を見せてくれるし、落葉すれば太郎、次郎も望むことが出来ることがその要因だ。

水場分岐付近より、白髪別れ付近の稜線と奥に白髪山を見る やがて、今日の目的地である白髪小屋付近の稜線が樹々の合間から見えるようになる。

登山路脇の樹々は潅木となり、マユミの古木を見るとやがて後方のモヤの中に太郎、次郎が辛うじて見えるようになる。

潅木帯を抜け、水場分岐を過ぎれば最後の踏ん張り。

この冬、難儀したルートは雪に覆われていないため今は判然としないものの、今度、積雪期にトレースする際は充分な装備の下での歩行をあらためて誓う。
池のある頂稜に出ると、ようやく三嶺山頂を目にすることができる。

そこへはササ原を縫って10分も歩けば良い。

山頂に着けば、毎度のことながら西に延びる稜線が素晴らしい。

ふと、上空を見上げていると風に吹かれヒラヒラと飛ぶ小さな物体。
よく見れば”渡りチョウ”の異名を持つアサギマダラがその異名のとおり、こんなにも高所を吹く風に身をまかせ飛んでいた。
三嶺山頂で憩う(背景は西熊山〜天狗塚〜牛の背)
カヤハゲより三嶺を振り返り見る 遅めの昼食を摂りながら、しばらくゆっくりしたら急坂をカヤハゲ目指し下る。

カヤハゲまで来て振り返ると、ここでも三嶺は見事な山容を見せてくれる。

しばらく下り、韮生越え分岐を見ると潅木帯に入り、ここから白髪別れまでは二度の急登。

一度目の坂の途中から三嶺を見、撮影することが今回の最大の目的。

ひとまず、その地点で何枚か撮ったら今日の寝床の白髪小屋へと急ぐ。

白髪別れでも何枚か撮り、少し下るとササ原の二重山稜に建つ白髪小屋に到着。
白髪別れ北から見るカヤハゲ、三嶺
ススキたなびく白髪別れより見るカヤハゲ、三嶺 入り口方面(東側)に廻り込んでも人の気配は感じられず、引き戸を開けてみると案の定、小屋内は無人だった。

小屋内はしっかり戸締りできていたお陰でむっとしていた。

真っ先に窓を開け、換気できる状態にしたら水取りに。

水場は元来、少々足元が良くなかったが、先の台風の影響で川床がえぐられ後退したようで、さらに足元が良くなかった。

その見返りではないだろうが、ここの水は以前よりもさらに美味しくなったような気がした。

「何せ、冷たくてうまい。」
小屋に戻りしばらくくつろぐが、人の気配は全く感じられない。

「もしや・・・、今日は一人っきり・・・・・?!」

じっとしていてももったいないので付近をうろうろする。

やがて、お陽様が西に傾き出したので白髪別れへ。

落日までは、まだかなりの時間があったが(1時間以上)、もちろん一人でここからの夕景を楽しむ。

一時、フスベ谷からガスが湧き、
「夕陽を見るのは無理かも・・・」
とあきらめかけたが、そのガスも落日までには晴れ、素晴らしい夕陽を見ることが出来た。

落日後もしばらくはその余韻を楽しみ、小屋に戻ったのは日の暮れた19時前だった。

結局、以後小屋を訪れる人は無く、ちょうど4年前、三嶺ヒュッテ泊の時以来、一人っきりでの小屋泊となった。

あえて小屋を訪ねてくれたモノを挙げるとすれば、中秋の名月の月明かりだろうか。

寂しさを紛らすには充分な明るさで、気分的にもずいぶん助かった。
白髪別れより見る夕陽と飛行機雲
夕焼け雲と中東山〜石立山
夜明け前の名月(シルエットの稜線は天狗塚〜西熊山) 日の出の時刻は5時45分頃。

4時過ぎに目を覚まし、少し腹ごしらえをしたら小屋をあとに白髪別れへ。

月明かりが充分あるのでヘッド・ランプなしでも歩けるほど。

名残の名月(左画像)を見て、日の出(表題画像)も見たら、例の場所へ。

しばらくそこにとどまり、その後小屋に戻り、再度腹ごしらえ。
元通りしっかり戸締り出来たことを確認したら、小屋をあとにする。

またまた白髪別れへ上がり、写真撮影もしながら急坂を二度下ると、カヤハゲへの上り。
カヤハゲ南より丸笹山、剣山、次郎笈を見る
白髪別れ北より見る夜明け間なしのカヤハゲ、三嶺
韮生越え分岐に今年も咲いていたツリガネニンジン
韮生越え分岐で、かつて剣山から三嶺へ縦走した際にも見たと思しきツリガネニンジンを見て、カヤハゲへ向けもう少し緩やかに上る。

右手に目をやると太郎、次郎が朝日にまばゆい。
昨日同様、朝っぱらから秋とは思えぬ蒸し暑さを感じるが、この景観を満喫できているのだから文句は言えない。

カヤハゲで前景にススキを配した秋の風情の三嶺を何枚か撮ったら、三嶺に向かう。

潅木帯の尾根筋を小さくアップダウンしながら進むと、やがて大岩下に出る。
鎖の手も借り、慎重に上ると、背後には山頂に着く前にして展望が広がる。

昨日に比べると見通しが利くので、遠くまでくっきり見える。特に南に見える白髪山やフスベヨリ谷やそこを隔てた綱附森が印象的。

素晴らしい遠景とは対照的に昨年の台風被害によるフスベ谷への斜面大崩落のあとは、凄まじい痕跡をあらわにし自然の猛威をさらけ出している。
リンドウ ホソバノヤマハハコ
三嶺山頂より塔の丸、丸笹山、剣山、次郎笈 山頂直下まで来ると急坂が目の前に立ちふさがるが、確実に歩けば意外ときつさを感じることなく三嶺に到着だ。

昨日はお昼過ぎだったこともあり、それなりに賑わっていたが、今日は誰も居なかった。

しばらくすると、西熊方面から軽装の若者が二人。

しばらく、のんびりし、彼らがお亀ヒュッテへ帰って行った後を追うように、こちらは正反対の三嶺山頂ヒュッテ方面へ下山。
ヒュッテを覗いてみると、人影なし。

頂稜北の標識に従いいやしの郷へ向け未知のルートへ。

1,791手前の指導標
1,791南斜面、ササの斜面のトラバース道より見る三嶺山頂(中央左) はじめ、しばらくは尾根伝いに歩き、1,791は道標に従い左から巻く。

ササ原斜面のトラバースなので朝露が乾ききってないことも相まって谷側にズルズル滑る。

潅木帯に入り(入り口で下山路で唯一の人と出会う)、巻き道が終わったら真新しい道標に従い左方向へ。
台地からは剣山方面が見えた 巨岩から樹の奇岩
やがて開けた台地(1,578付近?)から剣山方面の眺望を得たら、展望は終わり。

樹の生えた巨岩を見るとブナもある広葉樹林帯。
さらに下ると植林帯を歩くようになる。
小さな沢をいくつか渡り、なおも植林帯を下ると得体の知れぬ廃屋。

もうしばらく下ると、ようやくケーブル上部駅。
軌道に沿って下るかと思いきや、軌道を外れ急坂を下る。

二度、軌道をくぐり、もうしばらく下ると、やがて菅生蔭の民家の屋根が目に入るようになる。
銀色大蛇あらわる
民家脇へ下山後、下山ルート方面を見上げる いやしの温泉郷
急坂を下ると民家脇へ下山。

民家脇をすり抜けると、今山行の下山地点としていた新装間もないいやしの温泉郷に着いた。
無事下山したことで一息ついたが、あろうことか温泉に入るだけの準備をしてこなかった。

仕方ないので、とりあえずビールでカンパ〜イ。

温泉には入れなかったが、しばらくのんびりしたら13時30分のバスに合わせいやしの郷をあとに。

約20分の歩行でバス道のR439へ。
着くや否や小さな粒の雨が降り出した。

国道沿いの民家の軒下に腰を下ろし、暫時、ボケーッとバスを待つ。

定刻になっても姿を現せないので少し焦ったが、5分ほど経過した13時35分頃、無事現れホットした。

バスに揺られること10数分、終点の名頃バス停着。(本来は見ノ越行きだが、通行規制で今日は名頃止まり)

短く歩いたら駐車地点でもある、お堂に着いた。

往路を引き返し、葛篭の田舎で暮らそうよに立ち寄ったあと、家路に着いた。

◆【編集後記】

今回の山行の目的は二つ。
ひとつは詳細中にも書いたとおり、白髪別れ付近からの眺望を楽しむこと。

そして、もうひとつは未だ歩いたことのない三嶺山頂から菅生への道を歩き、そのルート下部にあるケーブルカー軌道をこの目で確認すること。

実際に見てみると、貴重な予算を割いて建設したにもかかわらず、果たしてこれを利用する人がいるのだろうか。また利用するだけの価値があるのだろうか。こう感じたのが正直なところだった。

観光利用の場合、ケーブル終点までには少しは自然林帯もあり、新緑期、紅葉期には楽しめるかもしれないが、他の時期はといえば展望がほとんど利かないこともあり、特に楽しみはなさそう。
終点は植林帯に位置するので、折角そこまで上がってみても近くにこれといった見どころはない。

三嶺登山でこれを利用するにしても、このルートはいやしの郷からなら山頂までの標高差は約千メートルもある。ケーブルで高度を稼げたとしても、まだかなりの標高差を歩かなければならないのは確か。実際は標高差だけの問題ではなく、時間的にも相当掛かるはずだ。
おまけに、かなりの標高にまで達しないと展望は得られないので、このルートの上りでの利用価値は少ないと感じた。

行政は、すでに名頃に駐車場を整備中。
やがて三嶺林道を通行止めとする計画らしいから、自身が思うに
「登山客は名頃から登ってもらって、下山はいやしの郷へ。そして、入湯ののち家路に着いて貰う。」
こんな青写真を描いているのでは・・・。

オーバーユースに対する「自然保護」と「過疎の村の活性化」
何とも難しい相反する課題である。


◆【その他の三嶺の記録はこちら


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