伯耆大山(弥山)
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このページの画像はすべて Canon IXY DIGITAL 55で撮影しました

大山頂上台地より中海、弓ヶ浜、美保関と米子平野(右端は孝霊山)
◆【山行日時】 2006年10月08〜9日  二日とも晴れ

◆【コースタイム】

下山キャンプ場・駐車場=45分=四合目=25分=六合目=55分=山頂避難小屋

=45分=六合目=25分=元谷・大堰堤=20分=大神山神社=20分=大山寺橋




◆【詳細】

蒜山三山がもう少し時間を必要かとも考えていたが、縦走を終え犬挟峠に戻ったのは13時半頃という思わぬ早い時間だった。
おまけに、縦走中は決して良いとはいえなかった天候もこの頃には回復傾向で、歩き始めの早い時間帯には全く望むことすらできなかった蒜山の稜線や上蒜山・槍ヶ峯付近からは遠く大山〜甲ヶ山稜線もそのスカイラインを見せてくれるようになっていた。

「これなら明るいうちに大山山頂まで上がれる。」
あわよくば、と考えていた大山山頂泊を決めた。

ところが大山寺までの道中で、思わぬところにネックがあった。
一つ目は二の沢での土砂流出による鍵掛峠での環状道路の通行止め。ここまで順調に走ってきただけに出鼻をくじかれた。Uターンし、御机から広域農道を溝口へ向かう。

晴れ渡った空に気高く聳える大山を見ながらのドライブは、遠回りしたことももう忘れ、
「気分は最高っ」。

それも束の間、ペンション村を見て大山放牧場まで来ると二つ目の障害が待ち構えていた。
いきなり車列が続いている。何やらこの先でイベントが行われているようでノロノロしか進まない。しばらく並んでいたが、
「米子の道から上がろうっと。」
ロイヤルホテル方面へと車を走らせ大山寺集落へ上がり、ずいぶん遠回りしてようやく下山キャンプ場駐車場に着くことができた。

結局、山頂へ向けキャンプ場・駐車場をスタートしたのはタイムリミットとも考えていた時間にほど近い15時30分になっていた。

「何とか日没までに小屋に着けないものか・・・。」

17時半頃の日没には2時間ほどしかなく現実的にはちょっと無理な気もしたが、幸い今日は17夜。日没後もしばらくすれば月明かりで歩けるだろうとマイペースで歩きはじめる。
四合目
こちらとしてはずいぶん遅いスタートに少なからず不安を抱きながらの歩行だったが、その思いとは裏腹にこの時間でも下山してくる人の何と多く、それもずいぶん軽装な人が目立つこと。

「万が一、日が暮れてしまったらどうするつもりだったのだろう

もう少し時間的に余裕を持って登山を開始する配慮が必要だと感じた。
三鈷峰





六合目を過ぎた17時頃になるとさすがに会う人はほとんどなくなったが、それでも最後に出会った人は草鳴社ケルン付近だったような気がした。

彼らが樹林帯を歩く頃にはきっと、とっぷりと日は暮れていることだろう。
草鳴社ケルン




草鳴社ケルン付近で潅木を抜けると、西の空は茜色になりつつあった。

下界はモヤで眺望はあまり利かないが、それに反し、上空の雲の様子は見事だ。

八合目からは頂上台地のキャラボクを保護する木道を歩く。

九合目付近の木道上で足を止め振り返ると、西の空には今にも沈みそうな太陽。
夕陽
ここで夕陽を見とどけたら山頂小屋は目と鼻の先。

小屋に着いたのは17時40分だった。月はまだ出ていなかったが、ヘッドランプを出すほどの暗さではなかった。

小屋内にはすでに盛り上がっていた4人パーティーと日没を山頂で迎えていたと思われる松江からのご夫婦。日没後もしきりに写真撮影に没頭し、遅くになってようやく小屋に戻ってこられた出雲からの単独の方と自身の8人。

この後、誰も到着しなかったので今日の宿泊者は小屋の管理人を含め9人だった。
山頂避難小屋(ひときわ白く明るいところが、いくつかある蛍光灯のひとつ)



小屋では夕刻、蛍光灯が点灯し室内がパッと明るくなった。このことは全く知らなかったことだったので驚きは特に大きかった。

この明かりは他の明かりが不要なほど明るく、お陰で、ロウソクしか用意していなかったこちらとしては、その恩恵を存分に受けた格好となった。

夕食を摂り月夜の写真を何枚か撮ったら、となり合わせとなった松江からのご夫婦と20時の消灯後もしばらく談笑したあと床に就いた。

風もそう強く吹かず、快適な夜を過ごすことができた。朝陽

日の出の時刻は6時過ぎ。5時過ぎに起床したら腹ごしらえする。

小屋内外には早朝、というより未明より登ってきたと思われる人たちが目に付きだしたので、あわてて山頂へ向かう。

三脚を立て、朝日が昇るのをじっと待つ。風は穏やかで、寒さは感じない。
この時期に大山山頂を訪れたことがなく、太陽の出る位置を把握できていなかったが、今日は茜色に変わり行く空の色の場所から、その位置の特定は容易にできそうなほどに空は晴れ渡っている。

槍ヶ峰の彼方の水平線を茜色に染める輪は次第に大きくなり、やがてそこからオレンヂ色の陽がキラリと顔を出し始めた。

三脚を構えた背後では朝早くから登ってきた若者が感嘆の声を挙げている。
蒜山盆地の雲海(手前の異物はレンズフード)
中には「宮城から来た甲斐があった。」
と、はるばるの遠征もこの光景にずいぶん喜ばれていた方もいた。

烏ヶ山や蒜山は朝日を受けて見事に浮かび上がり、蒜山盆地は見事な雲海の下。(『朝焼けの山並み』見る

遥か彼方は那岐連山や兵庫県の三室山方面も見えているかのようだ。

しばらくすると南の眺望も利くようになり、目を凝らすと最果てには石鎚山系の山影もうっすらと見えた気がした。

いずれにしても今朝の様子は、これまでに何度か見た山頂からの光景でも、最上のもののひとつといってよかった。
影大山と弓ヶ浜
日の出からしばらくすれば今度は、西に広がる米子平野に大きな影を映す”影大山”を楽しむことができる。

短く、小さくなるとともにその影の色を増すそれは、こんな日にしか見ることのできない、いわば日の出のあとのご褒美みたいなものか。

小屋に戻り帰り仕度をしたら下山する。
石室方面への道をたどれば、しばらくは誰にも会わずのんびり静かに歩ける。
見上げればキャラボクの奥の木道を行く登山者が朝日の中にシルエットに浮かび、眼下には黒々とした名残の影と、朝日を受ける松江半島や中海、米子平野。

裾野の溶岩台地の陰影が素晴らしい。
別山、三鈷峰と、その左右に甲ヶ山、矢筈ヶ山
八合目からは木道を離れ足場の悪い急坂を下る。この時間になれば次々と登ってくる人がいるので、ゆっくり下る。

六合目で休んでいると
「昨日、蒜山にいませんでした
と、あるご夫婦から声を掛けられた。

そのとおり蒜山にいたのは確かだが、こちらは全く記憶になく狐につままれたような感じがしたが、なんの拍子か自身のことを覚えてくださっていたことに、すごくびっくりさせられた。

時間的に余裕があったので
「堰堤上でのんびりしよう
ということで、元谷へ向け下る。
行者コースのブナ林
堰堤上で腰を据えしばらくすると、昨夜、小屋で隣同士だった出雲からの人が堰堤上をこちらへ歩いてこられた。

「よかったら、どうぞ。」
と声を掛けると、快く腰を下ろされた。

北壁、元谷、宝珠尾根の紅葉には少し早かったが、それでも眼前に広がる見事な光景を見ながらの写真談義に花が咲き、1時間以上も長居した。
別山を見上げる






孝霊山と日本海、秋の空










この後、大神山神社、大山寺と同行し、大山寺橋脇のレストランではミニ写真展を見ながら牛乳までご馳走になったあと、分かれた。

時刻はまだ11時前だった。

大神山神社大山寺境内より剣ヶ峰付近の稜線を望む
















実は今回の旅では、どうにかしてetc割引を利用して高速の通行料を節約することばかり考えていたので、その時間までにはまだまだ時間に余裕があった。

桝水原のマツムシソウと大山
風呂に入り昼食を摂ったら、桝水原で家族連れや年配の夫婦に混じり草地に転がってみた。

大山の上空には青い空といかにも秋の代名詞のスジ雲やウロコ雲。

無理して山頂まで足を運ばなくてもここでも充分、秋の大山を満喫できそうな雰囲気だった。

そんな折、ふと行き交う車に目を向けると、鍵掛峠方面へ向かう車もあれば、そちらからこちらへと来る車もある。

「今日は開通していればいいのだが。」御机の茅葺小屋と大山南壁



期待どおり鍵掛峠への環状道路は開通していた。

おかげで御机へは昨日よりもずいぶん短時間で着いた気がした。

茅葺小屋と南壁を見たら鏡ヶ成へは向かわず内海乢方面へ車を走らせる。
(下記、三平山へつづく)


神戸新聞、報道写真コンテストでの入賞作を見る


この日の蒜山三座の山行記録を見る


他の大山の山行記録を見る



蒜山本茅部付近より見る三平山
三平山

◆【コースタイム】

林道・駐車場=35分=三平山山頂=25分=駐車場




◆【詳細(上記よりつづき)】

内海乢付近から見る大山南壁は、数ある大山の展望台の中でも最も好きな場所のひとつだ。

穏やかにもみえる広大な樹林帯の濃い緑の裾野とは打って変わり、突然、一気に立ち上がった先に、いかにも脆い岩肌を屏風のように立ち上がる南壁の見せる表情は、自身にとっては他のどの場所から見る大山よりも大山らしくて好きな景観だ。

内海乢付近からでも一見の価値はあると、かねがね思っていたが、その間近の三平山からならさらに素晴らしい光景を見せてくれるはずとの想い。

確か昨年だったかには、山渓の表紙にここからの朝の南壁の写真が採用されていたほどの場所だ。

今日のような上天気に遭遇することは滅多になく、時間的にもまだ余裕があったので、三叉路を右折し三平山登山口へ向かうことにした。

舗装路の林道を少し走り登山口に着くと、そこの標識には山頂まで45分の表記があった。

下山したばかりの人に
「山頂まではどれくらい掛かりますか
と尋ねてみると、そのとおり
「45分くらいですね。」

時間はちょうど13時だったので山頂までのまでの往復と、そこでのんびりする時間をプラスして、ここでの時間を約2時間とみて
「これで何もかもバッチリ!?
蒜山三座と蒜山高原
歩き始めると、登山路は雑木の中を大きなジグザグ状にしばらく続いていた。

三平山の山頂部はお椀を伏せたようななだらかな山容だけに登山路の傾斜は緩く、おまけに広いから、さながら遊歩道のようだ。

しばらくして雑木を抜けると右手に広大な蒜山盆地と昨日歩いた蒜山三座が見えるようになる。

遠くには氷ノ山山系も見えているから、大山がまだ見えないこの時点でもここに足を運んだ甲斐があったようなもの。

さらにもうしばらくジグザグに歩くと正面には初めて烏と大山が見える場所に出る。
もうすぐ三平山山頂
見入ってもよかったが、あえてここではそうせず山頂からの眺望を楽しみとして先へ進むことにした。

ここからはこれまでとは一転、かつて土塁だったところに付けられた登山路を直線的に歩く。

それでも誘惑に負け、ちらちらとそちらの方面に目をやると、素晴らしい光景が広がっている。

やがてススキの山頂部は次第に低くなり、少しばかりの急坂を登りきると石碑の建つ三平山山頂に到着した。

山頂から見る360度の大パノラマはこの上なく素晴らしく、ここまで足を運んだ甲斐があった。


絶好の好天にも恵まれ絶景が広がる。山頂西側の切り開きは絶好のビューポイント大山でも見た中海、弓ヶ浜や美保関も綺麗に見える。

ここから見る地上の風景は、あんなに大きいはずの大山南壁でさえ自身の網膜にはホンのアクセントにしか映らないほど雄大で、その上空に広がる澄み切った秋の碧い空はどこまでも高い。(ちょっと大げさかな〜)

山頂の石碑も歴史的な背景を今に伝えるものとして趣があっていい。
歴史を感じさせる山頂の石碑









大山南壁とどこまでも高い秋の空






蒜山高原方面は、かつて北海道・Nさんを訪れた際に連れて行ってもらった丸加高原から見た石狩平野の風景を髣髴させ、とても壮大だった。




下山したのは予定よりも早い14時過ぎ。あとはのんびり帰るだけだ。

蒜山や湯原経由で帰るのも芸がないので、新庄村へ抜ける野土路乢を越えることにした。

あわよくば、そこから蒜山を望めるかと思いながら車を走らせたが道路は山側へ向かうほど立派なものとなり、間もなく立派なトンネルの入口に出くわした。

振り返っても展望は得られず、かといって旧道は閉鎖されてかつての峠には向かうこともできず、折角期待してこのルートをとった割には大きなメリットはないまま立派なトンネルに吸い込まれた。

新庄村を抜け、勝山を経て久世ICから高速に乗車したのはちょうど16時だった。

ここから山崎ICまでの距離は約90キロメートル。この上なく予定通りだが、強いていつもとの違いを挙げるとすれば、高速上をいつもに比べればかなりの低速で走らなければならないことくらい。

「たまにはゆっくり走るのもいいだろう・・・。」

車窓やとなりの車線をビュンビュン追い越して行く数知れない車のうしろ姿を楽しみながら(?)のスロードライブで17時02分、山崎ICより見事に下車した。

もう少しのドライブで自宅着。

二日間で歩いた蒜山三座大山のそれぞれの山を、この上ない展望台である三平山から見るという”超欲張り山行”を無事終えた。


前日の蒜山の山行記録を見る


◆【岡山の山の山行記録はこちら

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