青年が出会った不思議な女性。その女性が話す意味ありげな言葉。その言葉の意味は?過去は?そして、未来は・・。妄想エピ3を読んでいると、より分かりやすいかと思います。
朝の眩しいばかりの光は竹林に遮られ、程よいやわらかな光となって、屋敷の一室の窓から差し込んでいた。その光に照らされ、青年は目を覚ました。この何ヶ月、ろくなものも食べずに放浪してきた荒れた生活のせいで、青年の体はすっかり痩せ細り、衰弱しきっていた。けれど、この屋敷に来てからはきっちりとした食事にありつけ、寝心地のいいベッドも宛てがわれ、数日で青年はベッドから起き上がれるようになり、屋敷内であれば自由に歩き回れるようにまでなっていた。だが、体力が回復した今でも、青年の若さに相応しい活気はどこにもなく、いつも遠くを見つめるような寂しげな目をしていた。 青年はベッドから起き出して簡単に身支度を調えると、いつものように屋敷の中庭に出た。空を仰ぎながら大きく息を吸い込み、すっと息を吐き出す。この瞬間がたまらなく好きだった。竹林から注ぐやわらかな光、風によって運ばれる竹のにおいや揺れる音、それらは青年の小さかった頃の記憶を呼び起こした。広い屋敷はとても青年が育った小さな家とは似ても似つかないものだったが、屋敷の周りにある竹林やそこに漂う静かな空間は、青年が育った環境そのままだった。 「おい!食事だ。」 中庭でぼんやりと佇んでいた青年に声がかかった。振り返ると一人の男が立っていた。この屋敷内には青年一人が住んでいるわけではなかった。他にも五人の男が住んでいたが、皆、屋敷の別棟に寝起きし、屋敷の見回りや日用品・食料の調達で出掛けるなど、青年の世話をするために屋敷にいるようだった。けれど、料理人の一人を除いた他の四人はそれ以外の用事で度々出掛け、彼らが何をしているのか、青年には全く分からなかった。 青年が男の後を付いていくと、部屋のテーブルには四人分の食事が並べられていた。席に付くと、次々と男たちがやって来て、青年と共に食事を取り始めた。 「ヤンは?」 「見張りだ。食べ終わったら交代しろよ。」 「次は俺の番か。見張りって暇なんだよな。」 「交代したら、俺たち三人は出掛ける。遅くなるから頼むぞ。」 「出掛けるのか?晩ご飯はどうするんだ?」 三人の男たちの話に割り込むように、エプロンをした中年の男が皿を片手に部屋に入って来ると声をかけた。 「食べるかどうかは分からないが、作っておいてくれ。一人分多めにな。」 「誰か来るのか?」 テーブルについていた一人の男は答える代わりに鋭い目で睨み、その視線を受けて料理人は口をつぐんで皿をテーブルに置くと、そのまま調理場に逃げていった。部屋には沈黙が流れ、静かな食卓となった。男たちが出掛けるのは日常のことであり、いつも青年は彼らの会話に大して興味を持たずに黙っていたが、誰かが来るという話には少しだけ興味を持った。 『こんな山奥に誰が来るんだろう?男たちの仲間かな?それとも・・』青年の胸の内は微妙に高揚していた。 一人の男が食事を済ませて部屋から去ると、今度は見張りをしていた別の男がやってきた。 「腹減ったな〜。俺の分はまだか?」 「うるさいよ。ちゃんとあるよ。」 調理場から声が聞こえると、先程の料理人が皿を手にやってきた。料理人の持つ皿をひったくるように男は取ると、ガツガツと食べ始めた。 「急いで食べろよ。十分後には出かけるぞ。」 先に席についていた二人の男が食べ終えて席を立つと、食べ始めた男に声をかけた。 「ええっ!そんなに早くか?ゆっくり食べさせてくれればいいのに。」 男はぶつぶつ文句を言いながら、慌てて食べ始めた。 「車で待っている。」 そう言って、二人の男は部屋を出ていった。料理人は空になった皿を片付けながらぼやき始めた。 「食べるか分からない食事を作るのか。それも多めに。」 「俺は食べるぞ。ちゃんと置いておいてくれよ。」 見るからに食い意地の強そうにがつがつ食べる男を言葉に、料理人は溜息をついた。 「お前ぐらいだろうな、きっと。一人で作るのは時間が掛かるんだよな。」 「なんだったら、手伝いましょうか?」 腕のふるい甲斐がないことでやる気の出ない料理人の様子を気に病んだのか、青年は言葉を挟んだ。料理人は滅多に口の聞かない青年が話したことに驚いていたが、すぐに顔が明るくなった。 「手伝ってくれるか?それだと助かるんだが。」 「構いませんよ。特にやることがないので。」 料理人は青年の言葉に大いに喜んでいたが、横で食べていた男が口を挟んだ。 「おいっ!いいのか、こいつに手伝ってもらうなんて?」 「構わないだろう。こいつの体調は良くなったんだし。俺は無理に手伝えとは言ってねえぞ。こいつから言い出したんだから。それに、こいつはゲストじゃないんだ、俺達の仲間になるんだろ?」 最後の言葉が心に引っ掛かったが、料理人の嬉しそうな様子に青年はどこか嬉しさを感じた。 「俺は知らないからな。」そう言って男は最後の一口をかき込むと、急いで部屋を出ていった。 「よし、今日は何を作ろうかな?手伝ってくれるなら、少し手の込んだものが作れるな。」 料理人は楽しそうに皿を調理場に運んでいった。その様子に青年はここに来て、初めて口をほころばせた。
青年は日中ずっと料理人の手伝いをすることとなった。いくら手の込んだ料理とはいえ、それほどの時間がかかったのは、料理人が話をしながらゆっくりと手を動かしていたからだ。料理人は話し相手ができたと、青年に自分の身の上話を聞かせたり、料理論を熱っぽく語ったりした。調理場に立ちながら話をする姿は青年にある人物を思わせ、青年は黙って料理人の話を聞き入っていた。その様子にますます料理人の口は軽くなっていった。そんな料理人を最も喜ばせたのは、青年に料理人の素質があることだった。 「料理人の腕というのは、包丁の技術とか焼き方とかで決まるんじゃない。舌で決まるんだ。」 「舌?」今まで黙っていた青年だったが、さすが疑問に思って口に出していた。 「そうだ。料理人にとって微妙な味の善し悪しが分かる舌がすべて。技とか技術ってものはセンスもいるが、ある程度修行で身につくものだ。けど、味をみる舌というのは小さい頃から養われたものであって、修行では身につかない。残念なことに俺にはそれがないんだな。そらっ、この味、みてみろ。」 料理人はスープを少しすくうと、青年に差し出した。 「どう思う?」料理人はスープを口に含み考え込む青年を促した。 「・・・、少し塩を足したら、いいと思います。」 「どのくらいだ?お前、入れてみろ。」 言われるまま青年は塩をひとつまみ、掴むか掴まないかというくらいのわずかな塩をスープの鍋に入れた。料理人は軽く鍋をかき回すと、またスープをすくい、今度は自分の口に含んだ。 「うん、味が引き締まった。お前、料理人の素質があるぞ。少し修行したら、立派な料理人だ。もったいねえな。ここにいるより、よっぽどいいのにな。」 残念そうに言う料理人の言葉が、青年にはとても嬉しかった。 夕方になっても男たちは帰って来ず、料理人と青年は先に食事を済ました。夜が深くなっても男たちは帰って来る気配はなく、それどころか、彼らの帰宅を拒絶するような激しい雨風となった。 「やっぱりな。」 料理人がぽつりとつぶやくと、二人が作った料理を冷蔵庫に片付け始めた。残念そうに青年は窓から外を眺め、自分の部屋へと戻っていった。時計は既に十二時を回っていた。
どのくらいの時間が経ったのか、青年は何かの音で目が覚めた。激しい雨風の音に混じって何か聞こえる。そっと耳を澄まして集中すると、雨風の音はなくなり、はっきりと別の音が聞き取れた。女性の叫び声だ。 青年は慌てて起き出し、屋敷の玄関へと走った。女性の叫び声はどんどんと大きく聞き取れるようになり、青年が玄関の扉を開けた時、車からその声の主と男たちが降りてきていた。女性は言葉にならない何かを叫びながら暴れ、その両脇で二人の男が必死に押えて屋敷の中へと連れて来た。 屋敷の灯りで照らされた女性は二十代後半で、乱れた長い髪と質素な服装とは似合わない、とても気品のある綺麗な顔立ちをしていた。しかし、その女性と目が合うと、青年は途端に何かの異様さを感じ、その場に立ち尽くしてしまった。車を車庫に戻していた男が一人遅れて玄関に入って来た。 「どうしますか?」 暴れる女性を必死に押えている男が入って来た男に尋ねた。 「部屋に閉じ込めておけ。明日になれば落ち着くだろう。」 その言葉に二人の男は女性を奥の部屋へと連れていった。女性の叫び声がこだまする中、青年はいたたまれず、男に事情を聞いた。 「誘拐じゃない。病院の精神科から連れて来た。気をつけた方がいいぞ。彼女、何をするか分からないからな。」 「どうして、ここに?」 「ある人が彼女の身元を引き受けたんだ。しばらくここにいる。」 それだけ言って男は去っていった。詳しい事情を聞く間もなく、青年はある種の不安を抱えながらも、自分の部屋へと戻っていった。
朝の光がいつものように差し込み、青年は目を覚ました。体を起こしてみるが、重い体とぼやけた頭を抱えていた。昨晩遅くにやって来た女性の叫び声は、明け方近くまで続き、青年はほとんど眠ることができなかったのだ。もっと寝ていたいという気持ちはあったものの、一度目を覚ますと眠気がなくなってしまい、重だるい頭を抱えたまま、いつものように中庭へと出た。 青年が驚いたことに、その中庭には先客がいた。それは中庭のベンチに腰掛ける昨晩の女性だった。女性は昨晩とは違って、とても穏やかな笑顔を浮かべ、朝の光を浴びて楽しそうに口ずさんでいた。青年は昨晩とのあまりの違いに驚いていたが、この時は別のことに心引かれた。それは女性が口ずさんでいた歌だった。その歌は明らかに異国の言葉で歌われており、青年にとっては懐かしさを感じさせる響きだった。呆然と立ち尽くす青年に気がついて、女性は声をかけた。 「おはよう。いい天気ね。」 女性の言葉は歌と同じ異国の言葉だった。 「そうですね。とてもいい天気です。」 青年はその言葉に答えたが、無意識に女性と同じ異国の言葉を話している自分に気付き、自分自身で驚いていた。 「あらっ?あなた、日本語話せるの?ここにいる人はみんな中国語を話すのに。」 「中国語も話せます。ここで育ったから。日本語は、忘れないように必死に勉強したから・・。」 「それじゃあ、私と逆ね。私、日本で育ったの。中国語を必死に勉強したのよ、ある人の母国だと知ってね。」 「日本・・・。」 青年はぽつりとつぶやくと、まだ見ぬ異国の地に思いが馳せた。 「そうよ。日本にいた時は良かったな。」 やわらかな笑顔を浮かべる女性はまるで子供のように幼く見え、首にかけているペンダントを持て遊んだ。その様子に青年はふと我に返った。 『この女性は病院から来たんだ。どこまでが本当なんだろう?』 昨晩の女性の様子を浮かべ、青年はそんなことを考えていた。それには全く気にもせずに、女性は話し掛けて来た。 「見て!私の子供よ。」 女性は嬉しそうにペンダントを開けて中を青年に見せた。そこには小さな天使の絵が描かれていた。青年の頭は少し混乱してきた。 「かわいいでしょう?まだ生まれたばかりの頃よ。今は三歳くらいになるかしら?元気にしているといいけど。」 途端に女性の顔に影が差した。 「会っていないんですか?」 「ええ、会えないのよ。会いたくても・・。」 あまりに女性が寂しそうに暗い顔をしているので、青年は急に心配になった。 「どうして会えないんですか?」 「仕方ないのよ。暗闇に呑まれたらかわいそうでしょ?」 「暗闇?」 「そう、暗闇。光のない暗闇、ここみたいにね。」 そう言って女性は空を仰いだ。これほどきれいに差し込んでくる光を浴びて、暗闇と言う女性が青年には信じられなかった。そうしているうちに、女性は歌い始めた。手には何かを抱きかかえるような形を作り、それに語りかけるように静かに歌を聴かせていた。 「何をしているんだ?」 中庭に出てきた男が女性を見ながら、青年に声をかけた。 「どうやら、赤ちゃんに子守唄を聴かせているようです。」青年は悲しそうに言った。 「やっぱり一度壊れた精神は元には戻らないのか?」 「あの人は、どうしてあんな状態に?」 「さあな。生まれたばかりの子供を連れて姿を消した。見つけた時には既にあんな状態だったそうだ。」 「子供いたんですか?それは本当だったんだ。それで子供は?」 「見つけた時にはいなかったそうだ。どうなったのか、生きているのかさえ分からない。」 「そんな・・・。」青年はひどく子供が可哀想に思えた。 「精神科医が言うには、子供を捨てた自責の念があんな状態にしたんじゃないかと。まあ、慰めにもならないが。」 そう言って男は去ろうとしたが、再び振り返って青年に聞き直した。 「他に何か言ってなかったか、子供に関して?」 「特に何も。会いたくても会えないって。それくらいしか・・。」 「そうか。何か言ったとしても充てにならないか。」 男はそのまま去っていった。青年は女性の姿を痛ましく思え、悲しそうに見つめていた。
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