季節が木々を彩る時
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「ある女性」

 青年は昨晩あまり寝れなかったこともあり、早めにベッドに横になっていた。深く眠っているつもりでも、何かが頭の中を駆け巡り、青年の安眠を妨げていた。そこへ何か動く気配を感じ、青年は飛び起きた。目の前には青年を見つめるあの女性が立っていた。青年はほっと溜息をつき、今日も眠れないのかと諦めながら声をかけた。
「脅かさないで下さい。ここで−」
「しっ!そんな大きな声を出さないで。赤ちゃんが目を覚ますでしょ!」
 女性は青年の言葉を遮り、囁くような声で言った。青年はそれを聞くと、何も言い返すことができなかった。
「あなた、きれいな目をしているのね。」
 こんな電気の消えた部屋で見えるのかと、青年は疑問に思った。
「ここから逃げるべきよ。ここにいたら、あなた不幸になるわ。」
「どうしてそんなこと、言うのですか?」
「私には分かるから。あなたはここにいるべきじゃない。いれば辛い思いをいっぱいすることになる。」
「そんなこと、誰にも分らないですよ。それに、どこに行っても辛い思いは一緒です。」
 そう言いながら青年は顔を背けた。放浪生活ですっかり暗闇になれている青年にははっきりと女性の目が見えていた。そのあまりに無邪気で純粋な女性の目を向けられ、すべてを見透かされているような感覚で戸惑いを隠せなかったのだ。そんな青年の顔を女性は手で優しく包み、自分の方へと向けさせた。
「よく聞いて。このままここにいれば、あなたは大きな選択を迫られることになる。その選択はあなたに有利なものを持たらしてくれるかもしれない。けれど、それはとても大きな代償を払わされる。二度と取り返しのつかないものよ。あなたならその代償を引き換えにしても選択しそうな気がする。気持ちばかりが先攻して、道を誤ってはダメよ。そのきれいな目、曇らせてはいけないわ。」
 そう言うと、女性は部屋から出ていこうとするが、青年が呼び止めた。
「あなたはその選択を誤ったのですか?だから、姿を消そうとしたんですか?」
「そうよ、選択を誤ったの。あの人を止められなかったから、娘だけでもと思ったの。だけど、それが大きな間違いだった。私はあの人を・・・。」
 女性はそこで言葉を飲み込むと、一瞬辛く苦しげな表情をした。しかし、またすぐに顔を取り繕い、言葉を付け足した。
「また、どこかで会いましょうね。再見(さよなら)」
 最後だけ中国語で話すと、女性はそのまま部屋から去っていった。あの辛く苦しげな表情、そこに女性の精神を病ましている原因があるのだろうと、青年は思った。そして、そんな深い悲しみを持つ女性からの言葉を思い返し、その意味を考え続けた。一晩中、何度も何度も・・。
 翌朝、屋敷から女性の姿が消えていた。車でないとたどり着けないこんな山奥の屋敷から忽然といなくなっていた。男たちは大慌てで何日も探し回ったが、全く消息が掴めなかった。青年は女性のことが気がかりだったが、どこかで生きていそうな気もしていたので、それほど心配はしていなかった。ただ、女性が残した言葉だけが気がかりで仕方がなかった。その言葉の意味を知るのは、それから一週間経って、仕事をしてくれと言われた時だった。その時の青年の選択はー。

 

「・・さん、王さん!」
 少し大きめに叫ばれた声に男は我に返った。ぼ〜としている男の顔を覗き込むように、ガラス越しから一人の女性が見つめていた。
「えっ?何か?」
「あの〜、私の話聞こえていますか?」
「すいません、何の話でした?」
「弁護の件でお話させて頂いていたのですが、どこから聞いてませんか?」
 眼鏡をかけた目の前の女性の言葉に、男は考え込んだ。その様子に女性は気落ちしながら言った。
「いや、いいです。初めから話しますので。私は一応あなたの国選弁護士として選ばれたわけですが、あなたはそれを断ることもできますし、別の人に変えることもできます。ただ、その前に私に話をさせて下さい。それを聞いた上でどうするか判断して頂ければ有り難いです。構いませんか?」
「ええ、はい。」
「私はまだ、弁護士なりたてでして、正直にいうと民事裁判しか扱ったことがなくて、今回のような刑事裁判は初めてです。なので、全く経験のない裁判をするわけです。その点に関してはあなたにとって不利なことです。ただ、私が扱った民事裁判はどれもアジアの貿易や取引に関するものばかりで、日本の憲法や法律だけではなく、アジア各国の法律に詳しいのも事実で、そういう点では国際指名手配をされているあなたには有利な点かもしれません。国際的な目線でトータルに見れるわけですから。それと、私は依頼人の意思をー」
 話し続ける女性を見ながら、男はまた、別のことを考えていた。それは先程浮かんできた遠い記憶だった。自分に語りかけたあの女性の顔、その顔が妙に男の頭に強く写し出されていた。今まで思い出すこともなく、すっかり忘れていた何十年前の記憶がどうして今頃になって蘇ったのか?男には不思議でならなかった。
「あの〜、私ってそんなに頼りなく見えますか?」
 男があまりに無反応だったので、目の前の女性は落ち込みながら言った。
「いや、違います。ただ、弁護してもらうのはいいかなって、そんな気がするんです。」男は俯きがちに言った。
「弁護を断っていたと聞いていますが、何か理由でも?」
「事実は事実と認めて、それに見合う判決が出れば、それでいいんです。」
「こう言っては何ですが、気持ちばかりが先攻しては、誤った道を選択してしまいます。」
 女性の言葉が男の遠い記憶の中の女性の言葉と重なり、男は驚いて顔を上げた。そこには記憶の中の女性が目の前にいた。しかし、次の瞬間、記憶の女性は消え去り、眼鏡をかけた先程の女性が座っていた。
「確かにあなたが罪の重さを感じておられるのは分かります。それに見合う判決をと思うのも分かります。ただ、あなたの場合、あまりにその思いが強すぎて気持ちが先走り、投げやりになっているように思います。もう少し前向きに考えられては?そうですね、このように考えてみてはどうでしょう?あなたに見合う判決を勝ち取るために弁護士が必要であると。私にそのお手伝い、させて頂けませんか?」
 そう言って、目の前の女性は穏やかな笑顔を浮かべた。その顔が朝日を浴びた記憶の中の女性の笑顔と重なって見えた。男はこの時、初めて気がついた。どうして遠い記憶の女性が浮かんできたのか、それは目の前にいる眼鏡をかけた女性が記憶の中の女性の面影を感じさせたからだ。よく見れば見る程、目の前の女性は彼女と似ていた。そう思い始めると、声さえも彼女の声に似ている気がしてきた。
「選択・・。」男はぽつりと呟き、その言葉を噛み締めた。
「やはり、私ではダメでしょうか?」不安そうに伺う女性に男は慌てて答えた。
「いえ、そんなことはありません。ぜひ、お願いしたいです。」
「本当ですか!?」女性の顔はぱっと明るくなり、一層彼女の笑顔と重なった。
「はい、お願いします。え〜と・・・、すいません、お名前は?」
「本田です、本田鈴。よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」 
 深々と頭を下げる女性に恐縮しながらも、男はどこか踏ん切りがついたような穏やか顔をして答えていた。
(おわり)

<作者の言い
 ええ〜と、これは、エピ3を書き終えて、すぐ書きました。エピ3を書いている時点で、既にコ−と凱歌の関係やコ−・張親子、張の母親のことも細かく設定を作っていたので、自然とこんなストーリーが浮かんでました。それと、凱歌の過去が書きたいなって気持ちもあって、今回のような話に。最後の面会室のシーンは、元々エピ3に入っていたシーンです。けれど、話が長くなるのでカットしまして(^^; 今回の話に合うように少し手を加えて入れてみました。エピ3のエピソード0といった感じでしょうか?