季節が木々を彩る時
item3

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*Writing

「壊 -collapse-」

 テーブルからベッド、椅子や食器、どれひとつ原型を留めているものはなく、破片・欠片と成り果てていた。
 その中央に一人の男が立っていた。年は二十代中頃、中肉中背、激しい怒りと苦しみが顔に表れ、赤く腫れ上がった両手には無数のガラスの切り傷があった。それでも、男は拳をテーブルの台に打ち続け、無数の血の拳が跡を残していた。
 長身の男リャンは部屋に入るなり、ドア近くの壁に寄り掛かった。暴れている男のことを気にするどころか存在すら気付かない素振りで、コートの内ポケットから銀のシガレットケースとジッポライターを取り出し、ケースに入れてあった強い香りを漂わす細い葉巻を口にくわえて火をつけた。そして、深呼吸する様に大きく吸い込み、味わいながらゆっくりと細い煙を吐き出した。その途端に部屋中に葉巻の香りが広がった。
 リャンの視線は暴れている男に注がれてはいたが、何か考え込んでいるような様子で特に何をするということもなく、ただ葉巻をふかしていた。男の方もリャンの存在に気付いていながら気に掛けることはなく、背を向けたまま手当り次第身近のものを壊し続けた。
 そんな二人の間には極度の緊張感が張り詰め、まるで部屋中の空気がなくなったように息苦しく圧迫される重い空間へと変えていた。しかし、そんな中にいても、二人の様子に表立った変化はなく、男は破壊行為を続け、リャンは葉巻をふかし続けた。それは十分経っても、二十分経っても変わらず、二人はお互いの存在を無視し続けた。
 その均衡が破られたのは、リャンが4本目の葉巻に火をつけようとした時だった。
「やめてもらえます?」押し殺した鋭い口調。
「この臭い、吐き気がする。」
 男は言葉を吐き捨てると、近くにあったテーブルの一片を激しく蹴り潰した。
「そうか、煙草や葉巻は好かなかったな。すっかり忘れていた。」
 そう言いながらも、リャンは全く気にも留めず四本目の葉巻に火をつけた。それが男には気に食わなかった。
「何をしにここへ?」
「別に。強いて言えば、見物かな。」
 リャンの気の抜けた言い方がますます男の気を逆なでした。 
「范が知らせたんですか?」
「いや、今日の仕事の報告を受けて気になってな。・・・予想通りだな。」
 そう言ってリャンは少し微笑んだ。男は無性に腹が立った。何もかも分かりきったような澄ました顔をズタズタにしてやりたくなった。押えても押えても溢れてくる感情の矛先を物ではなく、この人物にぶつけたくなった。男の抑制はリャンの存在で狂い始めていた。
「どうした?言いたいことがあるなら言ってみろ」
「出ていって下さい。」
 男の精一杯の言葉だった。もう限界にきていた。これ以上関わられると自分の意思の及ばない域へ達しそうで、自分が何をするか分からなかった。
「逃げるのか?」
「何がです!?」苛立ちに満ち、殺気立った声だ。
「本当の自分と向き合うのがそんなに怖いか?」
「なに!?」
「こうでも言わないと分からないか?本当のお前は血も涙もない冷酷で残忍な人間だと。小さな子供の目の前で親を撃ち殺すようなー」
 最後の言葉が発せられた瞬間、男の目は大きく見開かれ、時計の秒針が動くか動かないかの間に男の拳はリャンの顔に向かっていた。しかし、荒々しく激しい怒りで突き出された拳はリャンの顔寸前、わずか1センチの所で止められ、男は荒い息を吐きながら顔を伏せたまま制止した。それでも、駆け巡る激情は抑えられず身体は細かく震えていた。リャンは男がに襲いかかろうとしたにも関わらず、顔色ひとつ変えず、全く動かず、ただ葉巻を静かにふかしていた。そして、男の拳に煙を吹きかけると、葉巻を落として足で火を消した。
「まったく、どこまでお前はバカなんだ!」
 言葉と同時にリャンの右拳は男の左頬に食い込み、男の身体は大きく後ろへ吹き飛んだ。男は床へバウンドし、その反動でガラスの破片が辺りに飛び散った。
「感情を完全にコントロールできないのなら、そんなもの捨てちまえ!」
「あなたには関係ない!」
 男は跳ね上がるように立ち上がり、すぐにリャンに向かっていった。拳や足が空を切り、ぶつかり合う音に混じって、二人の声がこだました。
「関係ない?こんなに暴れて、まるで構って下さいって言っているものだろ」
「放っておけばいいだろ!」
「残念だが、こんな女々しいガキの子守りをするのが俺の役目でな」
「もう俺はあんたの手から離れた。」
「一人前のスナイパーになったとでも言いたいのか?」
「うるさい!黙れ!」
「ああ、認めてやるよ。スナイパーとしての腕だけは一流だ。今日の仕事は実に見事だった。まれに見る出来映えだ!」
 明らかに男は大きく動揺し、うろたえたように仕掛けていた攻撃をやめてしまった。しかし、すぐに取り繕い、リャンの言葉をかき消すように辺りの物を蹴散らし始めた。
「黙れ!黙れっ!」
 激しく言葉を吐きながらも、男の顔を苦痛に歪み、耐えきれないかのように片手を頭に押し付けていた。
「祝杯をあげないとな。今日この日はスナイパー・王凱歌の華々しい功績の日として讃えられるだろう!」
「うるさい!!黙れと言っているだろ!」
「決して忘られぬ日となるだろう、今日の仕事ぶりを目撃した者にとってもな!」
「やめろー!!」
 絶叫とも思える叫び声が響き渡った。男は中腰のまま両手で頭を抱え、頭は項垂れるように下へと落ち沈んでいた。しばらく妙に張りつめた静けさが漂った。
「・・・何になる?」
 小さくかすれた言葉。誰に聞かせるわけでもなく、自分に問うような暗く重い口調で囁かれた。
「何になるんだ、これが?」
「あと何人の命を奪えばいいんだ?」
「ここまでする意味があるのか?」
「こんな俺に・・・さんは、なんて言うだろう?」
「俺は・・・・何だ?」
 男は天を仰ぎ、虚空を見つめた。懇願するような目はすぐに虚ろな目へと変わった。
「何もならない。何の意味もない。何も手に入らない。何もない・・・。ただ虚しい。苦しい。なのに、なぜ続けるんだ?・・・・単に、俺は平気で人を殺す殺人鬼なのか・・・?」
 か細く呟かれた言葉に打ちのめされたように男は再び頭を落とした。その時、明らかに男の雰囲気が変わった。今までの荒々しい気配は潮が引いていくように消えていった。それが大きな津波の前兆であることをリャンは肌で感じ、先程まで見られた余裕は消えて、鋭い視線が注意深く男に注がれた。
 ゆっくりと男は顔を上げた。そこには完全な静寂の無があった。無表情の男からは何の感情も殺気も気配すら感じてこなかった。それが異様な不気味さと圧倒的な威圧感に感じられ、リャン自身、鳥肌が立つのを覚えた。
「やっとお出ましか。制御失ったお前を引きずり出すのも苦労がいるな」
「目障りだ」何の感情も感じない無機質な言葉。
「だったら、俺を黙らせてみろ。」
「そのつもりだ。」
 言葉が言い終わった瞬間、リャンは右下から風を感じて顔を反らし、今度は腹部への圧力に咄嗟に両手を組んで耐えた。男の左上段の蹴りと続けて仕掛けられた足刀蹴りがリャンの顔と腹を狙ったのだった。咄嗟に反応したが、リャンの右頬に擦ったような熱帯びた火傷をつけ、左手には鈍い痛みが込み上げた。
「面白い。こっちも本気でかからないとな」
 リャンは左手首を噛み締めるように擦ると、目の色が変わった。
「今度は俺の番だ」
 リャンの右拳が男の顔を狙った。男は顔を右に反らし避けるが、同時に顎に強烈な衝撃を喰らった。リャンの膝蹴りだった。男の体は衝撃で宙に浮き、リャンは間を置かずにその体を追って右足を男の腹へと放った。しかし、男は体を抱え込んで後ろへ一回転するとリャンの蹴りは空を切り、男はそのまま床に着地すると、勢いをつけてリャンに向かっていった。男の右拳、左拳をリャンは左右の腕で受け止め、続けて繰り出された左からの後ろ回し蹴りを右に体を反らして避けると、今度は男の空いた懐に右足の蹴りを叩き込んだ。男は素早く左手でそれを受け止めたが、次のリャンの左拳が腹に食い込み、痛みで屈んだ瞬間、リャンの右肘が背中に振り下ろされて倒れ込んだ。リャンはそのまま男の背中を踏みつけようとしたが、男は横に転がって避けると、床についた手を軸に両足を回転させ飛び上がり、リャンの顎を蹴り上げた。その反動でリャンの体は大きな音を立てて壁に叩き付けられた。
 お互い一歩も譲らない激しい戦い。片方が傷付けば、次はもう片方が傷付き、壁に叩き付けられたかと思えば、今度は相手を床に叩き付けていた。部屋は二人の激しい戦いでより一層破壊し尽くされ、力強くスピードもある二人の拳がぶつかる度に骨同士が鈍い音を立てて部屋中に響き渡った。二人共、傷だらけの体でぶつかり合い、次第に肩を揺らしながら息をしていた。
 互いの力は互角で消耗する体力も同じであったが、男よりも経験のあるリャンの方がわずかに優勢だった。傷付く度合いが明らかに違っていたからだ。戦う術を知り、様々な戦い中を生き抜いてきたリャンは男より攻めを防ぐ機会が多く、同じ回数の攻めであっても、男の方が多くの傷を負っていた。その証拠に男の攻撃は力・スピード共に落ち、傷付いた体ではそれらを支えきれなくなっていたのだった。
 両壁に強い衝撃がぶつかり、轟音となって部屋中に響き渡った。男とリャンの足が互いの腹に食い込んで吹き飛ばされ、その体は壁に叩き付けられると床へ倒れ込んだ。それでも、二人は起き上がって間合いを詰めると、男が先に仕掛けた。男はしゃがんで床に手をつき素早く右足を回した。リャンは飛び上がってかわし、それをまた、男が空かさず顔を目掛けて右蹴りを出した。リャンは両腕で防ぐが衝撃で飛ばされ、床に叩き付けられる寸前、床に手をついて後ろへ回転して着地した。今度は、リャンは左拳、男は右拳を同時に突き出した。突き出した拳はクロスし、互いの頬をかすめると、今度は肩を掴み合って押さえ込もうとした。互いの肩を押さえつけられて屈み込み、リャンは素早く押さえつけられた手の下を潜って横に回転し、男の手を掴むと男の鳩尾に膝を何度も蹴り上げた。男は苦痛に顔を歪めながらも掴まれた手首を外そうともがき、なんとか外に返して手を払いのけ、右の拳を突き上げた。リャンは顔を後ろに反り避けると素早く左拳で腹を狙い、強い一撃が見事に決まった。衝撃と共に鈍い音が大きく響き、一瞬男の息は途切れ、その体は崩れるように倒れて破片だらけの床に沈んだ。
 リャンは荒れた呼吸をなんとか落ち着かせると、屈み込んで力が尽きた男の胸倉を掴み、自分に引き寄せた。うっすらと開いた男の目は虚ろではあったが、真っ直ぐリャンを見つめていた。
「よく聞け!お前は自分の望みを叶えるため、人を殺した。多くの命の上に、お前が立っているんだ。お前がその望みを捨てたら、殺された者たちが無駄死にだ。そのことをしっかりと頭に叩き込んでおけ。そして、望みにすがり付いてでも、しがみ付いてでも、意地でも自分の望みを叶えろ。もう後には引けないんだ!そのことをよく考えろ。」
 そう言い終わると、リャンは男の鳩尾に正拳を振り落とし、男は声も立てずに気を失った。リャンは静かに男を寝かせて立ち上がった。リャンの顔は厳しい表情のまま、しばらく男の顔を見つめ、そして、ぽつり呟いた。
「しっかりしがみつけ、凱歌。お前が自我を壊さずにこの世界で生きていくための唯一の方法だ。」

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