季節が木々を彩る時
item3

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「壊 -collapse-」

 どのくらいの時間が経ったのだろう。廊下で待つ若い男には何時間にも感じられた。長身の男が部屋に入った途端、部屋の空気が様変わりしたのを肌で感じた。ドアを隔てた所にいながら、部屋からは不気味で締め付けられるような重苦しい威圧感が伝わり、とても部屋に入る気になれなかった。若い男は居心地の悪さを噛み締めながら、ひたすら待った。秒針の針が短針かと思えるくらい時間の流れはとても遅く感じられた。
 すると、突然リャンらしき声がこだましたかと思うと、それが起爆剤となって膨張しすぎた緊張が破裂し、一転して部屋は激しく荒々しい猛獣の檻と化した。轟音とも呼べる音の数々は、今にも檻から飛び出しそうな勢いで廊下まで響き渡った。男が暴れていた時以上に激しく物が砕け飛び散る音、二人の男が怒鳴り合う声。様々な轟音は若い男の不安をかき立てた。そして、何よりも若い男の恐怖を煽り、おののきさせたのは、重低音のように響く鈍い音だった。若い男は身に染めて覚えている、集団に囲まれ痛めつけられた時の鈍い音。骨と骨が強く激しくぶつかり合い、傷付け合い、痛みを伴う悲鳴のような音が一度や二度ではなく、一瞬の間も開かず絶えず響き続けていた。若い男は無意識に耳を塞ぎ、ひたすら耐えながら終わるのを待ち続けた。
「おい、范!」
 足を小突かれ、座り込んでいた若い男は徐に顔を上げた。そこには自分の顔を覗いている長身のリャンが立っていた。いつの間にか廊下まで響いていた轟音は嘘のようにすっかり消え去っており、まるで夢の中の出来事のように思えた。
「ずっといたのか?」
 リャンはケースから葉巻を取り出し、火を付けた。その手はどこかぎこちなく、血が滲んでいた。
「ええ。それにしてもそれは・・・。」
 若い男は立ち上がりながら、リャンの姿の変わりように驚いた。よく見ると、男の皮のコートは埃まみれで、顔には無数の痣と切り傷、所々血も付いていた。
「お前がいるなら、丁度いい。あいつのこと頼む。」
 リャンが言葉を言い終わる前に若い男は部屋の中に走っていた。
「凱歌兄さん!」
 荒れ果てた部屋の床で埋もれるように倒れている男を見つけると、慌ててその体を抱き起こした。男は気を失い、その体はアザだらけの上、辺り一面の破片で切ったと思われる多数の切り傷から血が滲み出ており、まさしくボロボロになっていた。
「何をした!?」
 若い男のきつく鋭い目が戸口にいるリャンに注がれた。
「そいつの気が済むまで暴れさせただけだ。少しは気も楽になるだろう。それに、これでしばらくはゆっくりと休める。」
 最後の言葉にはどこか思いやりが感じられ、若い男は厳しい顔をしながらも何も言い返せなくなった。
「そいつには時間が必要だ。気持ちを落ち着かせる時間が。だが、組織は待ってはくれまい。凱歌のような有望なスナイパーを使いたがる。他に腕のあるスナイパーがいれば、こいつの負担も少なくなる。范、俺が言いたいことが分かるか?」
「・・・ええ。」若い男は気に入らないながらも答えた。
「お前には期待している。こいつはどこまで行っても罪を背負い込むだろう。その負担をお前が減らしてやってくれ。まあ、スナイパーの先輩ともあろう者が、こんなこと言うのはお門違いだろうがな。」
 そう言って、リャンは微笑んだ。気を失っている男の顔を見ていると、若い男の中にひとつの疑問が浮かんだ。
「仕事の後の凱歌兄さんはいつも苦しく辛そうだったが、今回みたいなあんな状態には決してならなかった。一体何があったんです?あんたは予測してここに来たんでしょ?」
「・・・仕事に思わぬ誤算があった。ターゲットが車から出てきたところを撃つ予定だった。それがターゲット以外の人物も車に乗っていたんだ。」
「誰です?」
「ターゲットの娘だ。小学校から帰宅途中の娘を偶然見つけ、車に乗せたんだろう。発砲地点の凱歌からは死角になって車の中までは見えなかった。先に出てきたターゲットを計画通り撃った。」
「・・・その後から娘が出てきた」
「愕然としただろう。娘の目の前で親を撃ち殺したのだから。親を奪われる子供の気持ちは、こいつが一番よく分かっている。それがきっかけとなって、溜め込んだ感情が爆発してしまったんだろうな。」
「娘が一緒にいることを知っていたら、凱歌兄さんなら撃たなかったかもしれない。」
「決して撃たなかっただろう。どんなに簡単な狙撃でもあっても娘の前では決して撃たない。こいつはそういう奴だ。お前ならどうする?」
「俺は撃つ。与えられた計画通りに。」
「そう言うと思った。こいつのことは頼んだ。骨が所々折れているだろうが、二、三日もすれば起き上がれるようになるだろう。また暴れたら、連絡しろ。」
 リャンはため息をつくように煙を吐き出すと、若い男に背を向け階段を下りていった。その足音が遠ざかるのを感じると、若い男は気を失っている男を見つめて強い口調で呟いた。
「あんたには連絡しないよ。今度あったら、俺が凱歌兄さんを止めてみせる。」

 

『また暴れたら、連絡しろ』
 口ではああ言ったが、本心は二度とこんなことは願い下げだ。二階ほど階段を下りた踊り場で、リャンは立ち止まっていた。
「もう連絡が来ないことを祈るよ。こんなことが何度もあったら、あいつの精神がもたない。それに、・・・俺の体も保たない。」
 その時、リャンの手から葉巻がすり抜けるように滑り落ち、そのまま階段へ転がり落ちていった。無表情だったリャンの顔は苦痛を浮かべ、力尽きたようにその場に座り込んでしまった。全身が悲鳴を上げていた。体中打撲だらけで、力がまともに入らず、立っているのがやっとだった。それもここで気力が尽きた。
「いてえ。あいつ、あばら折りやがった。それに、左手首も。利き腕なのに、あの野郎」
 壁に寄り掛かり崩れた体を嘆くようにぼやいていたが、その顔は呆れたような笑みを浮かべていた。リャンはなんとか動く手を頼りに胸ポケットを探り、シガレットケースを取り出した。しかし、肝心のケースを開けようとするが、震える右手だけでは思うように開けられなかった。そうすると、不気味に歪んで腫れている左手を動かし、痛みに顔を歪めながら両手を使い、ようやくケース開けた。取り出した最後の葉巻を口にくわえ、ライターを近づけるが、今度はライターの火が付かない。利き腕でもなく震える手ではライターを着火させることができなかった。リャンは意地で七回試みてようやく火が付けられた。
「ったく!葉巻を吸うだけでこれだけ苦労させられる。正気を失ったあいつとは戦いたくないな。年寄りの体にはこたえる。」
 リャンは葉巻を吹かしながら、宙を見つめていた。暴れた男のことに考えが及ぶが、次第にくゆらせる葉巻の煙の中に自分の姿を見ていた。何の汚れも知らず、正義感に溢れたかつての自分。そして、もう引き返せない地に落ちた今の自分を・・・。あの暴れた男の姿は自分自身が忘れようとしている葛藤を体現しているようで、胸が痛む気がした。そして、静かにリャンは噛み締めるように呟いた。
「凱歌、生きろよ。お前はこの組織では貴重な存在だ。まだ俺に良心が残っていることを思い出させてくれる。お前はお前のままで生きろ。」
 どのくらい思いを馳せていたのか、口に熱を感じて初めて最後の葉巻が手で持つのもやっとの長さになっていることに気がついた。
「さて、老体に鞭打つか」
 葉巻を捨て、もう動かない体を無理矢理奮い立たせ、リャンは痛みに堪えながら立ち上がった。
「ちきしょ。やっぱり痛いじゃないか。覚えてろ、凱歌の野郎。」
 気持ちとは裏腹な言葉をぼやきながら、リャンは一段、また一段とゆっくりと階段を下りていった。(おわり)

<作者の言い
作者の感情を凱歌に委ねたい一心で書いてしまいましたね〜(^_^;これを書き始めた頃、私の中でいろんな葛藤あり、感情ありでストレスが。けれど、私のストレス解消である運動・スポーツ全般できなくて、暴れたい!!って気持ちが凱歌に乗り移ってしまいました、あはは。
テーマは暴れる為だけだったのですが、もうひとつはあそこまで母親に対する思いの強さは何だろ?人殺しと引き換えにする思い。それを助長させたのは何だろう?と考えて、そのニュアンスを入れてみました。