季節が木々を彩る時
item3

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「壊 -collapse-」

 月明かりが差し込む薄暗い部屋の中、一人の男のシルエットがあった。男は動きを止める間もなく、暴れていた。テーブルにあった食事や本をぶちまけ、机やベッドを蹴り上げると、今度は椅子を床に叩き付けた。男は言葉にならない叫び声を上げながら目の前にある物を掴んでは、部屋の壁に投げつけて破壊行為を続けた。その顔は、怒りとも焦りとも苛立ちとも、不安や苦しみや悲しみにもとれ、あらゆる感情がぶつかり合っていた。
 その部屋とドアを挟んだ味気ない廊下には、若い男がいた。年は二十才になるか、ならないかぐらいで、少しあどけなさが残る反面、荒んだ目は威嚇するように異様にぎらついていた。若い男は男が暴れる部屋のドアを背に座り込み、血が滲む口元を痛そうに手で拭っていた。
「ったく!何なんだよ!?」
 若い男が苛立ちと不安が混ざった表情で文句を言っていると、階段の方から足音が聞こえてきた。部屋の騒音とは対照的に、静かな空間に響く足音。明らかに一般人とは違う、妙に居心地の悪さを残すものだった。若い男は無意識に胸騒ぎを覚えて警戒した。
「派手にやっているな。」
 落ち着きはらった低い声と共に、コンクリートだけの廊下に現れたのは長身の男だった。年は三十代中頃、灰色のロングコートが筋肉質の細い体を覆い、より長身に見せていた。
「・・リャンさん?」
 若い男は意外な人物の登場に驚きながらも、一瞬で警戒を解き、安堵の表情を浮かべた。
「どうだ、あいつの様子は?」
「訳が分からない。仕事から帰った時から様子が変で、俺がちょっと声をかけたら、いきなり怒鳴り始めて、これだよ。」
 若い男は自分の腫れた口元を指差した。
「お前、初めてか?それは悪い時に居合わせたな。」
「以前にも?」
「俺の知っている限りでは、これで四度目だ。仕事を始めた頃に立て続けにな。しかし、最近ではなかったんだが。」
「あんな姿、初めて見た。すごい形相で叫び、怒り狂わんばかりに壊しまくるなんて。それに、あんなに鋭く冷たい目や異様な殺気は今までなかった。身が凍るような恐ろしさを感じる。あんな凱歌兄さん、初めてだ・・・。」
 若い男の脳裏にはあのおぞましい姿がはっきりと映し出され、寒さに震えるように膝を抱えた。
「普段のあいつからは考えられないだろ?」
「ああ。仕事の時でさえあんな姿はなかった。」
「自我が壊れそうになると、はけ口としてあんな行動をとるんだ。よく覚えておけ、あんな状態になるのは弱い人間だけだ。」
「凱歌兄さんはそんな人間じゃない」若い男は少し強い口調で反発した。
「そうか?だったら、范。お前は今まで殺めた人間の顔を覚えているか?」
「そんなもの、覚えていない。」
「罪の意識を感じるか?」
「・・・別に。俺はただ仕事をしているだけ。」
「仕事を始めたばかりのお前でさえ、そうだろう。だが、あいつは違う。今まですべてのことを覚えている。いつ、どこで、誰を撃ったかさえな。」
「それのどこがいけない?」
「正気の沙汰じゃないって言っているんだ。素直に感情を捨てて割り切ればいいものを、あいつは次から次へと抱え込む。抱え切れない程抱え込んで苦しんでもがいて、必死に感情を押さえつける。あんな状態になるまでよくやるよ。逆に呆れてしまうがな。もう少し楽な生き方があるだろうに。」
 長身の男は遠い目をして部屋のドアを見つめ、中にいる人物に思いが馳せた。
「それは・・・、凱歌兄さんの性格だから仕方ない。」言葉を濁した言い方だ。
「それでは、スナイパーに適さない。今は発作的だが、こんなことが続くようなら、いつか本当に自我が壊れかねない。」
「壊れないよ。凱歌兄さんはそんな弱い人間じゃない。どんなに壊れかけようと、その一線を越えない強さがあるから。」
 若い男はいつになく真剣な表情で言った。
「信じているんだな。」
 若い男からの返答はなかったが、目が物語っていた。その様子に長身の男はかすかに微笑んだ。
「さて、そろそろ様子を見てくるか。」
「今は中に入らない方がいいと思うけど。」
「それはどっちを心配しているんだ、俺か?あいつか?」
「それは・・・」
 長身の男はわざと困らせるようなことを言い、楽しんでいるようだった。しかし、次の言葉を言う時にはふくみ笑いは一切消えていた。
「俺はあいつの方が心配だ。そろそろ壊すものがなくなって、自分自身を傷つけかねない。」
「じゃあ、俺も−」
 若い男は慌てて立ち上がり、ドアノブに手を掛けようとしたが、長身の男がそれを遮った。
「いや、お前は来るな。」
 冷めた言い方で一言言うと、長身の男はドアを開け、一人で部屋の中へ入っていった。入っていく長身の男の横顔がちらっと若い男の視線に入ったが、その瞬間、背筋に凍りつくような感覚が走った。冷たく威圧的で殺気立った雰囲気は、今まで話していた人物と同じ人間だとは到底思えず、むしろ、部屋の中で暴れている人物の雰囲気と酷似していた。しかし、長身の男の穏やかな目が逆に、一層の気味悪さを与えていた。
『二人の間で、一体何が起こるんだ?』
 若い男は強い好奇心と底知れぬ恐ろしさの狭間で、ただ、閉ざされたドアを見つめ続けるしかなかった。

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