季節が木々を彩る時
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「聖なる夜」

「ふぅ〜」
 ホテルクラークの女性の口から溜め息が漏れた。今日に限って昼三時から十二時までという遅番なんて。
「なに、溜め息なんかついて?」
 同僚の女性が郵便やメッセージを整理しながら言った。
「つきたくもなりますよ、イブに仕事なんて」
「自分で希望したんでしょ?」
「彼氏のいない私には一人寂しく過ごすより、仕事の方がまだいいと思ったんです。でも、これから夜にかけて、幸せそうなカップルばかり相手にしなきゃいけないんですよ。」
「しかも、満室。ご愁傷さま」同僚の女性は笑った。
「・・・先輩、楽しそうですね〜。」
「え?別に。いつも通りよ」
「分かりますよ。夜の六時には仕事が終わって彼氏とデートなんて、誰だって浮かれますよね〜。」
「べ、別に浮かれてないわよ!」
 同僚の女性の必死に否定しようとする姿に、女性はにんまりと笑って面白がっていた。そこへ観光客らしきカップルがホテルの入り口に現れた。
「さて、あまり乗る気になれないけど、仕事に励みますか。」
 女性はまた溜め息をつき、その応対の準備をした。それからは次々とやってくる香港の夜景目当ての観光客カップルの対応に追われた。時間はあっという間に過ぎ、気付いた時には日は沈みかけ、海や街に赤い光を投げかけていた。
 そこへ一人の青年がホテルのロビーに現れた。見た目は二十代中頃で、ダークグレーのスーツに濃紺のネクタイ、白のトレンチコート姿、手には頑丈そうな黒のアタッシュケースと小ぶりのキャリーバッグを持っていた。女性は仕事柄たくさんの人に出会うせいか、その人物の人となりが分かってしまう。ひと目見ただけで、仕事でやって来たビジネスマンだと察した。女性は自分と同じようにクリスマスに働いているこのビジネスマンに親近感を持った。
 青年はロビーを見渡してフロントデスクを見つけると、キャリーバッグを転がしながらこちらに向かってきた。
「May I help you?」
 女性は言い飽きた言葉を笑顔で言うと、どこか落ち着かない様子の青年の口から聞き慣れたジャパニーズイングリッシュが聞こえてきた。
「あ、ウォ、シー、マツダ。えっと、アイハブァリザベーション、フォーアナイト。」
「I'm sorry, but may I have your name again, please?」
「あ、Hiroshi Mathuda」
「One moment, please. Mr.Mathuda」
 女性はパソコンのキーボードを叩き、その場面を見つめた。
「Yes. We have you in a single for a night, is that right?」
「あ、イエス」
「OK. I need you to fill out this registration form, and can I see some form of identification?」
「??あ、ソリー?」
 青年の困惑した表情に、女性は敏感に察して言葉を変えて話しかけた。
「こちらの予約カードを記入して頂けますか?」
 途端に青年の顔に安堵の表情が浮かび、胸を撫で下ろしたようだった。
「良かった。日本語が話せるんですね。」
「少しですが。日本からお客様多いので勉強してます。」
「とても上手ですね。私も会社から勉強するように言われているけど、どうも覚えが悪くて、英語も中国語も苦手なんです。」
 青年は穏やかな笑みを浮かべて言った。その優しそうな雰囲気に女性は好印象を持った。
「英語とても上手ですよ。きっと中国語も話せるようになると思います。」
「ありがとう。そうなればいいんですけど。」
 青年は苦笑いを浮かべてながら、カードに記入した。
「身分証明書になるもの、お持ちですか?」
 差し出されたパスポートを確認すると、女性はパスポートと一緒に部屋のキーを青年に渡した。
「部屋は52階の5215号室になります。あちらのエレベーターからお上がり下さい。荷物お運びします。」
 待っていたボーイが青年のキャリーバッグとアタッシュケースを持とうと手を差し出したが、青年が片手を振った。
「ああ、これは自分で持つので、キャリーバッグだけお願いします。」
 不思議そうな顔をしているボーイに女性は助け舟を出した。
「He has his case by himself, Would you have his carryall?」
 ボーイはすぐに青年のキャリーバッグだけを持った。青年はまた苦笑いした。
「サンキュ」
「You're welcome. I hope you enjoy your stay.」
 女性は笑顔で答え、ボーイの後に付いて青年を見送った。

 ボーイは部屋の奥へとキャーリバッグを運び、簡単に部屋やホテル説明をした。難しそうな顔をしている青年が説明を理解しているとは思えなかったが、ボーイは一通り説明をし、青年の言葉を待った。
「あ〜、メイアイアスク ァクセスション?イズブレックファーストインクルーディッド?」
「Yes. Breakfast is served at the cafe on the first floor.」
「ワットタイム?」
「From 7:00 am to 10:00 am」
「サンキュ」
 青年はポケットから紙幣を一枚取り出してボーイに渡した。ボーイが出て行くと、青年はアタッシュケースをベッドに投げ出し、部屋の窓から外を見つめた。夕暮れに輝く海が穏やかに揺れ、人の目を誘っていた。しかし、青年は景色に見とれることなく、カーテンを閉め、部屋は一転して薄暗い空間となった。青年は薄暗さを気にしないままアタッシュケースを開けた。その中はたくさんの書類に埋もれていた。青年の両指がケースの淵を撫でわずかな段差を探し当てると、今度はその周りを軽く指で弾いた。すると、書類に埋もれたケースの内部が外れ、その下にはウレタンに整然とはめ込まれた黒光りする部品が並んでいた。

 夜六時過ぎ。チェックインも一通り済み、フロントデスクはようやく落ち着いたようだった。クラークの女性が伝票の整理に取りかかろうとした時、外付けのガラス張りのエレベーターで降りて来る先程のビジネスマンの青年の姿が見えた。エレベーターがロビーに到着すると、青年はエレベーターボタンを背にして立ち、先に別の乗客を下ろしてから降りた。青年は白のトレンチコートに黒のタートルと黒ワークパンツというカジュアルな服装に着替えており、堅苦しいスーツ姿の時よりずっと落ち着いた感じで、親しみやすい印象を受けた。青年は他のクラークには目もくれず、真っ直ぐ女性の方へとやって来た。
「すいません。あの、この書類を日本へファックスしたいのですが」
 青年は申し訳なさそうに日本語で言い、書類の束を差し出した。
「わかりました。こちらにファックス番号と書類の枚数など記入して頂けますか?」
 女性は用紙とボールペンを青年に渡した。青年は書類の枚数を確認しながら用紙を記入すると、また申し訳なさそうに言った。
「あの、この辺りでおもちゃやぬいぐるみ、ブランド品とか買えるような所、ありますか?」
「そうですね、たくさんの品揃いがあるのはやっぱりショッピングモールですね。このホテルを出て、海沿いの通りを真っ直ぐ行かれるとあります。噴水があるのですぐ分かると思います。・・・奥さんと子供さんにお土産ですか?」
 女性はさりげなく探ると、途端に青年は顔を真っ赤にして否定した。
「いいえ、違います!あの、母と姉の家族に。私はまだ、独身なので・・・」
「そうですか、失礼しました。」謝る女性はどこか嬉しそうだった。
「夕食はどこか決まってますか?」
「いえ、まだですが。」不思議そうに答える青年。
「このホテルの最上階のレストランもいいですが・・・」
 女性は声のトーンを下げて青年に呟くように言った。そこへ電話が鳴り、隣にいた別のクラークの女性が受話器を取った。
「・・・そこはあまり観光客の人が行かず、地元の人が通う店なんです。でも雰囲気も料理もいいですよ。」
「いいですね、そこ。行ってみることにします。ありがとう。」
 青年は心からそう言って微笑んだ。そこへ電話に出た女性が間に入った。
「Mr.Mathuda,You have a call from Mr.Akashi.」
「また!?」
 途端に青年はうんざりした顔になった。それもそのはず、青年がこのホテルに到着してもうすでに三度目の電話だった。
「いい加減にしてほしいな。こう四六時中仕事に縛られたら、しんどいよ。・・・出掛けたと、あ、えっと・・、ウッドュテルヒム、アイムノットインアホテル、アイブゴーン」
 受話器を持った女性は何も言わず微笑みで答えると、そのまま電話の相手に出掛けていると告げた。
「本当にすいません、ご迷惑ばかりかけて。それじゃ、出掛けてきます。本当に助かりました。ありがとう。」
 青年は女性にホテルキーを渡し、そのままフロントデスクを後にした。
「・・・顔が笑っているよ。」
 出て行った青年を見送る女性の横で受話器を置いた女性が囁いた。
「な、なんですか!別に、いつも笑顔ですよ、私は。」
「間違った。笑っているじゃなくて、にやけているだったわ」
「にやけていません!先輩、もう六時過ぎていますよ!仕事切り上げて、早く彼氏の所へ行って下さい!」
 同僚の仕返しに女性は顔を赤くして追い立てた。

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