季節が木々を彩る時
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「聖なる夜」

 クリスマスを来週に控え、ある高級ホテルやブランドショップが立ち並ぶ街の一角にはツリーや赤と緑に彩られ、クリスマス用にデコレーションされていた。そこを行き交う人達は皆、きっちりとした身なりをして、何かしら袋を携えて、買い物を楽しんでいた。
 そんな人達をホテルのロビーから眺める青年がいた。年は26、7歳くらい、筋肉質な体を品のいいスーツが包み、どこか大企業の会社員といった感じだった。だが、どこか遠くを見つめる目だけは何かしら孤独を感じさせ、年齢や格好にそぐわない違和感を与えていた。しかし、それは黒の細いフレームの眼鏡で巧みに隠されていた。
 青年はロビーのソファーに腰掛け、ガラス越しに外の景色を眺めていた。クリスマスというものはこの国にとってあまり縁がなく、この国に住む一部の外国人だけの行事だった。しかし、それが次第に広まって、つい最近では宗教的な意味は取り除かれ、その雰囲気を楽しもうとする人達が増えてきた、主に若者の間で。しかし、若者に分類されるはずの青年には別世界そのものであり、他人事だった。
「わざわざ書類を届けてもらって悪いね。」
 よく響く声に振り返ると、青年のそばに一人の長身の男が立っていた。年齢は三十後半で、有名ブランドのスーツに身を包み、いかにも青年実業家といった風貌だった。
「いえ、とんでもないです。」青年は慌てて立ち上がり、軽く会釈した。
「頭を下げるのはこっちの方だ。そうだな、コーヒーでも飲まないか。」
 そう言うと男は青年をすぐそばのラウンジに連れ、ホットコーヒーを2つ注文すると、椅子に腰掛けた。
「ここは私におごらせてくれ。わざわざ届けてもらったお礼だ。」
「お気遣いなく。これが言わせていた書類と、こちらは設計図です。」
 青年は持っていた書類の入った封筒とプラスティックの筒を手渡した。男は早速受け取った封筒から書類を出し、テーブルに広げてひとつひとつ目を通して確認し始めた。
「久し振りだな、こうやって顔を会わすのは。仕事は順調か?」
 男は書類から目を離さずに言葉をかけた。青年は一瞬言葉に詰まるが、すぐに言葉を濁しながら答えた。
「・・・それなりに。」
「それは良かった。いろいろ話は耳に入って来るんだが、気になっていた。何か困ったことがあったら、いつでも言ってくれ。力になるよ。あっ、これはすまない。」
 コーヒーを持ってきたウェイターに気付くと、男はテーブルに広がった書類を隅に寄せた。その拍子に、一枚の書類がテーブルから滑り落ち、男は慌てて拾おうとした。
「いえ、拾います。」
 ウェイターは持って来たコーヒーをプレートごとテーブルに置くと、何かビルのような建物の図面が書かれた書類を拾い、男に手渡した。
「いや、悪いね。仕事の書類が多くて。」
 男は苦笑いを浮かべながらウェイターに謝った。
「それで、建設工程の計画表には目を通したか?」
「ええ。」
「で、問題点は?」
「いくつか考えられますが、計画通りに事が運ぶのは無理だと思います。」
「どうして?」
「まだ現場を見ていませんが、あのエレベーターの造りでは誤差が生じるかと。」
 カップにコーヒーを注ぐウェイターの横で、青年は冷静に受け答えをしていた。その様子に男は満足げな表情だった。
「すっかり慣れたようだな」
 ウェイターが一礼して去ると、男は息をもらすように、青年にしか聞こえない小さな声で呟いた。その声は先程とは全く違ったトーンで低く、ずしりと重みのあるものだった。それを聞いた青年は少し気に入らない表情を見せた。
「俺は、褒めているつもりなんだがな。」
 そう言うと男は書類から視線を外して青年を見ると、目がかすかに笑った。その目もまた、先程とは違い、何でも見透かすような鋭さと深い悲しみと憎しみが同居するものだった。しかし、一瞬にして豹変し、先程の青年実業家の顔、声に戻っていた。
「問題点があるのは重々承知しているが、それをクリアしなければならない。その点はまた別の機会にしよう。これらをもう一度検討してからだ。」
 男はコーヒーを一気に飲み干すと、書類をまとめて封筒に戻し、伝票に部屋番号とサインを記入した。
「書類、どうもありがとう。君はゆっくり飲んでいくといいよ。」
 男は封筒と筒を抱えて足早に去ろうとするが、何か思い出したように青年の方に振り返った。
「君、機械類が得意だったね?」
「・・・ええ。」青年は敏感に察して男に合わせた。
「ちょっと私のワ−プロを見てくれないか?どうも印刷の調子が悪いんだ。」
「ええ、構いませんが。」
「頼むよ、私はああいうのが苦手でね。部屋にあるんだ。」
「いいですよ。」
 二人はそのまま並んで、エレベーターへ向かった。すでにエレベーターの前には上品な格好をした中年夫婦と、夫婦の荷物を持つボーイが立っていた。二人の彼らの後ろに立ち、エレベーターの到着を待った。
「このホテルの最上階にあるレストランの料理はおいしいそうよ。フランスにある三ツ星レストランのシェフを引き抜いてきたんですって。名前は何だったかしら?エド・・・、忘れてしまったけど、雑誌に彼の記事が載っていたのよ。それに−」
 夫人は、得意げな顔をしてよく通る声で無関心な夫に話していた、というより、一方的に押し付けていた。
『この人はずっとしゃべり続けるんだろうか?』
 青年は気のない様子をみせながらも、そのうるささに呆れていた。実際、青年だけではなく、その場の誰もが夫人に呆れていた。
 エレベーターの到着と共にボーイ、中年夫婦に続いて青年と男が乗り込んだ。そのエレベーターはこのホテル自慢のひとつで、ガラス張りのエレベーター室だけが建物に外付けされており、エレベーター内から外の街並を眺められる構造になっていた。
 青年と男はエレベーターの一番奥へと進み、男は出入り口の方へと向き直り、青年はそのままガラス越しから外の景色を見つめていた。
「何階ですか?」ボーイは先に58階のボタンを押し、男の方に振り返った。
「65階を。」
 エレベーターの扉がゆっくりと閉まると、一気に加速して上へと上がって行った。その間も夫人の話は止まることを知らなかった。
「ここよりも『ラ・フィーネ』の方がいいと思うがね。」
 夫人の話を耐え切れず、夫は感情のこもっていない言い方で遮ろうとしたが、それは大きく裏目に出た。
「それはイタリアじゃない。そこまで行かなくても、三ツ星シェフの料理が食べられるのよ。それに、ここのレストランから見る夜景は素晴らしいそうよ。この香港では一番高い建物なんだから。夕食が楽しみだわ。」
 夫人の声が響き渡るエレベーターの中、青年は先程とは違い、まるで周りには誰もいないかのように何にも気を止める様子はなく、ずっと黙ったまま外を見つめていた。そして、ある一定の高さをエレベーターが過ぎるその一瞬、青年の目に強い鋭さが宿り光ったが、その場に居合わせた人は誰も気付かなかった。そう、瞬きよりも短い刹那の時間を感じ取れることのできる人物、青年の隣にいた男以外は。
「58階です。どうぞ。」
 ボーイは先に中年夫婦を下ろすと、続いて降りて行った。また、ゆっくりと扉は閉まると、ようやくエレベーターは静かな空間となった。

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