季節が木々を彩る時
item3

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*Illustration

*Writing

「Birthday」

「ただいま!」
 小さな少年は家に帰ってくるなり、真っ先に居間へと駆け込んだ。
「おかえりなさい。」
 居間では優しい笑顔を浮かべた女性が出迎えてくれた。少年はとびきりの笑顔でそれに答えると、少し興奮したような様子で真っ先に聞いた。
「ねえ、母さん。おじいちゃんは?」
「おじいちゃんなら、さっき裏庭の椅子で本を読んでいましたよ」
「ふ〜ん。」
 少年は今度は関心がないように返事をするものの、とても落ち着かない素振りだった。その上、両手を後ろにして何かモジモジしていた。
「凱歌、後ろに何か持っているの?」
「な、なんでもない!なんでもないよ!ほらっ!」
 少年は慌てて言い、左手を見せるとひらひらさせ、また左手を後ろに戻すと今度は右手を見せた。下手な嘘の付き方と、あからさまに後ろに何か持っているのが分かる、少年の行動があまりに分かりやすく、その姿が微笑ましくて女性は思わず笑った。
「お、おじいちゃんの所に行ってくる!」
 優しく温かい女性の眼差しがくすぐったく、少年は一目散に逃げ出した。少年を見送る女性の笑顔は次第に白く霞んでいき、やがて白一色になった。次の瞬間、目の前には対照的な真っ暗で湿っぽい天井が写っていた。いつもと変わらぬ狭い独房にいる自分に気付き、青年は溜め息をついた。青年は簡素なベッドから起き、鉄格子に覆われた小さな窓から月を見上げると、寂しく呟いた。
「もうすぐだね、母さん」
 その時、外からざわめきが聞こえた。
「新入りが消えた!」
「誰だ?」
「范とかいう奴だ」
「くまなく探せ!」
「おい、お前!そこで何をしている!?」
「止まれ!」
「逃げたぞ!」
「またか。」
 青年は気分を邪魔されたことに気に入らない様子で、再びベッドに寝転ぶと、回りの騒々しさを拒絶するように毛布を頭まですっぽり被った。
 一時間ほど経って、ようやくサイレンは止まり、建物内外からの騒々しさもなくなった。その間、青年は必死に寝ようと試みたが、あれほどの騒ぎで寝られるはずもなかった。
 ようやく眠れると思った矢先、ここでの生活で身に付けた青年の鋭い聴覚が何かを聞き取った。遠くから近付いてくる廊下から足音。コツコツ響く皮靴の音で、軍人が履いている靴音だと分かる。人数は・・二人、いや、もう一人いる。軍人とは違う、引きずられている音だった。その音は青年の独房の前で止まった。
「王凱歌!起きて、壁に手を付け!」
 青年は仕方なく起き上がり、いつもと同じようにドアとは反対の壁に向き合うように両手を付けた。鉄ドアに付けられた郵便受けくらいの小さな開口からは冷たい両目が覗かれて青年の様子を確認すると、分厚い鉄壁のようなドアの鍵が開けられた。低い鈍い音を出しながらドアは開くと、何かが中へ放り投げられ、青年の足にぶつかった。そして、すぐさま開かれたドアは再び鈍い音を立てて閉じられた。
 青年はぶつかったものが何であるか分かっていたようで軽く一息つくと、両手を壁から離して振り返った。
「大丈夫か?」
 青年の足下には10歳くらいの少年が倒れていた。着ている服は汚れ、所々靴跡のような型がついていた。
「・・・うるせえ」
 少年は痛む体を震わせながら、なんとか体を起こした。窓からのわずかな月明かりが少年の姿を写し出した。まだ幼さのあるあどけない顔にはアザがあり、鼻からは血を流し、体にも同じようなアザがいくつもあった。しかし、これだけ痛めつけられても少年の目だけは反抗的で、強く青年を睨みつけていた。
「そんな言葉が言えるくらいなら、大丈夫そうだな。お前が范か?」
「范じゃない!オレは劉だ!」
「さっき、逃亡した奴を捜していた軍人は范と言っていたが。お前のことだろ?」
「オレは劉だ!劉火清だ!」
 少年の強い一点張りに、青年は無理に逆らおうとはしなかった。
「そうか、お前がそう言うならそれでいい。ただ、そんな風に痛めつけられてこの独房に放り込まれるのは、脱走を試みた者だけだから、そう思っただけだ。」
 そう言って青年は気のない素振りで再びベッドに横になった。しばらく沈黙が続いた。
「・・・あんたも逃げようとしたのか?」
 先程の荒々しく反抗的な少年の口調より少し棘のない言い方だった。
「ああ、ここの常連だ。今ではすっかりこの独房が自分の部屋になったみたいだ。」
 青年の言葉に息を漏らすように少年は笑った。その瞬間、少年の固く身構える様子は消えていった。
「どのくらいここにいるんだ?」
「もう八年になる」
「そんなにも!?それでもここから逃げられないのか!?」
 少年はどこか落胆したような様子だった。自分はまだ小さいから逃げ出せないんだとばかり思っていた。けれど、どうみても自分より五、六歳年上の青年が逃げられないことにショックを受けた。
「大きくなればなる程、監視がきつくなるんだ。だが、お前は初めての脱走にしては一時間逃げたから、そのうち逃げられるかもな」
 少年を気遣っての言葉だった。だが、青年には分かっていた。大きくなればなるほど、この建物の厳重な警備の凄さが身に染みて分かってくることを。それでも、青年は緻密に計画して脱走を試みるのだが、結果はいつもこの独房に放り込まれるのだった。
「あんたは初めての脱走で何時間逃げたんだ?」少年は興味津々で聞いた。
「30分かな?」
「やったっ!オレの勝ち!」
 少年は嬉しそうに笑った。年に似合わず妙に我慢強く反抗心のある少年だが、意地を張って勝ち負けにこだわる所は、やはりまだ10歳足らずの少年だった。
「そうだ!あんたの名前は?」
「王凱歌だ。俺の方が年上なんだ。『あんた』って呼ぶな。」
「分かったよ、凱歌兄さん。オレはっ、・・・。」
「劉なんだろ?」
 途端に言葉を詰まらせた少年の後を引き継いで、青年は言った。
「オレはそのつもりなんだけどさ・・・。ここに来る前に名前変えられちまった。」
 少年は引きつった顔で笑ってみせた。
「范は親戚の名前だ。オレ、親に捨てられちまったのかな・・・?」
「・・・養子に出されたのか?」
「親戚がオレを迎えにきて、『今日から私たちの息子よ』って。その次の日、ここに放り込まれた。」
「まさか、それ・・・。お前の両親はこの訓練所のこと、知っていたのか?」
「オレには何も言わなかったけど、父さんが軍人に怒鳴って追い返していたのは見たことがある。」
「養子のことは?」
「別に。何も言ってなかったし、オレも知らなかった。」
「親戚がお前を迎えに来た時、両親は?」
「オレが外で遊んでいた時に迎えが来たから、顔を合わせていない。それが何だよ!?」
「もしかしたら、お前の両親は養子のこと知らなかったかもしれない」
「どういうことだよ!?」
「一般には、訓練所に入れるってことは名誉なことでもあり、入れた者の生涯もある程度保証されるそうだ。俺はそんなものいらないが。そして、その家族にも恩給が支払われる。」
「だから、何だよ!?」
「つまり、お前の家族にその恩給が支払われるんだ。お前の本当の両親ではなく、養父母となった親戚にだ」
「ってことは、金欲しさに親戚は両親に黙ってオレを養子にしたってことか?」
「その可能性は高い。それに、反対していた両親からお前を引き離す為に軍人が仕組んだとも考えられる。」
「だったら、何で父さんと母さんは迎えに来てくれないんだよっ!?」
「養子の手続きをされてしまっては、両親は何もできないんだよ。法律上、他人だから」
「父さんと母さんには変わりない!」
 強がっていた少年の目にうっすらと涙が浮かんでいた。青年は少年の気持ちが痛い程分かっていた。だが、どう考えても目の前の少年は十歳の小さな少年に過ぎず、そんな少年にどう説明し、納得させられるというのだろう。自分自身ですら、六歳しか違わない子供なのに。青年は少年に以前の自分を重ね、言葉が喉につかえて出てこなかった。
「ああ、お前の言う通りだな。」
 青年は少年に背を向けてベッドに横たわり、口を閉ざした。少年もまた、一言も発することはなかった。互いに寝る体勢を取ってはいたが寝る気配もなく、二人は気まずい雰囲気の中、無言のまま朝を迎えた。

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