季節が木々を彩る時
item3
When the season paints the

*三蔵法師

*悟 空

*八 戒

*悟 浄

「夢の国 −心の奥に眠る夢−」

 一睡も出来なかった苛立ちに、悟空は八戒や悟浄を叩き起こすことで憂さ晴らしすることにした。いつもは逆に叩き起こされる立場だから、今日は日頃の鬱憤を晴らそう。悟空はささやかな楽しみに胸が踊っていた。だが、それは呆気なく裏切られた。
「食べても食べても、食べきれませんよ〜!」
「お前の夢は叶ったのか?寝ろよ。ああ、キュウリ、美味し〜。」
 悟空が八戒の部屋に来てみれば、八戒は既に起きており、並べられた豪華な料理に食らいついていた。おまけに、悟浄もやってきて二人の美女に挟まれて上機嫌。悟空のささやかな楽しみなどすっかり奪われていた。それに、二人の上機嫌ぶりが余計に気に喰わない。二人が言うには、起きた時に自分の夢が叶っていたそうだ。
『ちきしょ。なんで俺だけ?お師匠さんはどうなんだろ?』
 悟空は首を傾げながら、八戒の部屋を後にした。悟空が出て行ったことに全く気付かない八戒と悟浄。八戒は料理に、悟浄は美女に、それしか目に入ってないようだった。
「ああ、お腹が破裂しそうです!これだけ食べてもちっとも減らない。」
 八戒はお腹を押さえながら、寝台に寝転がった。
「こんなにたくさんの食べ物があるなんて。・・・村のみんなに食べさせてあげたいな」
「村のみんな?」
 美女にキュウリを食べさせてもらっている悟浄が何気に聞いた。
「ええ、故郷のみんなに。僕の村は日照り続きで、食べ物がほとんどなくて。みんないつもお腹を空かして我慢してて・・・。お腹満たされる気分なんて、誰も知らないだろうな。味わってほしいな、みんなに。」
「故郷のみんなにね・・・・。ほんと、キュウリ美味しいね〜」
 八戒と悟浄、普段の彼らならお互いの微妙な変化を察していたはずだが、この時は夢心地の気分で気が完全に緩んでいた。八戒は満腹感に満たされながら記憶の中のみんなに思いを馳せていたから、悟浄の一瞬沈んだ声の変化は気付かず、悟浄もまた、好物のキュウリと美女に気を取られ、八戒が辛そうな表情を垣間見せたことに気付かなかった。
「お姉さんたち、少し散歩でもしようか?」
 お腹が膨れてきた悟浄は、これ以上は食べられないと判断したのか、話題を振ることで次から次へとキュウリを食べさせてくれる美女の手を遮ってみた。美女二人は気を悪くする様子はなく、笑顔のままで頷き、悟浄はほっとしたようだった。
「ちょっと、寺の中を散歩してくる」
 相変らず上機嫌のまま悟浄は八戒に言って、美女二人と共に部屋から出て行った。八戒は返事もせずに、思いを巡らせていた。
「あ〜、みんなどうしてるだろう・・?」
 寝転がったまま天井を見つめていると、聞き慣れた声が響いた。
「お前だけ、ずるいぞ、八戒。」
「そうだぜ。俺たちの分は?」
「せめて、私の分は置いてあるだろうな?」
 八戒は思わず飛び起きた。戸口には八戒をからかう4人の姿があった。そのうちの一人は女で、目を丸くして見つめる八戒に言った。
「なに、変な顔してんだ、八戒」
「朱里?」八戒の呟きに、女は微笑んだ。
「お前の帰りが遅いから、こっちから来てやったんだぞ。」


「牛魔王の時は大変でね〜。罠に嵌って、お師匠さんは捕まるし、八戒は逃げるしで。」
「それで、悟浄さんはどうしたんですか?」
「俺は命に代えてもお師匠さんを助けるつもりでー」
 美女の甘ったるい声に乗せられて、悟浄は少しカッコつけた口調で、自分の武勇伝を語っていたが、そんな時、後ろから何かが悟浄の足にぶつかり、話は途切れた。
「いて〜!」
 振り返った悟浄の足下には、十歳くらいの少年が顔を手で覆って尻餅をついていた。
「おっさん!痛いじゃないか!」
「誰がおっさんだ!?お前の方こそ、自分からぶつかっておきながら謝らないとは、どういうつもりだ?」
 普段の悟浄なら気にもしない所だが、せっかくの楽しいひと時を邪魔された上、少年のおっさん呼ばわりに大人気なく言い返してしまった。
「急に目の前に現れたおっさんが悪いんじゃないか!」
「俺はずっと前からここを歩いてる。お前が前を見てなかったんだろ」
「龍彗!龍彗!」
「やべえっ!」
 遠くから誰かを呼ぶ声に少年は敏感に反応し、慌てて悟浄と美女の間をかき分けて逃げ出すと、お堂の間へと下りる小さな階段の下に隠れた。
「龍彗!まったくあの子は!」
 辺りを見渡しながら出てきたのはあの少年の母親らしき女性だった。その女性を見た悟浄の口元が緩んだ。すると、今度は神妙な面持ちで女性に優しく話しかけた。
「どうかされました?」
「えっ?いえ、ちょっと」
「どなたかを探しておられるのでは?」
「まあ、うちの子を」
「それは心配でしょう。探すのお手伝いさせて下さい」
「いえ、いいんですよ。お腹が減ったら戻ってきますしー」
「いいえ、とんでもない!お力になりますよ。というのも、彼はそこにいるので。」
 悟浄は階段を指差しながら言った。すると、階段から物音が聞こえた。女性はゆっくり階段に歩み寄ると、腕を組んで怒りを抑えた口調で言った。
「自分で出てくるか、それとも、母さんに引きづり出されるかどちらがいい?龍彗」
 その気迫に押されてか、少年はしぶしぶ階段下から出てきたが、女性とは顔を合わせようとせず、俯いたままだった。すぐさま女性は少年の耳を摘んだ。
「いたい!いたい!いたい!」
「何か言うことは!?」
「な、ないよ!」
「あ、そう。じゃあ、なんで隠れてるの?」
「そ、そんなの、追いかけてくるからじゃん!」
「なるほど、そこまでシラを切るの?あとで、父さんにしっかり怒ってもらわなきゃね!」
「えっっっ!?なんで!?」
「それは自分の胸に手を当てて考えなさい!さあ、父さんの所へ戻るわよ!」
 女性は少年の耳を掴んだまま、嫌がる少年を引っ張り、悟浄の所まで来ると、お礼の言葉と共に軽く会釈した。
「ありがとうございます。この子、逃げ足だけは早くて。本当に手を焼いてるんですよ、いたずらばかりして。」
「小さい頃は誰でも同じですよ。ははは」
 悟浄は少年に先程の仕返しができ、機嫌が戻っていた。
「大きくなって、マシになればいいですけど。ほらっ、行くわよ」
 女性はまた、少年の耳を掴んだまま引っ張っていった。連れて行かれる少年は顔を歪ませながら歩いていたが、悟浄と目が合うと強く睨みつけ、口元は「覚えてろ!」と言っていた。
 その時、初めてまともに見た少年の顔に、奥深くに閉まった記憶が重なった。
『絶対、絶対に許さない。殺してやるーーっ!』
 我に返った瞬間、悟浄の身も心も血の気が引き、代わりに奥底から湧いてきたのはおぞましい感覚だった。
「そ、そんな・・・。まさか・・・」
 そう思った途端、強い吐き気に襲われ、悟浄は耐えきれずに跪いてその場で吐いてしまった。全身から汗が吹き出し、熱にうなされるような息苦しさに襲われた。
『・・苦しい。息ができない。やめてくれ。思い出したくないんだ。お願いだ。忘れたい。もう忘れたいんだ!』
「悟浄さん・・?悟浄さん!どうしたんですか!?」
 慌てて駆け寄ってきたのは八戒だった。八戒はうずくまる悟浄の背中をさすった。
「具合でも悪いんですか!?」
「・・・大丈夫だ」
 消えない強い吐き気を押さえるように手で口を覆い、胸元を掴みながら悟浄は気丈に立ち上がった。しかし、未だに顔は蒼白で冷や汗を流して苦痛が覆っていた。
「何か薬でももらってきましょうか?なんなら、さっきの美女二人にお願いして介抱・・・。あれ?彼女たちはどこに?」
 八戒は辺りを見渡すが、その姿はなかった。いつの間にか消えた美女のことなど、今の悟浄にはどうでも良かった。ただこの襲われる吐き気とおぞましい感覚から解放されたかったが、とても治まる様子はなかった。
「本当に大丈夫ですか?」
「・・・・平気だ。少し休ませてくれ」
 気遣う八戒の横をすり抜けるように悟浄は歩いた。立っているのも精一杯で、足取りは覚束なかったが、それでもやや身を屈めながら壁を伝い、部屋へと向かった。その時、八戒の後ろにぼんやりと見知らぬ誰かの姿がいくつか見た気がしたが、その時の悟浄には気を向ける余裕はなかった。
 流れ込むように部屋に入るなり、悟浄は寝台に倒れ込んだ。
『夢が叶う寺だと・・・。悪夢の間違いだろ』
 次に目を覚ます時には、この吐き気もおぞましい感覚も、そして、苦しい記憶も消え去っていることを祈るような思いで、悟浄は目を閉じた。

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